痔になりやすい生活習慣とは?

旧約聖書と新約聖書にはどのようなつながりがあるのでしょうか?
共通点というか旧約と新約の関係を教えてください。

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A 回答 (8件)

旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、共通の経典です。


ただし、「旧約聖書」という名称はキリスト教のみの名称で、ユダヤ教は律法書と呼んだり預言書とよんだり、それぞれの頭文字をとった『Tanakh(タナク、タナーク、タナハ、タナッハ)』と呼ばれるようです。
イスラム教では、一部が経典としてつかわれています。
旧約聖書は複数の書物や書簡、詩などで構成されており、どの書物・書簡・詩を正典とするかはそれぞれの宗教・宗派によって違います。

内容は、天地創造からはじまって、イスラエルの民の歴史、預言(予言ではない)、律法、などが記述されています。
キリスト教では、イエス・キリストが十字架上で死んだことで、旧約聖書の預言は完成されたと考えられています。
そして、新約聖書へと繋がります。
※預言とは、神から預かった言葉という意味です。所謂未来を予想する予言とは違います。

新約聖書は、キリスト教の教典です。
また、イスラム教も一部の書を経典として扱います。
内容は、イエスの生涯と言葉・弟子であるパウロやヨハネなどの書簡・イエス死後の弟子の行動などの記録etc、、、です。
こちらも、複数の書物からなりどれを聖典とするかは宗派によって異なります。
キリスト教では、イエス・キリストによって旧約(古い約束)から新約(新しい約束)に更新されたと考えるため、「旧約聖書・新約聖書」という呼称がつきました。
とはいえ、「旧約聖書」の重要性が低下したワケではありません。
「律法」としてはその効力を失ったと考えますが、「歴史」「預言の成就」「将来への警告」として非常に重要な位置を占めています。

追加情報として、、、
ルターは、16世紀に宗教改革を始めた人です。
彼は、教会の堕落を糾弾し、聖書のドイツ語訳を通じて神と個人の繋がりを重視する思想を広めました。
そこから派生したのが所謂プロテスタントです。
詳しくは、私も回答した下記のQ&Aを参考にしてください。

http://okwave.jp/qa3685102.html
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神と人との契約を表します。


これは一般的な条件付きの約束ということを超えて
神と人との関係を表すものです。
結婚指輪を婚約相手に贈るような感動的な関係を
神の方から人に与えられたと表現しておきましょう。
よって人が救われるための条件ではなく、
神がのぞんでおられる結婚のような親密な関係を
人と持つことを表すものです。
約束を覚え続ける態度を人が持つとき、
その関係を神が喜んでくださるのです。
旧約聖書は、その約束を覚えた人とそうでない人の歴史です。
イエスキリストはパンとぶどう酒という儀式を通して
人のために十字架の上で犠牲となられた体と血を覚え続けることを
「新しい契約」と言われました。
神と人とのすばらしい関係の回復のために、
イエスキリストが代価を払ってくださったのです。
この約束はイエスを救い主キリストとして個人的に信じ受け入れること
によって実現し、キリストの再臨をもって完結されます。
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キリスト教から見た新約聖書と旧約聖書のある見方


新約聖書のおこっている事が旧約聖書(まだ知らない人)の中に書いてある。
旧約聖書イザヤ書(紀元前8世紀前に書かれているらしい)
書かれていることがおこっている。
これを預言という。
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旧約聖書においては、神は人の外側で活動します。


新約聖書においては、神はおもに人の中で活動します。
ヨハネの福音書でいうと、まず神が人となられます(1:14)。いわゆる受肉です。キリストは神であると同時に人、人であると同時に神であり(ローマ1:3-4)、天のものが地に、地のものが天にもたらされた最初の事例です(参考 創世記第28章)。
次に、12章の「ひと粒の麦」のたとえで、多くの麦粒、すなわちキリストと同じく神の命と性質を持つ(ヨハネ3:16、第二ペテロ1:4)人たちが現れることが預言されています。これは、御子の十字架と復活のあと実現します(ヨハネ20:22)。

旧約は暗示的にこれを示すのみで、その実際がありません。新約は旧約で示されたことを詳細に説明しつつ、それが実現しています。

聖書を読む場合、新約だけでは抽象的すぎてわかりませんので、旧約の具体性が必要です。旧約だけでは暗示的すぎて、新約の説明が必要です。
両方読む必要があると思います。
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>「旧約聖書」は主にカトリック、「新約聖書」は主にプロテスタントのキリスト教徒の教典です。


(中略)
>ルターがそれを批判し、…、その教典が新約聖書です。

ガセです。細かいことはおいて、両宗派ともキリスト教として、新旧約聖書全体を教典としています。

現在のイスラエル・パレスチナ地方を中心に、
旧約は、新しくて紀元前100年、大半はそれより前に記述された元はユダヤ教典です。
新約は、紀元前6~4年ごろキリスト誕生から、紀元100年あたりまで、
ユダヤ教典を下敷きに、キリストが神との契約を更改し、さらに
パウロ他使徒の教えた内容です。

よって、その後のカトリック、プロテスタントの起こりとは関係ありません。
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大昔習った社会の授業のうる覚えですが^^;


「旧約聖書」は主にカトリック、「新約聖書」は主にプロテスタントのキリスト教徒の教典です。宗派によっては両方使っているところも有るそうです。
 歴史的背景から言うと中世のキリスト教教会が「免罪符」というものをだしてお金を巻上げるなどの悪行をしていたときがありました。
 その時にルター(だったと思います)がそれを批判し、それに賛同する人たちが「新しいキリスト教を作ろう」と作ったのがプロテスタントと言われる宗派であり、その教典が新約聖書です。新しくせず、自浄によって立て直そうというのがカトリックという宗派であり、新しい教典と分けるため旧約聖書と呼ばれているらしいです。

 
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旧約聖書はユダヤ教の経典で、天地創造や楽園追放等の架空性の高い要素を含みつつも、基本的にはユダヤ人の歴史と、律法と呼ばれる倫理基準を示した書物と考えれば良いでしょう。

ただし、ユダヤ人は「旧約聖書」という言葉は使いません。「旧約聖書」はキリスト教徒から見た場合の「旧約」であって、ユダヤ人たちから見たら、聖書はたんに聖書です。

旧約聖書の特徴のひとつとして、ユダヤ教の選民思想があります。つまり、ユダヤ人だけが特別な民族だという原理です。また、神と人間の関係が契約で語られているなど、契約概念の薄い日本人からするとびっくりするほど、契約という概念が中東やヨーロッパでは古くから重視されていたことが分かります。ユダヤ教は一神教だと思われていますが、純粋な一神教になりきっていないと思います。楽園追放の時、神々(複数形)が集まって、アダムとイブの行動について議論しているシーンなど、なかなか愉快です。ユダヤ教の場合、神は1人しかいないというよりも、民族ごとに違う神がついているが、ユダヤ人についている妬む神ことエホバこそが最強だ、という発想が垣間見えるような気がします。

新約聖書はキリスト教の経典です。キリスト教徒は新約聖書と旧約聖書の双方を読みます。新約聖書のテーマは、キリストの生涯の説明、信者たちの書簡などで出来ています。キリスト教はユダヤ教から派生したものであり、基本的には、ユダヤ教の律法主義があまりに頑迷であることに対する批判や、当時ローマの支配下にあったユダヤ人が反ローマ過激派としてキリストを告発しようとするたびに、キリストが政治的な穏健派であるため、わなにはめようとしてもなかなかわなにはまらないといったエピソードがちりばめられています。

キリスト教はその後、ユダヤ教の枠を超えて成長し、最後にはローマの国教にまでなるのですが、選民思想を廃してどの民族にも受け入れられる世界宗教の枠組みになっていること、一神教としての純粋性が高まっていることなどが成功要因として挙げられます。意外なところでは、キリスト死後の話ですが、ユダヤ人や現在のイスラム教徒がやっている割礼(ペニスの包皮を切り取ること)の儀式は不要であると宣言し、ギリシャ・ローマ文化になじんだ人々に安心感を与えたという要素が馬鹿になりません。ローマ帝国の中ではユダヤ人の割礼の儀式は気持ちの悪いものだと思われており、ユダヤ人が期を捕らえては孤児や奴隷を割礼しようとすることが多かったため、ローマから禁止令がでて、「割礼の儀式はユダヤ教徒以外には押付けないように」とまで言われていたのです。

さて、新約聖書と旧約聖書の共通項として、世界の最後の日と、神と悪の間の最終戦争という思想があります。新約聖書では黙示録、旧約聖書ではダニエル書が該当します。しかし、これは良く考えてみるとおかしなことで、唯一絶対の創造主がいるのであれば、「なんで悪なんていう邪魔者までわざわざ創造したの?」と聞いてみたくなるところです。これは、ユダヤ人がバビロン捕囚後にペルシャから持ち帰ったゾロアスター教の枠組みが、一神教であるはずのユダヤ教に取り込まれてしまったものではないかというのが私見です。ゾロアスター教は善と悪の二元論ですから、最終戦争も簡単に説明できますね。
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極めて大雑把に言うと、「旧約」は、キリスト以前の神との契約、「新約」とはキリスト以降の神との契約。

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Q新約聖書と旧約聖書の違いは何でか。

 新約聖書と旧約聖書の違いは何でか。また、それぞれの聖書は、いつ誰が書いたのですか。宗教改革のときルターは、いわば聖書第一主義のような活動をしますが、そのときの聖書とはどちらでか、教えてください。

Aベストアンサー

>新約聖書と旧約聖書の違いは何でか。

キリスト教ではユダヤ書を古い神との契約としています。
その後神との契約しなおしたのが、新約聖書だとしています。

そしてキリスト教では救世主がイエスで、それによって人類は救済されたということを地球上全ての人に伝える書物が新約聖書だとしています。

新約聖書が神との新しい契約書というわけです。
(随分この契約書は難解で長いですが、もっと整理して人間にもわかるように書けなかったのでしょうか と私的に思います。)


ユダヤ教では神の救済は実現していないとしています。
キリスト教では2000年ほど前に実現し、もっとも深い罪である原罪は全人類から消えたので、今では誰一人原罪を持っていないとしています。
ユダヤ教は原罪うんぬんにこだわっていません。 
神の救済をひたすら今も待望している状態です、



新約聖書のイエスの言葉は、ほとんど旧約聖書からきています。
イエスが言ったとされた言葉も旧約聖書に既に書いてある言葉か、それ以前から口伝やラビ文学などで既に語られていたものです。
イエスの言ったとされたもので一番有名なのが山の上の教訓ですが、それも既に過去の人に言い尽くされていたもの。



旧約聖書が成立したのが、紀元1世紀頃です。

その前から文書はありましたが、沢山の資料・口伝の中から選んで編算したのがユダヤ書。(キリスト教が言う旧約聖書)


ユダヤ書は誰が考え出したのかは、よくわかっていません。
が、創世記の部分はバビロン捕囚でバビロンにつれていかれた祭祀たちが作り出したものだと考えられています。

洪水などの話は、その捕囚先の神話を元にしており、主という意味のエルもその場所で神のことをエルと呼んでいたからのようです。


捕囚先で自分達の民族を考えたとき、選ばれた民で神がいつか奴隷の地位から救ってくれるという信仰が生まれ、それでユダヤ教ができたと思えます。


ユダヤ書は作者不明なのですが、シラの書に関しては、実在の人物のようです。
確かシラの孫が作者だったと思います。
(彼はユダヤ書をギリシャ語コイネーに翻訳した一人)


ユダヤ書において、律法の解釈をめぐって、ヤハウエスト エロイストらの理解から書かれているようですが、どっちが勢力を持ったかで、若干違いが見られる。




新約聖書も誰が書いたのはよくわかっていません。
そもそも、イエスという人物が実在したのかも実のところわかっていません。
4福音書の内容が死海文書の中に痕跡が見られることから、イエスがいたとされるよりずっと前に後に福音書となる文章が書かれていたことになります。
従ってイエスという男が生まれる前から新約聖書はあったことになってしまいます。


イエスの概念が異教の神の概念に似ていることから、それらを習合した結果できた架空の存在の可能性もあります。


また、複数の人の話が一人の人に統合された可能性もあります。

いずれにせよ、ユダヤ書から内容がきている。


ユダヤ教とキリスト教の大きな違いは、ユダヤ教は律法の肯定、キリスト教は律法の否定。
ユダヤ教はイエスを神としていません。

キリスト教は神であるイエスを殺したのはユダヤ教だとしていますが、実在していたとしても、殺したのはローマでありユダヤ教ではない。
ユダヤ教の死刑は石打の刑ですから。
イエスを殺したのはユダヤ教だという考えが起源となり、20世紀のホロコーストは起こった。
福音(グッドニュース9)というより、、、、人類最悪の悲劇の根源の書ということになります。



歴史からするとその当時、支配していたローマのユダヤ地の提督は悪政で、そのためユダヤ人の中にはローマ軍にテロを起こしていたようで、そのレジスタンスの中にイエスというリーダーがいて、その人のローマ軍による処刑と話がごちゃまぜになった架空のストーリのような気がします。


新約聖書の編集はエイレナイオスらがやったそうです。
彼らが新約聖書を作ったわけです。
が、後にその作ることになった理由から、中世を暗黒時代にしてしまった。
異端審問など。
そしてそれがやがて後の魔女狩りの思想に発展していった。


>宗教改革のときルターは、いわば聖書第一主義のような活動をしますが、そのときの聖書とはどちらでか、教えてください。

ルターがユダヤ書の中で否定していたのが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AD%A3%E5%85%B8


新約聖書は既にその概念が書かれていた。
ただし、イエスを神とした途端、人類最悪の悲劇がひき起こってしまった。
誰が既に書かれていた神の愛の概念を捻じ曲げ最悪の事態を引き起こしたのか。
解釈の問題であって、文章が悪いんじゃない。
人間の解釈でよくもなり、最悪の惨劇もひき起こる。


魔女狩りが行われた理由はユダヤ書に「魔女を生かしておいてはならない」と書いてあったかららしいです。
その魔女狩りを推奨したのがルターだった。


ご参考までに。

>新約聖書と旧約聖書の違いは何でか。

キリスト教ではユダヤ書を古い神との契約としています。
その後神との契約しなおしたのが、新約聖書だとしています。

そしてキリスト教では救世主がイエスで、それによって人類は救済されたということを地球上全ての人に伝える書物が新約聖書だとしています。

新約聖書が神との新しい契約書というわけです。
(随分この契約書は難解で長いですが、もっと整理して人間にもわかるように書けなかったのでしょうか と私的に思います。)


ユダヤ教では神の救済...続きを読む

Q聖書はいつできたのでしょうか?

聖書が書かれた時期について教えてください。

質問1:旧約聖書は、いつ頃からいつ頃までの間に書かれたのでしょうか?

質問2:新約聖書は、いつ頃からいつ頃までの間に書かれたのでしょうか?

Aベストアンサー

旧約についてはよく知りませんので、
質問2について。
原本は1~2世紀だといわれています。いろんな説があるのですが福音書で最も早いのがマルコ福音書。40年代末~70年までの間なのですが(下限は確実)それ以上確実な証拠は特になく(心情的にはともかく、確定できないので)このあたり、としか言えないようです。
パウロの書簡のうち真作のものが50~60年。これとマルコとどちらが早いかが神学的には重要らしいですが特に証拠はありません。どちらが先でもおかしくないです。(少々別の流れだったような形跡があるので)
他の福音書がマルコより後なのは確かで、大体70~90年あたりか?
その他の文書もいろいろな時期ですが遅くとも2世紀のうちには書かれていたようです。
ただし注意するとこの時期、新約聖書なる文書は存在しません。
別々の人によって書かれた内容的にもばらばらの文書があり、また教会・地域によってはこれらの文書のうちいくつかは認めない、逆にこれら以外の文書を認める、といった状態が続き徐々に整理され、結局27の文書をひとつのものとして、正典ということにしたのは4世紀ごろ、アタナシウスあたりから、ということになります。(文書で確認できる限り)
その後写本の段階でも修正されたりして、印刷の時代まで書かれ続ける、ともいえるのですがとりあえず元の文書は1~2世紀ということです。

旧約についてはよく知りませんので、
質問2について。
原本は1~2世紀だといわれています。いろんな説があるのですが福音書で最も早いのがマルコ福音書。40年代末~70年までの間なのですが(下限は確実)それ以上確実な証拠は特になく(心情的にはともかく、確定できないので)このあたり、としか言えないようです。
パウロの書簡のうち真作のものが50~60年。これとマルコとどちらが早いかが神学的には重要らしいですが特に証拠はありません。どちらが先でもおかしくないです。(少々別の流れだったような形...続きを読む

Q新約聖書と旧約聖書の違いを教えて下さい。

新約聖書と旧約聖書の違いを教えて下さい。

こんばんは。
新約聖書と旧約聖書ってありますよね?
あの二つはどこがどう違うのか、
具体的に、簡単に教えて下さい。

Aベストアンサー

旧約聖書はユダヤ教の聖典です。
ざっくり言えば,神とユダヤ教徒との約束事です。これを守ります,と神と約束をします。

しかし,ユダヤ教が長く続いて問題が出てきたために,「このままではダメだ!」と思った神が,神の子イエスを遣わして新たに契約しなおしたのが「新約聖書」です。
(契約・約束なので「旧約」「新約」というわけです。)

しかし,前からユダヤ教を信じてきた人から見れば,「なんか『新しい』とか言っているけど認められない」となります。
ですから,ユダヤ教徒は「旧約聖書」とは言いません。「新約聖書」は信じていないからです。
一方,キリスト教としては,前のものを全部アウトにしたわけではありません。旧約聖書でうまく行かなかったところを改訂した,という立場なので,キリスト教を学ぶ場合には新約だけでなく旧約も読まなければなりません。

ついでなので触れておくと,聞いたことがあると思いますが,イスラムの聖典「コーラン」があります。
これは,さらに後になって「ユダヤ教もキリスト教もダメだ!もう一度契約しなおしだ」と思った神が,ムハンマドに言わせたものです。
「コーラン」では,旧約聖書も新約聖書も,前の預言者たち(当てる「予言」ではなくて,神から預かってきた人なので「預言」と書きます)を通じて神(アッラー)と約束したのに,あいつら守らないじゃないか,だからこれが最後だ,としています。
(キリスト教に対しても,イエスは「神の子」ではなくて預言者の一人だといいます)
こちらも,旧約・新約の改訂版という立場なので,コーランを読むには旧約聖書や新約聖書の知識がある程度必要になります。

さらに余談ながら,ユダヤ教では食べるものに対して非常にやかましい規制がありますが,コーランでは,
「だがユダヤ教の人々には、(回教徒より規定を重くして)爪牙をもつ動物は一切御法度にしておいた。(中略)これは、彼らが不遜だからその報いじゃ」(6章147節,井筒俊彦訳)
と説明しています。前のバージョン(旧約)の変更理由を説明した一例です。

この「改訂」の考え方を,乱暴なたとえで言えば,
旧約:原作のライトノベル
新約:ライトノベルを元にしたコミック
コーラン:アニメ化作品
または
旧約:原作のコミック
新約:コミックのテレビドラマ化
コーラン:ドラマから作られた映画
と考えると分かりやすいかもしれません。
やっぱり最新版(アニメ化作品/映画)をよく知りたいなら,前のもの(ライトノベル/コミック)を読んでみる必要がある,というわけです。

旧約聖書はユダヤ教の聖典です。
ざっくり言えば,神とユダヤ教徒との約束事です。これを守ります,と神と約束をします。

しかし,ユダヤ教が長く続いて問題が出てきたために,「このままではダメだ!」と思った神が,神の子イエスを遣わして新たに契約しなおしたのが「新約聖書」です。
(契約・約束なので「旧約」「新約」というわけです。)

しかし,前からユダヤ教を信じてきた人から見れば,「なんか『新しい』とか言っているけど認められない」となります。
ですから,ユダヤ教徒は「旧約聖書」とは言いませ...続きを読む

Q古典的条件づけの日常例

心理学の講義で「古典的条件づけについて日常的事例を取り上げながら説明しなさい」という課題が出ているのですが、古典的条件付けの日常事例がいまいち思いつきません。
いい例をご存知の方はご指導よろしくお願いします。

Aベストアンサー

古典的条件付け(レスポンデント条件付け)の定義は、パブロフの実験を例に挙げると、
「無条件刺激(エサ)に先立って、中性的刺激(ベルの音;条件刺激)を提示し、これを繰り返すことによって、やがて条件刺激が起こるだけで無条件反応(唾液分泌)が起こる」
ですよね。

#1の方のレモンや梅干しの話は有名ですが、日常生活でパブロフの実験のような犬の話をすると、例えば飼い主が外出先から帰ってくるとすぐエサを与えるような習慣があると、そのうち犬は飼い主が玄関の鍵を開ける音を聞いただけで上記のような唾液分泌が起こってくるようになりますよね。(うちで昔飼っていた猫は、海苔が大好物で、台所で海苔缶に何かものが当たる音がしただけで、台所までダッシュしてきて口をなめずり回してました)

このレスポンデント条件付けは、人間の行動よりもむしろペットの行動について考えてみた方が分かりやすいかも知れません。

これに対してオペラント条件付けは非常に思いつくことが多くて楽しいのですが(ギャンブルにはまる心理とか…)。

あんまり参考にならなくてゴメンナサイ。

Q共変原理ってなんですか?

社会心理学の共変原理の意味がわからないんです。なんについてで、どんなことと関係しているのか、何で重要なのかわかりません。知っている人がいたら教えてください。

Aベストアンサー

何か出来事が起こったときに、
「どうしてだろう?」と原因を知りたくなり、
それがわかったとき、理解できた~と実感します。
その、心の作用を「帰属」といいます。
その帰属の過程を様々な心理学者が説明していますが、
ケリーは共変原理という理論を使って、
説明しました。

ケリーは共変原理として、

「行為の効果の原因は、その効果が生じたときに存在し、
生じなかったときに存在しない要因に帰属される」

という、原因推測の考え方を提案しました。

この考え方を基本概念として、ケリーは帰属理論モデル
を提出しました。

行動の原因には、
1)実体(行為の対象)
2)人(行為の主体)
3)時/様態(状況)
の3つあるとして、そのどれに原因があると思うかは、
先ほどの共変原理を適応して決められるとしました。

その時の基準は3つあります。
a)一貫性(ある人のある対象に対する反応は
    どのような状況でもかわらないか)
b)一致性(ある人のある対象に対する反応は
    他の人々と一致しているか)
c)弁別性(ある人のその反応は
    対象が限られているのか)
この3つの高低の組み合わせにより、原因が特定される
としました。

Aさん、Bさん、Cさんの3にんが数学のテストを
受けたとき、三人ともいつも0点ならば、
数学のテストの難易度に帰属されるけれど、
Aさんだけが、いつも0点ならば、
Aさんの能力の低さに帰属されます。

何か出来事が起こったときに、
「どうしてだろう?」と原因を知りたくなり、
それがわかったとき、理解できた~と実感します。
その、心の作用を「帰属」といいます。
その帰属の過程を様々な心理学者が説明していますが、
ケリーは共変原理という理論を使って、
説明しました。

ケリーは共変原理として、

「行為の効果の原因は、その効果が生じたときに存在し、
生じなかったときに存在しない要因に帰属される」

という、原因推測の考え方を提案しました。

この考え方を基本概念として、ケリ...続きを読む

Q聖書における神と人の契約内容はどういうもの?

旧約聖書、新約聖書は神と人との「契約」の書だと聞きましたが、具体的な契約内容は、”要約する”とどういうものですか?例えば、「神を信じれば天国行きを保障する」とか...そういうようなことなのでしょうか?また、旧約聖書の契約内容と新約聖書の契約内容は、どのような関係になっていますか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

アダムとイヴ
  ・善悪の木から取って食べてはならない。→永遠の命。

ノア
  ・船を作って、指示したものをそこに入れ、共に生き延びなさい→生き延びさせる。

アブラハム
  ・私が示す地に行きなさい→大いなる国民にし、あなたを祝福し
   あなたの名を高める。
   あなたを祝福するものをわたしは祝福し、あなたを呪うものをわたしは呪う。
   地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。
  ・あなたの子孫はイサクによって伝えられる(ユダヤ教の祖?)
   イシュマルも一つの国民の父とする。(イスラム教の祖?)
  ・息子イサクを焼く尽くす捧げ物としなさい。→あなたの子孫を天の星のように、
   海辺の砂のように増やす。

ヤコブ
  ・今横たわるこの土地をあなたとあなたの子孫に与える。
   地上の氏族は全て、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。
   あなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。
   あなたに約束したことを果たすまで、決して見捨てない。

モーセ→十戒
   (今までは口約束だったが、ここでは契約の証としてアークが登場する)  このとき、他にもっと具体的な法律が定められた。
    内容は今の法律のようなもので、人間同士のルール。
    ここではそれを守る見返りの明確な代償が提示されていない?
    神からの一方的な命令? それに合意したのがモーセ?

ここらへんが旧約聖書の大きな約束で、だいたい守れば神は祝福するとか神の祝福に入るとなっています。
祝福とは、他者の繁栄を望み、願い、実現させることです。

モーセによって、人間同士の基本となる法律が制定され、それにのっとって日常は行われ、それに違反したものは法律によって裁かれるようになったんじゃないかと。
今まで漠然としていた、やってはいけないことが、掟として明確にされたんじゃないかと。
(刑法の第なんとかに違反する とかなんとか?)
他にも長さや容量重さの単位を定めたり、貨幣・利子とか保険なども、ここらでちゃんと改めて明確にして文章に残したんじゃないかと。
 

新約の方は、、、キリスト教の教本ですが、どう捕らえていいのかよくわからないです。
キリスト教はイエスを崇拝していますが、その内容はイエスの思想とは違うようです。
従って、イエスの思想と思われる視点から新約を読もうとすると、理解が難しいです。

西洋哲学はキリスト教が基盤となっていると思って、よくネットでキリスト教の人と問答しますが、「それおかしくないですか? どう解釈すればいいのでしょうか」と説明を求めると、だいたい「あなたに神の祝福を」と言って逃げられます・・^o^;
「あらー また逃げられた」なんですが、その言葉はその前のやりとりからすると、私に神の祝福があることを願う言葉としては使われていないということはよく理解でき、それって呪い?笑 とか思ったりします。
i wish your happinessじゃなくて、 God may damn youって意味だって。
他力本願がキリスト教。
自力本願がイエス教。

一応、新約は律法を守ることで人は救われる(旧約)のではなく、人が他人を救うことで、その人自身が救われる(神の祝福に入る)と説いたのがイエスだったと思います。
しかしキリスト教(カソリック)はその路線は行かず、新約として、懺悔の時、お金を払えば救われるとして、お金を払った人に対して、教会が「あなたの罪は消えました」としたものだから、それ おかしくないかい? ってなって、プロテスタントができたんだったと思います。

しかしそれでもその方向性に限界があるとわかった人たちは、別の神学を作り出して、分裂していっていて、今は新秩序教がこの世を支配しているように思います。

で、どれが正解? 何を守って生きていけばどうなるの? なんですが、結局は、イエスの思想(キリスト教の思想ではない)が、例え人間に寿命がつき、その前に度重なる不幸に見舞われ、ケチョンケチョンになっても、満足な一生だったと消滅を静かに受け入れられるのではないか と今のところは私は思います。

アダムとイヴ
  ・善悪の木から取って食べてはならない。→永遠の命。

ノア
  ・船を作って、指示したものをそこに入れ、共に生き延びなさい→生き延びさせる。

アブラハム
  ・私が示す地に行きなさい→大いなる国民にし、あなたを祝福し
   あなたの名を高める。
   あなたを祝福するものをわたしは祝福し、あなたを呪うものをわたしは呪う。
   地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。
  ・あなたの子孫はイサクによって伝えられる(ユダヤ教の祖?)
   イシュマルも...続きを読む

Q旧約聖書と新約聖書の違い。

 聖書には、旧約聖書と新約聖書の二つがありますが、
旧約と新約は、どう違うのでしょうか。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

はじめまして
旧約聖書はユダヤ教において、重んじられる教典です。また、ユダヤ教の
信者はイエス・キリストの出現を救い主として認めていません。ですから、
旧約聖書はイエス・キリストが出現するまでの、神との古い契約であると
キリスト教では教えられます。ということで、新約聖書はイエス・キリストが
出現し、十字架に架けられ、その後弟子たちによって広められた「神との
新しい契約です」
また、プロテスタントとカソリックでは多少、旧約聖書の取扱について
誤差がありますが、今日ではその溝はほとんどありません。
因に、キリスト教では旧約聖書と新約聖書の二つセットで聖書であると
しています。

Qキリスト教は矛盾していませんか

私は無宗教に近い、葬式仏教の日本人としてイスラム教とかキリスト教とかの宗教にも関心がないのですが、キリスト教が分かりません。
特別な神の子であるイエスが磔で死ぬのはおかしいし、処女懐妊もおかしい。 天地創造の神ヤーウェの力があれは 一瞬にキリストを創造し、無敵の生命力も持たすことができるだろうに、矛盾しています。精霊と神とキリストは一体だと三位一体説もあります。
普通に考えれば、ユダに裏切られたのも、他の弟子に3度知らないと言われたのも、信頼できない指導者であったとするのが自然です。 地域住民がローマ総督に訴えたのもアサハラのような人間であったと考えられます。 奇跡を行ったというのも、詐欺臭い。 復活したというのも騒乱罪で磔になったイエスが失神していて、4日後に意識が戻ったとするのが自然です。
なぜ大宗教になっているのでしょうか。

Aベストアンサー

大宗教になった理由は要するに、「ローマ帝国が国教にしたから」です。ヨーロッパ全土を支配する世界帝国が、キリスト教以外を禁じたのですから、信者が増えるのは当然です。

ではなぜローマ帝国がキリスト教を選んだかと言えば、「一神教だから」です。ローマ帝国は広大な領土をもっており、文化や宗教も多様です。これを1つの国としてまとめるには、土着の宗教を根こそぎ否定して、唯一神への信仰を押しつけるのが手っとり早いです。

一神教でありさえすれば、別にキリスト教でなくてもよかったのだろうと思います。
キリスト教が国教になる前、ローマ帝国は「ソル・インウィクトゥス」(不滅の太陽)という太陽神への信仰を広めようとしたことがあるそうです。太陽は1つしかありませんし、どこでも拝むことができますから、国をまとめる宗教として適当だと思われたのでしょう。ローマ帝国にとって重要なのは、政治に役立つかどうかであって、教義などの中身は二の次です。

ともあれ、それなりに信者が多くないと、ローマ帝国もキリスト教を選ばないでしょう。1~4世紀のローマ帝国で、キリスト教が普及したことには、いくつかの理由があるようです。

1.キリスト教は本来、いわゆる社会的弱者に対して共感的でした。これはどうやら、イエス本人の生前の教えによるものです。「貧しい人こそが救われる」など、社会の底辺で苦しい生活をしている人々に、受け入れられやすい教義をもっていました。そういう人ほど、一度信者になれば熱心に信仰しますから、布教には有利な特徴です。

2.キリスト教には、ややこしい戒律などはなく、簡単に信者になれました。大雑把に言えば、「あなたはイエスがいったん死ぬことで、人類の罪をあがなったことを信じますか?」「はい、信じます」だけでOKです(イエスの死後、パウロという人がつくった教義です)。日本でも鎌倉時代に、「南無阿弥陀仏と唱えさえすれば救われる」といった宗教が流行したことがありますが、あれと似たような感じですね。この手軽さも、広く受け入れられた理由でしょう。

3.これはやや否定的な側面ですが、キリスト教の教義では、「イエスの死と復活を信じない者は救われず、永遠に地獄で苦しむ」とされています。救われる(天国に行ける)方法を1つに限定することで、信者を脅している面があるわけです。いまでもカルト宗教などが同じ手を使うことからわかるように、藁にもすがるような心境の人を入信させるには、非常に有効な方法です。

4.ローマ帝国は特に2世紀から、キリスト教を弾圧していました。が、当時のキリスト教徒の多くは、もともと苦しい生活を強いられていたので、この世にあまり未練がありません。「殉教すれば天国に行ける」と信じていますから、なおさらです。苛酷な弾圧にも耐える人々の姿は感動的なので、「これは何か、すごい教えなのかもしれない」と思う人も出てきます。つまり皮肉なことに、弾圧がかえって信者を増やすというケースもありました。

大宗教になった理由は要するに、「ローマ帝国が国教にしたから」です。ヨーロッパ全土を支配する世界帝国が、キリスト教以外を禁じたのですから、信者が増えるのは当然です。

ではなぜローマ帝国がキリスト教を選んだかと言えば、「一神教だから」です。ローマ帝国は広大な領土をもっており、文化や宗教も多様です。これを1つの国としてまとめるには、土着の宗教を根こそぎ否定して、唯一神への信仰を押しつけるのが手っとり早いです。

一神教でありさえすれば、別にキリスト教でなくてもよかったのだろうと思い...続きを読む


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