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ボランティア関係で、団塊世代の退職後を想定して地域デビュー講座、活動中のNPO法人から企画を頂きましたが思わしい結論が出ません。
 団塊世代の特に男性は、退職後の予定はやはり仕事に継続ですか。
 好きな趣味とか、地域で活躍したいと思う事は難しいしょうか。
 60代男性(ボランティア仲間が言うには)は65歳位でないと地域活動は難しいと言われて、企画のやり直しを思案中です。
 回答して頂ける団塊世代の男性皆さんの今後の予定を教えて下さい。

A 回答 (4件)

S24年生まれですから、団塊世代の最後です。


60歳まで1年と6ヶ月となりました。
さて、60歳で離職するつもりですが、もらえる年金は7万円余。
年収84万円じゃ、貧困層も貧困層でとても暮らせません。
ですが、離職します。
まあ、12年前に建てた家のローンも7万円ありますが、それはそれ。

ところで、離職して何をするのか?
生まれ故郷の島に帰ります。
81歳になる両親がいますので、面倒をみなきゃならんという事情があります。
先月からは妻の母を引き取っていますが、そっちはそっち、こっちはこっち。
まあ、忙しいことです。

ところで、離職して何をするのか?
生まれ故郷の島に帰ります。
しかし、故郷の村落は正に80歳以上の老人が大半。
60代、70代と言えば若い方です。
ですから、自ずと、朝な夕なに老人宅を訪問することになるでしょう。
「子供110番」というより「年寄119番活動」がテーマになるでしょうね。
どこまで組織的に活動できるかは未定。
しかし、「待っている人がいる」のは確か。
「まあ、団塊の世代として最後の働きでもするか」ということです。
ちょっと、チェーホフの3人姉妹のラストシーンを思い浮かべてもらえれば幸いです。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません、何度も企画を立てますがくるのはシニア叔母ちゃん達です。
 本当は、男性に地域活動を求めているのが地域福祉の根本です。
 やはり、長年男性が主導権を握って来た今までの日本が変わるはずもありません、まだまだ欲しい日本大切な人材です。
 実情は仕事に行くという方が多く、厳しい企画です。

お礼日時:2007/10/29 11:31

締切ってないので書きます、参考になれば・・・・


 
S.24年1月生まれの団塊の世代です。
リストラに近い形で退職しました。
(自己都合退職です。希望退職を締切った後で退職したため、1日違いで700万強の退職金をフイにしました)
その後、ハローワークの斡旋でパソコン教室へ3ヵ月
(その前からパソコンは趣味でいじっていました)
終ってMOUSエキスパート取得、その後NPO法人がパソコン教室を立ち上げると聞きインストラクターに応募して6ヶ月インストラクターを経験。
その内、市の教育委員会で小中学校の先生のヘルプデスクの募集を知りそちらへ転向、半年ヘルプデスクを経験。
退職から2年後故郷にUターンしてパソコン教室を開業するも閑古鳥。
ただ投資額は50万ほどなのでめげることなく続けながら、開業当初は知らなかったチラシの版下作成を習得。
(イラストレーター、フォトショップを使います、覚えました)
パソコンに関しては教室でなく何でも屋になりました、経験からネットワーク設定も簡単な事は覚えました、ホームページも作ります。
開業後3年が経過しました。
最近では地域の自治活動のチラシ、ポスターの作成依頼も来るようになりました。
今は年賀状のシーズンなので年賀状印刷がそこそこ。
シルバー人材センターからパソコン教室の講師も依頼が来るようになりました。
ホームページに載せるために写真を取っていたら写真同好会にも誘われ入会しました。
町村合併で大きな市に統合されましたが、その為地域の情報がわからないとの事で(町の広報紙がなくなった)支所が主導ですが地域住民のボランティアによる地域の広報紙編集にも誘われ加わっています。
    
経済的にはけっして豊ではありません、しかし充実しています。
町へ(地域の中心部)出かければ、あちこちで知り合いが声をかけてくれます。地域では結構顔が広くなってきました。
    
退職時は定年前で、しかも700万もの退職金をフイにした事を悔いましたが、今では早めに退職してよかったと思います。
おそらく定年まで会社にへばりついていたら今の自分はなかったでしょう。
定年退職後今のような仕事を始める事が出来たかと問われれば、おそらく無理だったと思います。
在職中は退職して故郷へ帰っても何をすればいいのだろうかと見当もつきませんでしたが、それなりに道は開けてきました。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて済みません。
男性のVOに加入は本当に難しい現実で悩んでいます。
リタイヤ後に多くの男性は肩書きなのか、V0でも名刺交換が定例化されており仕事の延長でしょかね・・・

お礼日時:2007/11/10 21:01

今年60歳を迎え、定年延長の話もありましたが断り、長年の夢である「妻と二人、車で北海道、東北を徘徊」してきました。

(90日間)
最初は民宿、ビジネスホテルを泊まり歩いていましたが、予約をすれば無理してもそこまで車を走らせばならないなど、自由な徘徊ができないところから、車で寝泊りできるよう、現地のホームセンターを駆け巡り、材料をそろえました。
いましたね、道の駅で寝泊りする人がたくさん。60才台のご夫婦ばかりです。動機を聞くと、観光地めぐりではなくまさに徘徊です。

私は37才で家を建てました。そのとき友人が「若くして家を建て、家族が元気なのは自分だけでできるものではない、社会へ還元を」といわれ、ボランティアの「ボ」の字も知らないで、社会福祉センターに登録しました。
あのころはボランティアなんて盛んではなかったので、いろいろな面で重宝されました。車での送迎から始まって車椅子の操作、点字、手話、なんでもありでした。
一度名前が出ると、地域での「長」もやらされました。

この地域に伝わる伝統、風習、建造物は写真や文書としては残っていますが、動画はありません。これからは、これらをビデオに撮り、編集してDVDを公民館に残そうと計画しています。幸い、区長からも「頼む」と言われ、賛同する仲間も出来ましたので、もう引かれないと思います。

ボランティアグループにも席がありますが、2~3ヶ月に一回程度顔を出すようにして若い世代に譲ろうと思っています。

生活費はもちろん年金だけでは足りません。退職金は息子たちに譲ろうと思っていましたが、徘徊のときいろんな人の話を聞き、もっと生きた使い方をするべきだと思うようになりました。
これから新しい人生が待っています。そのための軍資金です。

「老後の計画は10年前から準備せよ、60からの手習いは周りの迷惑」と言われます。

当然知っておいででしょうが、自分がやりたいことと地域が欲していることは違うと思います。
まずは、賛同する仲間を集めて、その仲間の輪を広げるようにしてはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました、確かに賛同していただける方々への声掛けはしていますが、企画自体に参加頂けない状態で企画倒れです。
 来年度は企画の練り直しと思案している最中です。
 皆さん、定年延長で仕事へ行かれる様で実際セカンドステージは65歳以上かなと言い始めている所です。

お礼日時:2007/11/05 19:20

今年「古希」を迎えたOBです。


小生も退職当時、いろいろ考えました。
まず、体力的に十分仕事は可能なので、
何か仕事を続けたいと・・自治体で公募?する
物に応募したりしましたが、何せ他所からの
転入者に門戸は広くは在りませんでした。
シルバークラブへの入会には早すぎるし、
そうこうしている内に2~3年経ってしまいました。
その頃に為ると開き直りでしょうか?
自分が好き勝手に自由に使える「時間」の有難味を知りました。
今考えると、いろいろ好きなことが出来た事に感謝したい気分です。
要は、生活できるだけの最小限の経済的な基盤の有無でしょうか?
後は体力の維持に努める事でしょうね。勝手な事書いてすみません。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
やはり、仕事なんですよね、企画を立てても来て貰えるのはご夫人ば借りです。
 男性の気持ちは仕事で頑張る気力がある内がやはり仕事なんですね。
 参考になりました。

お礼日時:2007/11/05 19:16

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