人気マンガがだれでも無料♪電子コミック読み放題!!

ブッダが悟りをひらくまえに、
色仕掛けや「母親が病気だ」などとあの手この手を使って
悟りの邪魔をし、テストを仕掛けたのは
なんていう人(神?)と言われていますか?
ダイバダッタときいていますが、ネットでは違う解釈が出ています。
どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、宜しくお願いいたします。 

A 回答 (2件)

手許の『佛教辞典』では、


摩羅(魔)
欲界第六天の主、波旬(Papiyas)を主長とし、其の眷属を魔軍・魔民・魔人・魔衆とす。仏成道の時、大軍を率いて之を威嚇し、魔女を遣して誘惑し、入滅の時これを歓びたりと伝う。

波旬
仏・仏弟子等を■乱せんと企てし魔王をいう。人の慧命・善根を断つ魔なれば殺者という。欲界第六天の他化自在天、或は大自在天即ち湿婆(シヴァ)を指す。
※■=女+堯

とあります。
ということで、「波旬」または「他化自在天」「大自在天」「シヴァ神」ということだと思います。
このような仏伝は、いろんな説がありますから、一概に言えないのですが。

すでにご覧になっているかもしれませんが、wikipediaにも上記とほぼ同じような説が載っています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%BE%85
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E6%97%AC

提婆達多は、釈尊の従兄弟で、釈尊のもとで出家後(つまり、その時にはもう釈尊は悟りを開いていた)、釈尊を嫉んで、阿闍世王と結託して釈尊を殺そうとして失敗し、地獄へ堕ちた人物です。
釈尊の成道以前にも、武芸や学問では釈尊にかなわず、一人の女性を巡って争ったけれども破れたという経緯はありますが、成道を妨害するほどの力は持っていなかったと思われます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
シヴァでしたか。
大変参考になりました。
わたしも日々精進していくつものテストをクリアし、
悟りたいものです(^^)

ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/14 12:34

こんにちは。



私の記憶の範囲だけで、資料もなにもありませんが、私の知っている誘惑したという者の名は、「マーラ」と記憶しています。ただし、それは大乗仏教の経典の中の仏伝の中にしか存在しません。修行中に一種の幻想が現れるのは、今日でも認められた現象のようです。

提婆達多(ダイバダッタ)を率いる団体は、仏教の一派であり、釈迦の死後の数百年、つまり、数世紀まで現存していたと歴史的に残っているそうです。初期仏教教団は私たちの想像とは遥かに違っていたものであり、提婆達多の団体も、おそらく生活習慣が違っていたと思われます。地獄に落ちたとか、釈迦仏陀に対立していたとかいう話は、まったくの創作の話です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

こんにちは。
聖人・偉人には様々な説がついてまわり、
なにが真実かわからなくなってしまいますね。
誘惑・いわゆる「お試し」はシヴァという回答もいただきました。
マーラとは悪魔のことですね。
仏陀には「お試し」「悪の誘い」どちらにしても
悟りの中断をもくろまれていたのは間違いないようですね。
大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/14 12:55

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q悟りを開く

「悟りを開く」どういったことなのか説明してください。
「悟りを開く」で辞書を引いて、記されていない言葉でお願いします。

真理と言われるものを説明できなければ「悟りを開く」にならないのか?
知識を頭に詰め込んでも、自身の思想が邪魔をして会得できない場合があり、その場合、悟りを開いたことにならない。
真理という知識を外から詰め込まなくても、内から生まれて、例えその真理を説明できなくとも、悟りを開いたことになる?
でしたら、私的には
考えない・悩まない・迷わない
ようするに「阿呆になった」
と言っていいのでは?と考えていました。

悩み考える人間のほうが良質なのではないか?

Aベストアンサー

「あほになった」これはいい表現ですね。
しかし少し違います。考えない、悩まない、迷わないからアホになったのではなく、分ってしまったからその事については「考えなくてもよくなった」「悩まなくてもよくなった」「迷わなくてもよくなった」んです。その上を行ってしまったのです。悟りは「全てにおいて悟った」か「その対象物について悟った」というように2つの表現がありますね。仏陀あたりは全てにおいて悟られたと思います。また悟りを開いた人間と無知の人間は似ています。あなたの言う「考え・悩み・迷い」を「欲」だとすると無知の人間はそもそもその対象物について知らないから欲その物がないと推測できます。悟りを開いて無欲になったか、もともと知らないから無欲か。結果的に欲が無ければ悟ったと同じ状態です。

>知識を頭に詰め込んでも、自身の思想が邪魔をして会得できない場合があり、その場合、悟りを開いたことにならない。
そうです。例えば金で大事なことは量ではなく質ですよね。悟りを開こうと無駄に知識を入れるというのは、たくさんの混じりけのある物質を混ぜるのと同じで最終的に金かどうか分からなくなります。金の質を高めたければ、一つ一つ無駄なものを取り去らなければならないのです。
>真理という知識を外から詰め込まなくても、内から生まれて、例えその真理を説明できなくとも、悟りを開いたことになる?
そうです。私はそう思います。知識を入れてない分混じりけの少ない金な訳でその分純金に近いのです。(金=悟 とした場合)

あなたのように考える人間は好きです。これを乗り越えて頑張って悟りを開いてください。私は王陽明の伝習録に出てくる「未発の中」を悟りとしています。求めた回答と違いましたらすいません。

「あほになった」これはいい表現ですね。
しかし少し違います。考えない、悩まない、迷わないからアホになったのではなく、分ってしまったからその事については「考えなくてもよくなった」「悩まなくてもよくなった」「迷わなくてもよくなった」んです。その上を行ってしまったのです。悟りは「全てにおいて悟った」か「その対象物について悟った」というように2つの表現がありますね。仏陀あたりは全てにおいて悟られたと思います。また悟りを開いた人間と無知の人間は似ています。あなたの言う「考え・悩み・迷...続きを読む


人気Q&Aランキング