【お題】甲子園での思い出の残し方

私は神経症で通院歴4年です。
3度の入院歴がありますが、現在は調子よく過ごせています。主治医に処方されている薬はエビリファイ、メイラックス、頓服にロドピンです。
主治医を信頼していないわけではないのですが、今の診察と薬を飲む以外に治していく方法はないかと思い、図書館を探したところ神経症には森田療法がいいという本をみつけました。
ホームページにもあり地区ごとに集談会があるとの情報を得ました。集談会とは自分の症例を発表する会なのでしょうか。入院中に他の患者の辛かった過去を聞いて調子が悪くなったことがあるのでどうかなあとも思います。
森田療法をされている方にどんなものか教えていただきたいのでお願いします。

A 回答 (4件)

参考意見です。



>調子よく過ごせています。
良く回復されました。・・・調子をチェックすることをやめれば完璧です。

>今の診察と薬を飲む以外に治していく方法はないかと思い・・・
薬の短所として効果をチェックしますがその自己洞察自己評価(それをよしとする療法もあります)がまずいのです。治していく方法を探すことが、実は治らなくしているのです。治さないようにしようとも考えない。治したい治したいという考えの出てくるままにだしっぱなしにして、一切、自分の心に手を出しません。治す手段方法がもぎ取られ、即今に徹したことを全治と呼んでいます。

>図書館を探したところ神経症には森田療法がいいという本をみつけました。
森田療法には思想がありませんので、理論を学習して「こうすればこうなるはずだ」と「自分」をあてはめていくものではありません。「自分の心」に答えをみつける以前の、事実ぶっつけの生活です。その実行そのものが眼目であり結果(全治)です。わかることは悪くないのですが、わかったらその分離れてください。そうでないと、わかった理論の中での工夫に終始します。いつも事実が先で考えはその後です。

>集談会とは自分の症例を発表する会なのでしょうか。
自己紹介の時に発表以外、本来言いません。森田療法原法は不問です。つかむことのできない心を取扱い工夫することをしないかわりに、実生活に工夫します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/15 10:23

森田療法で神経症が完治したものです。

あまり時間が無いもので詳しくは書けませんので、詳しくは参考になるものを書いておきますので参考にして下さい。

神経症は自我意識だけで生きてゆこうとしてつまずいている姿と言えます。自我意識だけで生きてゆく事は出来難いという事です。という事は人間は自我意識ともう一つ意識が有るという意味になります。その意識は無意識の中に封印されている意識です。仏性という事です。

人間は同時に二つの事が出来るようになっています。処が意識は一つしか在りません。その片方を担っている者です。大変わかり難い事ですが、歩きながら人と話をしている時には、意識は話をしている方に在ります、処が歩く事は出来ています。この事が関係しています。

森田療法を学んだとしても間違った解釈をした場合には、治らなくなってしまいます、森田療法の神髄は症状を相手にしない人間性に成長するという事に尽きます。症状を無くしたい、或いは取ってしまいたいという事が症状を発症させて、また固定させている事を学んでください。

神経症の完治を望むなら症状は在っても、辛くても症状の改善は望まない事が原則となります。症状の改善を目指したなら一生掛っても症状は無くならないと心得て下さい。症状の改善を求めている事そのものが神経症を引き起こしているからです。従って神経症の完治は症状の改善を諦める事が一番大事な事になります。

神経症の完治とは、症状は消えないものと体が判るという処に在ります。言い方を替えたなら、症状が有っても、無くても何でも良いと思える処に在ります。もっと言うならば症状を本当に受け入れて、心から追い出そうとしなくなった時が完治と言えます、その時には症状は意識には上がって来なくなるからです。意識に上がって来なくなる時には症状は在っても忘れてしまっているからです。

森田療法の本から入っても良いと思います。又徹底したいのなら禅という事も学んでください。鈴木大拙博士の本をお勧めします、意識性の強い人達のその意識性が不安という事とその不安の解消方法並びに、その訓練方法が書いてあります。自分自身が自分自身を不安にしているという事が判ると思います。自我意識と仏性の矛盾が不安の元になっています。是は自分で体得する以外に在りません。神経症は悟りを開いた場合には完治します。
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森田療法で神経症が完治したものです。

あまり時間が無いもので詳しくは書けませんので、詳しくは参考になるものを書いておきますので参考にして下さい。

神経症は自我意識だけで生きてゆこうとしてつまずいている姿と言えます。自我意識だけで生きてゆく事は出来難いという事です。という事は人間は自我意識ともう一つ意識が有るという意味になります。その意識は無意識の中に封印されている意識です。仏性という事です。

人間は同時に二つの事が出来るようになっています。処が意識は一つしか在りません。その片方を担っている者です。大変わかり難い事ですが、歩きながら人と話をしている時には、意識は話をしている方に在ります、処が歩く事は出来ています。この事が関係しています。

森田療法を学んだとしても間違った解釈をした場合には、治らなくなってしまいます、森田療法の神髄は症状を相手にしない人間性に成長するという事に尽きます。症状を無くしたい、或いは取ってしまいたいという事が症状を発症させて、また固定させている事を学んでください。

神経症の完治を望むなら症状は在っても、辛くても症状の改善は望まない事が原則となります。症状の改善を目指したなら一生掛っても症状は無くならないと心得て下さい。症状の改善を求めている事そのものが神経症を引き起こしているからです。従って神経症の完治は症状の改善を諦める事が一番大事な事になります。

神経症の完治とは、症状は消えないものと体が判るという処に在ります。言い方を替えたなら、症状が有っても、無くても何でも良いと思える処に在ります。もっと言うならば症状を本当に受け入れて、心から追い出そうとしなくなった時が完治と言えます、その時には症状は意識には上がって来なくなるからです。意識に上がって来なくなる時には症状は在っても忘れてしまっているからです。

森田療法の本から入っても良いと思います。又徹底したいのなら禅という事も学んでください。鈴木大拙博士の本をお勧めします、意識性の強い人達のその意識性が不安という事とその不安の解消方法並びに、その訓練方法が書いてあります。自分自身が自分自身を不安にしているという事が判ると思います。自我意識と仏性の矛盾が不安の元になっています。是は自分で体得する以外に在りません。神経症は悟りを開いた場合には完治します。
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この回答へのお礼

初心者に要点を書いていただきありがとうございます。
症状を相手にしない、辛くても症状の改善は望まない等実践していくのはやはり難しいことだと思いました。
今の生活は処方された薬を飲んで無理をしない程度の生活をしているだけなので、病気のことを学ぶ姿勢が欠けています。難しいけれども本を読んで少しでも神経症について理解を深めてみることが必要かなと思いました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/19 17:10

taheyoさん、こんにちは


私も以前は調子を崩しており、今は回復しています。
入院もしましたし、もがいているときは藁にもすがる気持ちでいろいろと試してみましたが、今になってみると病とは別の方向で何か探して正解だったと思います。私の場合は習い事から始め、今は簡単なパート仕事をしています。森田療法については、よくわかりませんが、集談会のような場所に行くと、また病の世界に入っていってしまうように思います。せっかく調子よく過ごせているのでしたら、余裕があるようでしたら他の世界に顔を出してみるのも良いかと思いますよ。
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この回答へのお礼

森田療法に興味はあるのですが、おっしゃるようにせっかく調子がよいのにまたわざと首をつっこむことはないでしょうか。
家にいられないので毎日病院併設のデイケアに通っています。主治医には子供の習い事のボランティアから始めて、デイケアからそちらへシフトしていけばいいのではないかと言われています。時間を持て余してしまうと不安が出てきてしまうので、もっと前進できれば前についていた仕事に似た仕事ができればいいなとも思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/18 17:18

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