dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

近代までの(あるいはつい最近の漫画描写までか)日本画で、人物の顔面アップというのはついになかった気がするのですが、どうしてでしょうか?
あるいは、絵巻物的なものは遠景的俯瞰的な構図のみに終止し、変化に乏しいということがありますが、これはまたどうしてなんでしょうか?
構図に変化をつけ、クローズアップするとか、地面から這い上がる構図とか、なぜもっとダイナミックな視点を持とうとしなかったのでしょうか?

A 回答 (15件中11~15件)

>人物の顔面アップ



禅画の「達磨図」にはアップもあります。
 白隠 http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_05091 …


 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こういうアップがあるのをはじめて知りました。
が、西洋画と根本的に精神が違うなと思うのは、画家と精神的交わりがないという感じです。

お礼日時:2008/11/03 07:27

確認しますがアップ=接写ってことですよね?

この回答への補足

そうです。

補足日時:2008/11/02 17:53
    • good
    • 0

「大首絵」というのがありますが?



喜多川歌麿
 http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2008/0601/in …

東洲斎写楽
 http://www.aurora.dti.ne.jp/~k-manabe/ukiyoe/sya …
 
達葛飾北斎
 http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/hokusai.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こういうのは、様式として近世にでてくるようですね。でも、やっぱり視線をこちらに向けているわけではなくて、なんというか、対象物としての価値観から離れられないですよね。

お礼日時:2008/11/03 07:25

アップは習作ならあるでしょ。

習作は作品として人前に出さないし。

絵巻物は質問者さん自体が絵巻物って書いてる時点で、絵巻物は
文章が主で絵は説明する図ってなぜ気づかないか逆に不思議だね。
情報量は多いほうが説明しやすいわけで、地図が上空からみた図を記号
で描いてあるのと同じと考えれば分かり易いですか?

逆に絵本がアップばっかりだったら意味わかんないと思いますけど。

それとタブロー(日本語なら画面かな)を区切られた世界と考えた場合
その枠内からはみ出していると画面の外へ(タブローの正面から外ね)
対象物が飛び出してるわけで、遠近を表現する場合それは欠陥なわけ。
空間が外へ湾曲してるわけだからね。線や形体が開いちゃうし。
アップで表現するという場合は抽象的な形態のみを扱う表現でないと
破綻する可能性が高いからなんですよ。
それに、日本の美術は対象物の周りの空間を宇宙や世界を感じさせる
ために余白を使って表現するし、盆栽ですら空間を重んじる精神が
あるわけで、それから考えると空間が詰まってると品のねぇ作品
と感じちゃうのかもしれないのかな。

視点を変えると言うのも画面に湾曲が出やすい表現方法の一つで
画面における空間の湾曲を悪と取ってた意識が強いと考えられるんじゃ
ないかな。
(日本画なんかに視点による遠近の表現なんてねえだろとか言わないでね。)

それと、様式美を重んじる日本画だからそれから規格外にはみ出る作品は
ウンコみたいな扱いしかされないわけでね。実験的な作品なんてオナニー
は現代の美術ぐらいでしか評価されないでしょ。歪んでようが
なんだろうがいいもんはいいっていうのは分からなくもないけど、
守るべき作法っていうか愛すべきマンネリって必要だと思うけどな。
だから昔のお偉いさんがそんな変わったもの重宝するなんてことは考えられないわけですよ。
作家もお金もらって描いてるわけだから死活問題です。

横山大観ですら最初はボロクソに言われたくらいだしね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

習作といいますが、本作品にかかわらない習作なんてあるんでしょうか。絵巻物の情報量といいますが、あまりにも固定化した構図というのは、頑固頑迷という印象です。空間美もいいのですが、それを表すのに、鳥瞰図ばかりでいいのでしょうか?
空間の湾曲、その多様性を認めないという精神ですね。これがどうも解せないとこです。遠近表現は、ほとんどないとあえて書きたいです。

お礼日時:2008/11/03 07:24

「なかったからなかったのだ」というのが答のように思います。


逆に言うと、「どうしてダイナミックな視点を持たなければならないのか」
という問題になります。

日本画における、となっていますが、
西洋美術でも、顔のアップというのは、近代以前はあまり思い出せません。
あるのかもしれませんが……。

日本での肖像画はだいたい全身を描きますが、
西洋の肖像画はバストアップも多いようです。
これは、クローズアップということではなく、
椅子とテーブルがある生活で、相手の顔を見る状況を絵にすると、
バストアップが自然な構図になるのでしょう。
日本の場合、床や畳に直接座るので、バストアップでは中途半端になります。

「バストアップ」はもうちょっとで「顔のアップ」になりそうですが、
やはり違うと思います。

構図は、その時代の人の視点に影響を受けるのではないでしょうか。
たとえば、近代以前の人間が「顔のアップ」を視る機会は、ほとんどなかったと思います。
一人の人の顔が、視界の全部を占めるというのは不自然な事で、人生のうちでもそうそうありません。
恋人とキスをするときぐらいじゃないでしょうか。

今の我々は、顔のアップの絵を見ても特に奇異な感じは受けません。
しかし、それは、写真・映画によって、様々な構図を見慣れているからでしょう。
それがなければ「こんな視点は無いんじゃないの?」と思うのではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

もっともだと思います。
生活習慣によって多少左右されるでしょう。
西洋画の肖像との決定的?なさを感じまして、それは、視線が交わっていないということがある気がします。日本画の人物は決して画家の方を向いてないですよね。この辺の消極性も気になるところです。

お礼日時:2008/11/02 18:06

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!