こちらのサイトで質問のタイトルに「たたかう」という言葉を使おうと思ったのですが、「戦う」と「闘う」どっちだろうと思ったので、携帯電話に国語辞書機能がついてるので「たたかう」と検索したら〈戦う闘う〉となっててその後に意味が載ってて「戦う」と「闘う」はセットになってました。
戦うと闘うは同じなんですか?違いはないんですか?

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A 回答 (2件)

「戦う」は、戦争やスポーツの場合です。



枢軸国と連合軍との戦い
日本シリーズでドラゴンズと戦う
千秋楽で横綱同士が戦う

「闘う」は、困難に対するものです。

春闘で労使が闘う
病魔と闘う
厳しい気候との闘い

一応、上記のような使い分けをするのですが、辞書を引くとわかるとおり両者の区分は明確ではなく、
たとえば、漢熟語で「闘争心」「格闘技」というふうに、意味としては「戦う」のほうに近いのに「闘」の字を使ったりしますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/26 02:23

>戦うと闘うは同じなんですか?違いはないんですか?



もちろん違います。
だから漢字が二つあるわけで。
ただし、我々のやまとことばには「たたかう」という
一つしかない。それで、無理やり違う漢字に同じ読みを
与えているわけです。
そうすると、どうなるか。結果は混同され訳がわからなく
なるわけです。読む人によって思い入れをして読む、とい
うことになります。
逆にいうと、せっかく思い入れを入れて漢字をつかっても
読むほうがどれだけ理解しているかです。
「見る」と「視る」は違いますが、われわれには「みる」と
いうことばしかないので、会話で使った場合、どちらでも
同じことになります。これは中国語の場合ですが、英語な
どでもseeとlookと分けているのできちんと意味が伝わります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/26 02:24

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Q「戦う」と「闘う」ってやぱり意味が違うんですかね?

軍事独裁政権が続いた70~80年代は、それを打破しようと闘った「学生民主化運動」がもっとも盛んな時期でもあった。催涙弾のガスを涙を流しながら民主化のために闘った私達の先輩、同僚達、後輩たち。彼らが憤懣やるかたない思いを吐露しながら、一杯のマッコルリに希望を見出して未来の夢見たのが、当時のデポチプだ。その中でも伝統的なデポチプがあるという。

なぜか、「闘う」という言葉が気になりました。
あれ?確か、「戦う」という字もあったはず・・・・

辞書で調べたところ、意味が複数ありました。

多分・・・

この文章の中に書いてある「闘う」の意味は、思想や利害の対立する者どうしが自分の利益や要求の獲得のために争う。

独裁政権に不満を抱いた学生たちが立ち上がり、独裁政権をやめさせて、民主主義の社会、世の中にしたいから、軍隊と闘ったということなんでしょうかね?

Aベストアンサー

「私達の先輩、同僚達、後輩たち」が、武器をもって軍事独裁政権と対立し、ゲリラ活動を展開しているのであれば「戦う」も可能ですが、実際には武器といっても相手に比べればおもちゃのようなものですし、一般的には「民主化」という自分たちの権利や利益を得るための闘争でしょうから、「闘う」でよいと思います。

「戦う」は、武力をもって争うこと、勝ち負けを争うことです。一方、「闘う」は、利益を守るために争うこと、困苦に負けないように努力することです。

「戦う」も「闘う」も、勝ち負けを争うことでは共通していますが、「戦う」は、武力をもって争うこと、優劣や勝敗を争うことに用いられます。用例としては「敵と戦う」、「独立のために戦う」、「選挙戦を戦う」、「言論の戦い」、「名誉をかけて戦う」などが挙げられます。

一方、「闘う」は、人と人が争う意味もありますが、それは勝ち負けより、むしろ利害の対立で利益を争うことに用いられます。用例としては「労使が闘う」、「領土返還の闘い」などが挙げられます。

また、「物事に対して自分を見失わないように努力すること」の意味で、比喩的に用いられるのは「闘う」の方です。用例としては、「貧困との闘い」、「自分との闘い」、「孤独との闘い」、「誘惑との闘い」などが挙げられます。「暑さ(寒さ)と闘う」のは、自然との闘いであり、相手の力に負けないように闘うことです。

「私達の先輩、同僚達、後輩たち」が、武器をもって軍事独裁政権と対立し、ゲリラ活動を展開しているのであれば「戦う」も可能ですが、実際には武器といっても相手に比べればおもちゃのようなものですし、一般的には「民主化」という自分たちの権利や利益を得るための闘争でしょうから、「闘う」でよいと思います。

「戦う」は、武力をもって争うこと、勝ち負けを争うことです。一方、「闘う」は、利益を守るために争うこと、困苦に負けないように努力することです。

「戦う」も「闘う」も、勝ち負けを争う...続きを読む

Q〈訓読〉と〈音読〉とが混じるのはなぜですか?

「豆蔵」(まめゾウ)
「豆炭」(まめタン)
「豆本」(まめホン)
 適当に、辞書から上記の言葉を拾ってみました。
 そこで質問です。
 一文字目の「豆」(まめ)は訓読で、二文字目は三者とも音読となっています。これは日本語では多いことなのですか?
 例えば、
「豊作」(ホウサク)
「豊満」(ホウマン)
「豊年」(ホウネン)
 とか別になんでもいいのですが、音読だけで文字が形成されていることが多いと思うのです。これ以外にも。
 訓読と音読とが混じっている言葉というのは、もっといっぱいあるのでしょうか?
〈訓読と音読とが一緒になってはいけない〉というルールがあるわけではないのですね?
 訓読と音読とが混じるのはなぜですか?

 上記四つのクエスチョンマークに答えて頂けるとありがたいです。
 どうか宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

高島俊男氏の著作に詳しく書いてあります。
「漢字とに日本人」「お言葉ですが・・・」シリーズ、どれも肩のこらない面白い本ですので興味があればご一読を。

日本語の語彙の大半を占めるのが、漢語由来の「字音語」と本来の日本語である「和語」です。
そしてこれらが癒着し、音訓が混ざった語は日本語の中で約4%ほどだそうです。つまり結構たくさんあるが本流では無いということですね。
漢語以外の外来語(シャツ、コップ、カレーなど)の方が数が多い。

つまり音訓が混じってはいけない、というルールはありませんが、多少違和感のある語のようです。慣用として定着していないと耳障りに聞こえますね。目線(めセン)とか四月をよんガツと読む等。

訓読と音読(つまり和語と字音語)が混ざるのはなぜか。
これは難しいですが、わたくしなりに推測すると
1、対象になじみがありすぎて字音語か和語か意識していない場合。
 例えば「ぶたニク」。「ギュウニク」の場合は「うしニク」とはいいませんが、肉(ニク)が字音語であることはあまり意識に登らないので違和感がすくない。
2、和語の不足。
 和語は日本起源のことばですが、日本語の語彙に占める割合は字音語(漢語由来の語)の方が多い。石段の「いし」は是非「いし」と訓で読みたい、しかしダンに対応する和語(つまり訓読み)が無い。
3、字音語は音だけでは意味が解らない。
 同音異義語が多すぎて耳で聞いても解らない。「セキダン?なんじゃそりゃ?いしダン、ああ石でできた階段ね」という具合。

この2と3の事情が合わさって、新しい熟語は発生する際に音訓が混ざったのではないでしょうか。

高島俊男氏の著作に詳しく書いてあります。
「漢字とに日本人」「お言葉ですが・・・」シリーズ、どれも肩のこらない面白い本ですので興味があればご一読を。

日本語の語彙の大半を占めるのが、漢語由来の「字音語」と本来の日本語である「和語」です。
そしてこれらが癒着し、音訓が混ざった語は日本語の中で約4%ほどだそうです。つまり結構たくさんあるが本流では無いということですね。
漢語以外の外来語(シャツ、コップ、カレーなど)の方が数が多い。

つまり音訓が混じってはいけない、というル...続きを読む

Q「闘う」と「戦う」の違いは?

タイトルの通りなのですが、この二つの言葉の意味の違いを教えて下さい。

Aベストアンサー

戦い
1.武器をとってのたたかい(字のなかに武器(ほこ)」の字を含んでいる)
2.闘いの規模が大きいもの、おおぜいでのたたかい

闘う
1.勝ちを争うこと。暴力・武力によるものとは限らず、競うだけのこともある。
2.戦いの規模が小さいもの

上記は、決戦と決闘の違いでも考えることができそう。

Q「戦う」と「闘う」の違いって何ですか?

「戦う」と「闘う」の違いって何ですか?

Aベストアンサー

戦争、闘争、どちらも争う、が付きます。
戦うは勝負が直接の目的ではなく、勝つことで得られる、別のものが目的。
闘うは勝負そのものが目的。
例、食料品の取り合い、勝負そのものが目的ではなく食料品ゲットが目的ですね、その意味では戦いですが、1人対1人、または少人数の場合は勝ち=ゲット、と直結しています、勝負そのものが目的であっても結果は一致します。
別のものが目的、この目的により、戦いの規模人数が異なって来ます、結果的に大人数、大規模が戦いに該当する場合が多くなるが、だからと言って逆は必ずしも真ならずです、大人数でも闘いはあります。
ラグビー11人同士の闘い、試合終了と同時にノーサイド、ですね勝負だけが目的のため決着がつけば敵味方なしです。
スポーツ関係は闘うがほとんどですね、優劣、勝負だけが目的だからです。

Q〈「拝+させていただきます」は誤用〉ですか?

 下記のような〈「拝+させていただきます」は誤用〉という意見をよく見聞します。

拝見させていただきます
拝読させていただきます
拝借させていただきます

 たしかに相当クドいと思うので、基本的には使うべきではない気もします。
 しかし、適切な状況であれば問題のない表現では……とも思います。
 どう考えればよいのでしょうか。

「誤用」か否かを判断する典拠になる文献を教えてください。

Aベストアンサー

最近の質問には手応えがなく、つまらなく感じていました。歯ごたえのある質問だと思っています。
問題になる点はふたつあり、一つは「せる・させる」という使役の助動詞であり、もう一つは「コピーを取らせていただきます」の形が「敬語の指針」に取り上げられ、「相手の許可を得て、恩恵を得られる場合の表現」とされていたと思います。これを自然な言い方と認めるか、どうかです。
 まず、「せる・させる」は現代語では使役の助動詞です。(古文の「す・さす」は尊敬の意味もありました)
その接続は、「せる」は五段及びサ変(これに注意)の未然形に、「させる」は上一段・下一段・カ変の未然形につきます。
 拝見さ・<せ>ていただきます(拝見する) 「拝読する」も同様
 見せていただきます(見せるー他動詞)
 見<させ>ていただきます(見るの使役形)
とりわけ、「拝見・させて」ではないことに注意。
「取らせていただきます」「言わせていただきます」「書かせていただきます」はいずれも五段動詞なので「せ」がつきます。
 これらがokで「拝見させていただきます」が納得出来なければ、それは二重敬語になるというだけでしょう。これを二重敬語と考えなければ、何も問題ありません。
 

最近の質問には手応えがなく、つまらなく感じていました。歯ごたえのある質問だと思っています。
問題になる点はふたつあり、一つは「せる・させる」という使役の助動詞であり、もう一つは「コピーを取らせていただきます」の形が「敬語の指針」に取り上げられ、「相手の許可を得て、恩恵を得られる場合の表現」とされていたと思います。これを自然な言い方と認めるか、どうかです。
 まず、「せる・させる」は現代語では使役の助動詞です。(古文の「す・さす」は尊敬の意味もありました)
その接続は、「せ...続きを読む


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