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死刑制度を肯定される方に質問です。
先進国の多くで廃止される死刑をあえて肯定する理由は何ですか?
冤罪があった場合取り返しがつかないと思いませんか?

A 回答 (36件中11~20件)

単純に価値観の差異によるものではないでしょうか。


先進国と言うよりもキリスト教国の価値観とそれ以外の国の価値観と考えれば、何ら問題はありません。

価値観の元となる人々の倫理観や道徳観はその国の民族・文化・宗教などが複雑に絡まりあって出来たものであり、国によって大きく異なります。
仮に死刑制度が人類普遍の倫理観によるものであるとするならば、宗教や民族の差異なく、法則性なく様々な国で死刑制度が廃止されているはずです。
しかし現状を見る限り、キリスト教国が9割以上を占め、ユダヤ教国のイスラエルやイスラム教のアラブ諸国や、仏教国においても死刑制度を廃絶した国は圧倒的な少数派となります。

つまり、死刑制度廃止と言うものに対して、現時点において人類における普遍的な価値観があるとは言い切れないものなのです。
少なくとも日本国内においては死刑制度を積極的・消極的に賛成する人が多数を占めるため、日本国内で見た場合に死刑制度の存続が望ましいと考えることは、特殊な倫理観の持ち主ではなく多数派となるのです。

冤罪に関しては完全に私的見解になりますが、名誉ある死を選ぶ権利が与えられるのであれば、冤罪も許されると思います。
国の秩序と治安の維持のためであればある程度は仕方ないものだと思い、しかし真犯人は別だと言うことを現して、自ら命を捨てます。
家族や親兄弟、国の為に死ぬのに比べると微妙なものがありますが、老衰よりは意義のある死に方かなと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。
これまでぜんぜん気づきませんでしたが知らず知らずのうちにキリスト教の影響を受けていたんですね。
わかりやすくありがとうございました。

お礼日時:2008/05/24 20:33

> あなたに身内に同じ事(冤罪)があっても死刑反対と言ってられますか?



ごく普通に「人を殺しては行けない」という倫理観を持っているまともな人間だったら、身内が被害者だったらますますもって、自分たちの「復讐」となりかねないことについて大きな間違いがあることを危惧するでしょう。

死刑判決が出たことについて本村洋さんは「この判決を受けて遺族の私たちがまっとうな生き方をしていくように心がけなければいけない」とおっしゃってました。一方で死刑判決を求めたのはなによりも「日本では最高刑が死刑であるから」と、「殺した人数などによって機械的に量刑が決められること」への不満である、とも明言しておいででしたね。

被害者の感情をご自分たちの意見の正当化に用いるのなら、まず被害者遺族たち自身の言葉にもう少し注意深く耳を傾けるべきでしょうね。本村洋さんはまた「死刑という残酷な判決を出すような社会」を変えなければいけないともおっしゃってましたし、彼の記者会見のニュアンスは「遺族にとって満足できる判決」だったのは単に「死刑」だったからではなく、むしろ判決理由の読み上げにとても丁寧に時間をかけて、弁護側の主張を丁寧に検証してひとつひとつ否定していったことを重視するものでしたし、あの弁護方針がなければ「死刑は回避されたかも知れない」とさえ言っていましたね。

犯人であっても人の命を奪うか否かの深刻な問題であるのに、あまりに安易な決めつけや倫理的に極めて身勝手な論調が飛び交っているのが大変に不気味ですが、そこまで安易に「他人の命を奪うこと」を肯定する人が、なにを持って殺人を「命をもって償う罪」であるとか断言できるのかが、非常に気になりますね。
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頭でっかちの評論家気取りの議論好きな人間がよく落ちいるパターンですね。


 
「レアケースを持ち出して自分の意見に反対するものを脅して自分の主張するものを押し通そうとする」典型的な評論家ですね。

このタイプの評論家は視野狭窄に陥っているので、自分の主張に沿った情報しか目に入りません。
また、こういう人達は自分の都合の良いルールだけは他人に適用しますが、自分に都合の悪いルールは勝手に破って平気な顔をしています。
すでに質問者はここのルールを破って「質問でない質問」を投稿しています。

そんな人間に全うな議論をする資格はありません。

まあ、そこには目をつぶるとして、考えてみたいと思います。

まず、完全無欠なものはこの世に存在しません。
したがって、死刑制度があろうがなかろうがマクロ的には影響がありません。
「完全無欠の完璧でなければいけない」という発想は「完全無欠の完璧なものが存在する」という前提でしか成り立ちません。
ここが質問者さんの最大の間違いです。

>先進国の多くで廃止される死刑をあえて肯定する理由は何ですか?
国民の意見が分かれている中、従来の制度である死刑制度を廃止する積極的な理由がないからです。意見が半分に分かれるのであれば従来の制度で充分です。
変える必要はありません。
国民の大多数の意見が変わった時に変えれば良いのです。

>冤罪があった場合取り返しがつかないと思いませんか?
逆に質問します。
冤罪というのが間違いで釈放された人間が殺人を犯したら、あなたはどう責任をとりますか?
実際にあった小野悦男事件のように。

また、死刑廃止にはなったが終身刑は創設されなかった場合で、殺人で無期懲役になった人間が保釈で出所してきて再度殺人を犯したら、死刑廃止論者のあなたは殺された被害者に対してどう責任をとりますか?
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#3です。


ここは議論の場ではないので何度も回答するのは良くないと承知していますがどうしても気になるので書かせて頂きます。

死刑制度に反対されている方が冤罪の件を何度も持ち出されていますが、「冤罪の可能性があるから死刑制度を廃止すべき」という考えは何度読み返しても納得できません。
冤罪はあってはならないことです。それは死刑に限ったことではないはずです。どんな小さな罪であっても、やってもいない罪を着せられた人は精神的にも社会的にも大変大きな傷を負います。なぜ死刑制度にのみ冤罪を持ち出すのでしょう? 冤罪の可能性を考えるなら死刑を含む全ての刑罰を廃止すべきという理屈になると思うのですが。それならば納得できます。賛成はできませんが。
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>先進国の多くで廃止される死刑をあえて肯定する理由は何ですか?



廃止する理由がないから。

>冤罪があった場合取り返しがつかないと思いませんか?

終身刑や懲役刑、場合によっては罰金でも取り返しはつかないんだけど?そのへんはどうなの?
別の死刑反対理由をどっかから拾ってきて反体制アジテーションするの?
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殺すより、同じ目にあわせることがいいかと思いますが、


家族を殺されたから、かわりにあんたの家族を同じ方法で殺す、のでは、
やっぱり家族が気の毒だし、じゃあ、自分の命で償うしかないね、ということではないでしょうか。できれば同じ目にあわせて、この手で殺したい、ところを、反省する時間を与えられ、被害者の知らないところできれいに死ねるのですから、なんら文句はないはずです。自分のやったことを思い出してみろ、ということです。

被害者にとって、「冤罪の可能性」なんて、全く死刑廃止にはつながらないでしょう。
それとこれとは話が別です。
本当の犯人に、どういう罰を与えるのが適当か、という考え方が必要でしょう。

こんな精神論的な内容まで、なんで他国に追随せなならんの?
そんな論理意味わからん。
日本のことは日本で決めるんでしょう。
今、日本は日本(自分)で決められてないけど、それこそ問題やと思うし、自分らの判断にもっと自信持つべき。
よそがこうやから、というのはこの件に関しては関係ない気がする。
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no10です。



あなたに身内に同じ事(冤罪)があっても死刑賛成と言ってられますか?
すいません
あなたに身内に同じ事(冤罪)があっても死刑反対と言ってられますか?
の間違いです訂正致します。
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死刑制度肯定ではありませんが、よろしいでしょうか?


>先進国の多くで廃止される死刑をあえて肯定する理由は何?
国民性が残虐だからです。
死刑廃止は人類の理想です。
死刑など行わずに如何に犯罪を減らすかを模索出来てこそ、人間が叡智を持つと云われる所以です。
その理想を追求も試みもせずに、「目には目を歯には歯を」と叫ぶのは「同害復讐」の原則を常識とした古代から人類として全く進歩を放棄しているということです。
しかし、世界の趨勢は死刑廃止です。
トルコのEU入りも死刑廃止が前提とか言われています。
今や、死刑存置は先進国では日本とアメリカの一部だけになりました。
その理由は冤罪だとか何だとかいう理由ではなく、すべてアメリカに追従している日本ですから、これもそういう理由かも知れません。
裁判員制度も追従で取り入れたんですから、死刑廃止もアメリカ次第、時間の問題ではないでしょうか?
それにしても、付和雷同、自分の意見を持たない人間に裁判員制度で裁かれるのは何とも恐ろしい。
何時、電車の中で痴漢に仕立てられるか分からないような今の時代、犯罪者となる可能性は誰にでもあるのですからね。
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 何回も申し訳ありません。

ネチケットに反する行為はできるだけ慎みたいと思います。質問者様の返答に気になる部分があったので。

>絶対に犯人である証明ができますか?
>彼らが間違いなく犯人である証拠って何ですか?
>疑いをかけた側が立証するのが筋です。
 その証拠の正当性を審議し、判断を行うのが裁判所です。
>無い証拠を要求するのは悪魔の証明の要求です。
 無い証拠なんて日本の裁判所は要求しません。冤罪を主張する側は冤罪と考えうる証拠が「ある」ことを証明するのが義務ですよね。悪魔の証明とは違いますよ。
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死刑制度云々する前に、抜け落ちてる議論があります。


それは、「終身刑」導入の議論です。

日本は死刑を除くと、最高刑は「無期懲役」です。
これは、期限を設定しないだけで社会復帰の可能性が残されています。(平均27年で出てこられます。まぁ保護観察は付きますけど)
一方、「(絶対)終身刑」は基本的には一生刑務所暮らしで社会復帰の可能性はありません。(模範囚であれば、出てこられる可能性もありますが、かなり厳しいです)
死刑を廃止している国の殆どは、最高刑が「終身刑」です。

※余談ですけど、一度『ショーシャンクの空に』という映画を観てみる(あるいは、原作『刑務所のリタ・ヘイワース』読んでみる)事をお薦めします。
冤罪とは何か、終身刑とは何かが分ります。まぁ、もちろんフィクションなので現実を完璧に反映しているとは言えませんが。

日本は、この「終身刑」の是非をすっ飛ばして一気に死刑の是非の議論に飛んでいます。
まぁ、「人権思想」も「法の精神」も「民主主義」も所詮は西洋からの借り物の域を出ていないことの証明だと個人的には思いますけどね。
因みに、西洋での死刑廃止論議は(近代に限っただけでも)200年以上の議論の積み重ねがあります。(それが進んでるかどうかは、価値観の問題でしょうけど)
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