dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

南太平洋海戦 昭和17年10月26日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%A4%AA% …
の終了時点で、太平洋で健在な大型空母は日本が瑞鶴、隼鷹の2隻、アメリカはゼロとなったようです。

そのしばらく後で、ガダルカナル島への重要輸送船団が着くか着かないかを巡って戦われた

第三次ソロモン海戦 11月12日~15日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89% …
で、日本は「機動部隊の援護なく」輸送船団をガ島に向かわせると共に、比叡・霧島を基幹とした水上艦隊のみでガ島の米軍飛行場潰しを策し、夜戦で戦艦2隻を失い、輸送は失敗に終わりました。日本側の大敗と言えるでしょう。

出典ははっきり記憶しませんが、南太平洋海戦の前か後かに角田少将が、連合艦隊に
「戦艦による飛行場砲撃は昼間になってからも継続して行うべきだ。昼間になれば目標が見えるのでより的確な陸上砲撃が可能。上空は隼鷹が戦闘機で守る」
という意見具申を行い、採用されなかったという話があります。

また、角田少将が
「大和・武蔵はともかく、長門や陸奥はなぜガ島海域に出動しないのか」
と連合艦隊の参謀に問い
「燃料が足りず、戦艦群を動かすに動かせない」
と返答されたという話も、同じ本に書いてあったように思います。(奥宮正武「ミッドウェー」の記述だったようにも思います)

南太平洋海戦でアメリカの機動部隊の勢力が後退した後であれば、思いっきり後知恵ではありますが、下記のような作戦が取れたように思います。

1. 連合艦隊の総力を挙げてガ島海域に進出。(燃料の問題はとりあえず無視します)

2. 大和・武蔵・長門・陸奥を基幹とする部隊は、敵の新型戦艦の出現に備えて徹甲弾を装備してガ島近海で待機。この時点でアメリカの新型戦艦は「数隻」が南太平洋にいたようですが、大和・武蔵・長門・陸奥の4隻(18インチ砲18門、16インチ砲16門)があれば余裕を持って迎撃できるはずです。

3. 瑞鶴と隼鷹の2隻の空母は、戦闘機のみを積んで防空に当たる。戦闘機は固有の零戦に加えて、修理中の空母の零戦、ラバウルにいる零戦のうち空母着艦可能な機を加えて定数を満たす。

4. この時点では4隻全て使える高速戦艦基幹の部隊でまず夜間飛行場砲撃を行い、敵飛行場をあらかた破壊する。これに成功した段階で高速戦艦はラバウルに下げて良い。

5. 夜明けまでに、より砲撃力の強い扶桑・山城・伊勢・日向(14インチ砲48門)基幹の部隊をガ島沖合いに進出させ、目視による照準で飛行場を徹底して破壊する。重巡の20センチ砲も陸上砲撃に加わる。

6. ガ島沖の日本艦隊の上空は瑞鶴と隼鷹に目一杯積んだ戦闘機でカバーし、飛行場から発進する生き残りの米軍航空機は叩き落す。戦艦や巡洋艦の水上偵察機で索敵を行い、アメリカ艦隊の所在を探る。アメリカ水上艦隊が進撃してくれば、大和・武蔵・長門・陸奥を基幹とする部隊で迎え撃つ。

7.ラバウルからガ島上空まで飛んでくる零戦のうち空母に着艦可能な機体は、ラバウルに戻さずにガ島沖の瑞鶴・隼鷹に着艦させ、燃料や弾薬を補給し、休養させるなり再度出撃させるなりする。日本艦隊上空の防御がより厚くなる。

8. ガ島上空の制空権を完全に米軍から奪ったことになるので、輸送船の安全はもとより、沖合いの扶桑・山城・伊勢・日向並びに重巡が米軍陣地を砲撃して甚大な効果を挙げられる。

となり「ガ島の米軍を一日で壊滅させる」ことも可能だったかもしれません。大東亜戦争後期に日本軍が守備する島が次々に米軍に占領されていった状況を考えても「日本に完全に制空権を奪われ、沖合いに居座った日本艦隊から絶え間なく艦砲射撃を受ける。自軍の救援は期待できない」となれば「ガ島の米軍が降伏する」こともあり得たでしょう。

現実にはそのような作戦は取られず、第三次ソロモン海戦での敗北後はガ島への輸送もままならなくなり「飢島」となってしまったわけですが、上記のような作戦は物理的に実行可能だったのでしょうか?

「トラックに貯蔵された重油は***に過ぎず、『連合艦隊の総力を挙げてのガ島進撃』は夢物語」
「南太平洋海戦の終了時点で、空母着艦可能な零戦は***機に過ぎず、瑞鶴と隼鷹を一杯にするのは無理」
「第三次ソロモン海戦に出撃した比叡・霧島以外の戦艦はあらかた内地におり、直ちに動けない状況」
「陸上砲撃に適した36センチ三式弾、36センチ榴弾の在庫は***に過ぎず、ガ島沖でタマ切れを起こしてしまう」
「米海軍が南太平洋に進出させていた戦艦は旧型戦艦も含め10隻以上で、大和・武蔵・長門・陸奥の4隻であしらえたかどうか怪しい」

といったこともありそうですが、識者のご教示をお待ちします。

A 回答 (11件中11~11件)

ええと、まず軍隊というのはある意味お役所の権化ともいうべき組織であり、特に日本軍というのは海軍も陸軍も「柔軟な運用」というのが極めて苦手な組織だったんですね。

それは現代日本も変わっておらず、例えば事故米みたいな問題に農林水産省と厚生労働省が共同して対処するなんてことは不可能なわけです。
つまり、そもそも「空母に戦闘機だけ」という運用が非現実的で不可能であるといえると思います。空母に着艦するというのは大変な訓練が必要で、「お前、ベテランパイロットだから着艦できるだろ」なんていうわけにはいきません。ましてや、空戦をして疲労困憊した状況で無理やり着艦しようものなら事故続出で、日本軍機は米軍機に比べて作りが繊細なのでちょっとした事故でもパイロットの命が失われる可能性は高いといえます。

また、現実問題として実は日本軍の防空能力というのは(我々日本人の希望より)低いのです。特に大馬力エンジンを持つドーントレス急降下爆撃機に対してゼロ戦は意外に非力で、例えばミッドウェー海戦では1機も阻止することができませんでした。また無線機が全く使い物にならなかったので、上空の護衛機を誘導することも不可能で、「パイロットが気づかなければ護衛機がいても奇襲される」という事態になります。それはある程度当時の指揮官も把握していたと思います(使える無線機が作れないので対策方法がない)。

ついでに、ガ島周辺海域というのは入り組んでいて浅瀬も多く、大型戦艦が機動する余地がありません。金剛と榛名が最初の夜間砲撃をしたとき、艦隊は一度砲撃を加えただけで反転攻撃していません。なぜかというと、予定航路は入り組んでおり夜間にごちゃごちゃ動いたら接触したり座礁する危険もありました。
狭い海域を小回りのきかない戦艦がウロついた場合、万が一潜水艦の待ち伏せを受けたらひとたまりもありません(米軍側は迎え撃つ立場なので待ち伏せができる)。また魚雷艇による奇襲も警戒する必要があります。海域が狭いので駆逐艦が護衛するだけに充分な広さもありません。

また日本軍には後に米軍がノルマンディーや太平洋諸島で見せたような「地上部隊を目標とした砲撃」という思想は皆無でした。ガ島で見せた砲撃は全てヘンダーソン飛行場に対するものであり、しかも最初の砲撃で大損害を受けたヘンダーソン飛行場も実はたった半日で稼働可能になっており、仮に再三飛行場を砲撃したところで米軍の工作能力を考えると半日~数日で航空基地としての能力が再稼働してしまう、と考えるのが自然です。実際問題、ヘンダーソン基地の航空機は迎え撃つ強さから1日何度も出撃して日本軍船団に対して大きな損害を与えています。
米軍地上部隊への砲撃が不可能(やるためには海軍と陸軍との間で緊密な連絡が不可欠で日本軍が最もできない行為)である以上、いくら大型戦艦を投入しても海兵隊を壊滅させることはほぼ不可能(米軍が降伏したくなりそうなほど長期間制海権を確保することがほぼ不能)である以上、史実以上の戦果を与えることは極めて難しいでしょう。

個人的意見ですが、ガ島をめぐる戦いで最も賢明な判断は、一木支隊が壊滅した時点でガ島奪回を諦めることだったと思います。ガ島に上陸した時点で、米軍の兵力は10000ほどあり(後に約20000の兵力になった)、4000程度だった川口支隊でどうする相手でもありませんでした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

長文のご回答有難うございます。ただ、いくつか私の考えを申しますと

「ガ島海域では大型戦艦が機動する余地がない」
→米軍は、第三次ソロモン海戦で「ガ島海域」での「夜戦」にサウスダコタとワシントンを参加させています。夜が明けて昼間航行となれば戦艦の機動に支障はないでしょう。

「米軍地上部隊への砲撃が不可能(やるためには海軍と陸軍との間で緊密な連絡が不可欠で日本軍が最もできない行為)」
→2度に渡るガ島飛行場砲撃は、陸軍を支援するもので、当然陸軍と緊密に連絡して行ったものです。
海軍が「連合艦隊の全力を投入してガ島上空の制空権を確保し、昼間にガ島沖に戦艦4隻を居座らせて徹底砲撃して戦局を挽回する」と提案すれば陸軍は狂気し、可能な限り協力したでしょう。
また、角田少将の意見具申にもありましたが、昼間になれば目標の把握や弾着観測が容易になり、砲撃効果がぐっと上がります。

「現実問題として実は日本軍の防空能力というのは(我々日本人の希望より)低いのです」
→ミッドウェーでは、機動部隊の上空を守っていた零戦は僅か8機だったと言われます。なお、日本の艦隊直衛戦闘機への意識の低さ、零戦の欠陥については兵頭二十八氏が「パールハーバーの真実」で指摘している通りですが、艦隊上空の直衛に数十機を回せ、かつ米軍飛行場は前夜の砲撃でボロボロであれば、米軍が僅かな飛行機を出して来ても掃討するのは容易でしょう。
そして、扶桑型、伊勢型の旧式戦艦であっても、防御力がないに等しい空母のように脆くはなく、急降下爆撃を跳ね返す防御は十分持っています。

「ラバウルから飛来する零戦がガ島沖の瑞鶴や隼鷹に着艦するのは困難」
→私もラバウルを基地としてガ島戦に参加していた零戦パイロットの技量を詳しく知りません。ただ、例えば坂井三郎氏もその一員だったわけで、ラバウルからガ島への往復飛行をこなす戦闘機搭乗員はそれなりの熟練者だったのでは?

「軍隊というのは役所の権化ともいうべき組織であり、特に日本軍は海軍も陸軍も「柔軟な運用」というのが極めて苦手だった」
→これは全く同感です。角田少将が提案した「ガ島沖居座り砲撃」は一顧もされずに却下されたようですので。
ただ、私としては「角田少将の大胆な提案は実行可能だったのだろうか?」と考えて質問した次第です。

お礼日時:2008/10/04 22:38

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!