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死刑制度を肯定される方に質問です。
先進国の多くで廃止される死刑をあえて肯定する理由は何ですか?
冤罪があった場合取り返しがつかないと思いませんか?

A 回答 (36件中31~36件)

>先進国の多くで廃止される死刑をあえて肯定する理由は何ですか?



西洋人とはメンタリティが違うので、相容れないので
先進国どうこうはあまり関係ありません。


>冤罪があった場合取り返しがつかないと思いませんか?

ごもっとも。

もっとも、東京裁判なんて全然関係ないですけど。

死刑執行を被害者遺族が執行する権利を有する。なんてのが
国民感情的にはマッチするような気がするのは私だけかな。
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私は肯定します。



>先進国の多くで廃止される死刑をあえて肯定する理由は何ですか?
 「先進国の多く云々」は是非を考える際に考慮すべき点ではあるとしても、本質的な論点ではないですよね。「先進国の多くが所有している核兵器を日本がなぜ持たないのか?」「先進国の多くが実施している海外での軍事活動を日本がなぜしないのか?」「先進国の多くが食べない鯨をなぜ日本は食べるのか?」・・・いろいろありますが「そりゃあ日本と他の国では事情が異なる場合もあるでしょう」と言いたくなるケースは存在するでしょう?

肯定の理由は以下のとおりです。
1)社会的合意を得られるだけの十分な理由があれば、人が人を殺すことは許容されるから。(欧米でも戦争中の殺人や正当防衛による殺人は罰せられません。テロリストに対してはその場で射殺することに何の躊躇もしません。社会もそれを許しています。シャルルドゴール空港やヒースロー空港の中を歩いてごらんなさい。テロリスト対策のために機関銃で武装した兵士がそこかしこに立ちはだかっていますよ。こんな状況を見ると、欧米(特に欧州)は日本以上に建前と本音の差が激しい社会だと思います。)

2)日本は「死を持って償う」と言う文化があるから。
是非はともかく、この文化は確実に存在すると思います。私はこの文化が好きです。なぜなら「死をもって償うことが許される」から。本当は罪は死をもってしても償えないものなのですが、麻雀の満貫制度と同様、償うための罰を青天井にしないで、「死ぬのなら許す」ことにしているわけです。下の方の回答にもありますが、ある意味人道的な処置だと思います。逆に死んでしまったら、もう恨み言は言わないで水に流す。被害を受けた人もそれで心に一区切りをつけて人生を再出発させる。それでいいじゃないですか。(しかし世界的には、「死ぬことと許すこととは別」という文化の方が多いことは承知しています。個人的にはそちらの方が、ある意味厳しい社会だと思います。)

>冤罪があった場合取り返しがつかないと思いませんか?
はい、それは同感です。死刑を執行する場合は冤罪の可能性はゼロであること(例えば本人が罪を認めていること)が必要だと思います。最近の例では「毒入りカレー事件」については私は死刑判決に反対の立場です。あれは冤罪の可能性が正しくゼロであるとは断言できないと思っています。しかしながら、光市の事件や付属池田小の事件に対しては死刑判決に何の違和感も感じません。
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ちょっと質問のご趣旨には反しますが、



死刑制度は国家がその主権者の名に於いて「望ましくない」人間を殺すことです。で、国民主権である以上私も主権者の一人ですから、死刑が執行されるたびに私自身が全国民を共犯としてその人を殺していることになります。

それが「正義」だと言われても、私にはそこまで絶対的な「正義」を主張する資格が自分にあるとは、ちっとも思えませんし、他人様を「殺されてもいい極悪人」と決めつけること自体、すでにそう主張して殺人を犯す極悪人の私自身が倫理的に同レベルになってしまいます。

実際問題として日本で死刑判決が出るには「殺人」以上の重罪でなければなりませんが、殺人を罪として罰する倫理的基準は、要するに「人の命を奪う資格なんて誰にもない」ということです。それならばその資格なぞ私(たち)にもないと考えないと、ダブルスタンダードになってまことに気持ちが悪いですね。

自分(たち)は人を殺してもいいくらい正しいんだ、と思える傲慢な人はどうぞ死刑に賛成して下さい。しかし私をそこに巻き込まれるのはいささか不快です。私はどう考えても自分がそんなに「正しい」とは思えないので。

> 冤罪があった場合取り返しがつかないと思いませんか?

まして私(たち)が極悪人だと決めついておいて、後で「間違いでした」と分かったときに、どういういいわけがあり得るのか自体、私には思いつきません。
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何ら、酌量の余地もなく、自らの欲望のために何の落ち度もない人を残虐に殺した極悪人には生きる資格などないと思います。


自分の愛する家族や友人がその被害者になったら到底許すことはできないでしょう。加害者が刑務所に入れば大切な人を奪われた上に、自分の払った税金で加害者を養うことになります。そんな馬鹿な話があるでしょうか。

先進国の多くで死刑制度が廃止されているから日本でも廃止した方が良いという考えは納得いきません。「よそがやっているからうちも」みたいに受け取れます。そんな単純な問題ではないと思います。

冤罪は許されることではありません。そのために自白にたよらず、十分な捜査の上、客観的な証拠を積み上げて犯人を特定するべきです。でもそれは死刑制度の話とはまた別の話ではないでしょうか。たとえ死刑にならず、懲役刑であっても冤罪は人の人生を無茶苦茶にしてしまう取り返しのつかないことですし。

私の考えは感情論だと笑われるかもしれません。でも、凶悪な犯罪で何の罪もない人が残虐に殺され、その悲しみを一生背負う遺族を見るととても死刑廃止などとは言えません。
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死刑により罪人の精神が救われる場合もあるそうです。


ある死刑囚は、真に反省し、静かな精神状態の中、死刑を受けたそうです。
もし、死刑でなく、無期懲役であったなら、この受刑者はそのような境地には立っていなかっただろうと、その受刑者を実際に見た人が語っていました。

罪にはその罪に値するだけの罰が必要だと思います。そして、死刑には、「余計な欲」を剥ぎ取り、自分の罪状を率直に認めさせる力があるのではないでしょうか。


先進国の多くで死刑を廃止しているということですが、周囲の国がしているという理由だけでは、流行を追うようで納得できません。
周囲の国が死刑を廃止しているのにはそれなりの訳があるのでしょうが、例えばそれがキリスト教思想が根底にあるのなら、日本としては受け入れるのが難しいですよね。
私も、なぜ他の国が死刑を廃止しているのか、その「本当の理由」が知りたいです。

冤罪については、起こしてはいけないことであり、たとえ刑が軽かったとしても、許されるものではありません。
よって、冤罪があるから死刑はいけないという理屈は恐ろしいものです。刑が軽いものなら冤罪でも仕方が無いという発想になってしまいます。

冤罪については、絶対に防がなくてはいけません。しかし、現実には冤罪もありますので、罪を認めていない場合は、何度でも裁判を行うという制度も必要かと思います。

死刑囚の再審請求などは積極的に認めるべきだと思います。
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まず、私は積極的に死刑賛成派です。




>先進国の多くで廃止される死刑をあえて肯定する理由は何ですか?

アメリカでは死刑廃止の州もありますが、凶悪犯はその場で射殺しても問題なしですね。
これなんか、裁判抜きの死刑と言えるでしょう。

欧州の場合は、魔女狩りと言った歴史もありますし死刑反対論は多いですね。


>冤罪があった場合取り返しがつかないと思いませんか?

冤罪かも知れないから慎重に審理しよう、あるいは無罪判決やむなしと言う考えは同意できます。
しかし、だからといって死刑廃止という意見には反対です。
世の中には、命を持って罪を償わなくてはならない人間は少なからずいます。


死刑廃止論を嗤う
http://f26.aaa.livedoor.jp/~nanase/hitori/ht010. …
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