よろしくお願いします。
実在の人物とはいえ、日本を統一した人物、戸かではない、ただのお坊さんなのに、アニメ化されたり子供用の絵本になったり、子供の頃皆が読んだことがあるとおもわれる一休さんについて質問です。


一休さんの話では、下記のものが有名だと思います・

・橋を渡るべからず
・屏風のトラをつかまえる

など、子供の頃はとんちを繰り返しやんちゃな姿が描かれています。

しかし、私が読んだ本では、最後の話として
大人になった一休さんが、ぼろぼろの姿で客先にいくと
追い返され、着替えていくと丁重なもてなしを受け、
最後には身なりで人を判断するような人物にはお経を唱えられない、
といって断るエピソードで絵本は終わってました。

子供と大人の話しかなくて、しかも到底同一人物とは思えない
成長振り。多分本当の話だと思うのですが
一休さんはいったいどのような成長をして
とんち少年からとても内省的な人間になったのでしょうか?
興味があります。

参考の本、URLなどありましたら教えてください。

よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

質問者さんが書かれている話はいずれも有名な一休とんち噺ですね。


それらは江戸時代に創作されたものだそうです。本当に一休さんのことなのか
他の僧侶等のことだったのかは分かりませんが、江戸時代に一休さんのこととして
まとまったのだそうです。歴史に残る一休宗純の逸話としては女色を行ったとか
骸骨を杖の先にさして歩いたとか、かなり変わったお坊さんだったらしいぐらいですね。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます。
なるほど、やはり変わった人だったのですね。ありがとうございました

お礼日時:2008/02/09 14:34

水上勉著『一休』なんてどうでしょう

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
早速読んでみます!

お礼日時:2008/02/09 14:34

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91

子供のころの話は、創作物です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
子供の頃のは創作で、変わった人だったのですね。
ありがとうございました

お礼日時:2008/02/09 14:33

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一休さんは何かに抗議していたように思うのですが、どなたかストーリーの詳細と結末を教えていただけないでしょうか。

Aベストアンサー

私も一休さんの中では、最も怖い印象があり、そのシーンは覚えています。しかし、詳細なストーリーまでは自信はありませんが、このようなストーリーだったかと思います。
将軍様がどこかの道を通るとかで、その周辺の家がみっともないので、住民たちに立退きを強制しました。その結果、安国寺にそこの住民が集まってきてしまい、食料の問題がでてきました。そこで、一休さんは、とんちで桔梗屋などの金持ちから米や野菜などをとって、それを安国寺まで持って行きましたが、女の人と子供を除いていなくなっていました。どうしたのかと尋ねると、侍が来て「戦を始める。メシを食いたいやつは来い」などと言って、大人の男たちは行ってしまいました。そこで、その理由を知った一休さんが、そのような行動をしたものだったと思います。
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でも、NO2さんの回答を読むと、将軍様がどこかの道を通るから立退きを、というのは勘違いかもしれません。将軍様は花見のためにも村を追い出そうとしていたこともあるわがままな人なので、そんな理由だと思ったのですが。

今、BSデジタル放送で一休さんを放送しています。その話は第9話です。今度、第8話をやるので、さ来週に多分放送されますので、見れるようだったら見て下さい。
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私も一休さんの中では、最も怖い印象があり、そのシーンは覚えています。しかし、詳細なストーリーまでは自信はありませんが、このようなストーリーだったかと思います。
将軍様がどこかの道を通るとかで、その周辺の家がみっともないので、住民たちに立退きを強制しました。その結果、安国寺にそこの住民が集まってきてしまい、食料の問題がでてきました。そこで、一休さんは、とんちで桔梗屋などの金持ちから米や野菜などをとって、それを安国寺まで持って行きましたが、女の人と子供を除いていなくなっていま...続きを読む

Qドラマ、一休さんで足利義満の質問です

先日、鈴木福の主演で一休さんが放送されました
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それに残念なのがOP曲が
♪とんちんかんちん一休さん♪では無く
♪証城寺の狸囃子♪の替え歌だったのが
消化不良でした

しかし、消化不良は別として
1つ不思議な設定だったのが
将軍様こと足利義満の住まいです

アニメでも、一般でも義満の住まいは金閣寺の筈ですが
ドラマでは京都御所が住まいの設定
これは、アニメで一休さんの声が担当だった
声優、藤田淑子氏のナレーションでもハッキリと
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そこで聞きたいんですが
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Aベストアンサー

コメントありがとうございます。
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http://p.tl/BrX1

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Aベストアンサー

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一休さんと共に桔梗屋の屋敷に招かれていた友人たちは、橋の看板を見「なぁんだ、前にもあったじゃないか。真ん中を渡ればいいんだよ」と余裕しゃくしゃく。
ところが一休さんは、物陰に隠れている桔梗屋と仲間たちの姿を見つけて狙いを見抜き、渡らずに帰ってしまい、桔梗屋は商人仲間に「話が違うじゃないか」などと責められる…と記憶しています。

肝心の3度目ですが、橋の看板に「この橋も真ん中も渡るべからず」という注意書きが…というものでした。
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Aベストアンサー

 以前の私の質問が一部参考になると思います。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2568715.html
 この中で識者の方に教えていただいた切支丹時代のイソップ物語は面白いです。今の話し言葉とは大分違いますが、意味は大体わかります。
http://www.geocities.co.jp/bookend/9563/Esopo/esopo/mocurocu.html
 あと狂言、浄瑠璃、歌舞伎などの台本が手に入れば、大体のことがわかるんじゃないでしょうか。
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もう一度観たくて動画を探しているのですが、なかなか見つからないので残念です><

CMのことは分かりません…ごめんなさい!

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/1935/saisyuu1.html

Q明智光秀はどんな人だったの?

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知っている方いたら、ぜひ教えてください。
例えば、疑りやすい性格だったから、信長を信じきれずに
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意外と知られていない情報があればすごく助かります。
できれば、その情報が載っている本やアドレスも教えてください。
よろしくお願いします

Aベストアンサー

人柄ということですので、ちょっとしたエピソードを紹介したいと思います。

光秀の奥さんは、煕子さんという人だったのですが、
実はこの煕子さんは、光秀の元にお嫁に来る前に疱瘡という病気にかかり
顔に醜い痕が残ってしまったそうです。

煕子さんの実家では、織田の重臣明智光秀の嫁になる人だ
醜い煕子でなく、親戚の子を煕子ということにして、
光秀の下に送ろうと決めました。

だけど、光秀は偽者である事をすぐに見抜いてしまいます。
そして、煕子の実家に使者を送りこう告げます。
「約束の煕子さんが、疱瘡にかかったと噂は聞いてます。
 ですが、何も気にしないで、どうかお嫁に来てください。」と

こうして煕子は、無事に光秀の元に嫁入りします。

しかも、光秀は側室を持たず、この煕子を生涯ただ一人の妻として愛します。

以上のエピソードから、光秀は大変潔癖な人物であり、
とても優しい人柄を持ち合わせた、戦国時代には珍しいタイプの人だったようです。

Qアニメの一休さんで

昔のアニメの一休さんで、
「びょうぶの中のトラをこの紐で捕まえろ!」
って言われてどうしたんでしたっけ?
教えてください。気になって気になって・・・・。
お願いします。

Aベストアンサー

「では(自分は待ち構えていますので)虎を屏風から追い出してください」と言ったはずです。

Q女郎屋ってどんなところだったの?

江戸時代に女郎屋というところがあったそうですが、どんなところだったのでしょうか?

飲み+セックスのところでしょうか?

今の物価に換算するといくらぐらい下埜でしょうか?

Aベストアンサー

#5さんのお話に便乗して、夜鷹話。
ちなみに、夜鷹というのは立君(いわゆる路上売春婦)のことです。
女郎屋というと、お店があって、…みたいな吉原のようなかんじになりますかね。
参考アドレスは現代のものですが、内装等を知りたければいくらか足しになるかもしれません。


夜鷹が食べに来るくらいの時間(夜)にやっていたことから
夜鷹そば、といわれた という節もありますね。

落語の「時そば」にもあるように、おそばはだいたい16文が相場だったようです。
で、
「客二ッつぶして夜鷹三ッ食い」
(夜の屋台の蕎麦が16文(=二八そば)で、夜鷹の花代が24文 な川柳。
 お客を二人とればおそばが三杯食べられたってことでしょうね)

落語の時代からわりだすとしたら、江戸後期として
一文=20円~30円くらいでしょうか…
25円くらいと見当をつけるひとがおおいのかな。
とすると、

おそば 400円
夜鷹  600円。

安…

ちなみに
金1両が4貫文だから、
25×4000で、10万円。

吉原の花魁が金一両一分だから、
125000円。

高…。

また、同じ吉原でも最下層の局女郎などになると、
1000円~2000円だったみたいです。
とにかくピンキリ。

参考URL:http://allabout.co.jp/travel/yado/closeup/CU20030419A/index.htm

#5さんのお話に便乗して、夜鷹話。
ちなみに、夜鷹というのは立君(いわゆる路上売春婦)のことです。
女郎屋というと、お店があって、…みたいな吉原のようなかんじになりますかね。
参考アドレスは現代のものですが、内装等を知りたければいくらか足しになるかもしれません。


夜鷹が食べに来るくらいの時間(夜)にやっていたことから
夜鷹そば、といわれた という節もありますね。

落語の「時そば」にもあるように、おそばはだいたい16文が相場だったようです。
で、
「客二ッつぶして夜鷹三ッ食...続きを読む


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