電子書籍の厳選無料作品が豊富!

Q1 正座をして業を刈るという話しを聞いた事がありますか?Q1は はいかいいえでお答え下さい。

Q2 正座をして業が刈れるとするなら将来報いを受ける筈であった苦が軽減される或いは消滅してしまうのでしようか?

Q3 諸外国ではどのように業を刈っているのでしようか?

カテ違いならごめんなさい
ご回答宜しくお願いがいします

A 回答 (2件)

1です。



正座 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%BA%A7
正座とは、元々、神道での神、仏教で仏を拝む場合や、征夷大将軍にひれ伏す場合にのみとられた姿勢であった。
正座をすることは、いくつかの伝統的な日本の茶道、日本舞踊、武道など芸道では必須の作法である。洋式家屋の一般となった現代では必ずしも必要ではないにもかかわらず、正座は日本人の伝統的な座り方として受け継がれている。
正座で座る場所は、畳の上以外にも、カーペットの上、あるいは板の間の上など場所は問われない。それらの硬い床の上で正座するときは、座布団が敷かれる場合が多い。
あぐらをかいて座ることは作法として正しい座り方ではなく、くだけた座り方とされ、公式の場では不適当であるとされている。しかしお年寄りなど正座が難しい場合は許容される場合が多い。

私の実家も書や雅楽の先生してましたから
少し前の世代で日本家屋に生まれていたら
足を正して座るのも作法として習っていると思いますが。
足を崩す=行儀が悪い
洋式家屋が普及する前は正座は伝統的でポピュラーな座り方です。
・・・で業が刈れるのなら、少し前の年代のほとんどの日本人が刈れることになりますが。
そもそも正座が苦行じゃありませんしね。
自らに苦を与えることをしても、他人に与えた苦を解消できませんよ。

苦行 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6%E8%A1%8C
苦行とは、身体を痛めつける事によって自らの精神を高めようとする宗教的行為。開祖釈迦本人は出家した後、断食などを伴う激しい苦行を積んだが、苦行はいたずらに心身消耗するのみで求めていたものは得られぬと説いたという。

業は善因善果・悪因悪果・自因自果ですから。
仏教では輪廻は苦であるとし、生前の業に応じて迷いの世界である六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道)に生まれ変わります。仏教ではこの六道輪廻から解脱・成仏して仏界に致ることを目的としています

人間の行為(業)は刹那的に終結してしまうものではなく、常に因縁果と相続してゆくものであり、すべてが全く自己責任の中に果たされねばならないことであるというのが業説ですから。
仮に敗種を業を刈ると表現するなら、
種子を大地におろしたとしても、条件次第で種子は敗種となってしまう。この点、因果応報は明らかであっても、その応報は因の働きをなさしめる条件次第であるといわねぱならない。仏教はこのように縁を強調することによって、人間の現実を生きる姿勢を正すべきことを教えるものである。良因・良縁のととのった時に良果がえられるので、良因のみで良縁がないならば、良因もその働きを完了することができなく、ついに敗種となる。といっても悪因はたとい条件がよくても、良果とはならないのはいうまでもないが、悪因も良因とともに条件次第で、それを敗種たらしめることが可能であることは注意すべきである。
因果論的立場からでは
悪因を敗種とするには縁(間接的な原因)としていますが
正座ごときで業が刈れるとか、そんな都合のいい話は聞いたことがないです。そもそも○○すれば業が刈れるとすることすら眉唾ものですね。
そんな簡単に業が断ち切れるものではないと思っています。
それも業をどう解釈するかですが・・・。

因縁 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E7%B8%81
一部の新宗教や霊能者による因縁は、本人や先祖・土地・所属する組織などの長年にわたって蓄積された「業」に由来する影の部分、つまり悪業や悪因縁といった悪い事象の一面だけを指したり、強調する場合がある。
この悪因縁が数々の事件・事故・病気などの原因とされ、そして悪因縁は切るべきもの、とされることもある。それを指摘した教団または霊能者などの指導を受けながら、浄霊・祈祷・修行を受け続けることや、徳を積むことによって切れる、とされる場合もある。これらから、因縁は心霊的・オカルト的に拡大解釈され、反社会的な教団や霊能者と自称する人物に、都合よく利用されることも往々にして多い。

「業を刈る」で検索するとオウム関連が出てきましたが
【ザ】元オウム真理教の信者です
http://life.bbs.thebbs.jp/1205591807/
【ザ】業を刈る
http://life.bbs.thebbs.jp/1204809261/

さてどんなものでしょうか。
いろいろ判断するのはご自身次第ですから。
私は業は付いてまわるものと思っていますから
刈れるという認識はないです。
ご参考までに。
    • good
    • 0

Q1


ないです。

Q2
業 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD
仏教の基本的概念のひとつ。サンスクリット "karman" の訳。本来は行為の意味。因果思想と結合し、業はその善悪に応じて果報を与え、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、代々伝えられると考えられた。

正座が善業であるかという点。悪業を離れ、善業を努めることが大事というのは理解できますが、死によっても失われないものなのに、正座に悪業を刈るほどの免罪符になりえるかは疑問ですね。
別に難しく考えなくてもね。例えば口業の一つである悪口を言ってしまったら、その業はどうやったら軽減される或いは消滅されるか?論理的に考えても少なくとも正座じゃないことは確かですね。せいぜい内省するぐらいじゃないですか。
仮に座禅しても自我の迷いからは解き放たれるかもしれませんが、
業は行為ですから、それに対する応報は付きまとってくると思います。

Q3
諸外国は宗教が違いますから。贖罪じゃないですかね。

と思います。

この回答への補足

少し解釈が違う様なので捕捉させて下さい。
正座とは足が痺れて苦の状態になりますね?
自身から苦になる事によって過去他人を苦にしてしまった分解消しようとする試み(らしいです私は詳しくは知りません)

補足日時:2008/07/11 16:05
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!