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人はどうして悪に基づいた行動が取れないのでしょうか。

例えば、どんな悪人と言われる人もその人なりにはその行為を正しいと思っていたり、正当化したりします。
正当化するという意味で当人にとって正当な行為を行っているのです。
悪をなそうと悪事を働く人を自分も含めてみたことがありません。

悪の反対を善とするなら、なぜ人は他人の評価はどうであれ「良い」、「善」、「正しい」という行為しか選択できないのでしょうか。

A 回答 (27件中21~27件)

たぶんですが、行動するということ自体が、脳が納得しないとできないようになっているからではないでしょうか。



納得することは幸福を感じる必須(さらに言えば十分)条件でしょうから、自分の行動に対して「悪」という概念が混入する余地がない。
ということではないかと思います。
自分にとって心地よいことが「良くないこと」であるはずはない、と思い込むわけでしょう。

戦争で敵を殺すなどのように、強制されて、という場合も考えてみましたが、「強制されたこと」を行動の理由にして納得することで初めて行動に移せるということなのだと思います。
  
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

脳によって行動が制御されているのなら、脳が自分にとって都合の悪いことをする(させる)わけはないですよね。

『他人にとって』は別として、私にとっての行動のすべては良い(善)と思われる行動しか人はとれないのかもしれませんね。

他人の善悪を批判する根拠はこんなところにもあるのかもしれませんね。

お礼日時:2009/03/03 17:13

ヒント



悪(善も) というのは、人間が考え出した概念です。
善・悪、そのものに絶対的・客観的な基準はありません。
人間の主観に基づくものです。
社会秩序の維持のためには、道徳としてある程度規定しているほうが、都合が良いのです。

ご参考までに
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

善悪を作ったのが神であろうと八百屋のおじさんであろうと関係ないのです。
悪という概念にもとづいて行動できないのはなぜでだろうかと思うのです。

お礼日時:2009/03/02 19:03

追記



私と同じように苦しめてやるという、自分勝手なものは悪意によるものと思います。
私のことを、わかれ!理解しろ!とか、
こんなに苦しいのだから、これくらいしても良いよねとか
同情してよとか
で苦しめます。

相手のことを思って、良かれと思ってしてるのではなく、自分のことだけを大事に考えた行為は、悪とされてるけど、
今更ながら、それも、可哀想な話で許したいですよね。
愛深き人は、人殺しも許せますね。


悪=愛のない行為。
だとは思いますが、
自分だけを愛した偏った行為は、周りが理解するのが難しい場合があります。
また、自分を卑下して愛せず、他人も愛せない場合もあって、自殺や無差別殺人やらになったり…
それを世の中が悪としていると思いますが、


難しいですね…。


愛深き人は、すべて見通して、許せるのでしょうね。
神様くらい?


ちなみに、成長してほしくてわざと苦しいことを与えるのには愛がありますが、
苦しみを与えることに喜びを感じるのでは愛がありませんから、悪です。

いろいろ難しい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

例えば、人をいじめると言うのはとてつもない慰めがあるのです。
信じられないかもしれませんが、いじめることで慰められるのです。

自分を慰めると言う行為は善人であろうと悪人であろうと行うのです。
自分を慰めるのは自分を守ると言う行為の一つとすればいじめもまた・・・・

他人の評価と言う意味の悪ではなく、当人にとっての悪は善よりもはるかに成すのが困難ではないだろうかと思うのです。

お礼日時:2009/03/02 19:00

人はだれでも「良心」があるからではないでしょうか?


悪い行動をとるということは、ある意味、自分の良心をだまして(無視して)そういう行動をとりますが、
後でやはり「良心の呵責」から逃れられられないと思います。
ドストエフスキーの「罪と罰」など、考えさせられますよね。

つまり人間は、本心は善を求めているのにもかかわらず、それと真っ向から戦う「邪心」がある、矛盾性を持っていると思います。

でも「邪心」を克服して「良心」の求めるように生きれたら、すばらしいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かにそういう面はありますね。
人は良いものとして出来ていると小さい子供を見ると感じますね。

お礼日時:2009/03/02 18:47

>正当化するという意味で当人にとって正当な行為を行っているのです。



この主張は半分間違っていると思います
「やっている事が正しい」と思って行動しているケースと「やっている事が間違っている」と判った上で行動しているケースがありますよ
どちらも正当化するパターンとしてある


>悪をなそうと悪事を働く人を自分も含めてみたことがありません。

暴力団とかヤンキー(死語かな)辺りを見ればオッケー



>悪の反対を善とするなら、なぜ人は他人の評価はどうであれ「良い」、「善」、「正し
>い」という行為しか選択できないのでしょうか。

前提に無理がある
悪の反対が善とは限らない
またその前提を受け入れたとしても、「良い」、「善」、「正しい」という行為以外を選択する人はいる

また何らかの判断基準があって初めて「善悪」を区別できる
この判断基準が異なれば、同じ物や行為でも簡単に「善悪」は逆転する
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

暴力団が悪に基づいて行動しているというのははじめて聞きました。
それが他人から見て善か悪かではなく、その当人がどう考えているのかが問題です。
当人にとって悪という行為をなすことはとても難しいと思います。

お礼日時:2009/03/02 18:40

追加



自分を否定された時にも、悲しみと怒りから、人を苦しめたり殺したりします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

親に捨てられた子供が悲しみと怒りから人を苦しめたとしたらそれは悪に基づく行為なのでしょうか。

お礼日時:2009/03/02 16:20

それは、私たちが魂の存在で、愛でできているから。

多くの人が、目に見えることだけを信じているけど、そうではありません。今、肉体があっても、死んだら魂だけになります。魂は愛でできているから、真善美が大好きです。

しかし、悪意に基づいて行動する人もいます。
それは、心が枯れて、愛が欲しいのに、くれない場合に、怒りや悲しみで叫ぶかのごとく、人を苦しめたり殺したりすることです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>魂は愛でできているから、真善美が大好きです。

面白い考え方ですね。

お礼日時:2009/03/02 16:19

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