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アインシュタインの本をみるといきなり数式が
でてくるのでイメージが沸かないんですが
絶対静止系って自分が動かないで(動いてないと思い込んで)
物を見てる立場のことですか?

つまり横断歩道で自動車が動いてるのを見て
「あっ時速60キロだ」ってわかることですよね。

自分が歩いていて自動車がきた
ようなことを仮定してるのが
相対性理論ですか

A 回答 (6件)

>マッハさんの言っていることは自分の見ているところが宇宙全体から見たら動いているか止まっているか加速しているかなんてことは分からないから絶対静止系とか慣性系とか物を見る立場が規定できないじゃないかという意味のことになるんでしょうか。



 マッハは近代実証主義の開祖です。観測にかからないような物は、物理の対象外だと言います。当時、原子を目で見る事は不可能だったので、彼は原子の存在も認めませんでした(最後には、真空管の中の電子線を目の当たりにして、認めたそうですが)。なので、字義通りに受け取れば、その通りです。ですが(くどいですが)、これは物の見方の正否の問題ではなくて、そんなものが存在するのか?、という話だと思います。

>もしそうだとしたら相対論ではどうゆう立場を・・・
 絶対静止系が存在するかどうかには関わりません(結局、わからないのです)。わかりにくいとは思いますが、相対運動しか観測できないと言っています。よって、相対運動に関連付ける形でしか、物理法則を定式化できない事になります(マッハの主張)。それ以外は物理的に無意味だ、というわけです。それが特殊相対性原理です。特殊相対性原理を電磁場の方程式に適用すると、光速度不変の原理は当然となります。アインシュタインは、特殊相対性原理が慣性系だけでなく、一般の加速度系でも成立して欲しいと願いました(物理法則の不変性)。大域的にはこれは無理でしたが、局所的にはそれが成立するのを保証するのが、等価原理という経験則です。これによって、一般相対性原理が得られます(いちおう#3さんの後追いのつもりです)。これも念のためですが、相対性理論については色んな見方ができて、上記はその一つです。

>【ここでのコメントはまだ少数派かもしれません。科学史に詳しくない一般の物理教師等では、ここで述べたようなことは、異端の見解として排斥するかも....】
 #3さん、異端じゃないですよね^^。証拠をあげます。

・相対論の形成,広重徹,みすず書房.
・重力と力学的世界,山本義隆,現代数学社.
・マッハ力学,エルンスト・マッハ,講談社など.

 いずれも読むにはかなり骨が折れますが、読めば非常に面白いです。2番目などは数式を全部無視しても、意味がわかります。#5で「歴史的経緯がわかっても、決して数式が読めるようにはならない」と書きましたが、言いすぎでした。歴史的経緯がわかっていれば、断然数式は読みやすくなります。もっとも最後は、鉛筆持って追っかけるんですけどね・・・。
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>質問者さんは何かとんでもない誤解をされているようです(#2さん)


 でも、とても素直な誤解だと思います。

>歴史的、理論的に 正しく理解したうえで、個別の理論体系に入っていくのがよろしいかと思います。
 仰るとおりですが、歴史的かつ理論的に理解するのは、なかなか骨が折れます(適当な文献の探索から始まるので)。以下は個人的意見です。
 まず質問者さんの最大の誤解は、絶対静止系,(相対?)静止系というものが、現象の見方の違いと思ってらっしゃる事です。そうではないと思います。絶対静止系というものは実在するのか?、それとも相対運動しかないのか?、という事が歴史的に(秘かに?)議論されてきたと思えます。ニュートンもこの辺りは、痛烈に意識していたと思います。
 というのは、運動方程式は慣性系に対して定式化されていて、一見、絶対静止系の議論と無関係なように見えますが、加速度系に移ると慣性力が付加されるために、運動方程式で定義される力は、本当に実在のものか?、という話に発展します。ここで慣性系とは、何かに対して等速直線運動する観測者です。問題は、何に対してか?です。
 もし絶対静止系というものが存在すれば、それに対して等速直線運動する観測者だけが本当の慣性系であり、加速度系での慣性力は、見かけの力だと明確に言えます。このような言い方が「後知恵(#3さん)」だというのは一般的には正しいと思いますが、ニュートンも(秘かに?)意識していたはずです。
 絶対静止系への一つの解答は、宇宙全体の重心に対して等速直線運動する観測者が慣性系だ、というものです。しかしこの解答には問題があって、「宇宙全体が加速度運動していたら、どうする?」という反論です。ニュートンは彼の力学と力の理論(万有引力の法則)を、宇宙方程式と提出したので、このような事は避けて通れなかったと思います。
 そこで彼が言い出したのが、有名な「ニュートンのバケツ」です。水を張ったバケツを回転させたら、遠心力により水面が盛り上がる。つまり絶対静止系があろうとなかろうと、向心加速度は「絶対的に」観測可能だ。少なくとも加速度だけは「いつも正しく」観測できるので、それから導かれる力は実在する。故に宇宙全体が加速運動していたら、それも観測できるので、宇宙全体に力が作用している事が、逆にわかるのだと。慣性の法則はそういう意味で、ニュートンには絶対に譲れない法則でした。
 後年マッハは「じゃあバケツを止めて、宇宙全体を回しても、遠心力は作用しないと言えるのか?」と問いかけます。これがマッハ原理の原型です。少なくとも力学理論だけで、これを解決する事はできません。似たような議論を通してマッハは、慣性の法則は、運動方程式から導かれる不要の法則だと結論します。マッハの目的は、ニュートン力学の整備にあったのですが、現在ではマッハの立場は、やはりやり過ぎだとみなされています。
 しかしマッハの立場は力学理論の本質を鋭く捉えており、アインシュタインは自伝でも述べているように、マッハの立論に非常に触発されて、相対性理論(特殊と一般)を着想したと言っています。とくに一般の方は、マッハ原理の解決が一つの目標でした(できませんでしたが)。
 個人的にはこんな経緯かな?と思います。ここで注意したいのは、歴史的経緯がわかっても、決して数式が読めるようにはならない、という事です。
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この回答へのお礼

ご返事ありがとうございます。
ずいぶん複雑なことなんですね。

マッハさんの言っていることは自分の見ているところが宇宙全体から見たら動いているか止まっているか加速しているかなんてことは分からないから絶対静止系とか慣性系とか物を見る立場が規定できないじゃないかという意味のことになるんでしょうか。

もしそうだとしたら相対論ではどうゆう立場をとってるんでしょうか。

お礼日時:2007/11/07 01:46

絶対静止系は、波の運動の話であって、物体の運動の場合、ガリレオの時代から、


絶対静止系というのは存在するかどうかわからなかったのです。
で、波の場合、水の波なら目に見えるからわかりやすいでしょう。
 川の水がゆっくり流れているとします。
石を投げ込むと波紋が広がります。
川の水と同じ速度で動くボートからみた場合、波紋はきれいな円になります。
岸からみた場合、円は円ですが、円の中心が下流にどんどん流されていきます。
つまり、上流への波と下流への波で速度が違って見えます。
このとき、ボートから見るほう(=川の流れがとまって見える)が静止系。

光の場合、「水」に該当する物質がエーテルであり、エーテルを基準に考えると
光の速度は一定となる...筈です。(ただし実験により否定された。)
で、エーテルの流れが止まっているように見える系が光の波に対する静止系です。
光は、宇宙の果てからも来るから、エーテルがもしあるなら宇宙全体に広がっているはずで、
宇宙全体に対する基準に使えるということになるので、「絶対」の字がついています。
 ※相対座標:位置をあらわすのに、ここから北○km、東へ○kmのところが目的地、という表現。
       今の位置が変われば目的地の座標も変わる。
  絶対座標:北緯○度、東経○度、という表現。
       今の位置が動いても目的地の座標は変わらない。
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No.2です。



ニュートン力学においては、ガリレオの相対性原理を認めており、慣性系に対する力学の物理法則が形式不変になるように体系化されています。ご指摘の「ニュートンの方程式が記述している世界とは絶対静止系で動いている物を見る理論」であるという類の解釈は、(とても普及した誤解であって、)ニュートンやガリレオの与り知らぬことであり、後代のアインシュタインの特殊相対性理論の立場から解釈した「後知恵」です。従って、ニュートン力学の理論と「絶対静止系」を関連させる解釈はいかがなものかと思います。

ガリレオの相対性原理にもとづけば、力学の「絶対静止系」を規定することはナンセンスです。
"ニュートン力学が「絶対静止系」を基礎に構築されている"と(非常に誤解されやすい表現で)言われているのは、電磁気学を含めた古典物理学の体系の中でそのような(光速に関して「絶対静止系」とみなされる)近似モデルとして解釈可能、というにすぎません。

物理学の体系を学ぶときに、
ガリレオの相対性原理
アインシュタインの特殊相対性原理 [←理論でないことに注意!]
アインシュタインの一般相対性原理
を歴史的、理論的に 正しく理解したうえで、個別の理論体系に入っていくのがよろしいかと思います。
(あまり、一般書や概説書などの表現に惑わされないようにしましょう。)

【ここでのコメントはまだ少数派かもしれません。科学史に詳しくない一般の物理教師等では、ここで述べたようなことは、異端の見解として排斥するかも....】
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
どうも絶対静止系という言葉に振り回されているようで、
私のお聞きしたいと思っていることを私自身が表現できて
いないように思えました。
おそらく私がお聞きしたいことは「ものの見方」について
ニュートンとアインシュタインではどの分類に入るのか
ということだと思います。

一次元の線分に波が起こっているとした場合
特定のポイントAにおいて左からくる波の高さと
右から来る(去っていく)波の高さが観測できます。
この場合、サインコサインカーブの絵を見るという
ことは神の視点からみているので、Aにおいては
望むべきも無い天国の絵ということになります。

ではA点でみえることは
1 自分は動かないと思い込んで左からXm
の波がきて右からはYmの波が来た現象とととらえるのか

2 左からと右からの波の差分の差分を自分の変化量だと
  とらえる二通りがあります。

1と2は現象のとらえ方の違いで物事の本質は同じです。
このような状況での絶対静止系、慣性系、動いている物、
観測の当事者はどれにあたるのかというのが私がお聞き
したいと思っていることになるかもしれません。
絶対静止系、慣性系という言い方が物の見方の立場なのか?
ということかもしれません。お聞きしたい本質は。

お礼日時:2007/11/03 21:28

「絶対静止系」という言葉がアインシュタインの本(特殊相対性理論の解説書)に出てくる場合、それは否定されるべき対象として言及されるだけであって、特殊相対性理論のどの式とも関係ないですよ。



質問者さんは何かとんでもない誤解をされているようです。

特殊相対性理論に出てくる観測系は互いに等速運動しているものだけでそれらを慣性系と呼んでいます。横断歩道の手前で立っている(静止している)自分を基準とする慣性系は「(相対)静止系」ではあっても「絶対静止系」ではありえません。また、自動車が一定の速度で動いている場合に自動車の運転手を基準とした観測系は別の慣性系ですが、自動車が加速して横断歩道に近づいている場合には運転手を基準とした観測系は自分にとって別の慣性系ではありません。よって、特殊相対性理論の適用範囲外となります。

この回答への補足

ありがとうございます。

絶対静止系と静止状態とは違うわけですね。

ニュートンの方程式が記述している世界とは
絶対静止系で動いている物を見る理論となる
わけでしょうか?

補足日時:2007/11/03 12:05
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できあがった理論を解説する書籍を読んでも、判らないことは多いです。

まして、いきなり数式で示されても、そににある数値がどんな基準で得られるものか?そもそも、意味がある数字なのか?疑いたくなるものですよね。
アリストテレスの時代までさかのぼる必要はないでしょうが、ニュートン力学誕生から、エテール理論を経て、現在の相対論が成立するまでの「相対論をめぐる論争・発展史」などが書かれた書籍を読まれることをお勧めします。

私も、相対論は学生のころから好きで、学校の図書室とか、書店に行ったとき、面白そうなものがあれば目を通していました。それで、古くて絶版のようですけど、以下の2冊が、私のお勧めです。後者の本はAmazonみると、プレミアがついているようです。

・空間と時間の物理学
エル・ヤ シュテインマン (著), 水戸 厳 (翻訳)

・現代物理学における因果性と偶然性 (1969年)
村田 良夫 (翻訳)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
古本屋であさるのがいいかとおもっています。

お礼日時:2007/11/03 21:36

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