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二・二六事件に関係した香椎浩平という人物を調べているのですが、ネットや日本辞典や教科書等ではあまりよく分からないので質問します。
Wikipediaによれば
「1936年(昭和11年)二・二六事件が発生すると、翌日の2月27日戒厳司令官に任ぜられ、事態収拾に乗り出すが実は香椎自身が反乱部隊と通じていた。 そのため7月10日に予備役に編入された。」とあります。
 そもそも予備役ってなんですか?予備役に編入されることっていうのは軍人のキャリアとしてはマイナスなんですか?在郷軍人とかって説明があるものもあったりして、よく分かりませんでした。簡単に言うなれば何でしょうか?司令官のような重責にあった人物が、反乱部隊と通じていたともなると極刑ものだと思われるのですが、なぜ予備役という奴ですんだんでしょうか?
 それから「通じていた」というのは、いわゆる「スパイ」的な感じなんでしょうか?
 昭和の軍部の様子とかにかなり疎いので、詳細よりは簡単に教えていただけたら幸いです。

A 回答 (2件)

まず予備役ですが。


軍隊に入っている人が「現役」、これが終わると一定期間「予備役」に編入されます。戦争となるとまず現役が出動、これで人員が不足であれば予備役も出ます。戦前の日本では現役と予備役を合わせて「常備兵」と呼んでおり、「兵力○人」というのは現役と予備役を合計した人数です。
さらに予備役の期間を終了すると「後備役」に編入されます。ここで一定期間過ぎれば免役となるわけです。
予備役、後備役は在郷軍人と呼ばれ、一般の市中で農業やサラリーマンなどで生活しますが、防空演習を指導したり軍事教育などにもあたりました。
予備役の終了には停年がありました。その年齢は階級によって異なり(少尉は45歳、少将は58歳など)、生涯軍人で暮らすには出世せねばならず、若いのに後備役になるということは出世できない(能無し)ということです。

ご存知と思いますが、二二六事件は陸軍皇道派の一部が起こしたものです。皇道派のリーダーと目されていたのが真崎甚三郎と荒木貞夫で、この二人は事件の黒幕といわれています。香椎は荒木直系の子分ですから、当然のことながら反乱軍には同情的でした。
彼らは皇道派という団体で何かをするというより、各人の役職の範囲内で自派に有利な方向に事を運んでいたようです。例えば皇道派の人物を東京に集め、反対派である統制派は遠隔地に異動させるといった具合です。
香椎は荒木らと連絡はとりあっていたと思いますが、もしなくても自派に有利な行動はやったでしょう。実際にも鎮圧軍の出動を遅らせたので後備役になっています。事件後関係者への懲罰が軽かったのもこういう派閥的な背景があったのです。
軍の指導者が反乱軍に同情的だった--これがこの事件のキーポイントであり、「もうひとつの二二六事件」だったと小生は考えています。
以上、愚輩の認識であり、別の解釈もあるかと思います。文献はたくさん出ていますから短いものでも是非読んでください。オススメは「昭和史発掘」全13巻(松本清張)。全編に陸軍にまつわる不可思議な事件が網羅されています。後半部分が二二六関係。
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この回答へのお礼

おそくなりましたが、ありがとうございました。
大変勉強になりました。
高校の教科書等には反乱を起こした背景等も弱く
いまいちよく分からない事件だったので勉強している所でした。

お礼日時:2008/08/24 19:07

予備役は軍人にとっては「クビ」に近いものです。

普通は定年になると予備役となり退職しますが、香椎中将の場合は定年前にクビになったようなものです。

予備役になると軍のポストにつくことができず、作戦にかかわれません。太平洋戦争中に首相となった小磯国昭は階級の上では陸軍大将でしたが、首相になったときには既に予備役で、この為大本営のメンバーになれず戦況も殆ど知らされていませんでした。

 しかし、予備役でも軍のポストにつく場合があります。これは召集を受けた時で、太平洋戦争末期に多くあります。この場合は召集を受けた予備役軍人であって現役ではありません。

将校の身分(階級)は終身のもので生涯有効で、将校の身分を剥奪される場合は犯罪をした時などで、二・二六事件の反乱将校達は「免官」という処分がありました。
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この回答へのお礼

予備役というものが
どういうものであるかが理解できなかった所があるので
とてもためになりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/24 19:08

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