
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
>>昔の野宿の方法
男性の場合:
(1)雨合羽(あまがっぱ)を必ず着用したり、持ち歩きました。それで、雨露を凌いだり、防寒用具としました。
(2)合羽はポルトガル語で「capa」からきていますが、織田信長が着用したように、すでに、16世紀頃、日本に伝来しています。
(3)信長が着用した「マント」のような形は、時代劇でもお馴染みの「木枯らし紋次郎」などのように主に風来坊が三度笠とともに着用しました。
(4)素材は、信長が着用したものは「羅紗(らしゃ)」で出来ていて非常に高価でした。
(5)江戸時代初期には、豪商なども競って羅紗の雨合羽を使用しましたが、「贅沢品」として、幕府は「禁止令」を出しました。
(6)そこで、代わって登場したのが「木綿」の生地に「桐油(きりあぶら=とうゆ)」を塗ったものでした。
(7)雨の日は、当然、雨除けとし、晴れた日は、それを着て歩くことにより、乾かすことができました。
(8)また、庶民などがお伊勢参りなどをする時には、「和紙」に同じく「桐油」を塗った「折りたたみ式」を携帯しました。
(9)和紙の雨合羽でも、当然、寒さを凌ぐことはできました。
(10)それでも寒い時は、合羽を羽織、焚き火で暖をとりました。
(11)また、近くに水車小屋や海岸に番屋、お堂などがあれば、そこで一夜を過ごしました。
(12)昔の人は、結構「礼儀正しく」、山中であっても水車小屋や番屋であっても、焚き火をした後始末は、きちんと火が消えたことを確認してから、出立しました。
(13)従って、水車小屋や番屋、お堂などを勝手に使用しても、近隣の人たちは文句を言いませんでした。
女性の場合:
(1)主に、和紙の雨合羽でしたが、男まさりの風来坊もいて、そういう人たちは、やはり、木綿の合羽を着用しました。
(2)また、女性が旅をする場合は、宿場町へ入ると、次の宿場町までには陽が暮れてしまうと判ると、早めに宿に入り、なるべく「野宿」をしないようにしました。その代わり、朝は「早立ち」をして、距離をかせぎました。
(3)何らかの事情で野宿せざるを得ない時は、男性と同じく、合羽を被り、焚き火をして暖をとったり、水車小屋、番屋、お堂、あるいは、近くに農家などがあれば、一夜の宿を借りたりしました。
(4)男性が農家などに一夜の宿を借りようとしても、「盗人」のおそれもあり、農家も「うん」とは言わなかったが、女性の場合は、割合気軽に泊めてもらうことができました。
(5)しかし、大概の場合には、早めに宿場町で宿をとるように心がけました。
男女共に:
(1)上方(京や大坂)辺りでは、江戸時代初期から敷蒲団や掛け蒲団の風習が始まりましたが、江戸では、中期になってから、やっと、庶民も蒲団が広まり始めました。
(2)それまでは、江戸では、「夜着(よぎ)」と呼ばれる、着物を一回り大きく作り、綿を入れた「かい巻き」を掛け蒲団替わりにし、敷蒲団はなく、畳の上にジカに寝ていましたので、寒さに耐えることは「当たり前」になっていました。
(3)ましてや、道中での寒さに耐えることが、旅そのものでした。
(よもやま話)
(1)大名の参勤交代でも、「道中奉行」が先回りをして、行く先々の宿を手配して回りましたが、夜五つ(午後8時)までに宿に入らなかった場合は、宿も断ることができ、そういう時は、大名といえども野宿をしました。
(2)もっとも、参勤交代自体が「行軍」でしたので、陣幕や鍋、釜、食材、果ては、殿様用の便器、風呂桶などまでも持ち歩きました。
(3)また、宿に入っても、宿屋の料理人ではなく、宿の調理場を借りて、同行している「御膳掛り」が持参したり、途中で購入した食材で食事を作りました。
あなたのお役に立てたでしょうか・・・。
回答ありがとうございます。
>寒さに耐えることは「当たり前」になっていました。
私も一度野宿をしたことがあったのですが非常に寒かったです。昔は今より寒さに慣れていたとは初耳でした。
防寒具はしっかりあり、また焚き火も後始末をしっかりして自由にできたということですが、昔の人はマナーもしっかりしていたようですね。見習いたいものです。
最後に参勤交代といった大規模なものになるとすごいですね。もう家を持ち歩いているような勢いです。
男女別にとても詳細に書いてもらって嬉しいです。参考にさせてもらいます。女性は極力旅をしないイメージがあったのですがしていた人もいたんですね。

No.2
- 回答日時:
野宿の仕方を知りたいということなら
以下の話は参考になりませんが、
江戸時代の主な街道沿いなら宿場町というのがありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E5%A0%B4% …
(あんまり詳しくないので、ウィキペディア情報が正確かどうか私には判りませんが)
一般向けは旅籠(はたご)とか木賃宿(きちんやど)など。
たとえば、
内藤新宿というところは、甲州街道の日本橋から行って最初の宿場町。
最初の宿場は下高井戸だったそうですが、4里(16キロ)以上あって遠いので後から内藤新宿を作ったんだと。
日本橋から内藤新宿まで2里(8キロ)ぐらいだったようです。
昔のスペインの巡礼の場合は、
修道院に泊まったり、巡礼者向けの宿があったりしたようです。
病院の役割もしていたそうです。
ベッドが並んでいる大部屋の絵を見たことがあります。
『スペイン巡礼史』(現代新書)という本だったと思いますが。
今でも巡礼街道のあたりは修道院に泊まれるのでは。
そのように、あらかじめ旅人が多いメジャーな場所なら、野宿せずに済んだでしょう。
回答ありがとうございます。
旅人が多い場所では宿泊できる施設もあった。確かに言われてみれば自然なことですね。
昔といっても、やはりそういつもいつも野宿していたわけではなかったんですね。
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