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私は今、パン屋とバイキングレストランで働いています。
パン屋では余ったパンを、バイキングレストランでは残った料理を、
いつも膨大な量の食べ物を廃棄として捨てています。

いつももったいないと思いながらもどうすることもできず、捨ててしまっています。

世界には飢餓で亡くなる人もいるのに食べられる物を捨ててしまうのに心が痛みます。。

食べられる物を廃棄として捨てることをどう思いますか?
捨てる側の人は捨てることに対してどう感じていますか?

ぜひ教えて下さい。

A 回答 (9件)

確かに心の痛む問題ですよね。

道徳的には食物は捨ててはならないと思います。
しかし、現実問題、残ったものを飢えている人に届けることは衛生面、経済的にも難しいと思います。届くまでに腐ってしまってはならないし、届ける運送費を価格に上乗せすれば店の売り上げが減るでしょうし。店側としても、閉店時まで商品が選べる状態を保てなければ、お客様に商品を選ぶというサービスを提供できなくなります。
(自分がパン屋に行ってパンを買いに行って、食パンしかない、バイキングに行って1品しかないではいくら廃棄しないためとはいえ、現実問題満足できないです)
また、捨てられる予定だったものを飢えている方々に与えるというのも、先進国のおごりのようにも感じます。われわれも買って食べるものを差し上げるべきでしょう。

廃棄される食料は肥料にして、種と一緒に飢えている国に農業支援として送るとか・・・廃棄食料の用途は色々とあるかと思います。

飢えている国の方には、国や国連からきちんとした形で食料供給されるべきだと思います。その供給量や質が向上するような政策を国に求めていくことが大切だと思います。

道徳的には食べ物を捨てることには賛成できません。が、今の日本の社会においては、廃棄をなくすことは、不可能でしょう。何か別の方法を見つけていくしかないのでしょうね。

個人的には、アメリカのバイオエタノール(アメリカの燃料自給率向上のためだけにとうもろこし、サトウキビを育て食べずに車に入れています。)の方が許せません。
バイオエタノールで走る車の数と、飢えている人口はほぼ同じだというデータもあります。車と人間、どちらが大事なのか・・・といつも思っています。
話がいろいろそれてしまいましたね。すみません・・・
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この回答へのお礼

いろいろとお答えいただき、ありがとうございます。
捨てられる予定だった物を飢えている人に与えると思っているのではなく、一方では物があり過ぎる、一方では飢餓という事実に疑問を抱き、質問させていただきました。
私の説明不足ですいません。
お客様に満足していただけるサービスを提供しなければ、確実に店は倒産してしまいますよね。働く場がなくなると、私たちも生きていけないし、利益を追求しなければならない社会においては難しいですよね。
バイオエタノールのことも参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/01/21 09:25

こんばんは。



【世界には飢餓で亡くなる人もいるのに】
私も同感です。そしてさらに、食べ物は「元いのち」です。
人を殺すことに反対であるならば、「元いのち」も大切にしたいもの。
既に死んでいるから捨ててもいいか、否、必要以上に殺したくない。

【食べられる物を廃棄として捨てること】
調理、消費、廃棄、再利用、全ての段階でエネルギーが必要。
大きなエコバッグに、たくさん買って食べきれず捨てるなら、手で
持てるだけの、食べられるだけの買い物の量にすればいい。
食べ残しをコンポスト処理することを偽善と言い、バナナの皮を
コンポスト処理することを善と言います。

【捨てる側の人は捨てることに対してどう感じるか】
何かは感じるでしょうが、感じるレベルは低いでしょう。
「神経を疑う」場面の多くは、その人にその「神経」がない。
飲みもの1本買いに車を使う人は、想像力もないのでしょう。
(何か別のよいところはあるのかも知れませんが)

【私は提案します】
昨今は健康ブームですから、メニューに「カロリー表示」や
「目にいい」「肝臓にいい」など、コメントをつけるといいのでは?
食べ残す人をゼロには出来ませんがゼロに近づけることは出来ると
思います。こうせよと罰を与えるのでは、時に反感を買うと思います。

(追記)体調不良で食べ残すのは言うまでもなく、別の次元です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
食べ物は「元いのち」であるという考えは大事ですね。
「元いのち」という考えがないから簡単に捨てられる。
他にも貴重な意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/04 20:18

私も以前、パン屋で働いていました。

売れ残りだけでなく、食べられるのに見た目の不細工なものは廃棄されていました。私も質問者様とまったく同じ気持ちになりました。
でも、今の日本でこのスタイルを崩すのは難しいと思いました。ただでさえ、食品偽造や賞味期限問題で消費者は神経過敏になっていますし。「そこまで!?」って思うくらいのことをやっているから、日本の製品の信頼性が高いのもあると思います。
個人的な意見ですが、自分が何もできないと思うのなら、捨てることに慣れないでいつも心痛めて廃棄するべきだと思います。ずっとやってると「食べ物」が「物」に見えてきちゃいますしね。あと、世界の貧しい方のことを思うなら、少額でも寄付をしてみてはいかがでしょうか?1円でも10円でも、何もしないよりは意味があると思います。
いっぱい捨てるけど、いっぱい売って、稼いだお金を少々寄付に回せば、食べられない人に少しでも食べ物をわける手助けに・・・
なるといいなと思ってます。長文でスミマセンでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「食べ物」が「物」に見えてくる自分に恐くなって
この質問をさせていただいたのもあるのです。
他の方も自分と同じ考えを持っているのかなと。
でも何もしないより自分から行動してみるべきですね。
貴重な意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/04 19:13

少々のご参考になればと思い、アドバイスいたします。



まず、「廃棄物」の由来はどちらでしょうか。
客が食べ残したものですか?店が売り損ねたものですか?

一応、私もバイキングレストランにはよく行きますが、自分で皿に取ったものは残さず食べています。私が昔行った店では、食べ残しをすると倍料金というペナルティがありました。してみると、バイキングというのは、客の食べ残しは極小化できる可能性があります。
一方、普通のファミリーレストランに行くと、ウェイトレスさんが下げる食器がきれいに空になっているほうが珍しく、下手をすると半分くらい残っているようなものがあります。したがって、こちらは客の食べ残しが膨大な量に上るものと推定されます。

ここで二つの可能性があります。
○バイキングのほうが、最終的に大皿が無駄になるので廃棄物が増える可能性
○実はバイキングのほうが、食べ残しが少ない分、廃棄物が少ない可能性

この辺は、もしかしたらあなたのほうが正しい答えを知っているのかもしれません。ですが、大皿の無駄は、いろいろな努力で減らせるのではないでしょうか。つまり、少しづつ出すことで無駄を減らす工夫とか、最後はお客さんにちょっと我慢してもらって、割引でつじつまを合わせるとか。

いずれにせよ、廃棄物がゼロというのは無理な話です。とはいえ、その「膨大な量の食べ物」が、受忍可能なレベルなのかということ、それを少しでも減らせるのではないかということ、そんなところから考えてみてはどうでしょうか。

また、最終的に廃棄物になったとしても、再利用は可能です。具体的には、いわゆるコンポスト(業務用の超巨大なやつもあります。)というやつで肥料化したり、あるいはメタン発酵させて燃料として使ったりする方法です。それでも「命の綱の食べ物を無駄にしている」という罪悪感が消えるわけでもないでしょうが、少々は薄れるのではないでしょうか。

小生がご参考に申し上げられるのはこのようなところです。いろいろと考えてみてください。

この回答への補足

店が売りそこねたものです。
お客様が残してしまうのは本人の意識の問題だと考えているので。
平気で食べ物を残してしまうのも問題だとは思いますが。

補足日時:2008/02/04 19:00
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ないです。
私には今の状態に甘んじている部分があるのでしょうね。
いろいろと考えてみたいと思います。
貴重な意見ありがとうございます。

お礼日時:2008/02/04 19:09

1991年出版の古い本ですが、古典として未だに増刷を続けている本を紹介します。

タイトルは「産業廃棄物」高杉晋吾著(岩波新書182)です。そのp68ページに廃棄物・ごみの定義が書かれています。
1971年厚生省通知「客観的に汚物ないしは不要物と見られるものを廃棄物とする」とあります。これは全くふつうの神経を持つ人間の感覚と変わらないと思います。が、次に1987年の同省の改正通知では「廃棄物に該当するかどうかは、その品物を持っていた者が、その品物を有償売却することができなくなったために不要になったものを言い、持っていた者の意思、その性状を総合的に勘案すべきもの」といかにもわかりにくいお役人の文章になっています。要するに「有償売却することができなくなったと持っている人が思ったら、それは廃棄物になる」ということでしょうか。もっと簡単に言うと、「持っている人が金にもならないし、いらないと思ったら、ゴミになる」ということです。
これを販売している商品としての食品に当てはめると、売れるうちは「商品」、売れなくなる(有償売却できなくなる)と廃棄物つまりごみになる。「食べる食べられない」「もったいない」という判断基準とは別の基準で決められているのです。規格にあわないもの不良品は商品価値がないものとして、食べ物であろうが何であろうが廃棄物になるのです。いつの間にか行政的に廃棄物の定義が変わっているのです。人間が変わるべきか規則を変えるべきか、考えてみる価値はありますね。因みに捨てられる食品は政令上「動植物性残渣」として産業廃棄物に分類され処分することができます。要するに食品は商品の一種ということになっているのですね。長くなりましたが、紹介した本を見てみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ないです。
わかりやすく説明いただき、ありがとうございました。
廃棄物の定義が変わることがあるとは驚きました。
ぜひ一度紹介して下さった本を読んでみたいと思います。

お礼日時:2008/02/04 18:55

前の方々と重複してしまいますが、私も心が痛みます。

。。
>パン屋では余ったパンを、バイキングレストランでは残った料理を、
いつも膨大な量の食べ物を廃棄として捨てています。
やはりそうなんですね。ホテルのバイキングプランに宿泊した時に、夕食バイキング終了時かなり残っていたんです。ウインナーとかなら朝のバイキングで使いまわししてるんじゃない?と話していたんですが、使いまわしはされずに別の種類のウインナーが用意されていたんです。客を飽きさせないんだ、さすがだね。などと言っていたんですけど、その陰ではやはり大量廃棄という現実があるんですね。
回答No.2さんのテレビ私もみました(宇宙船地球号かな?)いい考えだと思いました。でも、その体系が出来てしまうと、金持ちは新鮮で良い物を食べ、鮮度の落ちた古い物は貧者に食べさせればモッタイナも解消されて一石二鳥なんていうのは、回答No.3さんが言われているように、おごりになるのかなとも思います。
私は生鮮食品会社で働いていましたが、品切れを起こしてしまうのは最悪のミスで、得意先に商品が用意できないくらいだったら多めに製造して余って捨てる方がずっとマシなのです。あと配送中に商品を入れたダンボールに穴があいても廃棄処分です。中の食品の鮮度も衛星面もまったく問題なくても形が崩れたものは売れないんです。利益を追求する事の方が大事なので、その為に多少廃棄になっても仕方ないんですね。各家庭でいくら気をつけても、この社会の経済活動の中では食べ物の廃棄を無くすのはとても難しいと感じました。
 先進国にカシミヤを輸出する為にモンゴルが砂漠化したり、先進国が美味しいチョコレートを食べるために貧しい国の子供たちが働いていたり、そしてその子供たちはチョコレートさえ食べられない…。胸が痛みますね。
誰かの言葉を借りれば、他の何かの犠牲の上にある豊かさや幸せは続かないと私も思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
返事が遅れてしまい、申し訳ないです。
日本の経済システムでは廃棄は仕方がないことなんでしょうね。
でも他の何かの犠牲の上にある豊かさや幸せは続かない。
本当にその通りだと思います。
貴重な意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/04 18:49

 とても心の痛む問題です。


 仮に食事の時に誰も食べ物を残さなくても、売り場として多量の
売れ残り、廃棄される食べ物が出てくるのですから。世界的なシステムの問題でもあります。
 
 ただ自分は一個人の出来ることを全うする、食べ物を粗末にせず、残さない。
また五観の偈(ごかんのげ)を義務教育に取り入れるのも、いいと思います。
 それに、もうすぐ物余りの蜜月は終わると思います。

 食べ物に限らず、あらゆるものに価値があります。
 飢えた人が誰もいなくても食べ物は価値が、あるんです。
 温暖化じゃなくても、資源は粗末にするものじゃない。
 短命な人がいなくても、命は大切。
 ...................。
 どうも、最近の論調というか風潮が好きじゃないんです。それどころか
間違ってると思うんです。そういうことに気づくキッカケなんでしょうかね。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ないです。
ものの価値って失くして初めて気づくことが多いのでしょうね。
温暖化にだからとか、飢えた人がいるからとか。
貴重な意見ありがとうございます。

お礼日時:2008/02/04 18:40

最近テレビでコンビニの廃棄弁当などを施設に届ける活動をしている


ボランティアが紹介されていました。
少量なら捨てるのも止むを得ないですが、
大量廃棄は社会の一員として疑問に思って当然です。

捨てる方は毎回捨てているので良い悪いの判断が付かなくなっているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そんなボランティアもあるのですね。
捨てるよりはいいけれども、衛生面などを考えると。。。って思ってしまいますね。

お礼日時:2008/01/21 11:56

僕も一年前飲食店でバイトしてて毎日たくさんのまだ食べれるものが捨てられていてもったいないと思っていました。

世界にはこんな売れ残ったものでも食べたいと思う人達がたくさんいるのに平気でそれを捨てている自分は無力だなぁと思っていました。
でも働いていくうちにそれが普通のことになっていましたね。慣れっていうのは怖いと思いました。

今あらためて考えるとやっぱりもったいないし、飢餓で亡くなっていく人達のことを考えると心が痛いです。世界中に平等に食べ物が行き渡れば無駄も無くなりますし、飢餓で亡くなっていく人達も減るのに自分では何もできない・・・無力感でいっぱいです。僕のような無力な人間でも海外とかでボランティアができるのならやってみたいですね。それが自分にできる唯一のことなので・・・

全然回答になってなくてすみません。すごく気になった質問でしたし、昔たくさんの食べ物を捨ててきた人間なので少しでも参考になればと思い、投稿させていただきました。長くなってしまってすみません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり慣れというのはありますよね。私も自分の中の食べ物に対する慣れを感じており、もったいないとは思いつつも、普通に捨ててしまう自分がいるのも事実です。
実際に捨てていた方の意見も聞きたかったので参考になりました。
世界中の人に食べ物が行き渡るようになってほしいですね。

お礼日時:2008/01/21 12:04

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