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五賢帝時代のキリスト教はどのような扱われ方をしていたのでしょうか。また、その理由も詳しく教えてほしいです。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

キリスト教がローマ帝国で公認宗教に認められたのは西暦337年で


コンスタンティヌス1世が亡くなる直前でした。五賢帝の時代はそれより
はるかに前(コンスタンティヌスが生まれる100年前くらい)で終わっています。

この頃はまだ古代ギリシャ・ローマ神話に基づく多神教の方が全盛期でした。
キリスト教はローマ皇帝や元老院からはまだまだ迫害されるばかりの
状態でした。
一番の問題はユダヤ教から継承された『十戒』でしょう。それまでの
ギリシャ・ローマの資料などを見ると、性的な節制などあったものでは
ないというくらい快楽や欲望に世間全体が溺れていました。中央に近い
貴族たちから見れば、キリスト教などは処刑されたいちユダヤ人がわめいて
いた戯言にしか過ぎなかったのですし・・・。

しかし、時代が進むにつれて庶民の間にキリスト教が浸透していき、
公認してしまった方が貴族の側も統治上都合が良いことが多くなって
きたため、公認が得られることになります。

詳しくは下記などをご参考に。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!五賢帝の時代のパックスロマーナと呼ばれる平和な時代にキリスト教は影にあったんですね。現在のキリスト教を前提に掲げる西欧の主張する平和はやはり歴史の一部にすぎないですよね!とても参考になりました!

お礼日時:2009/01/28 22:26

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