街中で見かけて「グッときた人」の思い出

クリスマスが近づくと、毎年、平和について考えてしまいます。
今年は例年になく厳しい状態が続くようですが。

ところで、戦争のない世界を多くの人は望んでいますが、その根拠としてはどのようなことがあるのか、私自身も、戦争のない世界を望んでいるのですが、ひょっとすると、戦争のない世界などは、過去に存在しなかったし、今後も存在しない、ということが証明可能かもしれません。
戦争のない世界を信仰として望むことを否定するのではなく、学、あるいは哲学として、存在しないし、今後も存在しないものについて考えることは、まったくの徒労になってしまいます。

そこで、戦争のない世界について、哲学的考察は可能なのでしょうか。
まずは、
1)戦争を現象学的に還元して、人間本性から起因しているもので、戦争はなくならない。という仮説について吟味してください。
2)1)の結果に関わらず、戦争のない世界について、哲学的な考察は有益なのでしょうか。
ひとつは、戦争のない世界はいかにして可能か。
もうひとつは、戦争がなくならないのならば、その悲惨をやわらげる方法を考えることは哲学か。
さらに、戦争がなくなるのかなくならないのかは解らない、それに関して何が語りえるのか。

3)これは、関心のある方だけご回答下さい。
ありもしないものについて考えることは、そもそも哲学なのでしょうか。
つまり、哲学の限界について、皆様のお考えをお聞かせ下さい。

質問を読んでいただき有難うございます。
こんな感謝の意思表示が許されるのかどうか分かりませんが、
お楽しみ下さい

A 回答 (26件中11~20件)

もう体は大丈夫です。

 ご心配ありがとうございます。  いろいろ歳でたいへんなんですが、 鍛えてもいますのでその勝利という感じもあります^^。

もし、キリストの言葉を そのお話の中の奇跡物語とかの幼稚な御伽噺とは別に、人生の具体的な生活の中にしっかり根づかせているならば、  クリスマスとは「今」のすべてでしょうし、  12月の25日という日は関係なくなるで笑。

久しぶりに、訪れてみましたら 大変なことになってますね^^。

宇宙人論的なご回答まで飛び出してきましたね。 

2012年、5次元移行論?はともかく、そこに出ていたURLの中の金融の歴史については、勉強になりました。

自由・平等・博愛 という社会目標も なんか変だなとは思ってましたが裏で そういうきれいな大衆の好みそうな言葉としてそこに置かれて、お金持ち幻想欲(造語ですが^^)のためのだましのテクニックに使われてもいたんですね。

前回 kigurumiさんの紹介されていたURLのjyapann1,2,3、を見ていませんでしたが、  それも見てみて これは大問題と思いました。

私は新約聖書は 高校生の時に読んだだけでしたが、 これは新約聖書のキリストの言葉が出てる部分に関しては 何度も何度も思わず読んでしまったところですし、 その後 それは私の人生に大きな影響を与えています。

しかし、これが、なんで中世の暗黒時代とか十字軍のような宗教戦争などの残虐性にむすびついたのか、そのへんは謎のままでした。

言われてることと真逆ですからね。

でも、どうやら ラザロの復活とか、海の上を歩いたとか、十字架後の復活とか 私が御伽噺も混じってるなと高校の青二才の時ですら思って読んでたのを、 大の大人達が 本気で信じたりしてきてしまったのがキリスト教の大筋の歴史だったのでしょう。

そのyoutubeでの主張ですと 最後には、キリストは実在しなかったとの結論となっていますが、 でもこれは 私には疑問です。

キリストの言葉が、過去の神話に同じようなものが同じように出てきたというのではなくて、 後から作った物語的な部分 処女信仰とか 3人の博士が貧しい馬小屋の中に救世主を見つけただとか、いう部分だけをその後の奇跡とかのいかにも神様(笑)的な部分をとりだして、 昔の神話の数々と比較して論じても、    この本来はそうした神話の不完全性に反逆した鋭い知性の素朴な大工さんが実在しなかった証拠としては不十分すぎると思えます。

歴史家が当時たくさんいたのに 歴史家の誰もが彼を記述していない、それほどの奇跡を行ったのに!   というのは 奇跡で目立った超人だったことが前提となった話で、  そうではなく ほんとうに庶民の深い知恵をもった、ほんとうに庶民の一人だったとしたら、 これも話が違ってくる話です。   昔の時代に ただの大工さんのことを それが何人かの漁師達とかを迫力で圧倒したような話し方も出来たとして、 だれが気づくでしょう。

こうなると、かってにいろいろな人がいろいろなことを言えてしまいます。

いつしか商戦に利用されるようになったのもその一つでしょう。

感性教育が遅れている?ということへの疑問とともに、これだけ長い間に中身のすばらしさがわかっていながら、 その中身こそを哲学的に厳密に具体的な生活の中でその意味合いを語ってこれなかったキリスト教哲学者達にも疑問がわきます?

ただ、 何世紀の思索の歴史といっても、 人間の一生で考えたら、おじいさんが数十人さかのぼれば、もう数千年昔になってしまうわけですから、

すべてを客観視できる位置にいる情報化時代の私たちこそ、 歴史に本物の部分を学び直すべき当の主体なのでしょうね。 私もふくめ 自らを自省すべきときなのでしょう。



無学なもので、 カントやルソーやロックは ほとんど名前しか知りませんし、 ロールズやホップスは始めて聞く名前という感じで申し訳ないのですが、

紹介くださった文面は わたしなりに理解できますので、 また重要な地点と思われますので、 回答させていただきますが、

紙数と 文の区切りから ここは 二つにあえて分けさせていただきます。

OKウェブの元兼社長ご自身、 宗教の無い世界を歌うジョンレノンの歌に感動し、対話の広場を作られる大きな動機を得たとのこと、

平和への重要度を考えれば くだらない長い回答も多いだろう中、すこしぐらいは規則違反しても しかたないかと思います。

(つづく)
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
両方、拝見しました。
あわててお礼すると、また口が滑りそうで、
来年、纏めてお礼させて頂きます、よいお年を。

お礼日時:2008/12/31 17:22

kigurumiです。



fushbowlさんは、戦争はどうのようにして引き起こるとお考えでしょうか。


>アメリカにとって戦争は、やっぱり日本の公共事業だったのか

イラン・イラク戦争。
そんな戦争があったことすら知らなかったのんきな私ですが、原因はよくわからないが、宗教派閥の違いか、領土問題か そのらあたりかなー と思っていました。
冷戦時代に戦争をしていたらしく、いまどき旧人がやるような行為を、まだ現代においてもしている とあまり関心を持たなかった。

ブラックジョークかどうか知りませんが、両国で話し合って、戦争をしていたとかなんとか。
国民を統一するには、国民に「あれが敵だ」と示せば、自分たちの敵は政府ではなく隣国だとして、ターゲットをそっちに向けてくれる。
そして一致団結して、今まで不満に思っていた政府の味方になる。
それに、失業対策にもなるとか。


ビデオ。
確かに私にとっても理解が難しかったですが、戦争に関心を持たない国民に戦争を支持させるには、どうしたらいいか が説明されていましたよね。
日本は真珠湾を奇襲攻撃したわけじゃない。
わざと情報を隠すことで、アメリカ国民が日本に対して怒り、アメリカ国民が戦争を支持するように操作した。
そのために、ハワイの住民に犠牲になってもらったわけです。

で、なんでそこまでして、戦争を起こす必要があったのかがビデオで説明されています。
日本が参戦することになったのも、作為されたから。
と私はビデオを観て理解したんですね。

もう立ち上がれないほどボロボロの日本に、大量破壊兵器を使いましたよね。
使う必要がなかったのに、必要の無いことを何故やったのか。
消費しないと儲からないってことなのでしょうか。

あのビデオの1は、イエスの真実。 2は9.11の真実。3は戦争の真実。
という感じじゃないかと。
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この回答へのお礼

kigurumiさん、たびたびすみません。
その上お礼も、大変遅くなってしまいました。
取り敢えず、ビデオの(1)見てみました。
(3)を見た後ですから、わりとまともな事をいっているようで、ただ、神話や伝説は似たものが多いのは世界共通で、それを、捏造とか模倣とか批判しても・・・尤もアメリカには、創造説を信じていられる方が多いから、このような主張が出てくるんですね。

そう言えば、先日のの新聞、
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/ …
「同意の上で装着」と有りますが、ビデオ(3)のチップを体内に埋め込むことでしょうか。
「装着」との表現ですが、首輪とか大昔の刺青とか、ちょっと怖いですね。

>戦争はどうのようにして引き起こるとお考えでしょうか。
≫アメリカにとって戦争は、やっぱり日本の公共事業だったのか
あっと、これは一種の皮肉と受けとってください。狭義での戦争は、国とか共同体の間で起きるものですから、その原因は複雑だと思います、集団の中には賛成派もあれば反対派もいることでしょう、代表者が独裁者でない限り、そのバランスを取りつつ、大勢側に則して判断するしかありませんね。そこで、プロパガンダが出てくるのですが、これは賛成派も反対派もやることで、偽りで出来た宣伝は問題でしょうが、プロパガンダとか宣伝とかはしょうがないと言うか、現在の先進国家では主権は国民ですから。

よく似た話に、モードの革命がありますね。
T型フォードは、大量生産で高嶺の花だった自動車を一般の人が買える価格にまで低くしました、ところが、T型フォードを二十年くらい作り続けると、T型フォードでは満足しない市場が出来てくるのです。この過程にはメディアの宣伝は有ったのでしょうが、結局は、人びとが消費のための消費を受け入れ、車はモデルチェンジというモードの消費に移ったといえるようです。

第二次世界大戦や原爆の話は、歴史の話でしょうか、事実がどんなものか私には測りませんが、私が思うに、自分や自分たちの能力が、他を凌駕していれば、その能力を使ってみたくなるのも、人間の性でしょうか。
おっと、これは口が滑ったでしょうか、訂正して遺憾の意を表明します。広島・長崎の皆様すみません。
ご回答有難うございました、残りのビデオは来年見てみます。よいお年を。

お礼日時:2008/12/31 17:05

戦争は彼らにとって必要だからです。

人間は増殖力が旺盛で人口コントロールには戦争が最適なのです。少なくとも過去4000年の大きな戦争は、同じ血統の人たちによって引き起こされています。人間は奴隷として45万年ほど前に遺伝子操作によってオリオン座の方からきた宇宙人の細胞から作られました。それから暫くして人間らしく感情を持つようになりましたが、逃げ出せない様に体が死んだら生前の記憶を失うように作られていました。そして3次元に閉じ込められることになったのです。創造主が去った後地球に我々よりも長く住んでいる爬虫類人が地上に出てきて人間と血縁関係を結び、13血統をヨーロッパに広げました。エリザベス女王や殆どの王族そしてアメリカ大統領の44人中43人は爬虫類人と混血です。 貴方が人間だと思っている世界のリーダーたちが人間ではないからです。特徴は目に出ます。爬虫類の目ですね。

彼らは世界中の政治、経済、文化の中心を押さえているので、日本の新聞やテレビを見ても必要な情報はほとんど流れていませんね。天皇陛下も英国皇室とは関係が深いですが、血統の違いで(白人ではないのでと表向きは言われています)世界のリーダーの仲間には入れてもらえないようです。芸能人にもずいぶん潜入しています。

何億年前にも、地球人(人間ではありませんが、基本的には同じです。)は今の我々と同じような状態にありました。そして核戦争や滅亡の危機にあいプレーディアン星人らの友好的な宇宙人に助けられ、自分たちが宇宙の創造の一部であり、全てはひとつの意識から始まったのだと理解できて5次元に移りました。映画未知との遭遇に出てくる宇宙人がそうです。彼らは今でも地球に住んでいますがいつもは地球内部にいてたまにUFOに乗ってコスタリカの上空に現れたりしています。 
大惨事を免れて3時元に残っていた少数の地球人(人間の先祖)は、だまされて遺伝子操作をされ奴隷にされてしまいましたが、2013年にアクエリアス時代に入り我々が愛と意識にめざめる時代になり、再び自由になる時がきたのです。アクエリアス時代とは、今までは個人を独立したものと感じていた意識が、全てはひとつなんだと気ずくようになるのだということです。でも日本ではなぜ誰もこの話しを知らないのでしょうか。ノルウエー政府は国民の半分を助ける用意をして地価避難所を2011年までに完成しょうとしているのに、日本はエリートだけを助けるつもりで、羊は勝手に死ねという官僚体制が明らかですね。
http://www.youtube.com/watch?v=JBM_Utij9u4
大幅にカットされた人類創世記に書かれているように、人間は宇宙人との遺伝子操作によって誕生しました。聞いたことがないのは当然で、羊である、知能程度の低い人間に教えるはずはありません。そうです。彼らは、我々を家畜程度と思っています。彼ら爬虫類人は、このところ人間の姿を保てなくなり多くの人に変体している現場を目撃されるようになりました。混血率が50%の場合爬虫類の姿になることが出来るのです。彼らは人間の体を保つためには、月経の血を飲まなければなりません。そして人間の内臓を皮膚にこすりつけたりするそうです。(すいません気持ちが悪いですね。わたしも考えると吐きそうです。)コモドドラゴンがヤギを食べている感じでしょうか。コモドドラゴンは別にヤギを憎んでいるわけではありませんよね。生贄の儀式には、4次元の爬虫類人たちを呼び出す為に行われます。かれらは非常に知能指数が高いので、呼び出してはいろいろと解らない事などを質問します。儀式に参加した人間にのりうつることもあります。日本のリーダーも参加しているので当然彼らの仲間です。エリート達は、宇宙人からもらった未来を予想する機械を持っています。これは使う人達の気分で結果が異なります。エリート達の見た未来は、第三次世界大戦、地球壊滅、人類滅亡と言うものでした。爬虫類人の思いどおりですが、笑えるのは自分達も一緒に滅びると出たことです。ハリウッドも彼らの支配下ですので、ドキュメンタリーや地球未来計画のつもりで見てください。参考までに映像だけでも見てくださいね。

我々は3次元の世界を卒業して5次元の世界へ行きます。爬虫類人達はDNAの関係で4次元までしか行けないので、家畜と馬鹿にしていても人間と混血になって5次元に行きたいのです。しかし2012年が近ずくにつれそれは不可能なことがわかっています。そこで我々をだまして3次元に留めようとするはずです。彼らは魂を集めることが出来るので、羊を納屋にとどめておく為に9/11のように、テロに見せかけた核戦争や自然災害に見せかけて多くの人を殺そうとするはずです。貴方が不思議と思われていることは、綿密に計画された地球侵略計画の結果なのです。
http://www.anti-rothschild.net/lecture/current/i …
ちなみにクリスマスはイマニュエル(キリストと呼ばれている人)の誕生日ではなく冬至に行う爬虫類人の儀式の日です。イマニュエルの誕生日は2月3日です。西洋、中近東の宗教は、家畜をコントロールするように彼らが作ったので、戦争を継続する為には非常に効果的ですね。
PS;これを読まれた方全てが目覚められますように。是非you tubeを見てください。
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この回答へのお礼

safecity様、お礼が遅くなり、大変失礼しました。

いや~驚きましたね。こういう考えもあるのですか、知りませんでした。
>創造主が去った後地球に我々よりも長く住んでいる爬虫類人が・・・
この件に関しては、なんともコメントが見つかりません。
編集された部分に、何か有ったかもしれませんが、残念ながら機会を逸してしまいました。

一番下のURLは少し覗いてみました。
結局利子の問題ですが、この件も、今の所、確かな判断はできません。

そもそもこの質問は、利子の問題まで自分の思考を上方に向かって転換するか否かのポイントです。
私の思考は、下方に向かって掘り下げ、確固たる岩盤・根拠を探っているのですが、いつまでたっても、金鉱にも岩盤にも当りません、そこで、そもそもそんなものはないのではないかという疑いを、戦争という比喩・代理を使って検討してみようという下心ですね。貨幣の哲学とか価値の哲学では、もう飽きられてしまったようで。

どなた様に置かれましても、自分の信じる道を、行くしかありません。
ちょっと心配ですが、来年も頑張ってください。よいお年を。

お礼日時:2008/12/31 06:24

<<magga様は、戦争の要因として「無知」を挙げられます。

では以下の三段論法には、どう対応されます。>>

<<A戦争の原因は「無知」である。>>

はい。

<<B人間は神ではないので「全知」は不可能である。>>

「神」は定義が広くてよくわかりませんw
「全知」とは六根を有るがままに知ること、捏造しない誤知のないデータをありのまま観ること、悟ること、と考えています。

そしてその道に至る方法をブッダが懇切丁寧に語っていると感じます。

しかしながら、ほとんどの生命が無知に覆われていますね。

大抵の人は使える理性をもってそれほど大きな問題を起こさずに暮らしています。しかし無知を根絶やしにしない限り危険ははらんでいます。環境が整えば無理を起因として怒り欲で概念構築し外の世界と戦うことになります。

そしてブッダの語る一見「当たり前じゃん」ともいえる言葉。
その道を進もうとする人は数少ないでしょうね。
自分を守る当たり前のことを多くの人は嫌いますもんね。

<<Cよって、人間にとって「戦争のない世界」は不可能である。>>

よって常に危険をはらんでいるのが思考を伴う生命である人間だと思います。

常に争いに向かう危険をはらんでいるからこそ、自己を守り、戒め、他者を多く感情的に導かないように、他者をも守る事が、争いの世の中から離れるために避けるために必要なことになるのだと思います。

善と悪があり、堕落と向上があり、発心があり、試しがあり、…


<<「無知」を戦争の原因として、「無知」をなくせば「戦争のない世界」が来ることは、「根拠」としては弱い、つまり、「無知」だけが原因ではなく、他の要因もあるのでは、といった疑問が沸いてきます。>>

無知が全ての悩み苦しみの原因と考えてます。
無知が無ければ怒りも貪りも無いと言うこととおもいます。
無知と怒りと貪りが無い人が人と争うことがどうしてありましょう。

戦争の原因にしては根拠は十分と思います。
私はねw

無知は感情と概念と現象の軋轢の原因だと思っているので。
精神的、概念的に概念・現象との軋轢なきところに争いは起こりえないと思います。

他の要因となると、物質・物理的なことになりますが…


<<最小単位の問題や、消費活動関しても、興味深いアドバイスを頂きました、そうすると…>>

自分の出来る範囲でです。

ココにこだわって無知を育てては元も子もありません。
怒りをもってもいけないんです。やるなら慈悲の念を持ってやらなければ無知を育むことになってしまいます。

何か参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

お礼がまたまた大変遅くなりました。
雑用に手間取ったこともありますが、どうお礼してよいやら、さっぱりイメージが湧かなかったのです。第一印象としては、宗教を根拠にして、一定の整合性をもった世界を簡潔に語れる器量が、羨ましい。しかし、こんな事ではまともな御礼にならないし、時間をおいてまた読むと、結論的には、大した違いは無いとも受けとれたり。時には、相対主義的な寛容と慈悲の違いが気になったり。なんとなくつかみきれない部分が残ったままですね。

このあと、寛容について少しお話してみようと考えていたのですが、結局、巧くまとまらず、そうこうしているうちに、また雑用、今朝、また始めから書き直すより、質問者の考えの移ろいをそのまま書いておこうかと思いました。

magga様の悟りの境地が、羨ましいのは確かですが、それに同意できない私がいることも確かです、このことは質問と関係ないと思われるかもしれませんが、私としては関係しているんです。「戦争のない世界」がくるのかどうか分からない、どちらにも根拠がなさそう、にもかかわらず、「戦争のない世界」を求めたり「戦争のない世界はありえない」として、次善策を考えるにしても、その根本となる根拠がない。
私事で恐縮ですが、私の場合、基本的には、消極的な「独我論」に近いと申しますか、但し書きの沢山付いた「独我論者」のような気がします。そうすると、私が知りえることは、厳密に私の主観でしかないわけで、magga様のように、宗教のような外部世界に根拠を求めることは、私の場合、矛盾してしまうはずです。

今回のお礼、巧く書く必要もないのですが、誤解されやすい文章だと思います。
今朝、新しいご回答も頂いた様で、時間もあまりかけられません(もう十分時間の掛けすぎですが(笑。)
年の瀬に、帰し方のことなど、あれこれ考える参考になります。有難うございました。

お礼日時:2008/12/31 05:53

2008年12月24日になりました。

クリスマスイブですね。
20世紀を振り返ると、世界大戦を2回も、人類は経験しました。
第二次世界大戦、アジア太平洋戦争では、未だに遺骨を収容できない深海や洞窟に眠ったままの御霊がたくさんあります。
アメリカ合衆国と日本は、まだ、先の世界大戦の戦後処理を終わらせていないような気がします。法律で、外交で、賠償金で決着がついたと思う人もいるでしょうが、思想的、哲学的には、何も解決していません。
「戦争」という一般的な話をしても、空虚です。普通、日本人が「戦争」とか、「世界大戦」とか、「アジア太平洋戦争」といえば、家族、親戚に戦死者、被爆者をもつ、たった一つの戦争しかありません。
哲学は、問題のたてかた、問題のつかみかた、が大切です。
1929年の世界大恐慌から始まり、1930年代の日本の歴史を、今振り返ってみることは、十分に意味があると思います。
話は、急に飛びますが、NHK大河ドラマ「篤姫」の江戸城無血開城の、戦闘回避の政治交渉には、感動しました。女性が光り輝いて見えました。「戦争」「戦闘」のない平和な地域や民族には、母系制度の安定があるようです。
それぞれの学問には、守備範囲があるようです。そして、学問は、未来をさししめすことができますが、一度動き始めた歴史の歯車は、人間個人の意思を無視して、とまらないようです。世界と、日本が、新しい秩序を求めて胎動を始めました。もうだれにも止められません。私たちにできることは、この出産の痛みをやわらげて、母子ともに生き続けられように、出血を最小限にすることだけではないでしょうか?多分、舞台は、政治、経済の利害対立と闘争になると思います。議会と討論、論戦で新しい秩序ができるとよいのですが。
「戦争」については、個別具体的な戦争について、大いに議論をして、戦争終結のための政治交渉、外交努力を求めます。
「日本国憲法」前文と第9条をもつ、「日本」が、戦争放棄と核兵器廃絶の歴史的使命をもっていると確信しています。世界中に「第9条」を広げましょう。なぜか、ベートーベンの交響曲第9番が、くしくも人類の友愛を説いています。こどもの夢のような、お話で失礼しました。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。
クリスマスも終わって、この質問も、賞味期限が迫っていますね。

>「戦争」については、個別具体的な戦争について、
戦争一般に関して考えるのか、個別の戦争の解決について考えるのか、この区別は重要ですね。

大変示唆に富んだご回答を頂き、考え込んでいます。
一つ目は、戦争一般に関して考えることが、空虚なことになるのか。
確かに現実にあるのは、今朝のニュースのイスラエルによるガザ地区のハマスに対する空爆、そしてハマスの報復宣言、暴力の連鎖で、これはやはり政治の問題であり、哲学の出る幕など限られているのでしょう。
それでも、哲学は個別のことには関われないとしても、戦争一般に関して、空虚にならない議論・考察の可能性を探るしかないですね。その結論が、不本意な「戦争はなくならない」と言った事に成ったとしても。

二つ目は、戦争の経験ということでしょうか、戦争を経験していないものは、戦争を知らないわけで、そうであるのならば、戦争を知らないものが、戦争に関してあれこれ語ることは、僭越かつ越権行為である、と。
こんなふうに考えると、やはりこの理屈はおかしい。しかし、自身の経験以外の知識は、結局、他者の言説か、マスコミその他の媒体による知識でしかない。媒体の定義上、そこから得られる知識の背後には、他者の独断・信念・欺瞞・利害等々。

あれ~、私は戦争に関して質問する資格など無かったのでしょうか?

第九の季節に九条を大切にするのもしゃれてますね。
色々考えさせられるご回答を頂き、有難うございました。
それではよいお年をお迎え下さい。

お礼日時:2008/12/28 08:02

平和を愛する殺人集団は、今日も平和と正義を求めて人殺しでございます。


戦争はもはや当事国の戦闘員や一般市民のみならず人類の存亡を左右する危険性が
ある事象でございますので、現象学的になくならないなどと達観できる立場など
あるのでございましょうか。
人間本性は、人間を殺すものであることは非常によく理解できます。
それは、戦争遂行者、テロリストや無差別殺人犯等の問題ではなく、私の問題でございます。
詮方尽きた状態において、なお、他を殺さず、自を殺さない道のことでございます。
家を焼かれ、土地を奪われ、家族を殺され、まさに自らも殺されようとしているところの
ことでございます。
しかし、殺さなければ殺される、そして、殺してきたからこそ生き残っているのでございます。
せいぜい殺してきた私が、戦争はなくならない言うには、その業があまりに重すぎる
のでございます。
殺したものが生き残る・・・戦争はなくならない・・・
私は、絶望と希望の狭間で悶え苦しむのであって、戦争はなくならないんだと言ってしまえれば、
こんなに楽なことはございません。
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この回答へのお礼

またまた、お礼が遅くなり、大変申し訳ありません。
なるほど、よくわかりますし、同感です。
しかし、質問者としても、戦争はなくならないと、達観しているわけでもありません。
こうして質問して、ジタバタしてるんです。

実際、他のご回答者様の指摘どおり、先進国では実際の戦争はなくなっていますが、そのかわり、暴力的な武器を合法的な通貨という武器に変えて、殺人を繰り返す、企業集団も存在するのではないでしょうか。
ということは、経済戦争は、暴力的な実際の戦争を、回避する装置として、経済戦争を肯定してしまうような、「屁理屈」は可能なんだろうか、皆様の回答を通じて、私自身も、あれこれ考えているんです、むろんなんの役にもたたないのですが。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2008/12/28 07:07

No6です。

フィッシュボウルさん丁寧なご返事ありがとうございます。
いささか木で鼻を括ったような回答ともいえないようなものを書いてしまい、失礼いたしました。
確かに、戦争とは何かが理解できなければ、単なるヒステリックで無意味な反戦運動しか起こせないということはあると思います。
でも、「戦争はなくならない」という仮説を掲げて、そのための理屈をこねまわすという不毛の作業をするよりはまだましな行動だろうと私は思っています。戦争はなくさねばならないというのは人類に課せられた義務であり、多くの人間が現在も必死で努力を続けている最中であると私は信じています。ですから「戦争はなくなる」という仮説で考察を始められるのなら意味のある作業になるかもしれないと思いました。そのために1)は意味が無いと申し上げたものです。
2)については、私のほうが理解力が不足だったようです。ではこの2)について「戦争をなくすためにはどうすればいいか」という考察をすればいいのですね。
私の考えとしてひとつの方法は、戦争が単なる金儲けになっている世界の一部のシステムと、それを放任している卑劣な政治指導者たちを極小へともっていくことです。世界に戦争を起こさない事が一番の方法(武器の需要を0にする)なのですが、これはにわとりとたまごの関係ですので、まずやわらかい人間と組織を潰すことに全力をあげてみたい。
もうひとつは、宗教と宗教教育を世界から根絶することです。イスラムとユダヤ、そしてキリストを含む宗教観を人間の意識から捨て去ることが必要だと思います。
最後に、世界の国をひとつに統一することです。これが困難なら、とりあえず為替レートを固定し、通貨を統一することでしょう。貴方が専門の分野ですのでこの具体的な方法をぜひ計画していただきたいと思います。いささか非哲学的な文章になってしまいました。お許しください。
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この回答へのお礼

お礼が大変遅くなり、失礼致しました。
余計なお礼を書いて、かえって、amazo007様に余計な負担をかけてしまったのでしょうか。
今回は、余計なことはあまり書かずに、余談を。

質問が編集されましたが、実際には管理人様に不都合な所が削除されたんですね。
youtubeの動画に問題があるのは知っていたのですが、最近、メディアの貼りつけが可能になって、図形や動画を質問に貼り付けられるようです、教えてgooさんの以下のページを見て
http://blog.goo.ne.jp/oshietegoo/e/58084ae40d2a6 …
あら、 gooさんも、youtubeの動画、解禁したの、と思ってしまったんですね。

ところが、違っていました、削除されましたね。

そこでついに、質問者と教えてgooさんの管理者との戦争が始まるのか。

もちろん実際戦争は始まりませんが、仮に戦争が始まったら、その原因は何でしょう
一番の原因は、質問者の誤解ですね。
しかし、質問者が誤解していたことを気が付くためには、gooさんの管理者からの一撃がなかったら、質問者はずっと「gooさんも、youtubeの動画、解禁した」という信念・誤解を持ち続けたでしょうね。

さて、さて、私達の判断とは一体、どんな根拠のもとにあるんでしょうかね。
結局は私が馬鹿なもんで、訳の分からない理屈を捏ね回しているんです。有難うございました。

お礼日時:2008/12/27 11:52

風邪気味のようで、さっきまで頭が痛く、熱にうだされた感じがまだあるのですが、 平和に関してはもっと熱にうだされてるようで、やっぱり手は動き始めてしまったようです^^。



もちろん、戦争が無いということを意味するだけが「平和」という単純な平和希求なのではないですが、 この憎しみの連鎖をいかに削り消してゆくかという問題や、権力の心自体を弱体化する問題(そうしないと裏工作は絶えない)とかも  大きな良心の闘いの地点の問題です。

1憎しみと2権力、その裏には 私利私欲という名でも呼ばれる3欲望の問題もあります。

この3点も、けだし、感性が豊かになれば大きく解決して行くはずの問題と私はとらえています。

特に 欲望の問題は、そこにおぼれてそれを見つめることができなくなってしまうことが問題である点、 感性が豊かになるにしたがって「見つめる」ことの出きるようになる問題。  見つめれば、むしろ欲望自体が美しくもあり「平和の希求」をより鮮明にするはずの、そういう問題として考えています。

ご紹介いただいた>(『哲学的思考 フッサール現象学の核心』 西 研)<にて、  だいたいは「現象学」の《意図するところは、》すこしですが つかめた気がしました。  ありがとうございます。

しかし、その中の>人類のレベルでいえば、環境と資源の問題、また南北の貧富の差の問題、多発する民族問題を、解決していく道筋がはたしてあるのか。日本社会にかぎっていえば、教育も政治も制度疲労を起し、そして、何をめざして生きてよいのかわからない、という目標喪失の感覚を抱えている人は多い。< という現象分析の結論に関しては、 この情報化時代の現象を分析しきっているとは わたしには思えないという現象が ここに起こっているところです。 (「現象」という言葉をめぐっては、ズレまくってるかもしれないところですが^^)

>環境と資源<→経済と政治が変に複雑に絡んでる問題群ですね。

>貧富の差<→人口や資源量とかともかかわりつつ、もはや資本主義の変革以外の経済的な方途はありえないと思える問題ですね。 ここにはけだし欲望革命^^が大きくかかわりそうです。

>多発する民族問題<→戦争という事態は少なくなっていてもその危惧や、細かい争いやそれによる悲惨や 非生産性は「平和」の敵ですね。 知性の信仰をbrageloneさんが掲げる理由が ここにありそうです。 リスペクトの源泉としての感性や知性を訴え続けたいところです。

>日本<>教育も政治も制度疲労を起し<→ うまくその現象を捕らえた文ですね。 感性教育の思い切った革命が必要です。 ユトリ教育という名のままごとではなくてです。(本気なので…。) また政治改革にはまずマスコミ革命が前提と考えます。

>経済は先行きが見えない。高齢者社会の到来も間近である。<→ この問題重いですよね。 

 わたし肉体労働者ですけど、数年前、ガス工事のほうの手伝いをしていて老人マンションで ボケ老婦人の給湯器の説明をしている現場に立ち会いました。  ガス屋さんは、管理人から聞かされていたとおり とても丁寧な説明をしていました。  3歳の子供に言い聞かせるようにです。      私は 彼女の気持ちが解かりました。

そんなふうには扱って欲しくないのにどうしようもない自分がそこにいるという心をです。

私は 黙って しばらく彼女のそばにいました。 そうせずにはいられなかったからです。 でも何もできませんでした。 心の叫びが聞こえてきました。 《わたしは、これから、どうしたらいいの?》 でも、 でも何も何も出来ませんでした。

「平和」というのは、わたしにとって、そういう人たちも幸せになることです。   そういうコミュニティーをなんとしてでもなんとかでも作ることです。

世界中の その叫び声を知る哲学をまず求めるゆえんです。

「日本教」「平和ぼけ教」、そんなのたいして問題じゃないと思います^^。 怖いのは世界にはびこる「マスコミ教」ですが、 これを最初に解決する可能性をもった民族はむしろ日本人だと思ってます。

過去の思想の中に仁の思想があります。医学の原点から生まれた相身互いの精神源泉とも思っています。 でもそれを現代に復活するのもむしろ肌感覚を大切にしてきた日本民族と思います。

イソップの童話に太陽と北風の寓話がありますが、 それは多くの人が納得してい道理の世界でもあるにもかかわらず、権力のまえにいじけた子ねずみのような太陽となってしまってます。 それを想うと 手は振るえ涙が出てきてしまいます。  なんで?    という思いです。

それを解決できるはずの日本人が、マスコミの北朝鮮の扱いにそのままおぼれている姿は 哲学者の怠慢そのものではないでしょうか?

細木数子「与えなさい、そうすれば北朝鮮は変わる」

古舘「それはそうなんですが、与えると権力のみがそれを受け取ってしまう体制、これが悲しいです。」

細木数子「 もっと与えなさい。 与えなさい。 与えなさい!」

叫ぶように語る細木の心よく解かります。

《そうしなければ 拉致問題にしても らちがいくはずがない》

白いものも黒という荒削りな実践者でもあるだろう占い師ですが、彼女の場合、魂は本物です。 大好きです(ニセキグルミより)

体制改革? それどころじゃないはずです。あの国の寒さ、あの国の太陽希求は!!

そうそう、kigurumiさんと言えば、「天国」という幻想が多くの悪の原因であることを見抜いてる方としても有名ですよね(今はネットの中でですが^^)。    おかしいのは、ジョン・レノンじゃないすが、キリストがいう天国は この大地の子供たちを抱き上げて言ったんですよね。 それを幻想にしてしまった宗教病とは恐ろしいものですね。

たぶん、キリストはキリスト教の教祖なんかじゃなくて、ほんとうにすばらしい大工さんだったのだと思います。 神の愛ってなんなのかを語った最初の庶民だったとおもいます。   しかも もしかしたら、すでにその頃 その後の哲学者よりも、はるかはるか奥深く ちゃんと感性の世界も「見つめ」哲学されていたことがわかります。  この大地の感性(心)の中に天国があります。

キリストですら 当時の環境の中でうまく弟子達に伝えられなかったのが 性に関する感性の世界でしょうね。

「姦淫するなとあなたたちは言われてきた(モーゼの十の戒律の一つですよね)、 でも私は言う、心の中で姦淫した者も姦淫したことになるのだ。」 想像力の世界の事を言っていますが、 その中身には触れていません。 その可能性の世界についてもです。  しかし、まず、これは今までの教えとは逆なことを語っている有名な山上の垂訓の中で言われてることです。  しかも もし心の中で想像しただけで罪ということならば、そういうキリストも罪を犯してきたことになってしまうことを明白にさらしてる文であるにもかかわらず。

なんと、キリスト教徒たちは、その後、これを心の中で想像しただけでも罪だという姦淫の罪?の強化と受け取り、 そこに差別的な家族病理の世界の因とかも作ってしまっています。 (詳しくは略しますが、フリーセックス肯定論じゃないです^^。)

ベットインパフォーマンス、 私も まじめにさらなるその追求をしています。 平和のために!

アーミー病という権力がうまく扱って戦争に利用してる意識の世界についてすでにカントが語っているのでしょうか?

この問題も、小さい問題とはいえないかもしれません。 しかし、それも感性教育(おもにスポーツの面)で解決してゆける 可能性のある世界だと思います。

すみません、顔が熱くて 何を言ってるのか意識がうつろです。 今回はここまでとします。  機会があれば、 今度はもっとちゃんと書こうと思います。 論理的にということです。 今回は気持ちのまま書いてしまいました。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、大変失礼致しました。
体調の方は如何でしょうか、強力な寒波の到来とかで、ご自愛のほどを。

少々「現象学的に戦争を」という表現に拘り過ぎたでしょうか、単純に、戦争・紛争・暴動といった暴力的な行為と、経済戦争・競争のような、一応、非暴力的な行為との関係に関して、色々な意見をお聞きしたかった、というふうに理解していただければよかったのですが。もちろんあまり無理はなさいませんように。

カントの考えについては、なかなか難しいです。
「この自己愛から来るのが、他の人々の評価において価値vertを保っていたいというわたしたちの欲求であるが、ここからまた逆に平等への欲求が来る。それは、誰にも自分を上まわる優越を確立してほしくないという欲望と、他の人間がそうしてしまうかもしれないという懸念において、表現される。この過程は事柄の本質を表現しているので、身分や地位を得ようとする抗争、偽善や競争、嫉妬や忘恩や意地の悪さのような文化の悪徳を、徐々に惹き起こすにいたるのである。このような悪徳は、カントの見るところでは、文化の歴史的発展によって善への素質に接ぎ木されたものである。このような見解によって彼が言おうとするのは、比較したり判定したりする自己愛によって引き起こされる社会的環境があれば、そのような悪徳は避けがたく生じるということだ、とわたしは考える。ここにわたしたちはルソーの『第二叙説』と『エミール』の影響を認める。」(ロールズ哲学史講義・カント)

ところが、カントは、ロック的な所有権に肯定的で、ルソーの自然状態に反して、自然状態は争いの状態として、ポップス的な考えも同時に持っているようです。ちなみに、『第二叙説』とは、『人間不平等起源論』のことで、「ある人が土地に囲いをして・・・」という有名な一節から始まるロックとは反対の立場です。

ところで、ロールズの解釈「悪徳が善への素質に接木されている」に従えば、質問に挙げた仮説にまた戻ってしまいます。この年末は、海外から日本に来られた人達が大変なようです、日本は常識的には現在戦争はしていませんが、本当のところは、経済戦争の激化の一歩手前、といったところでしょうか。

細木さんについてはよく知らないし、「ニセキグルミ」もお会いしたことがない、
この件に関して、私はノータッチ、有難うございました。

お礼日時:2008/12/27 11:18

kigurumiです。



私はfishbowlさん 大好きですよ。
毎回 考えさせられる質問をされており、改めて考える機会を与えてくださいます。


私の回答に冷たい印象を受けたのなら、例のごとく長文になったので、かなり削除してしまい、結果淡々とした文章になってしまったからじゃないかと。

if you want it が鍵ですね。

平和はいいことだが、そのために、自分が損をするのはイヤだし、生活が今より悪化するのもイヤだから、それを回避するためには戦争が特効薬だから戦争に賛成だ と言う集団の場合、戦争が起こる確率が高くなりますよね。


世界第二位の石油埋蔵量を持つイラクになんでアメリカは戦争をしかけたのでしょうね。

なんでその前の湾岸戦争の時、アメリカは油田に火を放ち、イラクがやったと濡れ衣を着せ、北欧でしたっけ?の地域で起こったタンカーの座礁・原油の流出事故の映像を流して、イラクが油田を破壊して海に流したから100年は回復しない とか工作してイラクがやったように見せかけることをしたのでしょうね。

自分たちの側の人間をクエートに送り込み(CIA職員でしたっけ?)、イラクにより今クエートの人々は悲惨な状況だとクエート人になりすまし演技させて、カメラの前で訴えさせた。

アメリカはイラクを煽って、クエートに侵攻するように誘導し、イラクはアメリカに打診すると、同民族の内部扮装に関して、アメリカは関与しないと返答したのに、イラクがクエートに侵攻したら、途端に戦力を投じクエートから追い払って しかも あっちこっちで工作を仕組んでイラクのせいにした。

イラクを悪者に仕立て上げ、世界各国に経済封鎖をさせて、イラクを兵糧攻めにした。
国民が耐えられずイラク政府を憎むように仕向けた。
でも、イラクは耐えたので、業を煮やして、ありもしないことを事実だとして、戦争をしかけた。


アメリカは炭素菌事件がありましたよね。
イスラム勢力が犯人だというのが当たり前でしたが、実際はアメリカ国民がやっていた。
ビル爆破テロも、イスラム勢力がやっているとされたが、実際は一人のニートなアメリカ国民がやっていた。
イスラムは関係ない。

9.11事件、多額の保険金が絡むので、調査されているわけですが、どうやら飛行機が激突して崩壊したかのように見せかけられたが、実際は爆弾によりビルを崩壊させたようです。

平和を望まない人が、長年かけて、戦争が起こるように工作している。
不和を人工的に引き起こしている。

何故戦争をするのか。
膨大な軍事費がかかり、国民が苦しい思いをするのに、どうしてするのか。
儲かるから。
軍事関係の人が儲かるから。
株主が儲かるから。
さて、軍事会社の株主、役員たちは誰でしょう。
世界の有名な政治家たちが名前を連ねていますね。


たとえ国民一人一人が平和を望んでも、人為的に工作し、戦争に賛成するように国民の心を誘導して、まんまと自己利益を上げる人がいるから、戦争は起こると思えるんです。


>本当に望めば戦争は終わるんでしょうか、歌の歌詞にけちつけるなんて大人気ない。

例えば、日本国憲法に戦争の永久放棄ってありますよね。
この憲法を持つ人々に戦争を支持させるにはどうしたらいいか。
妄想による恐怖を植え付け、国民を不安がらせればいいんですよ。

アメリカは核兵器の開発費の増加と、政府が国民を監視するシステムの導入を、国民に了承させるために、9.11を引き起こしたと思えるんですね。
人々は、ビルが崩壊する映像を見て、「こんなことになるのなら、政府が国民一人一人を監視してもいいよ」と了承した。
政府が国民を監視することで、犯罪を防げると考えたわけです。

それと同じように、隣国が核爆弾を日本に向けているとか、宇宙人の攻撃に対して、もっとしっかりと防衛するために、軍事費を増やそうとか、国会でやっていますよね。
国民が震え上がり、軍事費の増強に賛成し、国民が憲法の改革を望むように仕向けている。

国民が平和を望まないように洗脳していっている。
平和ぼけしている 実際は大変なことが起こっているんだぞ のんきにしている場合か 焦ろ 焦ろ ほらほらほらほら と。


日本は戦争放棄しているので、兵器は持っていないはずですが、実際は持っている。
日本の軍事会社をいくつ挙げることができますか?
もちろん表向きは軍事会社じゃないです。 重機も製造するメーカーです。
コンピュータ会社の作り出すパーツも軍事に使えます。

誰が役員でしょう。 株主でしょう。

もし、あなたがその会社の株を持っていたら、あるいは社員だったら、どうします?
その会社の評判が下がると、株は暴落し損しますよ。
あるいは、業績不振で首切りになりたくなかったら、会社が儲かるように貢献するでしょ?
平和は好きだが、自分が損するのはイヤだと思うでしょ?
じゃあ どうするか。
自分以外の人が不幸になっても、目をつぶれる人になり、憲法の改革をいろんなことにこじつけ、推進するでしょ。
平和を望まないグループに入ってしまうわけです。


>しかし戦争そのものにはいかなる特別な動因も必要ではない。

快楽殺人はいかなる特別な動因も必要ない。
本能が快楽を望むのに理由は無い。
確かに。
でも、人間は理性で湧き上がる快楽の希求を抑えることもできる。
できない人もいるが、大半はできるはず。

で、人間は友人が不幸になる戦争は望まないが、「日本に対してこんな悪口を言っているぞ」と流せば、隣人を友人だと思わなくなり、憎しみすら生まれ、あんなやつがどうなってもかまわない 痛くも痒くもない となる。


勝ったら英雄と崇拝され、負ければ悪者となる。
だから戦争で勝つことに貢献した人は、勲章など名誉と権力を与えられ、人は名誉と権力に弱いので、誘惑に負けてやってしまう。
もし、功績を与えても何の得もなかったら、争いは激減するんじゃないでしょうか。

例えば民族間の紛争の原因は、妬みや優位性だと思えるんですね。
今まで住んでいたところに、別のグループが入ってきて、儲かって裕福な生活をすれば、妬みねたみが起こり争いになります。

ロス暴動では、白人警官が交通違反をした黒人に対して過度の暴力をふるい、起こった黒人は白人社会に攻撃をせず、韓国人の社会を攻撃した。
日ごろから妬みにを持っており、黒人が黄色人種より上とするため、韓国人の社会を攻撃したのだと思います。
人種差別が根底にあり、ドミノ倒し状態になった。


じゃあ 人種差別をどうすれば、撤廃できるのか。
やはりメディアの力は強力。
映画にいろいろな人種を登場させる。
今まで白人が主人公で正義というのが定番だったのに、黒人や黄色人種を正義の側にして描くなどしている。
いろんな人種が、入り混じって、普通に会話している。
人種ではなく、キャラクターの個人の性格で変化をつけている。

こうすることで、人々の認識を変えていき、新しい社会に生まれた人々は、人種差別をあまりしなくなり、争いが起こるのは、相手を一人の個人ととらえ、性格の不一致だと考えるようになる。


結局 戦争は人為的な争いで、しかも生存権をめぐってというより、特定の人の自己利益により仕組まれており、国民は情報操作されて、踊らされ、平和より戦争をと望むようになるのではないか と。

http://www.zeitgeistmovie.com/subs.htm
のjapaneseの(3)を参考までにどぞ。

この回答への補足

>○○○○さん 大好きですよ。
あら、こんなこと書かれると、てれちゃいますね。
貼り付けてもらった動画が興味深すぎて、そのくせ、今夜はサッカーのテレビ観戦。
動画も結構長かったし、お礼が来週になっちゃうかもしれません。気長にお待ち下さい。

補足日時:2008/12/21 17:48
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この回答へのお礼

お礼が大変遅くなり、申し訳ありませんでした。
いつの間にやら、クリスマスも終わり、質問文にも、削除の洗礼が・・・
この件は、此処ではあまり触れないほうが、いいでしょうね(笑。

前回にも増して、またまた面白いお話、若干過激な部分も見受けられますが、楽しく読ませていただきました。窮めつけは、貼り付けていただいた動画です。へぇ~こんなのがあったんですか、知りませんでした。

私の場合、縦組みの文章を、行きつ戻りつあれこれ思案した結果の消化不良、こんな状況ですから、テンポの速い横組みの文字を目で追っても追いつかない。『華氏911』を連想するような、構成ですね。
それでもなんとか、チップとか、ドルに替わる通貨とか、ほぉ~ほぉ~、チューブってなんだ。

で、これもやはり、消化不良(笑。
そういえば、オバマ次期大統領、戦争を終結させて、新しいニューディール政策を打ち出したとか、つまり、アメリカにとって戦争は、やっぱり日本の公共事業だったのか、なんて考えるのは、天邪鬼なんでしょうか。

japaneseの(3)ということは、まだ他にも楽しめそうですね。有難うございました。

お礼日時:2008/12/27 10:21

 No.1です。



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 解答のない問題を議論し続ける、とは少し違うようですが、どうなのでしょう。
 ・・・2)の三番目に近いのでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《2)の三番目》すなわち
 ★ 戦争がなくなるのかなくならないのかは解らない、それに関して何が語りえるのか。
 ☆ を 次のように見直すという考えです。
 (1) 《戦争がなくなるのかなくならないのかは解らない》が 条件を特定したかたちで ある程度の帰趨については分かる。
 (2) 《戦争のない世界について、哲学的考察は可能なのでしょうか》というふうに 《哲学や経験科学の範囲にとどまる思考》によってはなくならないでしょう。あるいは 《成るように成る》が そのときの解になるでしょう。
 (3) そうではなく 《〈戦争から自由である〉人間の境地》が 社会的に 水嵩を増していくようであれば しなくなる可能性が高くなるでしょう。
 (4) 《戦争がなくなるかどうかについて 何が語りえるのか》と言っていくのではなく 視角を替えて対処する道があるはづ。
 (5) たとえば《独島は 民族のものであり 民族のものは わたしの命である》という思想――いわゆる民族主義ですね―― これを高いところへ揚げて 棄てる道を考える。
 (6) たとえば 《関係存在性と同時に独立存在性をとうとぶ個人》の確立を 民族やあるいは一定のまとまった多民族社会の それとしての尊重と同時に 目指す。
 (7) それには いわゆる教義と組織にもとづく――個人の信仰の上塗りをおこなう――集団的な宗教に対して 自己解体を 勧め促す。(結社の自由という大前提に立ちつつ)。
 (8) 国家の発展的解消をも見通したい。
 (9) 個人について 信仰の類型的な理解を普及させる。無規定(いわゆる無宗教だとか無信仰だとかいう場合)の信仰についても それとしての――自由類型としての――自覚を促す。
 (10) 現象学とすれば 《間主観性》をも 自覚するというかたちです。
 ・・・ 
 ☆ 戦争は 《人間本性〔のひとつ〕から起因しているもの》でしょう。自由意志です。自由意志は どこまでも貴く どこまでも――その自由意志じたいに逆らったり それ自体を抹殺したりするまでに――自由(?)だという《人間本性に起因して》 そうとすれば 戦争を起こします。自爆者となります。
 と同時に 存在の関係性(《間主観性》)ということも 人間本性です。自由意志そのものに内在しているとも言うべき同じ自然本性であるはづです。
 とすれば あとは 対話となるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

bragelone様、再度のご回答、有難うございます。
bragelone様の文章は、いつも私の思考の限界からはみだしている様で、もう一つはっきり理解できないのですが、出来る限り考えてみようと思います。
一番分かりやすい所で、
>《〈戦争から自由である〉人間の境地》
>自由意志です。自由意志は どこまでも貴く
人間の本性を、性善説や性悪説、自己保存といった本性の一部で全体を括ってしまうやり方はうまくないですが、その中でも「自由」の概念は比較的に受け入れ易い部分があることは確かでしょうね。人間の本性として「自由」を挙げておけば、なかなか反対する人はいないでしょう。ただ、人間の自由に関しては、但し書きが有りますね「他人に害を与えないかぎりでの自由」これが本当の自由だと思っているのです。
この条件に気がつかないと、ある人の自由が他の人の自由の妨げとなるという明白な事柄に気がつかないことも有ります。

そして、〈戦争から自由である〉人間の境地
この人間に対する信頼が、私とbragelone様の考え方の相違でしょうか。
#5様の回答に有って、文字制限でお礼で触れられなかった部分があります。
日本兵による「南京事件」の件です、ここで述べられていることは、ナチスのユダヤ人問題に関するハンナ・アーレントの軍事裁判に関する文章と共通のことが書かれているのです。

戦争においては、ごく普通の人が、残酷な犯罪を犯してしまう。

さらに驚くべきことは、日本人は敗戦を通して、一夜にして【また】別の日本人になってしまった。
これは、別に日本人の特殊性ではなくて、ドイツでも敗戦を通してナチスの思想はほとんど解体しました、もちろん、日本にもドイツにも例外の確信犯は息を潜めて隠れているかもしれませんが、ほとんどの場合の人間性の移ろい易さというものは、歴史が証明しているような気がします。

尤も、この人間性の移ろい易さは、悲観的ではなく楽観的に見ることも出来ますが、良い方向に作用させる仕組みはもう一つはっきりしません。bragelone様のご回答は、その仕組みの一つなのかもしれません。

これから、年末年始の休暇が始まります、この質問は、あわてずゆっくり、来年まで引き伸ばそうと考えています、とりあえず、戦争を現象学的に還元するような対話に是非ご協力を。

お礼日時:2008/12/21 14:19

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