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関東軍の暴走というのは、満州建国のことを言うのでしょうか?。
また、関東軍というより、関東軍の参謀の暴走ということでしょうか?。

A 回答 (9件)

石原莞爾が関東軍の参謀に就任してたった3年で、手品みたいな手際で満州国を独立させちゃったものだから、そんなの正に「百年に一度」の快挙なのに、後任者達が、能力も状況もないのに、それ以上の業績をって、バカな頑張りをやっちまったのが、関東軍の暴走。


参謀もそうだが、軍の戦意高揚のため、守ってばかりじゃ意気消沈してしまう、逆にロシアや中国に攻めだしていくぐらいの勢いが大切とか、脅しておけば恐れをなして反抗してこないなんて迷信がまかり通っていたこと。
世界的にも不可能といわれた、日清戦争での勝利、日露戦争の勝利(これらの勝利を準備した幕末の英雄たちは、今戦うと負けると理解して、工場を作る所から何十年もかけて準備を重ねていて、その貯金が生きた)で、奇跡を奇跡と思わず、奇跡が起こって当たり前と勘違いして煽った世論というか、当時のマスコミというか新聞は、その責任を関東軍だけに押し付けているって事もある。
拡大する軍需に、生産が追いつかず、挙国体制って、軍の落ちこぼれが工場に入って生産を指揮しちゃったため、返って生産力が伸びず、兵器の生産が間に合わない状況は、軍は認識していたので、兵器の不足分を気力と人海戦術で補おうって方針は、妥当だったのだろうが、気力と人海戦術では、兵器の生産力の貧弱を補うことはできなかった。
暴走は、満州で留まっておくべき所を、前任者以上の功績を約束して任命された参謀たちが、中国本土まで進行してしまったこと。
西は朝鮮半島まで、南はフィリピン、台湾までを日本とし、満州国を友好国にしておけば、よかったんでしょうが、ブレーキが利かなくなっていた。
個別の史実なんか膨大な量の中で、ある人に都合のいいという理由で残され記録されたものなので、ウソじゃないけど、意味なんてほとんどないですよ。
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この回答へのお礼

ceelee-boyさん、回答ありがとうございます。

ceelee-boyさんは、盧溝橋事件以降の、政府や天皇が
支持した争いも関東軍の暴走とお考えでしょうか?。

お礼日時:2009/01/26 12:13

関東軍が満洲を制圧する計画が存在していたのなら、張作霖が軍の主力を失なった時が、実行の好機となるでしょうが、憶測しかできないテーマについては、なかなか議論が難しいです。



コミンテルン殺害説があるのは不思議です。以下の疑問を持ちました。
・張作霖を殺しても、ソ連の満洲への影響力は強まらない、というかソ連と関係ない。満洲は日本のナワバリですから。じゃあなんで、ソ連が張作霖を殺すのか?
・関東軍の列車爆破計画に便乗というのも・・・。日本政府が知らない機密計画をコミンテルンがキャッチして、暗殺部隊を送り込んだのでしょうか。アメリカのテレビドラマでなら、やりそうな作戦ですが・・・現実味が・・・。

『韓国併合に関する条約』の中に、韓国国王が日本の天皇へ韓国の統治権を譲与し、天皇が併合を承諾した、と書いてありますので、日韓双方が望んだように読めますが、この条文は100%日本側の意向に沿ったものです。保護国になってからの韓国政府は親日派で成り立ってますし。
一進会は韓日対等な合邦を主張していましたので、併合直後に解散させられました。
抗日義兵運動は1909年秋がピーク、韓国内での鎮圧が終わるのは1914年でした。

この回答への補足

以下は、独り言的ボヤキです(笑)。
今の日本でも、アメリカの属国になるのがいいと言う人もいれば、
アメリカに頼らずやっていくべきだと言う人がいるのと同じだと思います。しかし、当時の日本と朝鮮、現代のアメリカと日本の何が違うかというと、国力の差です。

当時の韓国はイギリスの新聞に100世紀遅れてると言われ、
上下水道なし、竪穴式住居、二階建て建築物ほとんどなし、風呂もなし
それに比べ日本は鉄道とガス灯とレンガ式行政建築物や洋館や上下水道ありあります。

結局、併合も、日韓協約も、韓国人は武力で脅されたと思うかもしれませんが武力の後ろ盾のない外交なんて、現代でも意味をなしません。
日本も、黒船が怖いから開国しました。
核を持ってる国が怖いから、核保有国は強気です。
イラクが核持ってたら、アメリカも戦争してないのではないかななど。
と、今の日本の外交が弱いのは、交渉力とか以前に
後ろ盾する軍事力が弱いのも、一つの要因だと思います。
正確に言うと、軍事力はあるのだと思いますが、
何かあったら攻撃するぞという
姿勢がないから、外交に力がないのではないかとも思います。
話し合いで解決するなら、とっくにいろいろしてることが多いと感じます。

世の中、進化論と同じで、弱肉強食的でそれが自然の摂理で、善悪もないのかなとも感じます。
そこに宗教のたとえば、キリスト教の考えを入れると、善悪の考えが出てきます。(キリスト教がなければ、起きなかった戦争も多いですが。。)
現代では、基本的に戦争は悪とされています、
形を変えて現代でも、武力ではない戦争は耐えない、国や宗教がある限り
争いは絶えないものなのかなと、感じています。
しかし、現代を生きている私は、善悪でもちろん物事を考えます。。。
そうすると、どちらの立場で考えるかで、善悪の判断がむずかしくなります。どちらも基本的に自国を守るために、戦っているわけですから、どちらから見ても自国は善になります。
そこが、とてもむずかしく。さらに戦争を生むことにもつながるのかもしれません。。。
と、結論はないですが、オバマさんになり、アメリカは戦争はしなくなると思いますが、歴史観などの問題は、きびしくなるのではないかと思います。今後の動きがどうなるのか、良い部分も悪い部分もたのしみです。

補足日時:2009/01/26 05:56
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この回答へのお礼

a-koshinoさん、たびたびありがとうございます。

コミンテルン=ソ連が張作霖を殺害する理由があるとしたら、
当時の情勢で、
張作霖の奉天軍
国民党←欧米が支持
共産党←ソ連が支持=コミンテルンが支持
この三つが争っていたということだということしかないのでは、
ないでしょうか。
北京では奉天軍に国民党軍が勝利しました。
ゆえに追い討ちで殺したのか、勝利したから殺すまでもなかったのか
ここは、わかりません。
また、共産党は国民党を日本軍を戦わせて疲弊させることが戦略ですから、その戦略の一部なのかもしれません。
私も詳細は、勉強不足です。知りたいところでもあります。
知りたいところというのは、イギリス軍が主犯をコミンテルンとし、
リットン調査団が、東京裁判で解明できなかった理由です。
コミンテルンに関しては、元KGBのプーチンが辞職した後に、
何か文書などが出てこないと真相はわからないのかもしれません。
ただ、わかっていることは、河本大佐は間違いなく関与したということです。

日本政府が関東軍の機密計画を知らないというのは、
関東軍の将校の一部が関与されたとして、99%そうだと秦郁彦氏が結論付けていますが、
それゆえに、政府にはバレないようにしていたとしか考えられないです。
また、政府の伝達する軍の上の立場の方々などが、
黙認していたとした考えられないです。
要するに政府や、天皇は反対していたが、軍と国民が、
潜在的に求めていたことなのかもしれません。

他にも仮説を持っている方は、お聞かせください。

朝鮮併合については、さかのぼっていくと、
それ以前の3回の日韓協約が、かなり強行的だと感じます。
特に1次と2次です。
アメリカのインディアンを虐殺して侵略していったことに比べれば、
条約に基づいて進めるところが温和だとは思いますが、内容的には侵略的だと感じます。正確に言うと自衛的侵略または、安全保障のための侵略だとは思いますが、侵略は侵略です。
ただ、民族的な問題ではなく、経済と軍備の両方の強化的な問題で、
朝鮮も、当時の状況を見ると、併合を望んだというのは、合理的で理解します。中国やロシアと比較すると当時の日本についていくことが国益だと考えます。

補足に続きます。

お礼日時:2009/01/26 05:56

またまた回答します。

張作霖爆殺事件については、関東軍が日本の援助の元、満州独立を図ったが、張作霖が従順でなくなったので起こした事件です。当時満州某重大事件と発表されたように、田中内閣にとっては寝耳に水だったわけで、天皇の質問に対して、初めは日本は関係ないです、と言っていましたが、後に関東軍の仕業だと判明し、天皇にやめたら?と言われ辞職したそうです。で、メリットという点では明らかに張作霖を生かしておいた方がよい(実際子の張学良は抗日に燃える)ので、暴走と捉えることが出来るでしょう。僕は河本が暗殺を警戒する張作霖に対し、密偵を入れて逐一座席の報告をし、火薬の量を調整し、爆殺したと記憶していますがどうなのでしょう。

朝鮮併合については、先の回答者さんの言う通り、韓国政府としては意見できませんが、民間レベルでは意見が分かれていたと思います。また日本の直接支配という点では、イギリスのインド支配のやり方を真似ているとも解釈できるので、理には適っていると思います。

なんだか本題から脱線してきているような感じですがw

この回答への補足

朝鮮合併ですが、統監の寺内正毅と、皇帝の純宗から全権委任された李完用首相が日韓併合条約を結んで、できたものだと理解しているのですが、
そうすると、ここで朝鮮の皇帝や首相も、それを望んだということなのでしょうか?。望んだのか認めざるを得なかったのかは、わかりませんが。。

国民レベルでは、反対があるのは、当たり前だと思います。
満場一致などありせません。
当時、最大と言われた一進会の発言力とかは、どんなものだったのでしょうか。
世論だけを考えると、関東軍の暴走と言われることも、
世論が支持していたために、暴走ではないのではないか
とも言えてしまうと思うのです。
世論より、世論以上に、国家がどう決断したかが、
重要だと感じています。

補足日時:2009/01/24 15:45
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この回答へのお礼

gachinareさん、回答ありがとうございます。

本題から脱線してしまいましたが、みなさんの回答から、
いろいろ勉強させていただいて、助かります。

張作霖爆殺事件は、gachinareさんの解釈で間違いありません。
私も、90%そうだと思っています。
ただ、10%わからないことがあるんです。
河本大佐は橋を爆破し、それによって列車は止まったが
それが直接の死因になったかは、確認していない。
その場での遺体は確認しにいってない。
そのため、90%河本大佐の犯行だと思いますが、
断定はできないのではないかと思ってしまいます。
コミンテルン説があるとしたら、とどめを刺したのは、
コミンテルンなのかもしれないと思ってしまいます。
ただ、ここでコミンテルンがとどめを刺そうが、
関東軍が関与したということは、間違いないので、
それは政府に反したために、コミンテルン説があろうがなかろうが、
問題ではないと思っています。
あきらかな暴走なのは変わりません

わからないこととしては、
なんで、リットン調査団が解明できなかったのか?
なんで、コミンテルンがやったと言っているのか?

あと、河本大佐の動機です。
はじめ、北京で勝った国民党軍を殺すならわかるけど、
負けた人を殺して何のメリットがあるのかと思っていたのですが、
自分の解釈としては、
張作霖の奉天軍が国民党軍に負けて、北京から奉天に
列車で帰ってくる途中で殺されるわけですが、
北京では負けたけど、どっちみち満州は張作霖が統治していて、
関東軍から見たら、満州建国には邪魔だったという理解で、
間違いないでしょうか?。

お礼日時:2009/01/24 15:36

日韓併合よりも前、1905年の日韓保護条約によって、大韓帝国政府は日本の統監府の下に置かれてますんで、併合時に韓国政府がどうこうできる状況ではありません。


抗日義兵鎮圧のために直接支配が必要になったという面はあるでしょう。

河本大佐については↓
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/koumo …

田中首相は、河本個人がやったこと、と昭和天皇に報告したのですが、ウソではないか、関東軍が組織として行なったのではないか、という追求をうやむやにするため辞職したと理解しています。

この回答への補足

>張作霖と同じ車両に乗っていた関東軍の少佐

と書きましたが、爆破された時は、トイレに行き、となりの車両に
移っていたそうです。
しかし、それは偶然で、あとから、少佐は怒ったらしいです。

さらに、いろいろ調べてみると、
張作霖爆殺事件は、
河本大佐をリーダーとした朝鮮軍などと起こしたこと。
要するに、関東軍の作戦ではなく、
河本大佐の個人的な暴走が強いのではないかと感じました。

しかし、わからないのが、肝心な張作霖を殺すメリットです。
当時の状況を考えると、
生かしておいた方が、メリットが大きかったはずです。

補足日時:2009/01/24 00:29
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この回答へのお礼

a-koshinoさん、たびたびありがとうございます。

日韓保護条約というのを知らなかったので、調べてみます。

河本大佐の上記のページは、私も見たことがありました。
この手記で、疑問に思うのは、共産党の収容所で弟が代筆し、
その弟は共産主義者だったということなんです。

あと、当時日本政府の調査で、有力な証拠とされたのが、爆破に使用した電線が橋台から日本軍の監視所まで引き込まれていること だと思うので、橋を爆撃したことはわかるのですが、
河本大佐たちは、橋を爆撃したが、列車を爆撃したわけではなく
張作霖と同じ車両に乗っていた関東軍の少佐は無傷というのを聞くと、
橋の爆撃だけでは死んでいない可能性が高い、
要するに、その後、誰かによって殺された可能性が高いということなんです。
しかし河本大佐達は、その後、張作霖の生死を確認していなく、死因も不明とされていることです。

あのリットン調査団でさえ、も不明として終わってしまっていること。

それと、信憑性の薄い手記が出てくると、逆にあやしく思ってしまうのです。やっていないからこそ、書かされた場合も否定できないなと思っています。
以前として、河本大佐説が、一番有力だと思っていますが、すっきりしないんですよね。

お礼日時:2009/01/23 23:43

中国側といっても張作霖は現在の共産党勢力と別の軍閥と考えてよいものでしたから、むしろ好都合だったのかもしれません。



朝鮮併合にはそういう人もいましたが、勿論反対の人もいました。なので一部分だけみればそう解釈できますが、断定することはできないと思います。
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この回答へのお礼

gachinareさん、回答ありがとうございます。

勉強になりました。
朝鮮合併については、朝鮮政府というのでしょうか?。
はどっちの意見だったかということで決まるのでしょうかね?。
世論は反対だけど、朝鮮政府はそれを望んだとすると、
朝鮮側の要望になるのかなと。
その辺のくわしいことは、私の勉強不足なので、
こういう場で、勉強させていただけたらと思っています。

お礼日時:2009/01/23 21:40

・張作霖爆殺について、もし陸軍の関与がなかったとしたら、なぜ田中内閣は総辞職したのでしょうか? かなり理解に苦しみます。



・盧溝橋事件以降は、現地軍の暴走ではなく日本政府の後押しを受けていた点で、満洲事変とは異なります。盧溝橋事件の原因が何であったにせよ、近衛首相が北支派兵を認めなければ、現地で停戦協定(松井-秦徳純協定)が結ばれた時点で終息していた可能性が高いと考えます。

この回答への補足

日本政府が陸軍の仕業だと断定した話は、WIKIにも書いてあったので、
わかりました。

ただわからないのは、他の説があることです。
たぶん、当時の背景で、欧米は国民党軍を支援し、
ソ連は共産党軍を支援したという背景から来るものだとは思うのですが、
コミンテルン説の証拠としては、どんなものがあるのか
ご存知の方いましたら、教えていただけたら助かります。

補足日時:2009/01/23 22:14
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この回答へのお礼

a-koshinoさん、回答ありがとうございます。

張作霖爆殺については、何を証拠に、陸軍の関与を示したかだと思うのです。
そこは私は勉強不足なので、ご存知の方は、教えていただけると
助かります。
張作霖爆殺については、
イギリス軍の極東部の見解は、陸軍も関与してるが、主犯はロシアと言っているのを見ても、関与はしていたのだとは、わかるのですが、
当時の、国内での証拠とされたものは、どんなものがあったのでしょうか?。
その後、河本大佐の自白やらあったと思うのですが、当時はどんなものが証拠とされたのでしょうか?。

盧溝橋以降については、私もa-koshinoさんと同じ解釈をしています、
なので、関東軍の暴走ではないと思っています。
よって、張作霖爆殺が陸軍が、いや河本大佐がやったとしても、
暴走と言われるのは、盧溝橋以降、日中戦争=シナ事変は、
関東軍の暴走ではないと思っているので、
ここで、質問してみました。

お礼日時:2009/01/23 21:50

>関東軍の暴走というのは、満州建国のことを言うのでしょうか?



確かにそれもありますが、
満州国建国の他に、張作霖爆殺、
北支工作、盧溝橋事件以降戦線を拡大したこと

等いろいろあります。
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この回答へのお礼

raky753さん、コメントありがとうございます。

私は満州建国だけは、暴走だと思い
盧溝橋事件以降は、暴走だとは思えないのです。

張作霖爆殺については、コミンテルン説を、
イギリス在住の中国人の歴史家や、当時のイギリス軍極東部や、
ソ連の諜報部が、唱えてるのを見ると、
河本大佐説に断定することができないのではないかとも思えます。

そして、私は、盧溝橋事件以降は、暴走だとは思えないのです。
盧溝橋事件は、周恩来が共産党がやったと言ってますし、
日本軍から手を出したケースはほとんどないのではないかと思います。
また、第二次上海事変は、天皇も国民も派兵を希望していて、
南京落城後は、近衛首相が、戦争を終わらせなかったことが、
大きいのではないかと思っています。

間違っているところがありましたら、教えていただけると
助かります。

北支工作については、調べたことがなかったので、
調べてみます、ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/23 15:02

関東軍の暴走、というよりも幣原の協調外交に反対し、対満蒙強硬論を主張した、といえるでしょう。

特に、河本大作が中心となって起こした張作霖爆殺事件は、日本の田中義一内閣の方針と異なるもので、天皇の批判の元、田中内閣の解散の原因になりました。満州事件や満州国の建設にも積極的に関与しましたが、張作霖爆殺事件に比べれば、暴走の割合は小さいと思います(暴走は暴走ですが)。

満州国はあきらかに日本の傀儡国家でありましたが、自国の市場を確保し人口問題などを解決する手段としては当時で言えば認められる物でしょう。また朝鮮併合は併合する必要もなかったが、世界のナベアツ似の安重根が伊藤博文を殺害したためそういう結果になってなったと言う見方もあります。いづれにしろ当時の日本が選択した道ですので、僕は否定も肯定もしませんが。
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この回答へのお礼

gachinareさん、コメントありがとうございました。

張作霖爆殺事件については、no.2の回答の通りですが、
この事件について、中国側は重要視してないというのは、
なんでなのでしょう?。
(ただ私が知らないだけなのですが。。。)

朝鮮合併は、朝鮮が望んだことというのは、
正しい解釈でしょうか?。

お礼日時:2009/01/23 15:15

>関東軍の暴走というのは、満州建国のことを言うのでしょうか?



そう思います。

>また、関東軍というより、関東軍の参謀の暴走ということでしょうか?

そうですね。関東軍全体が暴走したわけではないと思います。日本人は昔から武を尊んだのでどうしても軍部は暴走するんですね。とくに陸軍はそうだった。陸軍がせめて海軍並みのスマートさを持っていればあのような悲劇は回避できていたと思います。満州国は無茶でした。ついでに言うと朝鮮併合も間違っていた。でもそれは今になって言えることかもしれません。
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この回答へのお礼

nishikasaiさん、コメントありがとうございます。

満州国建国については、参謀だった石原莞爾などの暴走だと感じています。
しかし、盧溝橋事件以後は、参謀本部作戦部長になった石原莞爾も不拡大の方向だったが、満州国建国の実績があったために、調子に乗ってしまった人も多かったのではないかと思っています。
しかし、盧溝橋事件以後は、どのことが暴走なのか、
まだ、しっくりくるものが見つからないのです。

お礼日時:2009/01/23 15:26

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