A 回答 (4件)
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No.4
- 回答日時:
「夏目漱石」の研究を調べてみてください。
大学の集中講義で、「主体性」について、たくさんの論文、評論を読んだことがありました。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2007/radio …
日本人の精神風土、などをご参考にしてください。
「アイデンティテイ」
加藤周一「雑種文化・・日本の小さな希望」
など、戦後すぐの、「主体性」論争など。
No.3
- 回答日時:
不完全に出来ている私たちは、つい自分を中心に考えてしまう未熟さがあります。
自分を外から眺めて、贔屓目なしに客観的に判断するのは難しいようです。そんな我々が、誰かから「近代的自我」などという甘い言葉で、自分たちは我々の先人達より進歩しているのだと聞かされると、ついその気になってしまうのは、悲しいけど大いにあり得ることです。果たして近代人の「自我」に対する認識が、例えば、信長や秀吉に代表される戦国時代の野心の強い多くの武士たちと比べて、より深いレベルに到達しているのかと言うことを、私はあまり自信を持って主張することが出来ません。
プルタークの中にあるアレキサンダー大王の逸話ですが、ある弁論家が、マケドニアの民衆の前でマケドニア人の偉大さを讃える演説をして大喝采を博し、偉大な演説家として皆から讃えられたとき「マケドニア人に向かってあなた方は偉大であるという演説をして讃えられたからと言って、彼が偉大な演説家だという判断を下すわけには行かない」と言ったそうです。そんな演説家は、1960年代に「都市の論理」という本を書いて若者に向かって、「若者達よ立て」とアジって大喝采を得た羽仁五郎のようなものです。そんなことを書けば、論理の是非に及ばず若者達に大喝采を受けるのは当たり前なことでしょう。
近代人の読者に向かって、その読者をくすぐるような「近代的自我」などと言う甘い言葉を使ったからと言って、その概念がはたして意味があるかどうかの判断を簡単に下すわけには行かないと思います。一塊の百姓のせがれの秀吉がほんの一例のように、信長スクールに全国から野心がある若者達が集まってきた事実を考えると、中世のこの若者達にも、近代人にも勝るとも劣らない「自我」が在ったとも考えられますが、如何なものでしょうか。
No.2
- 回答日時:
全くの素人の空想ですが、近代的自我というのは自分の肉体を含めて物質的基盤に支えられている自分という概念ではないかと思います。
物質の根源に神を見ないために逆説ですが、自分の存在の根拠が却って見出しにくくなっているとも言えるように思います。No.1
- 回答日時:
僕が理解しているところを書いてみます。
時代のうつりかわりは、[古代]→[中世]→[近代]と移りかわっていきました。([中世]と[近代]の間に、[近世]みたいなものを入れる時もあるでしょうが)
中世は、人々は、個人として独立していなかったです。ムラとか、同業者の組合みたいなものの中に埋もれていて、個を主張するという発想がなかった。そういうメンバーの中にいて、喧嘩とか競争はあったでしょうが、その母体を離れて、一人で生きていくような環境もなかったし、そういう発想も薄かったでしょう。
それが、近代に入ってから、自我は急速に肥大化しました。個人が、故郷を離れ、一人で異国の地に住むことも簡単になりました。個人の権利は幅広く認められ、保護されるようになり、個人もそれを謳歌し、共同体や組織に縛られることなく、個を主張するようになりました。そうすると、自分独自の考え方を持つようになるし、自分は他の人間とは違うんだ、という意識を、昔だったら考えられないほど強く持つようになります。自意識は、「このムラのメンバーの一人」ではなく、「このかけがえのない自分」という感じになります。
この、「自我」という言葉、わかったようなわからないような言葉ですが、僕がこの言葉の意味が分るようになったのは、海外に滞在して、30歳ぐらいに帰国した後、いろんな本を読んでいて、初めてピンとくる言葉になりました。
だからもし質問者様が、若い学生の方だったら、「近代的自我」という前に、「自我」という言葉がピンとこない可能性があると思います。
その場合、こんな感じでイメージしたらいいと思います。
小さい子供は、精神的に親から独立していませんね。それが、十代になってくると、自分のあり方と親との距離が開いてきて、「自分と親とは別の生き方をする別の人間だ」という意識が出てくると思います。
それと同様に、もし質問者様が、何かへの所属意識が強く、それなしの自分をイメージすることが難しいぐらいだとします。それは、学校のクラスでも、所属するクラブでも、家族でも、住んでいる場所でも、他の活動でも、なんでも構いません。でも、子供が親から独立していくように、そういう所属元を離れて自分だけで生きていくことをイメージしたら、それが近代人のあり方に近いかもしれません。
よく文学の解説で出て来る言葉ですね。たとえば芥川の短編が、中世を題材にしながら、登場人物は近代的自我を持っている、みたいな。
たぶん、中世の人は、自分の生き方はこうあるべき、みたな抽象的なことは、近代人みたいに考えなかったと思います。少なくとも、日常的に、ごく普通には考えなかったと思います。生き方の制約がどうしてもあったでしょうから。その限られた制約の中で、「この田んぼは自分のものだから誰にも荒らされないようにしなくては」とか、どうしても具体的な興味が中心になると思います。今のように抽象的に「人間の自由とは」とか「人間の可能性とは」とか、考えなかったと思います。
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