上杉謙信と飯綱権現の関係について教えてください。

彼が毘沙門天を信仰していたことは有名ですが、彼が
戦場で着用していた兜のなかに飯綱権現をあしらった
ものがありますが、彼の人生において飯綱権現はどうゆう
ポジションだったのでしょうか?

A 回答 (1件)

飯綱権現をあしらった兜だそうで、私はそれを見ていないので断言できないのですが、とりあえずお答え致します。


 飯綱権現をあしらっているのは、兜の「前立」でしょうか?、(前立というのは、伊達正宗の兜で言う三日月の部分です。知っていたら、すいません。)
 もし「前立」でしたら、武運を祈るための飾りだったと思います。矢玉を避ける呪い(まじない)や、自らを目立たせる為といったところでしょうか。
 武将名は忘れましたが、前立の部分に独鈷を付けているのもあります。
 上杉謙信は毘沙門天を信仰していたというのが、多くの人の知るところですが、彼は他の神仏も信仰していました。もしかしたら、その中に飯綱権現があったのかもしれません。特別深い関係はなさそうです。
 最後にこちらから聞きたいのですが、飯綱権現と何故おわかりになったのか、またその根拠となる証拠を御報せいただきたいのです。(無理にとはいいません)
 それでは、お元気で。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。参考になりました。
お尋ねの上杉謙信の兜ですが、米沢の上杉神社にあります。 色々威腹巻という名の鎧兜です。

お礼日時:2001/01/30 10:52

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Q上杉謙信について

上杉謙信について詳しく載っているサイトがあれば教えて下さい。(上杉謙信の戦法や兵の数など) とにかく、どんな事でもいいので教えて下さい。 お願いします。

Aベストアンサー

上杉謙信の戦法に「車懸りの陣」があります。
http://www.m-network.com/sengoku/senpou.html

上杉謙信小事典
http://members8.cool.ne.jp/~montitti/_private/syoujiten2.htm

そのたに、下記のページがあります。http://www2.harimaya.com/uesugi/

http://www8.ocn.ne.jp/~yozan/rekisi/jinbutu/kensin.htm

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu/hyo/itiran/itiran/uesugi2.htm

http://www2.odn.ne.jp/naifu/tanteidan/kensin1.htm

http://www2.harimaya.com/uesugi/k_kawa.html

Q上杉謙信とか上杉家とかを

なんだか義に生きて義に死んだみたいにすごく美化してますけど、
誰が何のために上杉家を美化し始めたんですか。
実際のところ上杉軍って、攻め込んだ先で百姓とかぶち殺しまくったり、
女を犯しまくったり、すごく恐れられていたと聞きました。
上杉謙信に至っては、ただの戦好き。
今で言うところのブッシュ元大統領みたいなものだと言うことですよ。
いったい誰が何のために、
上杉家を義に生きる集団みたいな情報操作をしたんですかね。

Aベストアンサー

>誰が何のために上杉家を美化し始めたんですか。


根拠はありませんが、
江戸時代のそれも元禄時代あたりからではないでしょうか。

日本人には判官びいきというのがあって、
強者、権力者へのあてこすりや批判に
それに対抗するものを作りたがるからです。

権力が不安定な時代であれば弾圧されますが、
安定してくると、それも一つの読み物、娯楽として
庶民の不平不満のガス抜きとして認められます。

家康がたぬきおやじで、真田幸村や直江兼継が
反権力のヒーローみたいに特徴づけられるわけです。

たぶん、講談や辻講釈の一節として定着していったのでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%9B%E8%AB%87

Q上杉謙信の子孫?

このまえ「トリビアの泉」を見ていたら、上杉謙信の子孫が登場していました。でも、上杉謙信といえば、生涯独身で、女性と関係を持たなかったと聞きましたが、子孫がいるということはどういうことでしょうか?

Aベストアンサー

初代:上杉謙信

→2代目:景勝
 謙信の甥。

→3代目:定勝
 景勝の嫡男

→4代目:綱勝
 定勝の次男

→5代目:綱憲
 吉良上野介の息子。母親は定勝の娘

→9代目:治憲(鷹山)
 中興の祖と言われる名君。秋月種美の次男、母は綱憲の娘

主な藩主ですけど、幕末まで多少の血縁関係はありますが、何度か養子を貰って血脈を保っています。
上杉謙信の直接の子孫はいませんが、姉の息子の景勝の系統が子孫となります。
もう一人の養子の影虎は北条氏の出身で、景勝の妹を妻にしていましたが、御館の乱で破れ、義兄の景勝に殺されています。

Q 兜跋毘沙門天立像が肩に立っている、この女性

 兜跋毘沙門天立像が肩に立っている、この女性
 1)この女性の名前はなんといわれますか?
 2)どうして兜跋毘沙門天は女性の肩に立っておられるのでしょうか?
 3)兜跋毘沙門天の立像はこの女性の肩に立つことになっているのでしょうか?それはなぜでしょうか?
 4)私たちは普通毘沙門様といいますが、正式には兜跋毘沙門天といわれるのでしょうか?
 
 http://inoues.net/museum/usa_museum.html (下から五分の一くらいのところの写真)
 http://www.pref.iwate.jp/~hp0910/korenaani/h/018.html (岩手県は江差市の写真)

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C%E8%B7%8B%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A4%A9
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A4%A9

Aベストアンサー

研究者の素晴らしいHPを見つけましたので、ご覧になってください。
このHPにコメントできるような知識を、私は毛頭持ち合わせておりません。

毘沙門天の発見 篠原典生 (北京大学考古文博学院博士課程)
http://dsr.nii.ac.jp/narratives/discovery/07/ 

この女性は「地天女」別名を「歓喜天」というのだそうです。
「子が乳を飲まないので毘沙門天に祈ったところ、地面がふくれて乳のようになり、子供はこれを飲んで成長した」という記述がありますから、こんな理由で「地天女」と呼ばれるようになったのかも知れません。

ご質問2)3)については、
「半身をあらわす地天の両手に支えられている」と、書いてあります。
「地天女」と呼ばれるようになった理由と関連があるのではないでしょうか。

ご質問4)については、
「兜跋毘沙門天という名称自体が、他の毘沙門天像とは異なる特別な存在であったことを示している。」
との記述があります。

毘沙門天の石仏の写真も何枚か撮りましたが、これまで像形が気になっていました。
ご質問のお陰でよい勉強ができました。

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Q上杉謙信と、その家臣

 上杉謙信の家臣であり、侍大将である小林左馬介について教えてください。
 また、侍大将とはどういった役職で、何をしていたのでしょうか?
 また、上杉謙信は女性と言う説がありますが、どうなんでしょうか?

Aベストアンサー

質問者様のご先祖が「小林左馬介」だと伝わっている、といったお話ですか?下記の記述を元に質問されているのでしょうか。
http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/kobayasi.html
「上杉謙信の侍大将に小林左馬介の名が見え」
※ 詳細は略しますが、上記は「小林左馬助」の間違いと思われます。

上杉家は越後から会津、米沢と移って明治維新に至りました。上杉謙信の家臣団が基本的にはそのまま維持されてましたので、「上杉謙信の侍大将に小林左馬介の名が見え」が事実であれば、
※ネット上の情報にはウソも多いです。
小林左馬助の子孫が米沢藩士として存続し、米沢藩の史料に残っているのはほぼ確実でしょう。

市立米沢図書館
http://www.library.yonezawa.yamagata.jp/
に「郷土資料室」が存在するようです。米沢藩に関する活字の資料はここに取り揃えてあるはずです。土日祝日も開館していますから、遠方にお住まいでもここに行けば「小林左馬助の子孫」について調べることは容易です。なお、事前に図書館に連絡して「小林左馬助の子孫について知りたい。何月何日に東京(例)から伺うのでよろしくお願いします」と言えば、図書館の担当職員が調べる手助けをしてくれる筈ですし、事前に何を準備すればよいかアドバイスしてくれるでしょう。

「侍大将とはどういった役職で、何をしていたのでしょうか?」
明確な定義はありませんが、戦国時代には、「独立した戦力を率いる地位の武士」を「侍大将」と称したようです。自前の家臣(郎党)と、自分に付属された武士(与力・同心)を含めて数百人程度かそれ以上の戦闘員を率いており、例えばこの兵力で一つの城を守備しました。

「また、上杉謙信は女性と言う説がありますが、どうなんでしょうか?」
上杉謙信が女性(男装の麗人)であったと仮定すると説明がつくことがいくつかあるのは事実です。
1. 生涯結婚しなかった。女性が女性と結婚できるわけがないので当たり前。
2. 上杉謙信の書状を見ると、妙に女性的な、感情的な表現が目につく。
3. 近衛前久との良く分からない盟友関係、近衛前久と共に関東へ出兵し全く実りのない戦を繰り広げるといった戦国大名として不合理な行動は「謙信が女で近衛と恋愛関係にあった」とすれば説明がつきます。
謙信は京都に二度赴いたようで、歴史家はその動機を説明するのに苦労していますが「女の謙信が京都に観光旅行に行った」と考えれば説明がつきます。

ただ、謙信は兄の現当主を見限った長尾家家臣団に推戴されて長尾家を継ぎました。「謙信が女であった」とすれば、長尾家家臣団はそれを承知で謙信を推戴したことになります。後年に謙信が示した天才的な武略を家臣団が予測できたとは思えず、「現当主を廃して、女を主君に担ぐ」というのはいかにも不自然です。

質問者様のご先祖が「小林左馬介」だと伝わっている、といったお話ですか?下記の記述を元に質問されているのでしょうか。
http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/kobayasi.html
「上杉謙信の侍大将に小林左馬介の名が見え」
※ 詳細は略しますが、上記は「小林左馬助」の間違いと思われます。

上杉家は越後から会津、米沢と移って明治維新に至りました。上杉謙信の家臣団が基本的にはそのまま維持されてましたので、「上杉謙信の侍大将に小林左馬介の名が見え」が事実であれば、
※ネット上の情報...続きを読む

Q上杉謙信&沖田総司

上杉謙信の生涯を描いた小説を探しています。大河ドラマ風林火山を見て、謙信について興味を持ったので。教えていただけたら幸いです。

また、司馬遼太郎の燃えよ剣を読んで、沖田総司に興味がわいてきたので、沖田総司の小説ももしあったらお願いします。

Aベストアンサー

上杉謙信といえば、海音寺潮五郎の「天と地と」でしょうね。
これは大河ドラマにもなっていますから。

Q太閤立志伝5、上杉謙信・主人公札の取り方

太閤立志伝5、上杉謙信・主人公札の取り方

テレビを見ていて、太閤立志伝5で上杉謙信の主人公札を入手してないのを思い出して取っておこうとネットを検索しましたが、2ちゃんねるのスレの端切ればかりがヒットしてよく解かりません。
上杉謙信を入手してないのは、やり方が難しかったからだと思います。

入手方法を教えて下さい。

Aベストアンサー

・上杉景勝プレイで御館の乱を発生させる
・柴田勝家プレイで手取川の戦いに勝利する

のどちらかのようです。
http://brightbell.main.jp/kipima/game/taikou5/event_sonota.html

Q上杉謙信にも領土的野心はあった?

上杉謙信は正義と理想のために戦い,戦いといえばハイリスク・ローリターンなものばかりで敵から奪った領土は元の領主に返してあげていたという話を聞くけど、長尾家(上杉家)は謙信の代で200万石近い大大名になってますよね。
七尾城の戦いでも織田家を破ったりして越中とかそのあたりを上杉家の版図に加えることに成功してますよね。

実は上杉謙信にも北条氏康や武田信玄のような領土的野心があったということですか?

Aベストアンサー

#3の補足です。

>しかし、居座ることなく引き上げたとなると、200万石という数字は越後、能登、越中の直轄地と、兵は引き揚げたけど影響力をもった関東と信濃を支配圏と計算しての数字ということですか?

200万石という数字の根拠は、自分にはよくわからないのですが、彼は異常なほど関東や信濃への出兵を繰り返しています。
出しては退き、出しては退き、という行動が、領地目当てではない「義将」と言われるゆえんであるわけですが、その中で直轄地にしたところもあれば、家臣に分配する土地もあったでしょうし、その土地の国人の領地を安堵してそのまま彼らを臣従させる、ということもあったでしょう。
まったく見返りなく出兵するだけでは、家臣はついてこないでしょうから。
ただその行動の動機が、領地拡大だったとは言いにくいんじゃないか、ということです。
出しては退き、を繰り返さなければいけない事情として、越後は雪国ですから、雪に閉ざされる前に本国に帰還しないといけない、といったことはあったと思いますが。

Q武田信玄と上杉謙信の虚像と実像

武田信玄と上杉謙信の虚像と実像についてそれぞれ教えてください

Aベストアンサー

最近の研究の進歩から言えば枚挙に暇ありませんが、いくつか挙げるとするならば

信玄
○晩年の西上作戦について
 ・元亀2年から三河・遠江に侵攻そいて、信長・家康と敵対
  → 天正3年の長篠合戦直前の勝頼の侵攻の史料であり、信玄は元亀2年段階では信長らと敵対していない。
 ・信長包囲網を築き上洛を目指した
  → 足利義昭らの反信長勢力に引っ張り出されたのであって、主体的に信長と敵対しようとしたわけではない。また上洛を目指したわけでもない。

○武田家滅亡の原因
 ・勝頼の能力の問題
  → 勝頼は何度も信長と和睦しようとしているが、信長は拒絶していた。その理由は信玄に何度も使者を送り懇意にしていたのに、突然侵攻されて裏切られたことを信長は忘れていなかったため。つまり、武田家が滅亡するまで決定的に攻撃された原因は信玄にある。ちなみに、信長に滅ぼされた勢力の大半は信長を裏切った者たち(敵対しただけの勢力は許されていることが多い)。

○男色の相手
 ・春日虎綱(高坂昌信)
  → 史料にでてくる「源助」は虎綱ではない。

鴨川達夫氏の『信玄と勝頼』や『武田信玄と毛利元就』が参考になります。

謙信
○性格について
 ・義を重んじる正義の武将だった。
  → 関東出兵も信長との戦いも現実利害が原因。そもそもそれぞれに領地を持つ半独立的な家臣団が大義名分を掲げられても従うわけがない。
 ・信玄とライバルでその死には敬意を示し、武田を攻めなかった。
  → 信玄の死を確認すると、織田・徳川に一緒に武田攻めをするよう働きかけている。

○最後の出陣
 ・信長と決着を付けるため、上洛する予定だった。
 → 関東に出兵の予定だった。

最近の研究の進歩から言えば枚挙に暇ありませんが、いくつか挙げるとするならば

信玄
○晩年の西上作戦について
 ・元亀2年から三河・遠江に侵攻そいて、信長・家康と敵対
  → 天正3年の長篠合戦直前の勝頼の侵攻の史料であり、信玄は元亀2年段階では信長らと敵対していない。
 ・信長包囲網を築き上洛を目指した
  → 足利義昭らの反信長勢力に引っ張り出されたのであって、主体的に信長と敵対しようとしたわけではない。また上洛を目指したわけでもない。

○武田家滅亡の原因
 ・勝頼の能力の問題
  →...続きを読む

Q上杉謙信

歴史上かなりの人格者であり内面・外面共に強さを誇ったと聞きました。
上杉謙信について、どんな些細な事でも構いません。情報を教えて下さい。

Aベストアンサー

上杉謙信について専門に研究している者です。上杉謙信を初代とする家を「長尾上杉家」と呼びます。人格者か否かは、専門家によって見解が別れます。ただ「筋目」を大事にした事はいくつかのお寺や神社への「願文(がんもん)」から明らかになっています。彼の父の長尾為景は「下剋上」の典型のように言われますが、これも難しいところです。つまり長尾為景は「守護」の格式までしか獲得できていません。「長尾」の名字だけでは、鎌倉時代からの名門が多い越後国の「国人」を従わせるには不足だった、と考えています。
上杉謙信についての「資史料」は大部分「米沢市上杉博物館」とその近くの上杉神社の宝物殿「稽照殿(けいしょうでん)」に保存されており、随時展示されています。国宝や重要文化財に指定されているものもたくさんあります。本当に上杉謙信についてお知りになりたかったら米沢市に行くのをおすすめします。また長野から信越線で直江津まで行くと、なぜ川中島合戦が起きたか、を体で感じる事ができます。両方とも冬は豪雪地帯ですので、雪の季節以外に訪問されたほうがいい、と思います。
上杉謙信についても、戦前は評価が高く戦後はその分評価を下げられて来ました。なお米沢市では上杉謙信は偉大な「神様」です。心して訪問して下さいませ。(上杉神社は「別格官幣社」でした。)

上杉謙信について専門に研究している者です。上杉謙信を初代とする家を「長尾上杉家」と呼びます。人格者か否かは、専門家によって見解が別れます。ただ「筋目」を大事にした事はいくつかのお寺や神社への「願文(がんもん)」から明らかになっています。彼の父の長尾為景は「下剋上」の典型のように言われますが、これも難しいところです。つまり長尾為景は「守護」の格式までしか獲得できていません。「長尾」の名字だけでは、鎌倉時代からの名門が多い越後国の「国人」を従わせるには不足だった、と考えていま...続きを読む


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