【お題】NEW演歌

紀元前1~紀元後5世紀ヒンドゥー教の時代
7~11世紀仏教の時代
14~16世紀イスラム教の時代
16世紀以降キリスト教の時代ですが、
キリスト教の大航海の目的はなんだったの
それと、なぜキリスト教広まらなかったのですか?
またなぜフィリピンだけはキリスト教なのですか?

A 回答 (3件)

宗教改革の影響です。

ローマ・カトリック教会は、無知蒙昧なドイツ農民に免罪符を売りさばくという悪徳商法をルターに批判されたわけです。ルターの主張ももっともなのでローマ・カトリック教会は悪徳商法を止めざるを得なくなった。そのままだと信者が離反して、ローマ・カトリック教会の聖職者は食べていけなくなってしまう。そこで結成されたのがスペイン・ポルトガル・イタリアの聖職者が中心になって結成されたイエズス会でした。信者を繋ぎとめるためには、ローマ・カトリック教会の商売のやり方を改革しなければならない。そうでないとルターなどのプロテスタントの勢いに対抗できない。そこで大航海時代に乗り出すわけです。非キリスト教国にローマ・カトリック教会の勢力を広めよう。新しい市場を開拓しよう。このまま狭いヨーロッパにしがみ付いていたところで先細りだ。

一方、スペイン・ポルトガルの冒険者も大航海時代に乗り出す必要がありました。レコンキスタが終わるとやることがなくなってしまった。レコンキスタで国土を回復したといっても、元々イベリア半島は山がちで平野も狭くてやせた土地なのです。いまさら農業なんてやってられない。そういう荒くれどもが集まっておいしい商売を探しに海に出て行ったわけです。それは商人も同じです。地中海貿易はジェノバ共和国に抑えられ、、東洋との陸路の貿易はイスラム勢力に抑えられています。割り込む隙が無い。

そこでイエズス会と冒険者・商人の利害が一致して、悪の二人三脚が成立します。提携ビジネスです。イエズス会の聖職者は冒険者・商人の船に乗せてもらう。聖職者はキリスト教を武器に現地勢力を懐柔して商売の口を見つけてあげる。そういう協業体制が出来上がったわけです。

ここでポイントは、スペイン、イタリア、ポルトガルは宗教改革の後もローマ・カトリック教会を支持した旧教国であることです。これに対するイギリス、オランダは宗教改革の後にローマ・カトリックから離反した新教国であることです。イギリス・オランダにはローマ・カトリックの聖職者はいなかったのでキリスト教布教には熱心ではなかったのです。

東南アジアに限定して話を進めると、フィリピンは1898年に米西戦争が起きてアメリカに奪われるまでスペインの植民地であった歴史が長いのです。だからフィリピンではローマ・カトリックが圧倒的に強い訳です。
インドネシアはオランダの植民地であった歴史が長いのですが、前述のようにオランダはキリスト教布教には興味がなかったので、イスラム教がそのまま残っているわけです。マレーシアはイギリスの植民地でしたが、前述のようにイギリスもキリスト教布教にも不熱心でした。イギリスはむしろ現地の宗教対立を温存し、反イギリス勢力が力を持たないようにするのが伝統的な植民地政策でもあったので、イスラム教・仏教・ヒンズー教がそのまま温存されました。ベトナム・カンボジア・ラオスはフランスの植民地でしたが、その歴史は必ずしも長くない。フランスがインドシナに進出したのは大航海時代でなくて帝国主義の時代です。
フランスが東南アジアに進出できたのは19世紀後半で、比較的遅かったのです。フランスも旧教国でしたが、フランス人宣教師が布教しても成果は極めて限定的でした。仏教が根強かったからなのです。
残る主な国はミャンマー(旧ビルマ)かな。ビルマは比較的長く独立を保ちイギリスの植民地になったのは19世紀末ですし、やはりイギリスはキリスト教布教に熱心でなく仏教が圧倒的に強いです。

一口にいえばキリスト教布教に熱心だったスペイン・ポルトガルに長い間、植民地化されたのはフィリピンだけだったということなのです。
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日本史の教科書を見ると


「鎮護国家」
なんていう言葉が出てきます。
これは、日本の仏教に関して言っているわけですが、この構造は、世界中の国家で同じことが行われていました。
つまり 現代のように個人個人で好きな宗教を選べるというのではなく、国家単位で宗教を選ぶというスタイルです。
国家の中でのグループごとに勝手に宗教を選んでいいよというのが、「帝国」となります。
典型的にはモンゴル帝国。
この辺が近代前の宗教と国家の関係。

東南アジアでヒンドゥー教というのも、クメールが強大で、ヒンドゥー教を選択していたとか、その後タイ族が仏教を選択して強大になった。イスラム商人がやってきて、東南アジアにそれと結んだ商業国家が強くなったという感じなのです。

キリスト教が日本に来た時も、一般庶民に布教したのではなく、大名など支配層からアプローチしているのは、大名領国をひとつの国家と考えれば、同様な感じです。

ということは、すでにそれなりの規模の国家が成立して、別の宗教を選択していた場所ではキリスト教は拡がらなかった。
小規模国家しか無かったフィリピンでは、スペイン領フィリピンといういのが成立してこれが、一種の鎮護国家になったわけです。
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 >キリスト教の大航海の目的はなんだったの



 布教。

 >なぜキリスト教広まらなかったのですか?

 十分広まっています。

 >またなぜフィリピンだけはキリスト教なのですか?

 スペインに統治されていて、その期間が長かったから。
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