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どうにも理解に苦しみます。日本人でありながら 日本国及び日本人を悪とする事に情熱を注ぐ 病める人々の心の中はどうなっているのでしょうか? 
彼らは何を目的にしているのでしょうか?

A 回答 (8件)

 「自分たちの「悪」を認めることができない勝手な連中」とは違い、自分だけは、そんな悪をはばかることなく認めることができる、善良な人間なのである。

・・・という自己満足かも(想像)。

 なぜ想像なのかというと、理解できないから。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
確かにあるかもしれませんね、日本人は間違った事を反省する時には「ごめんなさい」と言うのが潔しとしてきましたが、それが膨張し過ぎてしまったのかもしれません、逆に欧米では謝る事は弱さを露呈する事だからと、例え間違いに気付いても言わない傾向があるようですね。
でも 南京事件のWebサイトなどを見ると、日本の犯した罪の立証に執念を燃やしている人がいます、この例などはもはや上の例からは逸脱した特異な人達だと思うんです。

お礼日時:2007/12/25 22:27

>右翼は「情」を重視するが、左翼は「知」を重視する。


>「俺は馬鹿だから難しいことは良く分からないけど、
>そうやって口先だけの論理を振り回している暇があったら、
>過疎の村にでも行ってお年寄りの話を聞いてみなさいよ」
>と肌で感じる体感、理屈じゃ割り切れない直感や勘、
>お年寄りの経験の方が正しいと思うのが右翼で、
>それに負けずに口先だけの論理を振り回すのが左翼だ。
http://d.hatena.ne.jp/meiwakoko/20070630
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この回答へのお礼

サイトを見ましたが、判りにくい内容でした。全部は見ていませんが右翼左翼のくくり方が 一般的にもそうですがおかしく思えます。
ひょっとして私をいわゆる”ネット右翼”とみなして暗に批判されていると言う事でしょうか?

お礼日時:2007/12/25 22:28

最近やっとわかりました。


実はね、左翼の、そうですね7割くらいだと想像するんだけど、在日及び元在日なんですよ。それでわたしも謎が解けたんです。
最初は純粋の日本人だと思っていたので「どうして日本人がそんなに自虐的なんだろう」と不思議がっていましたが、実は在日なんです。
昔の日本は、左翼がたくさんいて純粋の日本人でも日本を悪とする人々が多数いましたが、いま左翼は大幅に減りました。共産主義国家はほとんどがつぶれたか北朝鮮のようにつぶれる寸前ですから左翼なんかおかしくてやってられないというところでしょう。
ですからそれでも左翼やってるのは在日及び元在日の方々です。南京事件などをこのサイトで一生懸命「日本が悪い、日本が悪い」とほざくのは純粋の日本人にはできません。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
なるほど在日の方が多いと言う事ですか、それも可能性としては高いかもしれませんね。彼らにとっては差別されないと自分たちの価値が無くなってしまうので訳のわからないことを言ったりしていますが 日本が十字架を背負う事で自分達の主張が受け入れ易くしているのかもしれません。
でも 日本人でもおばかさんは結構いる様な気もします。

お礼日時:2007/12/25 22:28

自虐史観が実は自虐史観ではない、というこの方の洞察力に感服しました。



25 o'clock
http://25oclock.blog.shinobi.jp/Entry/202/#more
(略)
「自虐」というのは文字通り自分や自分を含めた集団を指す概念であるが、このような考え方を行う人たちは形式的には「日本人」という集団の一構成員として「反省」したり「謝罪」したりするものの、本心では自分はその構成員ではないと考えている。

仮に、本当に自虐的で何にも心を痛める人なのであれば、日本軍の「悪事」についてのみならず、自分や自分が属する会社及び集団などの「悪事」についても言い訳をせず、反省・謝罪をするはずである。しかしながら、現実はそうではない。
(中略)
ところが、又市幹事長は日本の国籍を持っているし「日本人として」と発言する(形式の問題)が、本音では「日本人」とは思っていない(実質の問題)。じゃあ彼は自分を何だと考えているかと言うと、「正義の日本人」というカテゴリーに属する人間だと考えているのである。日本人を悪と正義に分けた上で、自分は正義の側に立つと考えている。正義と言うカテゴリーに属する人間が悪と言うカテゴリーに属するを非難しているのだから、自分は痛くも痒くもない。痛くも痒くもないので「関与」という抽象的な言葉で責任を追及するし、「犯罪をしていない証拠を出せ」という無茶な注文も付ける。しかし、「自分は正義のカテゴリーに属する人間だ」とは明言しない(たまに良識派という言葉にこれが現れるときがあるが)。「同じ日本人として反省します」とは言うものの、実態は「他人」を批判しているだけ。しかも、「他人」を批判すればするほど自分の相対的な正義度がアップするので、これはとてつもない快感を生み出す。

これはいわゆる差別と構造的に全く同じことが分かる。

「あいつは被差別の者で卑しい身分だ」と言い立てることで、自分の相対的な優位性を確認し安心する。「あいつは戦争を反省しない悪い日本人だ」と言い立てることで、自分の相対的な正義度を高める。本質は何にも変わらない。
(中一方で「自虐史観」の場合は、外形的にはあたかも日本人が反省しているというように見える。しかし、実質的には「全部あいつが悪いんです。私は悪くありません。『関与』したので責任があるのは間違いありません。言い訳はさせません。私が封じ込めます。だから、私は悪くありません」という類の話であり、自虐でもなんでもない。こういうのは、単に「なすりつけ」という。
(こういった問題を「自虐史観」と表現することは形式に着目したモノであって、本質を表現しているとは言いがたい。実は、そこに日本人の陰湿な差別意識が隠れているわけであり、「差別反対!!」とうるさい奴ほど実は一番差別的な人間なのである。そこで、これを彼らに自覚させるために、今後は「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」と呼ぶことにしたい。少々長ったらしいのでもう少し短い言葉があればいいのだけど、代わりの言葉が見つかるまでは、「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」もしくは「差別的なすりつけ解釈」という用語を使用したい。
(中略)
差別問題に取り組んでいる人間がよく言うセリフに、「差別問題は、差別される側がどう感じるかの問題だ」というものがある。従って、彼らに「我々は差別などしていない」などという言い訳は通用しない。彼らこそが一番の差別主義者であることを自覚させなければならない。

この回答への補足

ご回答有難うございます、時間が無いので後日コメントさせていただきます。

補足日時:2007/12/25 22:29
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 私自身は、全く『自虐史観』を持っていないつもりですが、私の教えてGooの「回答」を自虐史観であるとおっしゃる人がいるので、私の目的・心情がある程度参考になるかもしれません。



 過去の歴史を眺めてみれば、「人間は、似たような状況では、似たような決断をする。」ということが多く見られます。

 第二次世界大戦によって全土が焼け野原になり、食糧援助がなければ大量の餓死者を出すような状況になったことを、『日本の歴史上、最大の失敗』であると捉えていますし、多数の死者を出した戦争(私も伯父・叔母3人が戦没しています。)から何の教訓も得られないなら、彼らの死は無駄死になってしまうとも思っています。

 彼ら・彼女らが死ななければならなかったのは、どのような状況によるものなのか、その原因を把握することで、似たような状況を二度と作らないようにして、『日本人が焼け野原の中で、飢えること』が二度と起きないようにすることを目的に、教えてGooでも回答しています。

 歴史上に起こったことに対して、「日本国・日本人を悪とするとする事に情熱を注ぐ」という捉え方は、「アメリカ議会の日本政府の慰安婦に対する謝罪を求める議決」と同じように、『過去の事実』に対して現在の尺度で計る愚を冒しているように思います。

 『補給の不足した戦場で長期に戦いが続くと、その戦場にいる最弱の人間が悲惨な目に合う』という戦争被害の原則は、戦争を知らない世代(私も戦争を知らない世代ですが、子供の頃の神社の祭りでは、真っ白の衣装を着た手足のない傷痍軍人の人達が、アコーディオンを弾いて喜捨を求めている光景にはよく出会いましたし、親・親族などから戦場・戦時中の生活については良く聞く機会がありました。)としても、知っておくべき教訓だと思います。

この回答への補足

ご回答有難うございます、時間が無いので後日コメントさせていただきます。

補足日時:2007/12/25 22:30
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世の中には、いろいろな考え方の人がいます。



自分と違う考え方の人を、頭ごなしに「理解に苦しみ」と決め付け、「病める人々」と言い切る質問者が、私には一番「病んでいる」ように見えますがね。

周囲の人たちに「思い込みが激しい」と、注意されたことはありませんか。

この回答への補足

ご回答有難うございます、時間が無いので後日コメントさせていただきます。

補足日時:2007/12/25 22:31
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全ての事柄は、プラスの面とマイナスの面を同時に内包しているのが真実です。


そういう意味では、「教科書的な歴史」を盲目的に支持する人も、それを「自虐史観だ」と切り捨てる人も、同じ穴の狢だと思っています。

というのは、どちらの歴史にも、主張する人間の「政治的・思想的イデオロギー」による「強調・無視・捏造・偽造・歪曲・誤謬」が含まれるからです。
ただ、傾向としては「それは自虐史観だ!!」と声高に叫ぶ人の方が、この傾向が強いようです。
それもそのはずで、これら「自虐史観だ」と叫ぶ人の多くは「歴史学の専門教育を受けた者ではない」事が多々あるからです。
つまり、「政治家・思想家・作家・漫画家etc,,,」と、およそ「歴史学」とは程遠い人が、歴史学者の研究成果の「ある部分」だけをつまみ食いして、自分の主張に利用しているのが現状だからです。


では、正しい歴史学とは何か?という問題があります。
これを言い換えると、「歴史は科学か?」という問いになります。
そして、この問いを突き詰めると、「歴史は主観的でしかないのか、客観的でありえるのか?」という問いになります。
これを端的に現した言葉は「歴史哲学」でしょうね。
ただ、日本では歴史哲学はあまり流行らない分野です。
歴史学というのは、文字史料を頼りに歴史を明らかにしようというのが、基本です。
しかし、その文字史料が真実を確実に伝えているとは限りません。

誰かが書いたのだから、その時点で書いた人の主観が入る。(一次史料)
そして、その情報を読んだ人(研究者)の主観が入る。(二次史料)
最後に、その研究者の論文を読んだ人の主観が入る。(私)

「真実(出来事)→一次史料→二次史料→私」、という風に情報が加工されていくことになるんです。
私(歴史家)は真実を知りたい、と望みます。
そうすると、「私→二次史料→一次史料→真実」、と遡ることになる。
もちろん、「私→一次史料→真実」、とする事も出来ます。
しかし、「私→真実」、という風には出来ないんです。(それをするには、現在進行形=今、まさに起こってることしか無理)
となると、どこまで一次史料や二次史料が真実を語っているかを見極める必要が出てくる。
その為には、第二、第三の一次史料・二次史料を参考に、それらの相違や正誤を精査していく事で、情報を真実に近づけていきます。
この過程では、歴史学のみならず、考古学・社会学・古文書学・金石文学etc,,,といった、所謂歴史補助学といわれる分野の助けを借りて行われます。

しかし、多くの人は、この歴史学特有の特性を知らずに、歴史論争を繰り広げています。(特にメディアで取り上げられるメジャーな論争は)
その結果は、歴史の問題ではなく政治や思想の問題にすり替わるという現象が起きています。
まぁ、かくいう歴史学者も、こうした政治的・思想的・社会的な価値観の制約を受けることになるのですが、、、。

とまぁ、ダラダラ書きましたが、貴方が真実を知りたいとおもうのでしたら、周りの声高な意見やレッテル貼りに惑わされず、「歴史を見る目」を養ってください。

参考URL:http://club.pep.ne.jp/~y.hosoya/booksreview/reki …
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 No.5です。

後日補足していただけるということなので、少し付け加えます。

 『自虐史観』という捉え方をしておられる人たちに、「政治」と「歴史の捉え方」をそのまま結び付けている方が多いように感じています。

 中国や韓国の子供に対する歴史教育は、「日本に比べると相当主観的である。」というのは、多くの人の認めるところだと思います。

 中国は、「共産党一党独裁の正当化」という現在の政治の必要性から、韓国は未来に向かった悲願=民族統一のために「朝鮮民族の一体感醸成」の道具に、『日本と戦った』・『日本に支配された』という歴史的事実を、歴史(=客観)にするのではなく、「現在」と感じられるような教育を意図的に行っています。

 ですから、日本人が認識する客観的な歴史的事実をそのまま政府見解として対外的に、特に現状の教育を行っている中国・韓国に提示することは、『政治的に見て』得策かどうかは議論のあるところで、「河野談話」などは、あまりに正直すぎるのではないかとの異議を唱える人があっても、極めて自然なことと思います。(私自身、河野談話は公表時期・内容を政治的にもっと検討する余地があったのではないかと考えています。)

 ただ、日本人個人の『歴史認識』が政治的民族的理由・環境で変わるようなものであれば、それは中国や韓国の歴史教育と何等変わりません。

 <<日本人でありながら ・・・>>というような日本人の立場から見た枠を嵌めることは、中国や韓国の中国から見た歴史・韓国から見た歴史という、我田引水・御都合主義的歴史認識も正当化する事になります。 
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