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常識と言うのが、コモンセンス大衆擁護的な性格を持つとすれば、それは「陳腐」とも表裏一体であると思われます。
皆さんはどうお感じでしょうか?

私は「常識」の反意語がアーティスティックだと思っています。つまり、創造性、懐疑性その他もろもろの精神の働き。

A 回答 (10件)

モラル:道徳。

倫理。
ルール:規則。規定。きまり。
マナー:態度。礼儀。礼儀作法。


こういうのを原材料にして「常識」というのが生産されている
…ような気がします。
…ような気がするのですが、
実際に生産されていて所有しているのかは分かりません。


常識というのは、
冷たくて頑丈な「檻」のような「閉じ込める」もので、しかも、
温かくて柔らかな「毛布」のような「抱く」ものでもあるようです。
素材やサイズはいろいろで、
感触もそれぞれなんじゃないかと思います。



常識があるところでは、
プールや海水浴場で泳ぐようなもの。
アスファルトの上を走行するようなもの。


常識がないところでは、
太平洋の真ん中か、それより大きくて深いところを泳ぐようなもの。
底なし沼か、それより「地に足がつかないところ」を走行するようなもの。



>「常識」とは「陳腐」だろうか?
:社会とまじわらずに生きることができる人がいるなら
 その人には「陳腐」かもしれません。

>モラル:道徳。倫理。
ルール:規則。規定。きまり。
マナー:態度。礼儀。礼儀作法。


こういうのを原材料にして「常識」というのが生産されている
…ような気がします。
…ような気がするのですが、
実際に生産されていて所有しているのかは分かりません。


常識というのは、
冷たくて頑丈な「檻」のような「閉じ込める」もので、しかも、
温かくて柔らかな「毛布」のような「抱く」ものでもあるようです。
素材やサイズはいろいろで、
感触もそれぞれなんじゃないかと思います。



常識があるところでは、
プールや海水浴場で泳ぐようなもの。
アスファルトの上を走行するようなもの。


常識がないところでは、
太平洋の真ん中か、それより大きくて深いところを泳ぐようなもの。
底なし沼か、それより「地に足がつかないところ」を走行するようなもの。



>「常識」とは「陳腐」だろうか?
:社会とまじわらずに生きることができる人がいるなら
 その人には「陳腐」かもしれません。

>「常識」とは「陳腐」だろうか?
:「常識」によって自分が形成されるなら「陳腐」かもしれません。
 「自分」の「集合」によって「常識」が形成されるなら、どうでしょう。
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この回答へのお礼

子供が「そんなの常識でしょ」と言う台詞。このなかにはなんら発展性や柔軟性や信念と言うものがない。ただ「強いもの支配的なものに迎合しよう」という子供らしくもないおもねりしかない。そして、一般人が掲げる常識もこれと似たり寄ったりです。常識って何?と問わない限り、発展性はない。ゆえに陳腐さの衣をかぶっているのです。
しかし、おっしゃるように一方では、そういう「包まれる」感触、思考停止的に集団的ななにかえもいわれぬ安心感、と言うものにも引かれる。それは人間的です。
そういう、生物的な要素、そして、発展的な先進的人物たちによって覆される道具にされる、両面性があります。

お礼日時:2009/02/21 16:04

常識の反意語が芸術的創造とは思いませんが芸術が常識を疑う所から出発する所はあると思います。


有力な制作法ですね。
芸術はしばしば現実には無い価値・価値観、ありえない価値・価値観を世に問うものですから常識と反する場合は往々にしてあります。
しかし一方で芸術が常識そのものに頼っている場合もそれ以上にあるでしょう。少々残念ながらです。

正確に言うと芸術では非常識が肯定され許される。創造の局面では非常識・反常識が発生せざるをえない。というところではないでしょうか。
非常識とされる事を主張する場合芸術の形を取らないと大きな問題になるのがその証拠と思います。
一方芸術そのものも制度に支えられたものである事を告発するために芸術の中には芸術そのものからも逸脱しようという動きが発生するのでは。
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この回答へのお礼

そもそも芸術とは、反芸術≒日常性ということを土台にしてるんですよね。これは、常識と反常識も同じで、どちらも持ちつ持たれつです。だからこそ、共産圏では政治的理由から「創造性」の究極のものである芸術が否定されるわけです。

芸術も陳腐化するので、それから脱しようとしますね。

お礼日時:2009/02/27 08:31

「常識」が何を指すかによるかな。


「普通知ってるだろというような知識」を意味するなら創造性と対置されるかもしれないけど、
コモンセンス、つまり「多くの人が持っているであろう感覚」という意味であれば、
対置されるようなものじゃないと思うな。

たとえば船が沈みそうなとき、大人より子どもを救命ボートに乗せようと思う。
こういう感覚はコモンセンスだろうと思うけど、陳腐かな?
おそらく1000年前も1000年後も「多くの人が持っているであろう感覚」じゃないかと思う。

「創造性」がないのは確かだけどね。

創造的なものの方が陳腐化するのが早いような気がするんだけど、気のせい?
たとえば、10年前の流行のスーツと当時のおじさんの常識スーツをいま見ると、
前者の方が陳腐な感じがする。
おじさんスーツは常にその時々の流行から見れば陳腐なのかもしれないけど、
10年あとになって振り返ると陳腐さ加減が逆転している、みたいなー。

ま、「そんなの常識じゃん」という場合の「常識」と、
コモンセンスは意味がちょっとずれる部分がある感じだけどね。
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この回答へのお礼

創造的だからこそ、陳腐化するのが早いというのは真実です。新奇のものが返ってあだになります。ずっと変わらないものの方がずっと新しいですね。
そして、コモンセンスと薄っぺらい常識はやはり一線を画すということもありますね。ただし、非常に薄くて不安定な線ですね。場合によっては女子供を見殺しにするほうが正しいということにもなりますし。

お礼日時:2009/02/27 08:28

確かに、常識の陳腐化した部分は、なるべく早く捨て去れなければならないですね。



社会面で、常識ほど大切なものはなく、常識ほど害悪を垂れ流すものは
ありませんね。世の中は常にダイナミックに動いているにもかかわらず、常識は、遅れてついてきますから、どうしても陳腐にみえますね。
それに対して、創造性や懐疑性はこの動きを先取りしますからそういう意味では、反意語でしょう。
 言ってみれば、常識は大部分が正しく、一部が陳腐化し役に立たなくなり捨てられれ、創造のほとんどが失敗に終わり、一部が成功して常識に取り込まれるということでしょうね。
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この回答へのお礼

先進性は常に常識を覆します。
そして、遅れてくるものに大衆はおもねり基準を見出す。そういう持ちつ持たれつの関係なのでしょうかね。おっしゃるように、常識の一部が陳腐化し剥がれ落ち、また先進性の一部が常識に取り込まれる、そんな再生産過程があるのでしょうね。

お礼日時:2009/02/21 16:07

 常識ですね、難しいことばのようですね。


 保守的であることは、仰せの通りかもしれませんね。ただし日本の普通に考えた場合。
 【アーティスティックつまり、創造性、懐疑性その他もろもろ】の中には、異端とか反逆とか、先進性とか、奇矯とか、奇人性とか、変人性とか、竜馬の「半島はいいな、海に突き出している」とか、チャレンジとか、いろいろですね。

 大衆擁護的な性格を持ち、「陳腐」かもしれませんね。
 でもその大衆は、改革的な、進歩的な、独創的な人もはいっていますよね。養護されている人には。
 養護してくれている常識に反逆、批判する、改革することはたいへんですね。抵抗も。
 陳腐になれば、自然とかさぶたのように落ちていく性格なのでしょうが、それまではなにせ体をを保護し、密着してますからね。
 すべて常識からでてきて、常識の上にそんざいしているのかしらね。
 それでも、私らのように、常識がよくわからない馬鹿にはとても枷やしこくになりますね。
 難しい問題です。
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この回答へのお礼

一方に「常識」を盾に取った大衆が存在し、他方にそれを懐疑するアートに属する人間たちがいる、これらは作用反作用的に不可分である、という構図ではないでしょうか。

お礼日時:2009/02/21 16:00

常識は基本ルールであり、陳腐とは考えません。


「よくある」が陳腐とは違うような。。
陳腐だと思う常識もあるんでしょうが、それは時代とともに変わってきたか、元からちゃんとした論理の上に成り立っていない「なんちゃって常識」なんだと思います。
常識とは常識たる理由があるわけです。
それを無視した、常識のための「常識」は陳腐ではないがチンケだと思います。
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この回答へのお礼

基本ルールというもののなかに、マス的共通認識という要素がある限り、それは低い次元に落ち着くものという運命ではないでしょうか。たとえば、子供が認識する「常識」というものは、なんら発展性や応用性がない。
しかし、なかには、陳腐を超え存在理由のしっかりした常識もあるでしょう。

お礼日時:2009/02/21 15:59

陳腐には陳腐だけど、必要だよね。


在る意味、必要悪と同じ。
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こんにちは。



日本の常識だと、常識=陳腐となるかもしれませんね。
しかし、日本は安全が無料で手に入る国、です。日本の常識と先進諸国の常識で異なる部分は多々あります。また、発展途上国においては、日本の常識は全く通用しないことが殆どです。
常識=陳腐という考えは、平和ボケ・安全ボケした日本では大いに成り立つ論法であろうと思います。

公園に可愛い犬が居るとするなら、微笑ましく眺めたり場合によっては頭を撫でてあげたりするのが日本の常識でしょうか。これは陳腐な光景かも知れません。

私が住んだことのある外国では、公園で犬が油断して歩いていると、捕まえられてしまい、解体されて食べられてしまいます。公園に居る鳩も同様です。これがその国の常識です。

その国では数年前に、ホームレスの子供が多くなっていることが問題になりました。しかし、2006年にその様な子供は一斉に居なくなりました。政府が対策を打ったわけではありません。ただ、その国に大量の外国人が流入し、食物が不足したと言う事実だけが分かっています。そのような外国人達は粗末な建物に住んで食うや食わずやの生活をしていました。ホームレスの子供達は、先の犬や鳩と同じように、外国人達が食べてしまったり、奴隷として売られたりしたのでした。

日本の常識では考えられませんが、海外ではこれが現実であり常識です。安全が保証されている日本では、陳腐に思える出来事が多いでしょうが、海外では生きることに四苦八苦している多くの人々が居ます。

日本に限って言えば、常識=陳腐は成り立つかもしれませんが、海外ではそうとは言い切れないと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。ところ変われば常識も変わり、なかにはそれがサバイバルの「陳腐」など入り込む余地のないものもあるのですね。日本の中にいて思考するのは限界があります。

お礼日時:2009/02/21 15:56

常識というのは「(暗黙の)決め事」ですからね。


決め事が真理の後追いになるのは止むを得ないわけで、陳腐となるのは、いかにも、といったところでしょう。

昔と比較しても常識は変化してきているはずですし、ただ、どの程度の速度や柔軟性を持って変化させ得るか、という点で民度が測られるということはあると思います。

アーティスティックが「>創造性、懐疑性その他もろもろの精神の働き。」だとすれば、
それらはまさに「先駆の要素」でしょうから、「後追い」の常識に対する反意語と捉えることは可能じゃないでしょうか。
 
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この回答へのお礼

暗黙の決め事、というのが、政治的なマス的操作のために、共通認識を持てる内容に落ち着く、つまり、低い次元の内容に落ち着いてしまう、そしてそれを後生大事に社会通念としてやっていく、という強制力があるわけです。それは、結局低いほうにあわせるという操作を変えない限り、改変して言ったとしても似たり寄ったりな意味合いです。アートはやはり先進なんでしょうね。

お礼日時:2009/02/21 15:55

大阪の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非常識と言われます。


大阪の多くの歩行者は、信号が赤でも車が来なければ平気で前に進みますが、日本の非常識と見られています。
一方外国に行って車の来ない交差点でも赤信号を守る日本人は世界では間抜けに見られています。

大阪や諸外国と大阪を除く日本とどちらが陳腐とか創造的とか決めるのは無意味です。
常識とはあるエリア等で生活する者たちの共通する価値観と言えます。
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この回答へのお礼

今は、赤信号を守らない人多いですよ。私は頑なに休んでしまています。常識は、共通認識だという陳腐化の要素から逃れられない。

お礼日時:2009/02/21 15:53

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