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僕はいつも塾の自習室で勉強しています。同じ学校の友達も10人ほどいるので、彼らと励ましあいながら頑張ってます。

友達グループの中には頭の良いやつが多くて、東大・京大・阪大を狙っている人もいます。ちなみに私は横浜国立を狙っています。
彼らと勉強していて思うのですが、皆センスがあるのです。
特に数学においてそれを強く感じます。私は数学がすごく苦手で1日2時間ほど勉強しているのですが、成績の向上が見られないです。
ですが、彼らは理科に時間をかけていて、私の半分も数学の勉強をしてないのに、数学の成績は私より抜群に良いです。
唯一私が得意な社会系の科目で彼らと同じ程度です。私は社会しか得意な科目がありませんが、彼らは全教科得意といった感じです。
さらに彼らは成績がずば抜けてよい割には、勉強時間はそれほど多くないです。
塾だけでなく、学校でも頭のいい人に限って勉強時間はそれほど多くないです。並みの受験生並の時間なのです。
私含め昼休みも勉強してる人達で彼らに追いつける人はいません。

なんかこのような現状を見ていると、努力したっていったい何になるんだ?結局頭のひらめきがある人が有利なだけじゃないか。って思えてきて、勉強していると虚しさがつのります。
結局私のような凡才は、センスのある人達の傍らでひたすら勉強量を重ねるしかないのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

残念ながら凡才は「センスある人」にはどうやってもかないません。


少なくとも大学受験とかいう短期の比較においては絶望的な差があります。(私も有名旧帝大の難関学部のひとつにを卒業していますが、高校時代は「センスある人」とのギャップに毎日絶望していたものです。

ただし、入試が最終ゴールではありません。人間の最終評価はお墓に入るときです。それまでの数十年をどのように勉強し、向上し続けるかでその人の価値が決まります。私ももうそろそろ棺桶」に片足を乗せようかという年ですが、かつて羨望の眼差しでしか見れなかった「センスあるクラスメート」たちは今はインターネットで名前を打ち込んでもあまりヒットして来ません。(別にネットでヒットすることがよいことではありませんが、社会的成功の側面からは一応の目安にはなりますね。)

要するに勝負は今後60年、70年かけてするものです。目先の勝負では決して勝てないでしょうが、挽回のチャンスは十分あります。
一生勉強。死ぬまで毎日5時間の勉強を続けてごらんなさい。

☆ 簡単に勝負という言葉で表現しましたが、その意味をあまりに単純に考えるほどに幼い質問者ではないと信じています。
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この回答へのお礼

確かに現役時代という少ない時間では凡才は不利ですよね。
確かに入試という事だけで見ると私達は不利ですが、長い目で見ると彼らより成功できるような分野が見つかるかもしれませんよね。
回答有難うございました。

お礼日時:2007/09/30 22:16

この春、ある国立大学に合格した者です。



わたしは、理系学部を志望していたわりに本当に数学が苦手で、二次試験では250点中35点でした。でも受かりました。

二次試験、わたしは唯一の得意教科である英語で高得点を取り、また全教科基礎をしっかり固めたのでセンター試験では志望大学上位10人に入りました。

あなたは周りのひとと比べて自分を評価しているようですが、あなたのゴールは京大でも阪大でもなく横浜国立大に合格することですよ。

勉強時間なんて比べたって意味がない。苦手科目はできなくていい。得意科目を伸ばし、センターで高得点。

まわりは関係ないよ。"あなた"が"横浜国立大"に合格すればいい。

受験勉強はつらいよね。
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理数はやり方の問題であること多いですね。


闇雲に問題に手を出していたり、以前習ったところが本当には理解できていないのに先に進んだり、基礎ができていないのに応用問題に手を出したり、すぐに理解しろとは言いませんが、問題を解きながらでも理解できるよう繰り返し説明を読むとか。

とはいえ、

難関大学に現役合格するような奴は、やっぱり要領は良いですね。
極めて良い。
理解も一発でするかも知れません。

ま、別にそういう人はそういう人で良いじゃないですか。
あぁなる「必要」はありません。
あなたはあなたのやり方でそれなりの力を付けて下さい。
それがあなたの「持ち味」になることはよくあることです。

努力量を揃えよう、なんてのは横着でしかありませんよ。
それを言い出したら、みんな天才級の努力量しかしなくなり、学力は天才を除き最低にしかなりませんから。
天才に近い方が有利なのは当然です。
それは体育の時間を見れば明らかでしょう。

> センスのある人達の傍らでひたすら勉強量を重ねるしかないのでしょうか?

学習内容に興味を持ってますか?
「しか」ってなに?
学習内容に興味を持てるかどうかは、それこそ才能だと思います。
野球が面白いと思うのは才能だし、音楽が面白いと思うのも才能です。
数学が面白いと思うのも同様に才能です。
面白いことに対して「しか」とは言わないでしょうね。

なお、大学受験数学の「ひらめき」は訓練でどうにでもなる程度の物です。(数学研究のひらめきではないんで)
また、ひらめくのではなく、気付くまで試行錯誤を繰り返すのです。
解答には試行錯誤が書いてないので、さもひらめいたかのように見えるだけです。
ひらめきが必要だとしても、
中学受験>>高校受験>大学受験
でしょう。
だって、経理で使う数学がひらめかなければ使えないならその辺の会社は脱税で捕まりまくるでしょう。
ひらめき数学には批判があるんです。
概ね、手順を踏んだらきちんと解ける数学になっているはずです。
少なくとも合格点はそれで取れるはずです。
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あなたの「凡才」の定義が分かりませんが、「勉強のセンスがない人」とおくとしたら、「何に」かは分かりませんが、おそらくは入試において勝てないことは自明でしょう。



「頭の良いヤツ」が何を指すのか分かりませんが、ガリガリ勉強しているわけでもないのにテストの成績が良い、という程度のことでしたら、そんなもん、世間にはゴロゴロしてます。10人程度のグループで比べていても井の中の蛙に過ぎません。

ただ、勉強していないのに成績が良い、というのは有り得ません。
成績は、勉強時間に比例するとは限りませんが、勉強量、すなわち『脳への蓄積』には比例しますから。

1日2時間数学の勉強をしているそうですが、それがもし毎日であったとしたら、明らかに勉強のスタートからベクトルが違っていると思われます。
この点につき、No.4の方とほぼ同意見。

補足として、『数式は言葉なり』、式の意味するところを母国語で理解しながら勉強しているのか。
また問題は何を要求しているのか、その要求に応える為の道具として考えられるものは何か、その中でどれが使えそうか、ダメだった場合の試行錯誤(行き当たりばったりではない)、最後に計算力。
これらの理解(読解?)無くして、単なる公式暗記、公式当てはめ、計算、が数学と思っている輩がかなり多いけれど、それはもはや数学ではない。

ついでにいうと、No.4さんが悔やまれているように、「頭の良さ」って「気づく力」だと思っています。感受性と言っても良いかもしれない。
でも、普通気づくと思うんですけど。大量の情報を理解しないまま放り込んでも脳に蓄積されるわけがない。
ただ、学習指導要領が削られまくって気づかないまま年とってるというのはあるのかもしれない。今の小中の学習内容なんてそのまま放りこんでもたかが知れてる量だし。たとえば、あなた方が高校でやる集合論なんて、僕の頃はそのまま小学校の教科書に載っていたくらいでしたから、イヤでも気づかされます。

あと、No.2の方がおっしゃるような性格の悪そうなヤツに、大して成績の良いヤツはいませんでした。気にすることはないでしょう。あるいは勝手に「油断させられた」とか言って地団駄踏んでいた人がいたかもしれませんが。あなたも周りの人間と比べていますが、全く意味がありません。要は自分の脳にどれだけストンとインストールするかというだけの問題ですから。

あなたの「勉強」がどういう状態を指すのか分かりませんが、数学とか物理は別にどこでも勉強できます。学校からの帰り道、電車の中でボーッとしながら、といつでもできます。学校から駅まで歩いている時にちょっと考えて、「うまくいかんなぁ」と電車の中では居眠り。駅から家まで歩いてる時に「あぁ、そうか」と気づくことなどよくありました。最後はやっぱり紙が要りますけどね。別に誰かを油断させようなんて誰も思っていないと思います。それほど暇じゃネェから。

ただ、こういうことは、数式、公式、問題をきちんと理解できていないとできないことだと思います。

理解できないものをウンウンいいながら、机にしがみついても集中できるとも思えないので、数式の逐語訳ができているのか(=理解→脳への蓄積)がポイントなのではないでしょうか。初めから理解し直すのには時間がかかり、足踏み状態と思われることもあるかもしれませんが、離陸前の滑走状態なので、あきらめず焦らず学習してほしいと思います。

最後に「センス」の問題ですが、『はい、そうです。数学はセンスです』
ただ洋服のセンスと似たようなもんです。野暮ったい服装の人でも流行のファッションを学習すれば、「センスが良くなる」のでしょうから、「勉強のセンスがない人」=「凡才」というのであれば、凡才も、正しいベクトルのもと学習すれば、「勉強のセンスがある人」=「天才(?)」となりうるでしょう。(これじゃ天才の大安売りか)
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>>私は数学がすごく苦手で1日2時間ほど勉強しているのですが、成績の向上が見られないです。


私が思うに、やり方に問題があるのではないでしょうか?数学は、計算力をつけて、公式を覚えて、パターンさえ覚えれば、高校数学までは対応できるらしいです。どの勉強法の本にもそのようなことが書いてあります。
>>彼らは成績がずば抜けてよい割には、勉強時間はそれほど多くないです。
彼らは効率良くやっているのか、今まで勉強してきた貯金があるのか、どちらかだと思います。
>>勉強していると虚しさがつのります。
最悪な方向に行きつつあります。受験生は、マイナスのことを考えるのが一番いけないです。余計なエネルギーを消費するだけです。
結局、その友達に勉強法を聞くか、勉強法の本を買うか、どちらかした方がいいと思います。
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x1+x2+x3+x4+x5=x1x2x3x4x5,x1≦x2≦x3≦x4≦x5を満たす自然数x1~x5の組を全て



以下思考
 先ず「組を全て」とあるから、何十個も書かされるわけではない。また自然数だから、0とマイナスについては一切無視して構わない。
そして、整数解の問題でもある。
整数解ということは(ここで連関が使われる)
*1グラフの特徴
*2約数・倍数・剰余
*3未知数を含む積=定数
*4範囲設定
高校の範囲を逸脱することはないので、おそらく以上のどれかだろうと考え、*1、*2は無理、*3は未知数が多すぎなので*4で試しにやってみる。それに、「組を全て」と言っている上に最小値は明確で最大値が不明なのだから、最大値を作って不等式から書き出して行く面倒な奴かな。ということで不等式を作りに行きます。

●≦x1+x2+x3+x4+x5=x1x2x3x4x5≦■
●は1+1+1+1+1=5なのは確実
■はx5+x5+x5+x5+x5=5x5 またはx5x5x5x5x5=x5^5

5≦x1+x2+x3+x4+x5=x1x2x3x4x5≦5x5

5≦x1+x2+x3+x4+x5=x1x2x3x4x5≦x5^5

上の式の後半を見るとx5で割れる(だから、自然数といっていたのだろうか。0が入れば割れないし。マイナスがあれば不等号が変わるし。)
x1x2x3x4≦5
これは*3の型ではないか。
後は書き出していくだけ。
(x1,x2,x3,x4)=(1,1,1,1),(1,1,1,2),(1,1,2,2),(1,1,1,3),(1,1,1,4),(1,1,1,5)
x1+x2+x3+x4+x5=x1x2x3x4x5,x1≦x2≦x3≦x4≦x5を なる条件を満たすものは
(x1,x2,x3,x4,x5)=(1,1,1,2,5),(1,1,2,2,2),(1,1,1,3,3)

こんな感じで、閃きで解いているわけではありません。
高校までの範囲ではやることが限られているので、高校の範囲を網羅していれば、何をやるかは絞り込めます。気分的には[整数解]の所をクリックすれば、それに関する情報がズラーっと脳内に出てくるという感じです。そしてその中の項目をまたクリックすればまた、 情報がズラーっと脳内に出てくるという感じです。このデータは、多くの問題に共通して使われる思考や背景知識であるため、網羅性が高いのも特徴です。単に解法を丸暗記したものとは異なります。もし単に解法を丸暗記したものなら、[整数解]のところで4項目(*1~*4)では済まされないです(更に増える)。
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 先ず数学ですが、この科目は勉強量にあまり関係ありません。

関係があるのは大手予備校の模試で大体偏差値60くらいまでです。詰め込み式の勉強を取ると偏差値60台後半~70台へ入るには相当の時間を要します。
 この領域に入ると、多くの問題を解いた人が少ない問題を解いた人に負かされるというのはよくあります。それは、一つの問題から学ぶことの量と質が違うからです。しかし、一人で勉強していて、しかも大卒・院卒の再受験生でもない方が、1問から多くのことを連関させて勉強するのは難しいです。なぜなら、体系そのもの(教科書レベルの超基礎)が完成していないことがあるからです。点取り勉強と高校の勉強は完全には一致しませんが、点取り勉強の基盤が高校の勉強です(だから、理系の半分が医学部へ行くような学校は教科書を早く終わらせるor放任して勝手にやらせる/おまけに点取り勉強のために予備校へ行くことを薦める)。
 詰め込み式の学習でも、数百人の学生がそれをやれば、数人はたまたま上記の内容に漠然と気づき、できるようになります。これは、ギャンブルみたいなもので、なぜそうなるのか?という突っ込みを入れると答えられないというケースが多いです。「なんとなく」やっている状態ですから。おそらく、数百人の学生のうち十数人だけが東大や医大へ行くような学校はこの型ではないかと思います。「彼ら」がこの類かどうかは分かりませんが。
 質問者様もギャンブルをしたくなければ、従来の方針を変える必要があるのかもしれません(勿論偏差値60台半ばくらいまでなら詰め込みでも行けますが)。点取り勉強の基盤を完成させ、体系的に点取り勉強を行うには、入試問題の分析が必要になりますから、どうしても専門家の力が必要です。非常に抽象的で分かりにくいかもしれないので例題をつけときます。勉強のためにも思考と答えは後から書きます。
 
x1+x2+x3+x4+x5=x1x2x3x4x5,x1≦x2≦x3≦x4≦x5を満たす自然数x1~x5の組を全て求めてみてください。
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確かにセンスとか才能の差はあると思います。

それが現実ですので仕方がありません。

ただ、集中力の差というのもあります。集中力は磨くことができます。優秀な人は集中力のある人ともいえます。同じ授業を受けても、多くのことを学び取ることができます。あなたも、集中力を磨き、ライバルよりも多くの努力をすれば差を詰めることが出来るでしょうし、逆転できるかもしれません。

思うに、「才能の差」云々は、要するにできない人のいい逃れです。時として才能の差ではなく、集中力の差に過ぎないこともあると思います。集中できない人がいたずらに時間を長くしても効率は上がりません。

取り敢えずは、勉強に対する集中力を高め、短時間で効率を上げることを目標としてはいかがですか。
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ご質問者さまは社会が得意とのこと、


ひょっとして、「勉強 = 暗記」と思っていませんか?

数学なんかは、公式を暗記してそれを如何に使いこなすか、
解法パターンをいかにたくさん暗記するかが勉強とか思っていないでしょうか?

きっと数学ができる友人の方はもっと根本の部分から数学を理解して、
「この公式は根本的にこういう意味だ」
「この問題は、こういうことを問おうとしているのだ」
「この問題は、原型となるこれこれの式があって、出題者はそれをいじくって
 解きにくそうな形に仕立て上げているのだ」
といったことが、簡単に透けて見えるのだと思います。
私の高校時代の成績の良い友人の言動を今振り返ってみると、そんな気がします。
(東大に行った友人の1/3くらいがそんな感じでした)

わたしは、こういったことに気づいたのは、大学生になってからでした。
高校時代に気づいていれば、もっと少ない努力で、もっといい成績が取れたと思います。
決して頭のよしあしではなく、運良く気づいたか、気づかなかったかの違いではないかと思います。

なぜか、こういったことって、高校の数学の教科書には書いていないんですよね。
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この回答へのお礼

中学までは勉強=理解することって思ってましたが、高校になって受験勉強=暗記って考え方に変わりました。
数学は確かに理解が大切だと思います。その根本が高校の数学の教科書には書いてないですよね。
私の好きな予備校の数学の先生が、「とにかく数学はまずはパターンを覚えなさい。理屈から入るな、苦手なやつが理屈から入ると余計わからなくなる。出来ない人に限って理屈から入るんだ。パターンを覚えて問題が解けるようになると、自然と理屈もつかめるようになってくる。」
と言ってました。私ももっと演習をこなして理屈をつかもうと思います。

お礼日時:2007/09/30 22:20

友達には勉強して無いような振りをして油断させておいて、家で必死に勉強しているのです!

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