これ何て呼びますか

今年もまた読書感想文の宿題が残ってしまいそうです。
本を読むのは大好きなのですが、文字にして感動を伝えろと言われても難しいです。

そもそも感想文を書かせることで学校側は、何を狙っているんでしょうか?
ぜひメリット、デメリットが知りたいです。

以前、意見文で「読書感想文を書くことについて」と批判的な作文を夏休みの宿題で出したら、お前の年頃は反抗したがるころだな、と笑い飛ばされました。

私はメリットとして本を読む機会、文章を書く機会が必ずできるということを書き
デメリットは、個々が感じたことを書いた感想に優劣がつくものなのかなどなどを書きました。

それと読書感想文のコンテストで優秀なものは、必ずその作品に対して肯定的なものですよね。
批判的な文章をなるほど、と思わせるくらい理論付けて書くのは難しいとは思いますがそんな作文を書きたいです。

A 回答 (5件)

固定しながら、批判すると面白いかもしれませんよ。




とあるブログサイトでコメディアンの戦闘能力という
話があります。
アメリカのブッシュ大統領の前で、
すべてを固定しながら否定した演説の内容が
かかれてますので参考になるかもしれません。

http://coolsummer.typepad.com/kotori/2006/08/pos …


そして、
エスニックジョークといわれる、
一見して固定的で楽しそうな?ギャグも↓
http://kuroneko22.cool.ne.jp/Joke1.htm


作文は人生のいろんな面で絶対的に必要になる
表現能力の練習だと思います。
高校入試、社会人になった後、
今は何もかもメール連絡が絶対の世界ですから
メール=文章能力が必須って感じです。

ですので、作文は書けば書くほど
将来役に経つ能力が備わると思います。

がんばって!
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この回答へのお礼

コメディアンの戦闘能力を読ませていただきましたが
ものすごく面白いですね!感動しました!
真っ向から反抗するのではなく、肯定に含ませた反抗の方が効力がありそうですね。こういうのを参考にしたいです。

本当に教えていただいて、ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/15 01:10

そもそも、読書感想文を書くことに対する基本姿勢が間違っているように思います。



読書感想文は、読み手の読後感を正直に書くものではなく、(出題者が期待している)著者の考え方や出題者(あるいは世評など)の読後感・意見を肯定的かつ感情移入して大きく感動したかのごとく装って綴るのが基本です。要はフィクションとしての読書感想文という捉え方が大切なわけです。

別に良い子ぶって、教師に気に入られたりコンテストで賞を取ろうなどと思っていらっしゃる訳ではないと思いますが、かと言って教師の反感を買ったり敢えて評価が下がるような文章を書く必要もないでしょう。

そもそも感想文を書かせることで学校側は、何を狙っているんだろうか?----それほど大袈裟な理由はなくて、単に慣例としてとか、教師が怠惰なためそれに変わる有効な宿題を出せないでいるだけです。

メリット、デメリットはそれぞれ幾つかあるでしょうが、大切なことは、あなたが、この読書感想文を宿題として提出しない、と決めているのではない以上、書くことにメリットを見出さないと時間と労力の無駄になります。よって、提出するつもりなら、ポジティブになる様に活用するしかないですね。

ポストモダン哲学の文章のように、大した意味や内容のない文章をペダンティックに作り上げ、意味深長な何かを書いているような雰囲気を作り出す訓練をしてみてはいかがですか?
あるいは、小林秀雄の文章のように、書物の内容を適宜引用しながら、まったく関連のないことを意味ありげに述べるという方法も訓練しがいがあるでしょう。

このような訓練は、自分の意に沿わない内容や事実と必ずしも一致しない報告を提出する際の文章表現を磨く一環として、それなりに将来役立つはずです。

(皮肉まじりに聞こえるかもしれませんが、これは真面目なアドバイスのつもりです。優秀な読書感想文を書いたからひとかどの人物になった、などという話は聞いたことがありませんから、気楽にやればいいんです。)
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>その人の基本的な人格構造は本物なのでしょうか?



それでいいのですよ。そういうものです。
人の人格というのは表層と深層があり、どちらもその人の人格であることに変わりありません。
偽善的な人もいれば、本当に善である人もいるし、つまり悪もいて当然なのです。
当然、殆どの人間は社会に出ればその『表層』だけで生きていかなくてはなりませんし。
浮気や横領、窃盗や暴力、過度の飲酒、そんな感じの事をクセとして繰り返す人だって、
生きていくため、お金をもらうために表層で取り繕って普段仕事をしています。それがポロッとバレた人から随時つかまるわけですよ。

教師というのは普段生徒の一人一人とみっちり話し合うことが出来ないので、
表層であれ深層であれ知ることはとても有意義であります。

まあ、そこまでポジティブな目的で読書感想文を書かせているかというと、
そうではなく惰性や週間で行っている課題提出だとは思いますが。そういう教師もいるにはいます。

>でもその力は読書感想文で養うことがベストなのでしょうか?

そうではないでしょうね。あくまでも一部というか、読書感想文すべてで養えるわけでもありませんし、
なにがベストというのは個々個人によります。つまり、実にならない人も当然いるでしょう。

勉学において分野(科目)がいくつかあり、実技や練習にも小分野があるのは、
それぞれの特性や将来への展望を見出すために必要な『過程の一つ』であり、全ての学科が全ての日本人に必要な知識なわけではありません。
各々によって役に立つ知識、経験というのは変わります。

将来なにが役に立つかわからないし、それは恐らく生徒本人もわからないでしょう。
大学の各科、各専門学校に入った知人の80%以上は卒業後フリーターや別分野に進みましたし、しばらくしてから専門分野に戻る人も少ないですがいます。
人生そういうものです。枝分かれして然り。
しかし一つ一つ、無駄にはなりません。必ず何処かにつながっているものです。
具体的にいつ役にたつか、無駄になるかは当人にも誰にもわかりません。

そのために、全ての学業に意味がある、とオトナは言うのですよ。
(根性論で言う人も多いですが、本質的には大差ありません)
変なやさしさからかオトナは、人間関係がキツク、殆どの人が自分の夢さえも揺らぐような社会現実を詳しく説明しないので、わかりづらいかもしれませんが。

>読書そのものが嫌いになる人もいるんじゃないんでしょうか

いるでしょうね。ただし、それは数学や英語にも言えることです。
逆に好きになる人だって当然いるわけで、否定的な理由で避ける意味はありませんよね。
一見無駄に見えることは全て将来に繋がっています。
おそらく学業に専念する年齢である6歳~22歳の間にそこに気がつける人は数パーセント程度であって、
しかも気が付いたとしても本当の意味で『吸収』できる人は100人に1人いるかいないかではないでしょうか。

私は学歴・知識レベル万歳主義ではありませんので塾も予備校にもあまり意味を見出せませんが、
イヤなことを我慢しつつ、乗り越えていく行為そのものに意味があるのだと思いますよ。

こう書くと根性論になりそうでイヤですが、まぁ似たようなものでしょう。
現実というのはその程度であって、実際に社会に出て役にたつ学科というのは、『国語』『英語』『数学』くらいなものです。
数学も、算数くらいしか役にたちませんが、難解な数字と向き合っている経験は将来プロジェクトや計画を練る時に役にたちますよ。
数式の知識は役にたたず、分解して答えを出すという行為が、ですが。

大人になると、「ああ、もっと○○を勉強しておけばよかった」とよく聞きます。
しかもたいていは、国語、英語、数学です。
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>個々が感じたことを書いた感想に優劣がつくものなのか



読書感想文は、感想の内容に優劣がつくわけではありません。
自分なりの解釈と一般的といわれている解釈をならべ、ある種討論というか、
いかに理解し、いかに理解できなくて、そしてそれをどう思うか、
新たな切り口から物事を理解する手段はないものかを、
延々と生産性もなく書き続けるものなのです。そう、そこに生産性はゼロです。

ただし、そうやって自己完結の議論を文章にすることで、
その人の基本的な人格構造が浮き出ます。
これは教師からみれば生徒を理解するのに有用な情報にもなります。
あぁ、こいつはこんな事考えているんだなとか、
こいつは物事を極端に見すぎだとか、危険な思想をもっているだとか。
逆に、柔軟な発想の持ち主だなとか、なんて純粋な心なんだろうとか、もちろんプラスの人格を垣間見ることだって出来るのですよ。

また、自分の頭の中を整理し、それを人に文章で伝えるわけですが、
ビジネスにおいても同じスキルが必要です。(分析書、報告書、経営企画書)
オトナになって、体育会系の仕事や美術家にでもならないかぎり、絶対に使う能力です。

このように、無駄なことではありません。
確かに面倒くさい作業ですし、学校生活ではまったく役に立ちませんが、
その『頭を使う』という経験が将来のアナタを支えたり支えなかったりするのですよ。

ちなみに私が学生だった頃、肯定的、否定的な事の両側面から攻めましたが、ちゃんと賞をとりましたよ。
どんなものごとも、一方的な側面から攻めるとマイナスになるので、
否定が中心だとしても肯定を含ませると説得力も増すし印象もあがります。アドバイス。
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この回答へのお礼

今の中高生は、そんなに読書感想文に自分の素で向き合っていないと思います。
道徳的できれい事を考えて埋めている人も少なくないと思います。
そうして出来上がった作文から分かる、その人の基本的な人格構造は本物なのでしょうか?

もちろん読書感想文で頭を使うことは大切です。今でない将来、使うこともあるでしょう。
でもその力は読書感想文で養うことがベストなのでしょうか?
決められた本を嫌々読み、考えた文にし宿題として提出することで読書そのものが嫌いになる人もいるんじゃないんでしょうか?

お礼日時:2007/08/15 01:32

他者(登場人物)への共感、他者の行為を自分に置き換えて自分の感情の動きと他者の感情の動きの違いを客観的に捉えられるか、だと思います。

精神年齢が老けてくると、今挙げたことだけで、頭の中にたくさん考え事が溜まります。
嫌な経験を積んだこと、知人の事故を共感するなど、影響するのだと思います。
若い頃は主体的考え方なんですが、年をとると客観的考え方の方向へ移行していくので、そのうち書けるようになります。
文章は正統なものを批判してまとめれば、インパクト大ですが、肯定でも人をうねらせるような感動をもたらすものもできるので、そう気張らないで、じっくり読んで、自分の友達ならどういう時に登場人物のようになるか?自分ならどうかを考えれば、より深く読めます。
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この回答へのお礼

書き方、というのはいろんな本とかアドバイスがもらえるんですけど
なぜ書くのかが分からないんです。

感想文は感じ思ったことを書くんじゃないんですか?
それなのに私は毎回考えて書いてしまいます。
もちろん読解力、文章力向上のための読書感想文というのは分かっているんですが、どうも将来本当に役に立つか分かりません。
本を読むこと、文章を書くことは大切だと思いますが、それは読書感想文で向上できるものなのでしょうか?

嫌々ながら、偉い先生の選んだ本を年にたった1度読み、形式を持ち文章を考えることに意味があるのでしょうか?

お礼日時:2007/08/15 01:21

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