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高校英語教育改定についてニュースをやっていましたが、この議論を読んで改めて「人間の質の差」はどこから来るのだろうと思いました。つまり、この案は世間知らず役人の考えた理想論だと思うのですが、しかし努力すりゃたいていの人はできると思うのです。しかし、学校によって生徒の差があるとか教員の差があるとか、なぜそんなことになってしまうのでしょうね。人間の能力なんて、生まれたときはたいして違わないのではないでしょうか。それが高校生で英語ぺらぺらになったり、一方ではアルファベットをやっと読めるかとか、どうしてそんなさがつかなくてはいけないのでしょうか?もちろん、勉学だけの問題ではなく、様々な分野についての差がついてしまうのは、なにか人間社会がおかしいんじゃないでしょうか?やる気が出せるとか出せないとか、色々要素があると思いますけども、本来そんな差なんてあるべきじゃないんじゃないでしょうか?それとも、社会には人間の質の差を必要とするのでしょうか?必然的な結果なのでしょうか。

A 回答 (10件)

人間の資質と努力の総量から出来上がる結果というか成果は「普通の人間」の間には余り差はないと思います。

仰る英語能力0の生徒でも、運動能力がひいでていたり、エレキギターを持たせれば抜群だったりします。要は英語学習まで手が回らないということでしょう。そんないびつな人間が後年ノーベル賞まではいかなくても、そこそこその道でプロとして食って居たりします。資質はともかく、努力については生まれ育った環境なんかが影響するかもしれませんが、要はやる気をどの方面に出すかということで、それぞれの個性の問題なのでしょう。もっとも、私は高卒程度の学力は健常者は全員が持ってもらいたいと思っているひとりですが、困難なことかもしれません。
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この回答へのお礼

総量は確かにそうなのですが、細分化して、いやしくも義務教育という不可避なものに放り込まれる以上、そこではなるべく生産的に言いるべきなのではないかという気がして仕方がありません。もちろん、教育制度自体に矛盾はあるのでしょうが、その矛盾にあえて美しく従ってみるという度量はないものでしょうかね。

まったく、高卒程度の学力は全員無理やりにでも持つべきというご意見に賛同します。

お礼日時:2008/12/30 14:40

No.6です。



>英語に代表される、学力について考えたいと思うのです。
>その「学力差」というものの階層はどうして開いてしまうのか。

それが指向性の差でしょう。英語の勉強に時間を割けば英語が出来るようになりますが、割かなければできるようになりません。

総合的には同程度の潜在能力を持っていた2人がいたとしても、1人が数学科に進んで数学の道へ、もう1人は法学部へ進んで弁護士へ。そうなると、数学に関しての学力では前者が圧倒的に上回るでしょう。たぶん、高校や大学の時点で前者の方が数学ができているかと思います。

子どもの頃から生まれた時代や場所や親や周りの環境などで、どの対象物へ興味を持って向かっていくようになるかが決まっていくのですから、それが差になります。

上の数学家と弁護士の例だと、一方は何かで子供心に「弁護士って凄い」と思うような体験をしたから弁護士の道を目指したのかもしれません。
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この回答へのお礼

英語でも数学でも国語でも、これこれできるくらいはがんばれよと上から言われるのですね。で、そんなこと教育の上のほうは言うけど、知ったこっちゃないよという価値観の多様性、あるいは権限のなさというもの、その個性の尊重か知りませんが、烏合の衆的な価値観の氾濫状態で、努力すりゃできるものを努力しないで学力低下だなんだと言う問題が浮上してくると言う風潮、それを是とするのかという感じです。
優等生と言うのは、学力が偏っていない者を指すと考えています。

お礼日時:2008/12/30 14:53

 どうしても、スピリチュアルリズム(霊魂主義)の問題で考えてしまいます。


 例えば、私は、スパゲティーが好きですが。なぜ、好きなのかは、理由は、分からない。ちなみに。刺身とか食べても、全く、味が分かりません。要するに、生の魚は嫌いで、食べれません。
 
 私は、生まれて来る時に、ある程度の、嗜好性(好き、嫌い)を、携えてくるのだと、考えています。
 そう考えないと、説明が、つかない。
 
 勉強が好きなのが、良いことなのか、悪いことなのかは、分からないけれども。ある種の性格的な、方向性を、携えて、生まれてくる訳です。まあ、知的障害とか、肉体的な問題もあるのだろうけれども。
 
 で、身体上の問題(体育能力は、8割ほど、遺伝子ではないかと思いすが)と、魂の指向性の問題と、生まれた後の生活上(経験上)の問題がある訳です。

 一卵性双生児でも、違う結果になることは、良くあることだから。
 ちなみに。一番親の遺伝子が関係するのが、体育で、一番遺伝子が関係ない(生活環境が原因)なのが、数学です。
 でも、数学でも、知能検査をすれば、大体、その子の数学に関する能力が分かるらしいので。
 で、その知能検査でも、偏差値みたいなのが、出る訳だから。小学校の低学年でさせても。(平均一番多くて、周りが、だんだん減っていく、分布で)
 環境だけで、人間が育つ訳ではない、と私は思います。
 
 ちなみに。「努力すれば、誰でも出来るはず」というのは、勉強が好きな人の意見だと思います。「その努力が嫌い」な子もいっぱいいるし。「なぜ、努力しないといけないのか、分からない」子も、いっぱい、いる訳だから。
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この回答へのお礼

なぜ好きなのか、私も自分のことなのに結局わかりません。嗜好性の問題はついに、自律神経的な自己統御不可能な領域なのでしょうね。勉強に価値観を感じるかどうかも然りであると思います。しかし、義務教育から逃れられない以上、もうちょっとそれにあわせてみる、だまされてみるという道も、人類共通の価値観として通用していいのではないか?どうもそうではないらしい。そこまで、多様な価値観と言うものを野放しにするしかないのだろうか?ないようです。
おっしゃるとおり、生まれながらの質、素質の問題も大いに絡んでくると思うのですが、それに甘える問題でもないのではないか?と言う感じです。

お礼日時:2008/12/30 14:50

人間の個体差はあるけど、質の差なんかないよ。


質問者が大人か子供かわからないので答えにくいけど、
それを質の差と言ってしまう能力(考えの浅さや嗜み)の差はあるかもね。
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この回答へのお礼

質の差はないのに、なぜ「学力差」があるのか、その開き格差は何なのだろうか、この「知」に対する、価値観の相違はどうしたらいいものだろうか?という問題です。

お礼日時:2008/12/30 14:47

能力で他人より先に行くには、ある分野に特化するのが普通の能力者のとる道ですよね とにかく楽な生き方なんです 無理してオールマイテイになると失敗が多いようです 英語は趣味とか仕事で使う人だけが本気になればそれでよろしいかと。



日本のえいご教育は長い時間を費やしている割にお粗末らしいですね
米国財閥の日本企業のっとりを受け入れた手前、英語教育に力をいれる必要があるのかもしれません 米軍も駐留してるし大企業はアメリカ化で植民地としてがんばりましょう
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この回答へのお礼

ある土台と言うのは要るのではないでしょうか?高校数学ができなくても哲学論文はかけるかもしれませんが、それはあやふいものでしょう。英語ぐらいしゃべれちゃえよ、後で考えればいいよ、という気楽さ、「知」への常識的アプローチ感覚と言うものが人類共通にならないものでしょうかね。その必要性強制力等がないと、結局勉強なんてしないものでしょうかね。

お礼日時:2008/12/30 14:45

指向性の差です。

オバマさんはアメリカ大統領になるほどの人です。しかし、彼は日本の中学受験生達ができるような日本の中学入試問題をやらせてもほとんど解けません(日本語が分かりません)


>本来そんな差なんてあるべきじゃないんじゃないでしょうか?

差はあるべきでしょう。
多くのフランス人は日本語を話せませんが、中には話せる人もいます。それは彼らの能力の差ではなく、日本語を勉強することに時間を割いたかという話です。そこで、フランス人に日本語の勉強を強要するのはおかしな話です。

この回答への補足

英語に代表される、学力について考えたいと思うのです。その「学力差」というものの階層はどうして開いてしまうのか。

補足日時:2008/12/25 20:00
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この回答へのお礼

志向性はもちろんその通りなのですが、卑しくも義務教育という制度から逃れられない以上、その中から充実感を無理やりにでも享受するという頭はないものなのですね。いかに今の教育制度に矛盾があるとしても、「知」ということが、なぜ共通の価値観にならないものでしょうかね。

お礼日時:2008/12/30 14:44

現実問題として、努力すればたいていのことは何とかなるのですが、この努力をしない人が多いのです。

(苦笑)

それで学校で試験をしたり、レポート書かせて採点するなどしてふるい分けをする必要があります。
ただ、社会にも問題があって、学力テストといった画一的な方法でしか、人を計る仕組みしかありません。

「千里の馬も伯楽に逢わず」ということわざがあります。
古代中国で、伯楽とは名馬を鑑定する人の名前です。
どんなに才能溢れた人であっても、それを見出す人がいなければ世に出ることは難しいことを表現した言葉です。

この難問を、社会システムの改良だけで解決するのは、非常に困難だというのが、社会人を十数年続けてきた私の感想です。
最近では、どんなに能力があってもまた頭がよくても、『運』のない人間は駄目だろうと思うこともしばしばあります。
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この回答へのお礼

資質を無駄にしてますね。それを悲しいとも思わないようです。「運」も自己責任になってきますかね。
強制である試験などはあるが、自己啓発的な動機付けにはちっとも至らない。それが世の中なんでしょうかね。

お礼日時:2008/12/30 14:42

人間の質の差はどこから来るのか、何処で大差がついてしまうのか、それは幼少の頃からの数十年間の教育の質に由来しますよ。

間違わんで欲しいが、与えられる教育の質ではなくて、受ける人の資質・感受性のことですよ。努力すりゃたいていの人はデキル人間になるのに、そうならない。学校により生徒に差が出来、教員の質の差がありすぎるとか、出来ないことの原因究明から逃避してしまって、人のセイにしてしまう。生まれたときはたいして違わないのに、気がついたら大差なのは、受ける教育にどのように感受して、努力するか、しないかの違いしかありませんな。差があるから世の中面白いものでして、全員秀才なら東大は不要になるし、ゼンブぼんくらなら一人の独裁者に牛耳られますよ。
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この回答へのお礼

感受性、資質、それがどう確立されるかでしょうかね。それは確かに大きい。しかし、外郭的な教育の質そのものによっても少なからず影響されそうです。もちろん土台は資質のほうですけど。
差があるから面白いし、また、残酷なものでもありますね。全部大学が東大ならいいんじゃないでしょうかね。

お礼日時:2008/12/30 14:37

はじめまして。



たとえば
英語がペラペラの人よりアルファベットがかろうじて読める人の方が劣っていると思う人と、そうは思わない人がいるわけで、世の中に「差」が至る所にあるように、価値観も人それぞれ、山のようにあるはずです。

逆に、人間の能力が全く差のない状態だとしたら、きっと「性格」や「容姿」で人は他人を認識するはずで、そこにも差が生まれるはずだと思いますし、「性格」や「容姿」さえ差がなかったら、それはまるっきりロボット社会ですよね。

世の中に「差」があることに対する疑問を持つことは、大事なことだと思います。
しかし、世の中にはたくさんの価値観があって、自分と違う価値観を認めることも大事なことですよ。
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この回答へのお礼

義務教育という共通項が強固にありまして、それを追っている異常、それを放棄するようなというのはあまり意味がないし苦労が多いだけなのではないでしょうか。もちろん、差異や差別化は別次元でなされるわけでしょうが、すくなくとも、頭の中身はあまり変わらないじゃないか?ということがマイナス要因になるとは思いませんね。

お礼日時:2008/12/30 09:18

「質」と「実力」とがごっちゃになってますね。


「質」って言うのはもっと「トータル」なものだし、「実力」というのは、とても「狭い範囲」の事を指して言います。
…てか「人間の質」なんて、そんなものありゃしませんから(笑)。
「あるよ」って言うような人は、まずは疑ってみるんですね。

秋葉原の事件、それから厚労省の事件ですか…あの事件を引き起こした方々も、世間一般に言えば「勉強の出来た、大人しい人」だったわけですね?。
となるとこれは「上質な方々」になるわけですよね?。
しかし、上質だろうがなんだろうが、やってしまったことは「残酷非道」な犯罪者の「それ」だったわけです。
通りすがりの人達や、自分と直接関わり無い人間を「いきなり」殺傷すると言うことは「卑怯」と言う以外の何物でもない。
…ま「いろいろな人がいる」っていうことで、この話は止めておきますけど、「あてにはならない」ことは、おわかりになると思いますけど。

あのね、世の中には「嘘を平然とつく」ズルイ大人がいっぱいいるんですよ。
自分勝手な人もいるし、欲に目がくらんじゃってる人もいる。
貧乏だろうが、金持ちだろうが、高学歴だろうが何だろうが…そんなもの「関係無く」いるんです。
そういった「嘘」を見破って、自分と言うものを確実に展開できる人になってくださいね。
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この回答へのお礼

もちろん、質と実力は別です。その「実力」がどうしてこうも差がついてしまうんだろう、と言う疑問です。
いやしくも、義務教育というものが合って、そこから逃れることはできない。だとすれば、その中で快くやり成果を挙げるしかないではないかと感じるしだいです。

お礼日時:2008/12/30 09:16

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