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人間の生殖において、例外はあると思いますが、標準的には「よし、生殖しよう!」という”意思”力でもって完成することはないと思われます。生殖という概念を離れ、肉欲を満足したいという本能に従った結果、それが訪れるということでしょう。
これがもし、夫婦(未婚でもよい)が、特に女性の力で受精の日を特定でき(何月何日何時ごろ受精したと認識できる)”意志”があって始めて妊娠するということだった場合、人間社会は何か影響を受けるでしょうか。
つまり、生殖というものを本能や運命に従わせるのでなく、仕事や趣味活動のように”意志”を仲立ちにして計画的にするもの、ということだった場合、人間の根本的意識が変わるような気がします。当然望まれない子は生まれないということになります。

また、なぜ女性の”意志”でもって妊娠を決定できないということになっているのでしょうか?

A 回答 (9件)

#2です。


>たとえば、レイプ(なんか最近「強姦」ってつかわないんですかね。はっきり日本語を使ってはっきり言えよって感じです)され中だしされても、「受精させてたまるか!」と女性が思えば、受精可能な時期であっても受精しない体の仕組みがあるという事態を想定したいです。

日本では古くから妊娠をコントロールしていた歴史があります。昔は「間引き」といって、東北の農家の縁の下を掘ると、何代にも渡って小さな骨がいくらでも出て来たそうです。ですから、自分たちの意志で、受精をコントロールして子どもを育てなかったと言う現実は、幾らでもあったわけです。堕胎を決意するのは、受精を認めないと言う頭脳の仕組みですから、脳という身体の一部の仕組みでもあります。

質問者さんが時間つぶしの興味本位ではなく、本気でこの問題を論じることによって何らかの説得力のある結論を得たいのなら、この「間引き」という現実に存在した悲劇とその社会的な影響を、ご自分で民俗学的かつ実証的に調べて、そのときの女性の心理や家族の心理を分析しみるのも、疑問を解決する一つの方法かもしれません。底知れぬ人間のありようを認識できるかもしれません。
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この回答へのお礼

妊娠しないように体を調整するというのは人間には無理なようですね。しかし、意識的に生まないように作用することはできるようですね。しかし新たな認識にいたるヒントみたいです。

お礼日時:2008/09/27 18:37

こんばんは、garcon2000さん。



ANo.10からひきつづき (*^^*)/いきま-すぅ!

悩ましきかな《指》

探したわいな《指》、めっけました!《指》

【A S T E R I S K】
http://philologia.jp/pdf/xiii2.pdf

《指》、どっかに挟まってないかなと…
ありました! 本の間に《指》挟まってました。

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『弁証法とはどういうものか』松村一人著 岩波新書
【詭弁に転化した弁証法について】P71~
《五》~一部抜粋~P95ところで、ヘラクレイトスの「存在すると同時に存在しない」という表現は、変化を一般的法則としてといたものではありますが、それには、これまで指摘したような不十分のほかに、もう一つ重要な欠陥があります。その欠陥はどこにあるかと言えば、ヘラクレイトスの表現においては、或るものを或るものとするような根本的規定、或るものの本質そのものの変化と、或るものの根本規定が変わらない範囲での変化とが区別されていないのです。例を社会にとってみても、例えば資本主義社会というものは、生産手段の私有、労働力の商品化というような根本的関係がなくならないかぎり、あくまで資本主義社会です。しかし、このような根本的な生産関係は変わらない範囲で、資本主義社会は不断に変っています。それは資本主義的生産方法の不断の再生産という運動のうち成立していますし、またこの再生産はますます拡大された規模でおこなわれ、独占の段階にいたれば、資本主義の多くの特徴さえその反対のものに転化してしまいます。 またエンゲルスが有機体について言っているように、その構成要素は不断に変化しており、この変化こそ生命を形成しているのであり、その総計された結果が生命の諸段階、胎児期、幼年期、春機発動期、生殖器、老年期、死としてはっきり外観にあらわれてくるのです。ですから、そのうちに変化をふくまないような抽象的同一は存在しません。 しかし、このことから、あらゆる同一を否定しようとすれば、そして一つの社会形態の範囲での変化、ある有機体の範囲での変化から、その社会形態、有機体そのものの同一性否定すれば、それは一つの無意味にすぎません。もちろん、われわれは、ある形態の本質そのものの変化をも理解しなければなりません。いな、もっと進んで、根本規定を変えない範囲での変化と、根本的な変化との関係を理解しなければなりません。しかし、そのためには、言わばこの二つの変化を一応区別しなければなりません。でなくて、ただ不断に変っているとのみ理解するのでは、すべては混乱してしまうばかりです。 アリストテレスは、このように理解された弁証法について、きわめて適切な、そして痛烈な批判を加えています。

「かれらは、自然体が運動しており、その変化するものについてはなんら真実の叙述はなされえないと見たので、かれらは、ありとあらゆる点で変化しつつあるものについては、どんなことも真実には主張されえないと考えた。このような見解から、上に述べたような考えのうちのもっとも極端なもの、すなわち自らヘラクレイスト学派と名のる人々に見られるような考えが生じた。クラテュロスのような考えがそれであって、クラテュロスはついになにごとも言ってはならないと考えて、ただ《指》だけを動かした。またかれは、人は同じ河に二度び入ることはできないというヘラクレイトスの主張を批判したが、それは、かれが、人は一度さえもそうすることができないと考えたからである。」(アリストテレス『メタフュシカ』、第四巻、第五章)。 

クラテュロスについて言えば、河の水が絶えず流れているということと、河そのもののより恒久的な同一性とは区別されなければなりません。このような区別をも消し去る、弁証法は、なんらの断定をすることのできないものとなっています。しかし、ヘラクレイトスの素朴な表現のうちには、このような発展させられうるものが含まれていることは事実です。それはまだ、或るものを或るものとする根本構造の変化と、この根本構造を成立させている不断の運動とを区別していないからです。 ところで、われわれが注意しなければならないのは、クラテュロスはギリシャの古代にのみ見られる現象ではないということです。現代にも多かれ少なかれクラテュロス的考えかたがあるのです。例えば、有名なベルグソンは、「一つの状態から他の状態に移るということと、同じ状態にとどまることとは、なんら本質的な差異がない」(『創造的進化』、第一章)と言っていますが、そしてこれは、その観念的性格とならんで、ベルグソン哲学をつらぬく根本思想をなしていますが、これはまさにクラテュロス的思想にほかなりません。 しかし、さらに、このような思想は、ベルグソンにのみかぎられているのではありません。このような思想は、マルクス主義のうちにもちこまれると、革命的理論の軽視あるいは無視としての経験主義、無理論の大きな思想的よりどころとなります。あるいは、経験主義の自己弁護となります。例えば、ある「マルクス主義者」が次のように言ったらどうでしょうか。「闘争は絶えず変わるものである。」これはある意味では正しいところをもっています。毛沢東の言う「マルクス・レーニン主義の普遍的真理」をのみ学んでも、ある国の一定の歴史的段階に具体化された革命的理論、戦略を立てるということを忘れは、それは公式主義にすぎません。また或る国の改革の段階を規定し、ここから出て来る革命的勢力の勢力配置を確定しえても、情勢の変化に応じた戦術が立派にたっていかなければ、十分ではありません。しかし、このことから、つまり戦術的状態の、あるいはより小さい情勢の不断の変化と、それへの対応の必要から、すべての変化をごっちゃにして、すべては変るものであると言い、そして、マルクス・レーニン主義の理論を過小評価したり、戦略の決定の意義を軽視したりすれば、それはまさに弁証法ではなくて経験主義です。そうです。すべては変ります。しかし、一定の戦術的段階が変ったからとて、戦略的段階が変ったことにはなりません。このような区別なしには、すべて変わるということは、無方針、無原則の弁護にすぎません。このような根本態度は、これをつきつめていくと、なんら方針というものは立てなくていいということにさえなります。それは根本的な分析をしないから、けっきょく、変ったら、変ったときに、変えればいいということになってしまいます。しかし、このような浅い態度では、変ってもけっして変ったことが急にはわからないでしょう。それではしょっちゅう「バスにのりおくれ」てしまいます。 中国の解放戦争を成功的に指導した毛沢東は、闘争の指導にかくのことのできない条件の一つとして、次のようなことを強調しています。 「第三は、次の戦略段階がどうであるかを考えておくことである。もしただ反攻だけを考え,その反攻が勝利したのちはどうなるか、あるいは万一失敗したら、どうしたらいいか、これを考えなかったら、戦略指導者の責任を完うすることはできない。戦略指導者というものは、一つの戦略段階にあっても、かならず、それにつづく次のいくつかの段階について計画をたてておかなければならない。少なくとも、すぐ次の段階にたいしての計画はかならずたてておかなければならない。将来の変化については、もちろん予測がなかなか困難であり、遠い先になればなるほど、ぼんやりするのはあたりまえであるが、だいたいの計算は可能であって、将来の姿をえがくことは必要である。一歩あるいて一歩だけを見るというような指導法は、政治において不利であるばかりか、戦争においても不利である。―――ひと足あるいて、そのひと足の具体的変化を見、それによって自己の戦略的戦役的計画をあらため、あるいは発展させる、そうしなければ猪突冒険の誤りをおかすようになる。しかし、全戦略段階またはいくつかの戦略段階をつらぬく、あるいは大体においてつらぬいている一つの長期の方針は、絶対に必要である。」(毛沢東『中国革命戦争の戦略問題』、邦訳『毛沢東選集』、第二巻、九〇ページ)。これが、変ったら変えるというような理論無視の傾向にたいする真のマルクス主義の答えです。 要するに、科学的弁証法は、どんな形態、どんな段階も変っていくことを知り、しかもその変っていく方向を見ぬくことを要求しますが、しかし一定の段階内においては変わらないもの、したがってそこであくまで堅持さるべき方針、目標をしっかりうちたて、一段階内の小さいいくつかの小段階によって大きな階段をみうしなわないことが必要であって、変化の一語で根本的な変化とそうでないものを混同し、その日ぐらしと行きあたりばったりをあくまでしりぞけるものでなければなりません。

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【QNo.3385985あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください】
ANo.4
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3385985.html
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こんばんは、garcon2000さん。





ところで、《指って?》何だ???

奥歯にモノがが挟まったような謎めいたANo.7への《この回答への補足》

…(-"-;)ゞゞゞムズ 

◎◎◎ぐるぐるぐる◎◎◎ぐるぐるぐる◎◎◎ぐるぐるぐる

指で思いつくお話といえば… チントンシャン おこと!

うん、ちょこっと引っ張り出してみた、記憶を…

【箏】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%8F
【箏の事典】
http://homepage.mac.com/akirakasuya/koto/
【筝と琴】
http://kirihaku.com/news/vol3.html

【小督】
http://med.honnet.co.jp/metro/rekisi/rekisi18.htm
http://www.heike-rekishikan.jp/heike3.htm


秋だし、夜な夜なものおもいに耽るよ。《モノ・コトの関係性》を


卵子の凍結保存について日本産科婦人科学会は
既婚者に限り認めているが、保存期間については、
88年に「生殖年齢を超えない」とする見解を出しているとか。


●なぜ女性の”意志”でもって妊娠を決定できないということになっているのでしょうか?


最近の資料ではないいのだけれど…

【2004年9月】
http://www.jsog.or.jp/PDF/56/5609-485.pdf




高齢化社会で思うこと、『老々介護(高齢者が高齢者を介護すること)』
介護保険制度はできたとはいえ、現実はまだまだ厳しい。過当競争から逃れるように働き手となる若者が福祉従事者として福祉現場へ傾れ込む。老々介護に悲鳴をあげていた福祉現場は一時的には安定をみせるが、その一方で働き手の若者を失った市場は高齢者でその穴を埋める。高齢者で穴を埋め繋げどもその間はいわば空白の時間。教え教わり教え合う人と人の関係が絶たれる。育てる子がいない。人が育たない。家業は廃れ市場から消えていく。シャッター街のごとくどこもかしこも。経済が沈むと生む利益も生まれず福祉へ投入する資金も先細る。ウロボロスだよ。若い間に卵子を凍結し高齢になって出産ともなれば、出産者の年齢も高齢、その親の年齢もさらに高齢化。出産者は生まれた子と親の面倒をともすると同時に看ることになるやも。出産者は右へも左へも行けずただただ立ち往生。老々介護然り、障害者介護然り、近年介護をめぐる自殺事件、心中事件、家庭内暴力等々の事件が際立つ。



【生命(自己)は定義可能か】
http://www1.gifu-u.ac.jp/~sangyou/sub2.htm
http://mori0309.blog.ocn.ne.jp/mori0309/2005/05/ …
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お早う御座います。



>なぜ女性の”意志”でもって妊娠を決定できないということになっているのでしょうか?

女性の中には、計画的に妊娠し、子供を産み育てている人もいるでしょう。
私は男性ですから、ハッキリした事は書けませんが、上のような女性は、いるとしても「少数派」のような気がします。

先ず、既婚であれ、未婚であれ、男性の協力が必要。

「生殖」と書かれてますが、とどのつまり「男女の交わり」です。

「はい、何月何日何時頃、私は妊娠したいのよ。
協力して下さい」
と言われ、「その気になる」男性がいれば「よし」。
私などは、「やる気が失せる」タイプかもしれません。
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この回答へのお礼

自律神経的にというまではいかないでしょうね。その意識的に、というレヴェルで人間ができる程度にということでしょう。この生物の性を越えた人間というのは無理がくるのでしょうね。

お礼日時:2008/09/27 18:35

garcon2000ちゃん、ちょっち過激よ。

レイプって…ったく


それもいうなら、『異物排除機能(免疫システム)』でしょうが。



【183 章 免疫システムのしくみと働き】
http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec16/ch183/ch183a …
http://www.kasugai.ed.jp/jinryo-e/jinryou-aids/j …


【「免疫でがん細胞を排除できるの?」】
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsi2/general/qa_pdf/kawa …

この回答への補足

免疫というような、自律神経系の話ではなくて、意志で動かせるところがありますね。内臓やらは動かせないですが、指とか。そっちの方に「受精」も担わせないものかと思います。

補足日時:2008/09/23 09:23
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こんばんは、garcon2000さん。



●なぜ女性の”意志”でもって妊娠を決定できないということになっているのでしょうか?

うん、婚姻然り、《両性の合意》に基づきが基本。

子を宿す

人工授精やらなにかと医療技術は進化してる。

それだけではないのかもしれないけれど

確かにシングルマザー増えてはきている。

両性の合意といえど、問う相手がいない。

合意形成がなされぬままに妊娠、出産…非摘出子として世に出る

父親と非嫡出子との親子関係は、認知がなければ発生しない。

母親と非摘出子の関係は分娩事実を以ってして親子と。




《両性の合意》という基本原則が崩れる。

この回答への補足

後でお礼を書きます。
たとえば、レイプ(なんか最近「強姦」ってつかわないんですかね。はっきり日本語を使ってはっきり言えよって感じです)され中だしされても、「受精させてたまるか!」と女性が思えば、受精可能な時期であっても受精しない体の仕組みがあるという事態を想定したいです。

補足日時:2008/09/22 23:29
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子供ができた ということを喜びとして感じられるようにだと思います。

この回答への補足

後でお礼を書きます。
たとえば、レイプ(なんか最近「強姦」ってつかわないんですかね。はっきり日本語を使ってはっきり言えよって感じです)され中だしされても、「受精させてたまるか!」と女性が思えば、受精可能な時期であっても受精しない体の仕組みがあるという事態を想定したいです。

補足日時:2008/09/22 23:32
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意志による妊娠の結果どうなるかは、もう判っております。

何処の国でも高等教育が行き届くと、夫婦当たりの子どもの数は、全体としては確実に減って来ています。こうなる理由はいろいろ考えられますが、ひとつは人間とは本質的に自己中心的で、自分の子どもの数が多すぎると、夫婦自身の贅沢が出来なくなることを高等教育を受けると認識できるようになり、自分の贅沢を優先させるからだという理由が考えられます。もっと善意な解釈としては、子どもの将来のことを考えて、負担のかかる教育費を出来るだけ有効に使うために、子どもの数を減らすという理由も考えられます。しかし、度を超して一人っ子しか生まなくなった場合には、明らかに、親の贅沢優先だと言われても、文句が言えないと思います。

>また、なぜ女性の”意志”でもって妊娠を決定できないということになっているのでしょうか?

そんなことありません。現在では子どもの数を決めるのはほとんどの場合、夫婦で話し合って決めていると思います。それどころか、子どもの存在による日々の負担は女性の方が圧倒的に大きいので、多分、夫婦で意見が一致しない時には、女性の意志の方が優先されているのが現状だと思いますが、如何なものでしょうか。

蛇足:私はアメリカに住んでおりますので、アメリカのことが気になります。アメリカでは教育程度の高い白人は一般に少子化が行き届いておりますが、全人口で相対的に教育程度が最も低いヒスパニック系はどんどん子どもを産んでおります。その結果、今世紀半ばに到達する前に、白人は少数派になり、ヒスパニックが人口の第一を占めることが確実になっております。
 その結果何か起こるか、想像が付くでしょう。白人達は人口が減っても自分達の既得権を手放そうとするはずがありません。したがって、社会的にも経済的にも政治的にもいろいろな工夫をして、例えば、巧妙で理不尽な法律などを作って、白人少数派の支配体制を強引に確立して行きます。その結果、アメリカ国内は確実に不安定化して行きます。南アフリカの例でも判るように、5%の白人でも95%の黒人を支配出来たのです。
 私は個人的にこの理不尽な状況を回避する腹案を持っております。それは、貧しいヒスパニック達や黒人達の子息に、豊かな白人達が多大な教育投資をして、彼等に高度な教育を施すことです。そうすれば、アメリカの発展に役立つばかりでなく、ヒスパニックや黒人の人口も抑えられるので、白人が常に多数派を占めることができ、白人の既得権を守りながらも社会が安定していられるからです。白人の人口比が2対8ないし1対9ぐらいに減ると、それまで持っていた白人達の既得権を力ずくで奪い取られるようなことが起こるかもしれません。ところが、今のアメリカの白人達は、自分達の今現在の贅沢を優先させており、格差社会のアメリカでは、白人でもない貧しい人達への教育投資はほとんど成されていないのが現状です。
 微力な私でも、ことあるごとに白人達にこの腹案を話しているのですが、皆、今を大切に、そして自分を大切に、こだわりの生を生きているようで、自分達の力で他者が幸せになる手伝いをしてやることが巡り巡って自分達を幸せにしてくれるという事実まで考えることは出来ないようです。

この回答への補足

後でお礼を書きます。
たとえば、レイプ(なんか最近「強姦」ってつかわないんですかね。はっきり日本語を使ってはっきり言えよって感じです)され中だしされても、「受精させてたまるか!」と女性が思えば、受精可能な時期であっても受精しない体の仕組みがあるという事態を想定したいです。

補足日時:2008/09/22 23:34
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興味深いことだと思います。

しかし生まれてきた子供の遺伝子の組み合わせまで計画することは実際的には不可能ではないでしょうか。要するに自分の意思で計画されたこと以外を無視できれば、今でもそのように考えている人はたくさんいるはずですから、ご質問の中の条件が整わなくても、すでにそういう(根本)意識は定着しているのではないでしょうか。すこしずれますが、本当に計画できるのだったら次世代は生まれないかもしれません。

この回答への補足

後でお礼を書きます。
たとえば、レイプ(なんか最近「強姦」ってつかわないんですかね。はっきり日本語を使ってはっきり言えよって感じです)され中だしされても、「受精させてたまるか!」と女性が思えば、受精可能な時期であっても受精しない体の仕組みがあるという事態を想定したいです。

補足日時:2008/09/22 23:35
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