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もしかしたら無神経な質問かもしれませんが・・・。

遺伝的な問題で重い障害を持つ子どもが生まれてくる可能性が高いのにも関わらず、
子どもを持つという選択をする方がいらっしゃいますよね?
そのような方はどのような心境で子どもを持つのでしょうか?

重い障害というのにどこまでを含めるか
高い確率というのもどこからが高いかなどの問題はあると思うのですが
最近、学校の授業の関係で2、3年ほど前に放送された映画を見る機会があり、そこで脊髄小脳変性症という病気を知り、
その病気は遺伝性の場合、子どもに50%の確率で遺伝し、
発症した場合、最終的には寝たきりで介護なしでは生活できなくなるというものだそうで、
この病気の方でそれでも子どもを持つという選択をする方もいると聞き
正直驚いたので質問させていただきました。

自分だったらそのような状態で子どもを持つということは
考えられないので想像が全く出来ません。
あくまで個人的な考えなのですが、親としてあまりにも勝手すぎると思うからです。

子どもを持つ方は、自分がそのような病気でも生まれてきて幸せだったと思えるから
子どももそう思えるよう育てていかれるのだと思いますし
確かに、障害があるからと言って不幸とは限らないと思います。
しかし、子どもというのは親の思ったとおりに育つものではないし
子どもも同じように生まれて幸せだったと思えるかは分かりませんよね?

そんな事を言ったら生まれてきたときは健康でも病気になる可能性はあるのだから
とも考えたのですがそれとはやっぱり違うと思うのです。
理由は、仮に自分がそのような病気を告知されたとすると
「あ~でも普通の人だって事故に遭って健康体じゃなくなる可能性があるし一緒だよね。」
と素直に思えるとは到底思えないしすごく苦しむと思います。

苦しさも喜びも生まれてきたからこそ味わえる
その生きるすばらしさを子どもにも感じさせたあげたいから
という意見を聞いたことがあるのですが、
なんだかいまいちピンとこないのです。
そもそも最初からつくらなければ存在してもないのですから
喜びを感じられなくて残念とか苦しいとか子どもは感じないはずで
結局親が子どもを持ちたいだけではないかと思ってしまいました。
(つくらない=中絶という意味ではなく、妊娠しないようにするという意味です。)

しかしここまで来ると健康体がどうかにかかわらず
子どもをつくること自体が親の身勝手な行動という気もしてきて
自分でもよく分からなくなってきていたりして難しいのですが・・・。
なんだかまとまりがなくなってしまってすみませんが
経験者の方、身近にそのような知り合いがいらっしゃる方がいましたら
回答をお願いします。

A 回答 (8件)

とても難しい様々な意見のあるご質問ですね



色々な型がありますので遺伝可能性があるか検査出来ますので
検査 結婚相手親族の同意 発症した場合子供や周りへの負担 将来 何をしてあげられるのか
を考えた上で出産すべきかと思います


わたくしは相手と親に何も告げられぬまま末の子が臨月まで過ごし
知った時は愕然としました

主人への信頼を失い離婚しました
主人は言い訳はしておりましたが


このご質問の事だけでなく
相手や周り 産まれる子供を巻き込むような事は
人間性次第だと思います

産まれた子供は可愛いです

エゴでリスクを負わせるのは『愛』とは違うとわたくしは思います

不快な文ありましたら申し訳ありません
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とても難しいご質問ですね。



質問者様のご質問はまさに私への質問だと思います。
父が脊髄小脳変性症で他界いたしました。
そして妹(20歳)も数年前に発病しました。

私は20台前半の主婦で子供が一人そして現在2人目妊娠中です。

質問者様はもしも自分だったら子供をもつことは考えられないとおっしゃいますね。
私には妹のほかに兄もいるのですが、質問者様と同じことを言い、思春期の頃、だいぶ自分の将来を悲観したこともありました。
普通の神経をしていれば当然だと思います。
いつ自分も発症するか分からない恐怖。
そして、自分でなくても隔世遺伝するかもしれない恐怖。
すべて「もしかしたら・・・かも」の話です。

それなら、事故で半身不随になるのも「もしかしたら・・・かも」ですし、明日末期がんが見つかる可能性も「もしかしたら・・・かも」ですね。

私も正直自分の将来そして子供のことを考えるととてつもなく不安になります。
全く健康なご両親をお持ちのお子さんよりは強く不安があるという意味です。

そしてNO.6の回答者様がおっしゃったように、子供に無責任だと思われるかもしれません。産んで欲しくなかったと思われるかもしれません。

でも、そんなことで人生を悲観して生きたくありません。
自分がせっかく授かった命。
そして自分に宿った命。
全て感謝しています。
悲観しながら心配しながら生きるよりも希望を持って生きたほうがいいですもんね。

乱雑で分かりにくい文章になってしまいましたが、確立を考えてできないやらない道を選ぶのは違うような気がします。

子供はとてもかわいいです。
だからこそ辛い人生は避けてやりたいと思うのが親です。
でも辛い人生にぶち当たった時こそ、助け合って協力し合う、それでいいと思います。

最後になりますが、私は父のことも妹のこともなんでこんな目にあわなきゃいけないんだろう、我が家がなにをしたっていうんだ・・・と病気を恨みますが、二人が決して不幸な人生とは思いません。
ひとより辛いことが多いと思います。苦労も不便も多いですが、車椅子にのった妹はみんなに愛されて笑顔を絶やさず生活しています。
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私が子どもの立場だったら最初から妊娠して欲しくないですね。


50%の確率で遺伝してしまうと知っていて妊娠し産んだとしたら正直親を無責任だと思うし許せません。

>「あ~でも普通の人だって事故に遭って健康体じゃなくなる可能性があるし一緒だよね。」
きっと子どもをつくる人はこう考えてつくるのだと思っています。
どんな子でも我が子だしかわいい。
でも親は子どもに対してそう思えるかどうかを自分で十分考えて、その上で妊娠するかしないか産むか産まないか選べるからいいと思うけど子どもは選べません。

「子どもは親を選んで望んで産まれてくるんだ」
なんて意見もある。確かに、妊娠後であれば
「親を選んだ」「望んで産まれてくる」
という意見も分かります。少なくとも中絶されれば胎児は苦しむ。
でも「親を選んだ」「望んで産まれてくる」というのはすべて妊娠後の話ですよね?妊娠前から子どもが親を選んでいる、生まれてくることを望んでいるなんていうことは現実的に考えてありえません。

つまり結局のところ「自分が子どもが欲しいと思ったから妊娠する」のだと思うのでそれを子どもの立場から見たときには親の行動を無責任だと思ったり身勝手な選択だと感じることはあるでしょう。
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分かっているからこそ、覚悟を持って産むのでは?


また、親自身の持って生まれた精神的力量の問題もあると思います。

ヒルシュスプルング病と言う腸管神経の病気で、(うちの子は類縁疾患の上、とても軽かったのですが)
重症の男の子のママは2人目は諦めました。
「二人とも同じ病気だったらとても無理。育てられない。」との結論だったようです。
しかし、2人目を生んだ方もいらっしゃいます。もしかしたら無事生まれるかもしれないし、「もしヒルシュでも、もう対応が分かってるからドンと来い!よ」と。で、二人目もヒルシュでしたが、二人とも症状が違うので、そこにも各々の個性を感じるそうです。

学生時代、母子保健学の教授が年度最初の講義で必ず言うことがあると仰って言われた事ですが、
生まれない命であれば、どんなにその親が望んでも生まれてくる事がないほど、
生命の誕生の確率って意外と低いんだそうですよ。
この研究をしていると神の存在を感じるのだそうです。
つまり、どんな過酷な状況でも子供自身も望んで生まれてくるのだ、と。
生命誕生は親のエゴだけで起こる現象ではないのです。
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机上の空論では、何とでも言えると思います。


でも、実際にその立場に立たされた場合、
>「あ~でも普通の人だって事故に遭って健康体じゃなくなる可能性があるし一緒だよね。」
と思って、子供を持つ事にした方がいたって、何も不思議ではないと思います。

重い障害、高確率と言う前提が、一体どのくらいのものをさすのか判りませんが、私の場合、上に自閉症児が居り、40歳での妊娠だった3人目の時、障害児である確立は、結構な高率だったと思います。
自閉症児を含める発達障害児の確率が10%、ダウン症の確立は1%以上、特に自閉症児を育ててますから、障害児を育てる事がどんなことかは、十分承知した上で出産を決意しました。
私の場合、望んで妊娠したものではなかったのですが、私と同じ立場でやはり3人目を望んで妊娠・出産された方も、身近に複数居られます。
皆さん、3人目が障害を持って生まれるかもしれないと覚悟しつつも、そうでないかもしれないからと踏み切ったと言われてました。
私はそのあたりの覚悟をきちんとしないまま、妊娠してしまいましたが、やはり出産を決意するに当たり、生まれてくる子どもに障害があるかもしれない事は、覚悟した上で、それでもない方に期待しつつ、踏み切りました。
それでも、万が一、障害があったときのことも考えたとき、初めて
>「あ~でも普通の人だって事故に遭って健康体じゃなくなる可能性があるし一緒だよね。」
と言う気持ちになれたのです。

そんなに単純に決意して子供を持つ事を決めたりなんてしてないと思いますよ。

質問者さんも、本当にお子さんを妊娠なさって、その時初めて、私たちのようなものの気持ちも理解して頂けるのかな?と思います。
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tototonaさんはまだ、お子さんがいらっしゃらないのでしょうか?


自分の子供は無条件に可愛いものです。
私は、例え自分の子が障害や病気があっても育てていく覚悟で産みました。
出産は命がけです。
今は医療が進みましたが、昔は母体も助からない出産も多々あったそうです。
そんな思いをして産んだ我が子は宝物です。

もしかしたら・・・って事は100%ではないわけですよね。
1%でも可能性があれば私はその可能性に賭けたいと思います。

身勝手というのは子育てを放棄した人間だと私は思います。
障害がある子の子育ては想像以上に大変だと思います。
でも、愛情を持って育てれば「産まれてきて良かった。育ててくれて嬉しい」と思ってくれると私は信じています。

親は子供を育てて、経験しながらやっと「親」になるんです。
だから子育ては人間を成長させるモノだと思います。

そして全ての生き物は子孫を残そうとするのが本能だと思います。
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「子供がほしい」って、どの親も抱く「ごく普通の感覚」です。


「人を好きになる」のと同じくらい自然で、ごくあたりまえのことなのではないでしょうか。

「身勝手」なんて、考えるのは・・・さびしすぎますね。
「生んでくれなんて言ってねえぞ!」って言っている子供の、「未熟なわがまま」と同じように聞こえるのですが。
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ある極端な例をサンプリングしての議論は、議論のための議論。


しかも、抽出した例の解釈の是非を問うような議論。
これは、何の意味も意義もない議論のための議論。

重い障害を持つ方が子を持ちたいと思った時、それを叶える術はあるのか?
現段階で最適と思われる術が確立していないとすれば何が解決すべき課題なのか?
仮にDNA治療で可能になる方向があるとすれば、その適用ルールは如何に?

例の解釈の是非を論じるのは評論家の役目。
例の変革の可能性を巡って知恵を出し合うのがOKWaveの役目。

私は、このように思いますが・・・。
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