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(戦前の石油) 輸入方法は?

戦前の日本は石油の8割をアメリカから輸入していたそうです。この「輸入」の意味について質問します。
アメリカ本土からタンカーで直接輸入していたという意味ですか。それともインドネシア辺りの油田をオランダやアメリカが支配していて、ここの石油をアメリカの企業から買い取って日本へ運んでいたという意味ですか。
薄々、後者であろうと見当はつくものの隔靴掻痒でいけません。識者の断が欲しいです。詳細はなくても信用できると認められる文章になっていれば結構です。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

陸軍燃料廠?太平洋戦争を支えた石油技術者たちの戦い (光人社NF文庫) [文庫]石井 正紀 (著)


によると、
ボイラー用燃料をアメリカ・カリフォルニア産の原油に依存しているという状況に対する危惧
についての記述があり実際に運んで来ていたようです。
日本だけが特別異常だったのではなく、昭和15年当時は世界の石油産出量の62.6%がアメリカ産
対してインドネシアはまだ3.2%に過ぎなかったようです。
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この回答へのお礼

資料のご紹介があることでもありますし、これで十分という気分です。勝手な推測をしているより、確信のもてないことは訊くに限ると改めて思いました。
回答の準備をされている方があってはいけないので、明朝6時までは締め切らずにおきます。6時の時点で、これと大きく矛盾する回答が寄せられていない限り、締め切ろうと思います。
陸軍燃料廠、『太平洋戦争を支えた石油技術者たちの戦い』は身近な所で読めることが判りました(手にはしますが読むとまでは約束しません。ご勘弁を。)。
早々のご回答、有り難うございました。

お礼日時:2010/06/11 23:32

記憶モードで失礼します。


当時の産油量は6割がアメリカ、確か2割前後がソ連(バクー)です。
主な輸入先はカリフォルニア(テキサス産が主)で、ソ連産もありますがこれはソ連側の供給能力に限界があります。
(なにしろシベリア鉄道で何千キロも運ばないといけないので)
大慶油田は粘度が高く水石が多いと言う世界で最も性質の悪い油田で、おそらく当時の石油メジャーでも生産困難だったでしょう。

なお蘭印の油田は基本的にオランダ資本で、オランダからの石油輸入交渉は行っていたものの、ドイツとの同盟発表により相手から断られています。
あとサウジアラビアでの油田開発に参入しようともしましたが、これはアメリカ資本に競り負けています。
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この回答へのお礼

どうやらアメリカ本土から輸入していたとの知識は常識の部類のように思えてきました。
これもどうやらインドネシアはオランダ一国の縄張りだったらしいと思うことにします。
お蔭様で戦前の石油事情が益々正確になりました。
(教えてgooのトップページに飛んでしまって、お礼が書けないときがあります。お気づきがどうか。お礼が遅れて済みません。)
有り難うございました。正午前に覗いて、NO.5がなければ締め切る予定でいます。8:01記。

お礼日時:2010/06/13 08:03

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/oil. …
まとめている人がいます。
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この回答へのお礼

基礎データのご紹介を有り難うございます。
今回の質問はNO.1~NO.3が一組になって回答が完成したものと考えます。

回答の準備をされている方があってはいけないので、早くても21時までは締め切らずにおきます。17:50 記。

お礼日時:2010/06/12 17:53

海軍には、給油艦という艦種がありました。

大砲つんだタンカーです。蘆溝橋事件以降、石油需要は増える一方だったので、民間のタンカーも海軍給油艦も、アメリカに通いました。
ただ、アメリカを刺激しないよう、給油艦は大砲おろして任務に当たっていました。
ちょっと脱線しますが、戦艦長門に乗せてもらって感動したお金持ちが、燃料を1年分寄付しましょうと言ったことがあります。が、10日分で家屋敷がなくなりますよ、と海軍から言われてしまっています。戦艦は動いていなくても、一日50トンの重油が必要なのです。

もどして。
一応軍艦でもある給油艦がアメリカに入港しても、特に抗議とかはなかったそうです。警備のお巡りさんがタラップ下に一人いるだけで、出入りも自由でした。アメリカではシンガーのミシンが内地より安く買えたので、みな買っていたそうです。船の使っていない場所に積みますが、黙認でした。この任務についた人の多くがハリウッド見学をしていますが、ターザン映画のワニをスタジオが一日百数十ドルで飼育しているときかされ、

アメリカのワニの方が金持ちだ(´・ω・`)

と思ったそうです。この給油艦任務は手当てがたくさんつき、ミシンなども買えるので、実態は下士官・兵の成績優秀者へのボーナスの意味もありました。

8割以外の供給源は、実はソ連です。ただ、これも昭和16年6月に独ソ戦がはじまると途絶えます。日本はこの間、満州国で油がでないかと満鉄が努力していましたが、今の中国東北部大慶油田のある場所の地質調査をミスしてしまい、地図に「微油地」と書いてしまいました。
戦争末期に、ソ連へ燃料使うので日本ではもはや戦力にならない大型艦を輸出し、ガソリンと航空機をバーターで輸入しようとしている部署が、海軍にはありました。

石油、ミシン、ワニまでこんな状態だったのに、アメリカに戦争しかけたわけです。日本が戦時中に使用した最良のガソリンは、シンガポールのタンクに英国が残していった物でした。重要任務につく航空機に使ったそうです。

有名な零戦の取扱説明書にはエンジンオイルに、テキサコ・エアプレーン、と銘柄指定してあります。しかも、夏、冬、酷寒に応じて、テキサコ・エアプレーンNo.120~80と細かく指定しています。同様に発電機潤滑油は夏はモービルB、冬はモービルBBと書いてあります。テキサコもモービルも、いうまでもなくアメリカの石油会社です。
これを読んだときは、なんか虚しくなりました。

参考程度に、ご笑納ください。
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この回答へのお礼

アメリカ本土から輸入していたのが分かりました。
石油がなければ戦争ができない。然らば戦争によって石油を獲よう。この理屈は分かったような分からないような、正論のような正論でないような、論理が破綻しているようなしていないような、愚者の手には負えません。

それにしても相手が何処の国であれ東南アジアから輸入していたならまだしも、アメリカ本土から輸入していて尚且つ戦争を始めてしまう心理は理解できません。勝敗を度外視して誰かが欧米に挑まない限りアジアの開放は有り得ない、こういう理屈の上での戦争だったとすると私には分かり易いのですが。

石油の輸入に纏わる零れ話を紹介いただき、ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/12 17:51

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