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何故日露戦争で203高地をとることに固執したのですか?

A 回答 (4件)

旅順港に逃げ込んだ太平洋艦隊を壊滅させるためです。

日本軍は巨大な大砲を港を囲む山の北に配置します(周囲の山はロシアが占領していた)。射程は十分にあるのですが目標が見えないので使えません。大砲は実際に撃ってみて目標からのズレを補正しながら使うものなので目標点が見えないことには役に立たないのです。
このため旅順港内が見渡せる場所がどうしても必要でした。そのひとつが二百三高地です。候補地は何ヶ所かあったようです。二百三高地でなくても港内が見渡せればどこでもよかったのです。
日本軍は激闘の末にここを占領すると大砲との間に電話線を設置。山の上から砲弾がどこに飛んだかを知らせて大砲の向きを微調整したのです。

以下、ご存知とは思いますが・・・。
ロシアは太平洋艦隊が日本の海軍と戦うはずでしたが勝てそうになかったためバルチック艦隊を派遣して来ます。これが到着するまで太平洋艦隊を温存しておく必要があったため旅順港の奥に逃げ込みます。
日本にとっては両艦隊に連合されると勝てそうになかったため太平洋艦隊は絶対に潰しておかねばなりませんでした。旅順港は海側にも山があるので海側からの攻撃はできません。港の出入口にボロ船を沈めて艦隊を雪隠詰めにする作戦も行われますがすぐに引き揚げられて効果はありませんでした。
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他の回答者が書いているように 203 高地から砲撃して、敵艦隊を壊滅させようとした。



ただ現実には、他の観測地点からでも砲撃可能だった事などが後に検証されており、あなたの書いている通り、固執と言っても差支えない。
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wikipedia日本語版の「日露戦争」(目次 4 経過/ 4.4 旅順攻略)に詳しく述べられています。

敵の主力の旅順艦隊主力が引きこもっている海域だけが俯瞰できなかったので俯瞰できる場所の203高地を取る事を重視したからです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2 …
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203高地は港湾部を一望できる観測点としては有意義な地点であったため。

さらに盤龍山保塁や東鶏冠山保塁などの後方にある「望台」の方が標高で勝り、港湾だけでなく要塞全体も一望できたから。

参考まで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/203%E9%AB%98%E5%9C …現状
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