ホテルを選ぶとき、これだけは譲れない条件TOP3は?

戦国時代の足軽や太平洋戦争の兵隊さんたちは、前線ではどのような食糧を与えられていた(もしくは自分で取っていた)のでしょうか?

A 回答 (7件)

太平洋戦争中は、特に陸軍なんでしょうか、


弾薬や食糧などの補給がうまく行っていなかったのが有名です。
(逆に、南方から日本へ向けての物資輸送もそうなのですが。石油とか)

海軍は、艦長など上級の人々は、戦争が続くうち変わったのかもしれませんが最初の頃は、外地に出ても楽隊の生演奏付きのフルコースのランチを食べていたそうです。
(しかし自己負担があったのか、たしかお金が少ないのに席を共にしなければならない人は大変だったという話があったような。
偉い人たち以外はそんなに豪華ではない)
阿川弘之の『井上成美』を読むと出てきます。

フィリピンの島々やラバウルあたりの話だったと思いますが(陸軍)、
日本から運ばれてきた米や缶詰など? 腐ったようなのも食べる羽目になったとか。
島に陸揚げする前に攻撃され沈められるとか、陸揚げはしたが空襲が来て運べないで港に積んだままとか、後方から前線に運ぶ間に途中でだんだんピンハネされて前線に届く頃には少なくなってしまうとか。

現地の住民から豚や牛を購入
(切羽詰ってくるとお金をほとんど払わずもらってくる。地元民は日本兵が怖いから逃げたり食糧を渡したりする)
仲良くなった現地人から芋をもらう
現地人と、煙草とバナナを交換
米軍陣地に投下される糧食(Kレーション)が外れて落ちてきたのを奪取
住民が逃げた後の畑からトモロコシを頂戴する
ジャングルのバナナや椰子の実
川で魚を獲る

牛を解体して食糧にしていた部隊では、兵士たちが牛の解体が上手くなったそうです。

ガダルカナル島が「餓島」と称されるのは食糧が無かったから。
レイテ島では米の少ない薄い粥みたいな食糧が続く中、飛行場建設をやったとか。
自殺者も出たそうです。

塩分が無いと生きていけないので、塩を作ったという話もありました。
上官殿がそういう将兵の健康を考えてくれる人だったらまだ良いのですが・・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3% …

このへんの話は1944年~45年頃の話だと思います。
(ガダルカナルの戦いはもっと前か)
数冊読んだ本からの受け売りでした。
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乾パンは有名ですが、海軍と陸軍とちがう物が食されていました。



海軍・缶に氷砂糖といっしょに入っている
陸軍・布袋にコンペイトウといっしょに入っている

当然、海軍物のほうが日持ちもしますし、豪勢です。陸軍にとって垂涎の的だったようです。

補給線が続いていた大陸戦線では、前線近くで炊飯施設を使ってにぎり飯を作っていました。そして、それを藁づとに2・3個いれて包んだ物を、前線近くまで持って行き「投飯(とうはん)」と言って味方の後ろから放ります。運がよければ漬け物くらいつくこともありました。戦闘のないとき普通に屋根のあるところでは食器使った食事をしています。粉タマゴ(水を加えると生卵と変わらない。調理可)、粉末味噌汁は、おなじみの糧秣でした。
加えて、初期の大陸戦線には内地から「慰問袋」というものが来ることがありました。お菓子メーカーもこぞって「慰問袋には当社の××をどうぞ」と宣伝しており、ポピュラーで人気だったのは、キャラメル、仁丹、缶ドロップでした。

当時、陸海軍にはいった人の少なからぬ人が、こんなごちそう毎日続くと家に帰って苦労するな、という印象を持ったそうです。

海軍は、自分の艦が損傷していなければ、負け戦でも食事がとれます。戦闘配食は五目ごはんのにぎり飯でした。基本的に5回食事がでます。朝飯の前、朝、昼、晩、夜食です。朝飯の前、とは夜間任務しているもの向けで、大体は炊き込みご飯でした。夜食はうどん、汁粉などがメジャーです。サイダーも愛されましたが、それ以上にビンがリサイクルできるラムネは、ビンをもどすと洗って、艦内でまた詰めることができたので、大人気商品でありました。軍艦の酒保は今のコンビニみたいな物で、袋菓子、あんパン、羊羹、状況により「酒許ス」のときはアルコールも売りました。大型艦が内地の港にいるときは、夜、夜泣きそばのオジサンが艦内の決められた場所に店を開くこともあったそうです。
ただし、撤退作戦や他の艦の乗員を救助して乗員超過のときは、やはりにぎり飯の出番でした。戦艦や司令部設備のある軍艦では、兵・下士官と将校の厨房が異なりました。また、病人用に粥専用の釜もありました。
あまりダメージ・コントロールのよくない印象がある日本の軍艦ですが、欧米の軍艦のようにパン焼き室のための油を積んでいなかったので(全て機関室からの高温蒸気で煮炊きする)、その辺では安全だったようです。
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20年ほど前、米軍放出品の野戦携行食(通称Cレーション)を食べたことがありますが、正直、味の記憶はなく、異常に脂っこい、カロリーを摂取するだけの代物でした(一番美味しかったのは、ネスカフェのインスタントコーヒーだったっけ)。


さて、ご質問の年代から遠く離れて・・・昨今の状況になりますと、近年の自衛隊の野戦携行食の質は飛躍的に向上しているようで、国連平和維持活動で派遣された某地で非公式に(当たり前だ)開催された活動参加国の野戦食品評会でトップクラスの高評価を受けていたという話しを聞いたことがあります。
たしかに、30年ほど前までは悲惨なモノだったようですが、自衛隊のPKO参加が始まった頃から栄養価のみならず、味や発熱体の改良(コレは世界最先端らしい)などで、随分、進化したようです。
一方で、KC庁の五目ご飯や赤飯の缶詰、通称「缶メシ」の評判は”最悪”のようで・・・

現代の野戦食に興味を覚えたら・・・ここ数年、一部の軍事ヒョーロン家業界で、ちょっとした「野戦食ブーム」状態にあり、ちょっと大きな書店の軍事・ミリタリーコーナーに、5~6種類はあります(簡単な野戦携行食の歴史に触れた本もあります)ので一度手に取ってみてはいかが?
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戦国時代、その土地を占領し、自国領とするつもりなら現地調達といえどあまりひどいことは出来ません。


逆に領土にするつもりがないのならやりほうだいです。
稲刈りの季節とかであればその土地の稲を全部刈りとり、自分たちの食料にしたようです。

支給や自弁するものとしては常温で日持ちのする糒、鰹節、梅干、餅等です。

太平洋戦争中は大陸等では現地調達のほか、陸軍は貧弱ですが輜重隊(補給、輸送)を、もっていたので米は飯盒で自炊、牛缶(大和煮もどき?あまり美味しくなかったらしい)とかもあったようです。

南洋方面では食料不足で大勢亡くなりましたが、場所によっては畑等を作り自活していたところもあるようです。
米は日本からも送っていましたが途中で沈められたり無事に着いても途中の温度、湿度の管理が悪く、食べられない米もあったようです。

携行食として乾パンがありますが規則上は食べるためには分隊長以上の許可が必要だったようですし、アルファ米は研究されていましたが
終戦までに実用化されませんでした。

海軍は陸軍と比べて船の上にいる分には比較的良かったようですが長期の作戦では生鮮野菜等不足し乾燥野菜もありましたが潜水艦等では苦労したようです。
飲み物では海軍ではサイダーが有名ですね。

主に航空加給食ですが水を入れると安倍川餅になる餅の素みたいのもあったようです。
飛行中食べる弁当もいろいろあったようですが一番人気は操縦しながら片手で食べられる海苔巻きだったようです。
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この回答へのお礼

<米は日本からも送っていましたが、途中で沈められたり無事に着いても途中の温度、湿度の管理が悪く、食べられない米もあったようです>
そこまで食糧不足でも敵に投降せず最後まで戦い続けなければならなかった日本兵たちのことを思うと、本当に残念ですよね。
詳細にご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/30 21:48

現代の自衛隊です。


缶飯か乾パン。
(白米、おこわ、鳥飯)
魚缶詰(マグロ+カツオ)沢庵缶詰。

食えた代物ではないそうです。 つ^_^)つ

日本軍は最前線では煙で敵軍に見つかる為、
ロウソクで飯ごう炊爨したそうです。
携帯食には乾パンや缶詰は多かったと思います。

無論、半煮えの米はもとより、生米もありました。
食えるだけましだったのです。

明治~大正時代の行軍食には牛肉大和煮の缶詰は既に登場します。
昼はオニギリ。^^

戦国時代、大名の息子が帰ってきました。
飯に味噌汁を入れて食うと飯と味噌汁をもう1杯所望しました。

大名は腕を組み、考え込みました。

兵糧が少ないのは知っているだろう。
2杯は良い。が、
2杯食うのが分かっているなら何故味噌汁を半分に分けないのだ。

案の定、先の見えない息子は城を落とされました。

後、糒(ほしいい)は平安以来の行動食です。
そのまま食え、湯に戻すとおいしく?^^;
いただけます。>_<;
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この回答へのお礼

ロウソクで炊いた米ってどんな味だったんでしょうか。
詳細にご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/30 21:53

普通に商人から買ってました。


戦争で日用品や食糧を売って金儲けをする商人があの時代も今もたくさんいます。
もちろん現地調達もあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/乱妨取り
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/11/30 19:24

足軽たちの食料は、炒り米なら万歳です。

殆どが現地調達ですから現地の百姓達の支持を受けられず、報復のための落人狩りの餌食になりました。

勝者の足軽たちは現地調達をしません。彼らの後から兵站部隊が食料をはじめ、武器や弓矢などを補給しながら着いてきます。来れなかったらマケです。

最近の戦争も同じです。運ぶものの種類や品数がちがうだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/11/30 19:23

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