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ヨーロッパでは、ギリシャ時代に育まれた知識が一時失われました。ルネサンス時代にようやくアラビアに流出していたかつての知識をアラビア語からラテン語に翻訳することでようやく再び手に入れました。ヨーロッパがギリシアの知を忘れてしまったわけをわかりやすく教えてください。

後、よろしければ、参考資料もあれば教えてください。

A 回答 (5件)

>ヨーロッパでは、ギリシャ時代に育まれた知識が一時失われました。



これは、ヨーロッパでも西方の特徴です。
だいたい、西ローマに符合する地域です。
一方、東ヨーロッパ(東ローマ)では失われずに続いています。
ただし、後にアラブ・イスラム圏に吸収されていくことになりますが。
そして、それを輸入したのがイタリア・ルネサンスです。

>ヨーロッパがギリシアの知を忘れてしまったわけをわかりやすく教えてください。

簡単に、主な理由は二つです。
一つはキリスト教思想で、なかでもローマ教皇を中心としたカトリシズムです。
西方では、世俗権力と宗教権力が二分されていき、宗教権力を強化する意味でも明確な思想を示し、相容れない思想は抹殺する必要がありました。

もう一つは、蛮族の進入が相次いだためです。
彼らは、哲学にも宗教にもあまり関心を示しません。
彼らは、食や金銀に興味があり、荒らし回りました。
そんな時代に哲学なんてやってても、糞の役にもたちゃしませんでした。
よって、廃れていきます。
ただし、蛮族は支配を円滑にするために教皇を利用していきます。
よって、思想もカトリックが推し進めるモノに偏りがちとなっていきます。

一方、東ローマが存続した当方では、積極的な議論が続いていました。
また、ギリシア正教をはじめとした正教勢力は、積極的に古代の知識・哲学をキリスト教と整合性を保とうと活発な議論が行われていました。
ただし、議論のための議論となる場合も多いようです。
その後、イスラム勢力に支配されていくなかで、アラビアやより東方の知識が加わっていきます。

>後、よろしければ、参考資料もあれば教えてください。

以下は、私がこれらの知識を汲み取った本です。

『ヴェネツィア―東西ヨーロッパのかなめ、1081‐1797 』(岩波書店)
W.H. マクニール (著), 清水 広一郎 (翻訳)

『ギリシア文化史』 (ちくま学芸文庫)
ヤーコプ ブルクハルト (著), Jacob Burckhardt (原著), 新井 靖一 (翻訳)

『コンスタンティヌス大帝の時代―衰微する古典世界からキリスト教中世へ 』(筑摩書房)
ヤーコプ ブルクハルト (著), Jacob Burckhardt (原著), 新井 靖一 (翻訳)

『ルネサンスとは何であったのか』(新潮社)
塩野七生(著)

『ビザンツ帝国の政治的イデオロギー』 (東海大学出版会)
エレーヌ アルヴェレール (著), 尚樹 啓太郎 (翻訳)
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これは私が学生の頃に習った先生の学説ですので、多少世間とは異なると思いますが・・・。


そもそも今のヨーロッパ文明はギリシャ・ローマの文明を直接受け継いだわけではない、そう思うのは西洋人の「考え」に毒されており、まずそういう先入観を除いてくださいというのが先生の学説でした。
ギリシャの文化・文明はローマ帝国に受け継がれましたが、ローマが支配したのは地中海世界です。19世紀頃に列強と言われた西洋諸国は、この範囲外でゴール人とかゲルマン人とか野蛮人と見られていました。西ローマ帝国が滅亡した折、この文明を受け継いだのは東ローマ帝国とイスラム帝国でした。前記の「野蛮人」達は、カネと奴隷を得るとそれに満足してしまい、知識まで得ようとはしなかった・・。とは言え、そういう野蛮だった「ヨーロッパ人」も進歩します。ある程度進歩した段階で先進地域だったイスラムやビザンチンの知識を学んでいって栄えた、というのが先生の学説でした。

私が子供の頃に読んだ百科事典でもイスラムは古代の知識を保存しヨーロッパに伝える役割を果たした、とありました。今から思うとそれはあんまりで、当時のイスラムの人たちは自分達のために知識を吸収し、活用したに過ぎません。講義を聴いていた折は、先生の仰る通り成る程自分はギリシャ・ローマ=ヨーロッパ文明の源という先入観に毒されすぎていたという気がしました。文字こそ同一ですが、今のヨーロッパの直接の起源はギリシャ・ローマ文明の範囲外にあったのでしょう。文明国をいったん滅ぼしてしまったのですから、歴史は暗黒の中世に陥るわけです。
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13世紀 スコラ哲学のトマスアクィナスは アリストテレスを取り入れて神学大全を作り上げます。


その背景となったのが12世紀から13世紀に活躍したトレドの翻訳家グループ。
という意味で、ルネサンス時代にヨーロッパにもたらされたものではありません。
※ 12世紀ルネサンスという概念もありますが。

トレドの翻訳家グループが活躍できた背景は、簡単に言うと「そこに 書籍があったから」ということになります。
なんで、書籍があったか?というと、冨が蓄積されていたからとなります。食うや食わずでは、書籍を集めるというような、すぐに食えないことはしません。
一言で言えば

貧乏で本なんか集める暇がなかったんですよ ヨーロッパには。
ということになります。

だいたい、安定した巨大な政権ができないと、図書館作りというのは起きません。ティムール朝なんかもティムール自体は何ですが、息子で三代目のシャールフなんかは、本人も文人で知識の集積をしています。
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 ヨーロッパ、と一言でおっしゃいますが、ヨーロッパ全体がギリシャ、


ローマの子孫なわけではありませんよね。確かに、ローマ時代には現在
ヨーロッパとされている部分の多くがローマの支配下に入ったわけですか
ら、ギリシャ、ローマ文化はヨーロッパ文化の源流の1つではあるわけです
が、むしろ異民族だから征服されたわけで。
 その他にも、イスラム勢力やアジアの勢力の影響を受けますし、ヨー
ロッパ自体、多くの民族が争い続けた地域ですから、比較的少数の民族が
支配し続けた中国や朝鮮や日本と違って不連続になりやすい要素はあった
と思います。
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アリストテレス哲学などが代表でしょうが、キリスト教の考えと相容れないものは捨てられたということでしょう。

ギリシャ・ロ-マ時代の偉大な知識を捨て去ったために(他にも原因があるにしても)ルネサンス時代になるまでヨ-ロッパは世界史的に見ると、大いなる後進国ですから。
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