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こんばんわ。
今、大学の授業で学力低下について調べています。
そこで1つ疑問に思った事があったのでこちらに投稿させてもらいました。
ゆとり教育は「学力低下問題」が問題視され、その問題をなんとか解決しようと執行されたものなのですか?
それとも、ゆとり教育のせいで「学力低下問題」が注目されるようになったのですか?
要するに、どちらが先に出てきたかが分からないのです。
教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

学力低下は少子化による当然の結果だと思います。


競争しなくても良い受け皿があれば,学力が低下するのは自然なことではないでしょうか。
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「ゆとり教育」を2002年改訂の現行学習指導要領による教育課程としてお答えします。


(誤解の多いネーミングと思います)

その前の指導要領(1992年改訂)から「新しい学力観」のネーミングで、「できないのも個性」とする格差指向型教育が全面展開します。

経済界からの「国際競争力維持のために少数のエリートと多数の低賃金労働者予備軍を育てろ」という圧力を背景にして、「受験型詰め込み教育からの脱却」を言い訳にして導入されたものです。

これに労働者派遣法の改定でダメ押しをして、今日の非正規労働者であふれかえる日本の労働状況がもたらされました。

経済界には都合が良くても、「分数もできない大学生がいるではないか」とマスコミから批判を受け、「ゆとり教育」の完成のために現行指導要領を準備していた文部科学省は慌てます。

国際テストで日本が順位を下げたのは、参加国の増加という原因もあり、単純ではないのですが、このこともセンセーショナルに報道されたと思います。

学習指導要領の改訂には大きな労力がかかっていますから、直前に手直しすることは事実上できません。
そこで、授業や教える内容は減らしながらも、学習指導要領を「標準」から「最低基準」に変更することで、批判をかわそうとしました。
これはダブルスタンダードなのですが、そういう経緯で、現行の指導要領では、「中身は減らしたがこれは最低なんだから学力は低下させたらダメだよ」という無茶な要求になってしまっているのです。

というわけで、学力低下論議は現行指導要領より少し前に盛り上がりました。
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道徳は指導要領が変わっても一貫して存在し続けています。


減らされていません。

円周率が3になったことも一度もありません。
これはマスコミが流したデマだったことがわかっています。

指導要領によって学力低下したというより、
ゆとり教育 という言葉がはやったため、勉強しなくていいんだ
という雰囲気になったことが原因です。

ゆとり教育の指導要領を、「詰め込み教育」というおふれで流した場合、
ひょっとしたら学力が上がったかもしれません。
つまり「ゆとり」という言葉のもつイメージが国民心理に大きな影響を与えているのです。

ゆとり教育では、上の学年でも同じことをやる場合、それをカットしています。
そのため、高校までの学習を通じて、トータルすると学習する内容が減ったのかというと、それほどでもありません。
たとえば、複素数平面が削除されましたが、つめこみ世代の人で複素数平面まで学習した人は理系の人だけでしょうし、さらに言えば、詰め込み世代の理系の人全員が複素数平面を理解できたわけではありません。

あと、日本が豊かになったことも学生が勉強しなくなった原因の一つです。
東南アジアの発展途上国の学生たちは一生懸命勉強しています。
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ゆとり教育は、「学力テストの点は高いが心にゆとりがない子供たちをなんとかしよう」という志のもと始まりました。



結果的にゆとり教育は、形の上では、「授業数が少なく、また、課題がうまくできなくても、あまり生徒を叱らない教育」となりました。

そのせいで、漢字の読み書きや数字の計算といった目に見える学力がしっかり叩きこまれない生徒が増えた、という見方が世間一般では主流です。現に、全国共通あるいは世界共通の実力試験の類いの平均点数は、ゆとり教育が導入されてから下がりました。

ただし、実際には、そんな簡単な理屈で片付けられるものではありません。
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 こんばんは。

 
 私は教育関係は素人ですが自分が傍から見て感じてきたことをちょっとお話してみます。
 
 私は「ゆとり教育」の前の世代ですが、そのころの教育は「つめこみ教育」と呼ばれていました。
 頭に知識を詰め込むだけの教育、そのため、受験するためだけの教育とも呼ばれてました。
 学歴が社会での自分の位置を左右するという時代ですね。
 そのときの教育は確かにどんどんものを覚えていく「つめこみ教育」ではあったのですが、やはりそれに対応するように学生も勉強していたんですよね。
 それから、大事な「道徳」という授業がありました。
 これは「ゆとり教育」でなくなったそうですが、ものの道理、人のやさしさ、生きる動物への愛護などなど人が生きるうえで必要な心を学ぶ授業でした。
 しかし、結局「つめこみ教育」は受験だけのための教育だ、人間にはゆとりが必要、豊かな人間を形成するには、受験教育では意味を成さないと、教育改革が行われ「ゆとり教育」と呼ばれる、今日の教育になったわけです。
 ただ、人間というものは、それなりに課せられたものに対して動くような動物であって、特に子供時代は物を知らないというのは知ろうという好奇心があるこそ勉強に結びつくのだと思います。
 なぜ円周率が3.14なの?
 今は円周率は3と勉強しているそうですね。
 僕らのころは、実際に四角形を丸に永遠に近づけていってπを証明で計算しました。
 今はそれさえもしないのでしょう。なぜかというと、計算すれば、3ではないことがわかるからです。
 ものを知らないということは怖いことです。
 好奇心が無ければそこで終わってしまう。「詰め込み教育」は確かにデメリットもありました。勉強に追い込まれ、何か受験を目指して勉強する何かせかされた記憶があるのは確かです。
 だけれども、やはり知らないことをたくさん知る機会は「ゆとり教育」よりもあったことは幸せでした。なぜかというと、なぜ?どうして?と思える機会がたくさんあったからです。
 その知ろうとするきっかけさえも作れない「ゆとり教育」はゆとりというよりもお馬鹿になってしまったわけですね、、、
 物の好奇心を育てることも教育のひとつ、、、、
 ようは問題はその方法、でんじろう先生の実験は見てても楽しいですよね?
 楽しいと思えるからこそ、なぜ?どうして?と思えるわけで、勉強したくなるわけです。
 今の教育はそこが足りない、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」を経験した日本の教育はこれからは「好奇心教育」こそ必要なのじゃないかな?
 と私は思ってます。
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ゆとり教育のせいで「学力低下」したと考えられています(要するにゆとり教育が先です。


そのため、ゆとり教育を元に戻そう(どこまで戻すか知りませんが)という話が出ています。


ゆとり教育の建前としては、1970~80年代に校内暴力、いじめ、登校拒否などの問題が浮上し、それがゆとりのない詰め込み教育が原因とされ導入されたらしいです。
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