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 ここでは けんかを 口論にしぼってください。
 つまり 自己批判をふくめて 批判をすることです。
 存在を愛し 思想や行動を憎むことです。

 なぜ いけないのでしょう?
 理由が分かりません。おしえてください。

A 回答 (128件中51~60件)

 bragelonne (回答番号:No.48)


 自分としてはおこがましいことを、敢えて続けています。
 とてもえらそうなことをいえるものではりません。
 “エゴ”、そして“自我”も西洋語であり、何か訳語でしょう?
 “エゴ”っていう自己認識は、自分という認識を何か切り離していませんか。
 つまり、“エゴ”っていうのは実は自分ではないと存じます、結論は。
 だから“エゴ”でなくなった、自己、万物や根源(究極意識でもよいし、神でもよろしいと存じますが)から切り離さない意識が自己であり、そういう意識をさせないのが“エゴ”だと存じます。
 だから“エゴ”は実在ではなく、神と万物、神と万物たる自分がいるだけなのでしょうね。
 と、尋問に答えて漸くに、しどろもどろにとえらそうに申し上げる次第です。

この回答への補足

 krya1998さん ご回答をありがとうございます。

 そうですか。たぶん 定義のちがいから来るものと思いますが いちおう 話を継ぎます。

 ★ “エゴ”っていう自己認識は、自分という認識を何か切り離していませんか。
 ☆ わたしの理解するところを 初めから 述べるかたちを採ります。
 《わたし》は《わたし》を 《自分という認識》をするときに 自覚すると思います。と同時に 普段は その認識を つねに 持っているものではないとも考えます。
 つまり 普段は まづは 《エゴー》と言おうが 《わたし》と言おうが そういう存在が 実際に 生きている・生活しているというすがたがあるだけです。

 《エゴー》を 《自我》と訳したり 思考する存在としての《われ》として規定したりするときには おそらく 自意識ないし自己認識を つねにと言うほどに 持っていて 緊張した状態にあるような《わたし》を言うのかも知れません。ただちに その自己認識をおこなえる用意があるやや強い意識としての存在を言うのかも知れません。

 言ってみれば この《自我=エゴ》は こころの大海の上に立つ波のごとく 一つひとつの意志行為に応じて 意識的な存在となるかたちであり そういう実際のすがたであろうと思われます。

 そうなると この《自我=エゴ》は はじめの《わたし》ないし《自分という認識》からは そこから出て来ているにもかかわらず いくらか おっしゃるように 離れてしまうかに思われます。
 たしかに そのような事態を問題にしておられるのだと考えます。一般にも そうだと思います。《私をなくせ》とか《私心から離れよ》とか言うときには そういう意味があると思われます。

 ただ 問題は わたしに思われるのですが この狭い姿を見せていると考えられる《自我=エゴ》も じつに はじめの《わたし》が 世間という大洋に そういう波として 立たせているものだとも考えざるを得ないことです。

 でしたら この《自我=エゴ》を練り上げて行って はじめの《わたし》を保ち 確立するほかないように思うのですが どうでしょう? 外からあたかも内に入ってきたものであるなら その《自我=エゴ》を 捨てればよいわけですが 一たん 間違ってでも 《わたし》が意志して作り上げた自己の像なのですから これを なおも引き受けて そのあとに 練り直す。棄てるべきものは棄てる。つまり 批判する。間違いや非妥当性については 憎む。しかも 存在つまりわたしを わたしは 愛しているから そうする。――ということではないでしょうか。いかがでしょう。

 なお 
 ★  “エゴ”、そして“自我”も西洋語であり、何か訳語でしょう?
 ☆ 《エゴー ego =わたしは / わたしが》から 《イッヒ Ich 》も 《アイ I 》も 《ヤー / ジュ / ヨー / イーヨ》も出て来ています。《 g 》が 消えたり 《 e - o 》の母音が短縮したりして 出来たものだそうです。――いちいち 《自我》などという狭い意味で規定したりするものですから ややこしくなるのだと思うのですが どうでしょう。

 そういうお応えを用意したかたちの 応答なのでした。ご一考いただければ さいわいです。つまり この問い求めでの《批判》にかかわると存じる次第です。

補足日時:2009/03/26 15:52
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maimaisusです。



>相手を その弱点をも合わせて 全体として・存在として 受け容れ理解しようとすること これは おっしゃるように ひとつの思想を成すと思われるのですが それは この質問での《欠陥を憎む》=《批判》をするときにも 保つことができる こう 思います。

の話ですか。
保つ事が、出来る出来ないの前に、《欠陥を憎む》と言う形を取るか、別の形を取るかは、人それぞれの形があって良いと思うのです。
では、どうしても憎まなくてはいけないのですか?
そうでない、考えはあってはいけないのでしょうか?
そもそも、欠陥って何?
答えは、多くの角度から見れば一つではないはずです。
と、言うのが前回の回答です。
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この回答へのお礼

 maimaisusさん ご回答をありがとうございます。

 そうですね。少し 議論のようになって来ましたが 正解(複数でありうる)を問い求めての探究になると思います。

 ★ 〔弱点ごと 相手の存在を 受け容れるという思想を〕保つ事が、出来る出来ないの前に、《欠陥を憎む》と言う形を取るか、別の形を取るかは、人それぞれの形があって良いと思うのです。
 ☆ ちょっと 待ってください。この質問は
 ○ 《存在を愛し 思想や行動〔の欠陥〕を憎む》という批判をおこなうのは いけないことですか?
 ☆ です。
 ★ 《欠陥を憎む》と言う形を取るか、別の形を取るかは、人それぞれの形があって良いと思うのです。
 ☆ そうなのですが つまり それはそれとして ありますが そうではなく ここでは 問題を特定しています。
 《〈欠陥を憎む〉と言う形を取る》ときには 同時に《存在を愛しつつ》 おこなうという命題を提出しているわけです。それについて いい / いけない どちらであるかを おしえてくださいと問うています。

 ★ そもそも、欠陥って何?
 ☆ わたしの考えでは 話し合いをしないことです。話を噛み合わさないことです。話し合いを 一方的に 停止・放棄することです。
 むろん 思考するときの推論のまちがい つまり ものごとの非妥当性ということも 欠陥です。
 
 このように考えていますが どうでしょうか。

お礼日時:2009/03/26 16:09

 bragelonneさん (回答番号:No.51)


 はぃ、仰せのお話は理解できると存じます。つまり、bragelonneさん からのお話として勉強させていただきます。
 私の話のご返事であるという、思いから自由になってご所論を勉強させていただきます。  
 仰せのお話に対して、更に何かを投稿することはどうも難しいと存じます。
 また何か、投稿することに気づいて、まだ締め切られていないときは、お目を穢しますが、投稿させていただきますので、どうかよろしくお願い申しあげます。 
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この回答へのお礼

 krya1998さん ご回答をありがとうございます。

 そうですか。それでよろしいのでしたら 恐縮です。
 《エゴ》とか《自我》とかという言葉を聞くと いつも 思うところがあったものですから それに ちょうど《批判》という問題にかかわっていると思ったものですから 出させていただきました。

 精進してまいります。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/26 16:47

maimaisusです。



回答の順番が変わりますが先にこちらの話から進めさせて頂きます。

>☆ わたしの考えでは 話し合いをしないことです。話を噛み合わさないことです。話し合いを 一方的に 停止・放棄することです。
 むろん 思考するときの推論のまちがい つまり ものごとの非妥当性ということも 欠陥です。

何故、そう言うことになったのか、考えてみてください。

そこには、その時その時、bragelonneさんの気付かない、何かがそこにはあるのではないでしょうか。
私から見て、bragelonneさん自身、そう言った部分があった事はよくありましたが、そう言うときは大概、感情的な話になっていたと思います。
しかしそれは、あくまで、私から見た味方であり、bragelonneさん自身はbragelonne自身の基準や考えがあると思うのです。
そう言ったことを、踏まえれば一概に欠陥とは、言いきれないのではないでしょうか。





>○ 《存在を愛し 思想や行動〔の欠陥〕を憎む》という批判をおこなうのは いけないことですか?

bragelonneさんは、こう言う回答は嫌だと思いますが、一言で言えば、どちらとも一概には言えない、と言う事です。
現実とは、そう言うモノです。




>《〈欠陥を憎む〉と言う形を取る》ときには 同時に《存在を愛しつつ》 おこなうという命題を提出しているわけです。それについて いい / いけない どちらであるかを おしえてくださいと問うています。

上記内容を理解して、頂けば、存在を愛しつつ、欠陥を憎むと言うことは矛盾していると言えるのではないでしょうか。
なので、存在を愛するのはいい事ですが、存在を憎む行為はいけないことだと思いますね。
存在を愛する愛が足りてないと言う見方も出来るのではないでしょうか。

この回答への補足

 maimaisusさん ご回答をありがとうございます。

 ★ (α) 存在を愛する愛が足りてないと言う見方も出来るのではないでしょうか。
 ☆ したがって つぎのように おっしゃっているのだと理解します。すなわち
 (α‐1) たとえ 百歩ゆづって 《思想や行動の欠陥を憎む。批判する》にしても まづは じゅうぶんにゆたかな愛を その相手の存在にそそがなければ それは ありえない。
 (α‐2) 存在を愛する愛が足りてないなら 何をやっても 無駄であり それは いけないことである。
 ☆ こういう結論を いまの段階で 示しておられるのではないでしょうか。
 ★ (β) 存在を愛するのはいい事ですが、欠陥を憎む行為はいけないことだと思いますね。
 ☆ このことの確認をも怠りなく しておきたいと思います。そして わたしとしましては それら両方が 同時におこなうこととして 成り立つと言っているのでした。

 さて どうなりましょうか。
 まづ その結論づけの前の段階で つぎのようにもおっしゃっていることを取り上げたいと思います。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (γ) そこには(=《対話の拒否》を《欠陥》だと見るところには)、その時その時、bragelonneさんの気付かない、何かがそこにはあるのではないでしょうか。
 (δ) 私から見て、bragelonneさん自身、そう言った部分(=《気づかない何か》)があった事はよくありましたが、そう言うときは大概、感情的な話になっていたと思います。
 (ε) しかしそれは、あくまで、私から見た見方であり、bragelonneさん自身はbragelonne自身の基準や考えがあると思うのです。
 (ζ) そう言ったことを、踏まえれば一概に欠陥とは、言いきれないのではないでしょうか。・・・一言で言えば、どちらとも一概には言えない、と言う事です。 / 現実とは、そう言うモノです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ (1) まづ 手続きの問題を挙げます。(δ)のように批判するとき 同時に 存在を愛するというのは その具体的な事例を挙げることだと わたしは 考えますが いかがでしょう?
 (2) そのあと (ε)のように述べるのなら 《だれもが あやまつものだ》という意味のみになりますから これによって(β)をみちびくことは出来ないと思いますが いかがでしょう?
 (3) 言いかえるならば 同じく手続きの問題として 《何を〈批判すべき欠陥〉と見るか》の判断基準を――それなら―― 決めればよいのではないか とも考えられます。けれども そうではなく 《その基準は決められないから 欠陥を憎むという批判は すべからず》という(β)の結論になるということでしょうか?
 (4) つまり そうすると (ζ)という一つの結びは 中間の確認事項であって 結論ではないということでしょうか? なぜなら 最終的には 最初に掲げた(α)が  結論として みちびかれています。
 (5) つまりつまり 
 (α‐3) 存在を愛する愛が足りていても 欠陥を憎む行為は そもそも いけないことである。
 (α‐4) なぜなら 欠陥を欠陥として判断する基準が ひとによって ちがうから。しかも その基準を決められるものではないから。

 ☆ こういう論述内容でありましょうか。

 ☆ 基準を決めることは出来るとわたしは考えますが それよりも 何よりも (α‐3)を論点とし 焦点としたいと思います。ちなみになお前提事項ですが
 ★ (α‐5) 存在を愛しつつ、欠陥を憎むと言うことは矛盾していると言えるのではないでしょうか。
 ☆ とも伺うことが出来ます。これなら maimaisus さんも 《〈欠陥があり 欠陥を憎む〉ということが 人間の行為として 起こる》ということを 承認しておられると受け取れますが そういう揚げ足取りは よしましょう。つまりは 《〈欠陥を憎む=その意味で 批判をする〉ことは そもそも いけないことである》(=α‐3)を 焦点としましょう。

 どうでしょう。答えのひとつは 
 ○ 自己防衛が必要だから 批判は 必要である。
 ☆ とわたしは 考えます。
 ○ 自己防衛が必要なときに採る態度として ( a ) 逃げる ( b )口論を その内容の妥当性を省みず たたかわせる そして ( c ) 批判する=その思想や行動の欠陥を わが内に省みて これを 認識したあと その内面において 棄てる。棄てたということを 相手に 伝える。その意味で 相手に その欠陥の指摘をすることになる。

補足日時:2009/03/27 13:55
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この回答へのお礼

 ☆ ここでの( c )をわたしは言わば主張しているわけですが そして ほかの( a )も( b )も 間違いだと言っているのですが そうしますと ここから新たに続けるべき議論は 次のようなふたつの道にみちびかれましょうか?

 ( d )=( a ‐1): 逃げる恰好であるが 主観の内においては 相手の思想に欠陥があるとは 思っている。その思いを 間違いでなければ 持ちつづける。
 ( e )=( c ‐1):自分の内面において 欠陥を憎み棄てたことを 相手に 伝えない。それ以外は すべて ( c )である。

 ☆ 考えてみれば これら( d )と( e )とは 互いに かなり歩み寄っているようです。 

 その上で わたしは なお次のように明らかにして おしえを乞いたいと思います。
 ○ 自己の専守防衛のために 欠陥を自己の内面において憎み棄てたことを 相手に伝える行為を選択する場合が ある。選択しなければならない場合が ある。

 ☆ こう考えます。いかがでしょう?

 * これは 具体的にどのようであるかというよりも 精神的に身の危険が迫っているという情況なのではないか。こう考えます。
 * もう一点添えるなら つまりは 《逃げるなら そして 何も言わないなら その相手との人間としての関係を 断つことになる。つまり無関心という死の関係になる》 こう考えられることが 相手にことばで伝達する行為をえらぶ理由です。
 * つまり ( d )のように 黙して 論評を控えるよりも ( e )のように 明らかにしておくことのほうが むしろ 謙虚であるという見方です。

お礼日時:2009/03/27 14:08

naimaisusです。



存在を憎む→欠陥を憎む

の訂正お願いします。
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この回答へのお礼

 了解です。
 訂正したかたちで 引用しています。

お礼日時:2009/03/27 14:10

maimaisusです。



んーそうですねー。まずは。

>(α‐3) 存在を愛する愛が足りていても 欠陥を憎む行為は そもそも いけないことである。

これですね、そう言う意味ではなくて、

存在を愛する愛が足りていたら、欠陥を憎む行為はしない。
と言ったところでしょうか。






そもそもね、、私も含めてそうだと思うのですが、これはbragelonneさんの質問に対する、回答者から見た客観視の意見な訳です。
bragelonneさんの言いたい事も、解らない訳ではありませんが、どうも、結果的に、回答者の思考を理解しないで、bragelonneさんの考え方を押し付けている形になっている処や時があるとと思うのです。
それに、何故私があまり具体的な事を引用しないかと言うと。
話が、関係のない方向に、向かったり、上手く引用出来ないと言う部分もあります、何より、そう言った事(体的な事を引用しない)ことで、変な先入観をはずして、色々な角度から物事を考えてもらいたいからです。

なので、前回回答も批判というよりは、私はこう考えていますよ、そう言う風に考えますよ。
って言ってる訳でです。
その先の、議論をする為には、こちら側の考え方の根本的な事からを理解していただかないと、難しいと思います。

しかし、その事は、他の質疑回答で無理だと、答えが出ているはずですが。

しかし、そこまでいかなかった、回答者のかたもいたかと思います。
人とは、言いっても無駄だと思えば、その時点で何も言わなくなる場合が多々あると思うのです。
もちろん、中には、感情的になり、ひどいこと言いてしまう場合も、有ると思います。
そう言う意味においては、どちらにも多かれ少なかれ、非があるのではないでしょうか。

ちなみに、私の場合は、質問者・他の回答者の参考になればいいと思い回答させて頂いてます。

そう言う訳で、bragelonneさん個人がそう考えるのであるならばそれはそれで、間違ってはいないと思います。
しかし、それを社会全体の考え方としようとするのであるならば、正しいとは、一概に言えないと思います。
適用判断が難しい場合が多々かったその他の場合が多くあるからです。

そうやって考えていただけると、

>(2) そのあと (ε)のように述べるのなら 《だれもが あやまつものだ》という意味のみになりますから 

ではなくて、
人によって見方や感じ形が違う。
と言う事を言っている訳で、それを別に欠陥だと思っていないと言うことです。

あいかわらず、文章が下手で分かりにくい説明ですいません。
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この回答へのお礼

 maimaisusさん ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 そう言う訳で、bragelonneさん個人がそう考えるのであるならばそれはそれで、間違ってはいないと思います。
 しかし、それを社会全体の考え方としようとするのであるならば、正しいとは、一概に言えないと思います。
 適用判断が難しい場合が多々かったその他の場合が多くあるからです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 最後の一行は やや誤植だと思うのですが ここで 話が 進展して来ているのを見ます。要点は 二点です。
 (1) わたしbragelonneの考えは わたしの提出している条件や情況のもとでは ひとつの妥当な見解として 受けとめることができる。と承認してくださったこと。
 (2) ただし この見解が 世の中のすべてにあてはまるとは限らない。つまり やはり 同じように妥当な内容を持った見解が 別にあって ひとそれぞれに応じて 持たれている。

 となりましょうか?
 ずばり お訊きします。
 ○ 北朝鮮政府が 対話を 一方的に 拒否していることは 悪であるのではないでしょうか? 欠陥であるのではないでしょうか? 指摘すべき場合も 自己防衛に応じて 出てくるのではないでしょうか?
 ○ そして おそらく それは そうであるという答えが返ってくると思うのですが そのとき 上の(2)が ここにも 当てはまりますか?
 ○ つまりは あちらにも あちらの見解があって それも 妥当である。もしくは 一概に 悪いとも 欠陥であるとも 言えない。こういうご意見でしょうか?

 ★ その先の、議論をする為には、こちら側の考え方の根本的な事からを理解していただかないと、難しいと思います。
 ☆ ぜひ 上の質問に答えるかたちで その《根本的なこと》をおしえてください。どうでしょうか?

 * つまり わたしの質問は あらゆる場合に当てはまる問題を 問うているつもりです。どうでしょう。

お礼日時:2009/03/27 19:50

maimaisusです。



>(1) わたしbragelonneの考えは わたしの提出している条件や情況のもとでは ひとつの妥当な見解として 受けとめることができる。と承認してくださったこと。

正確には、
bragelonneがbragelonneである為に、bragelonneの考えは、提出している条件や情況のもとでは ひとつの妥当な見解として 受けとめることができる。
と言った処でしょうか。





>(2) ただし この見解が 世の中のすべてにあてはまるとは限らない。つまり やはり 同じように妥当な内容を持った見解が 別にあって ひとそれぞれに応じて 持たれている。

大雑把な意見としてはそうですが、全ての人間に全ての場合に合わないと言っている訳ではなく、そう言うひとや、場合があると言うことを、言っている訳ですね。
そして、そう言う人や、場合の方が多いと思うのです。
もし、bragelonneさんの考え方、提案でその人間の、良い面がそがれたり、その人がその人らしさを、失う事になれば、それはそれでよくないとしか言えない、と言うこともあるかもしれん。
もちろん、良くなる可能性もありますけどね。それはそれで、問題にはならないと思います。
ですが、少数意見を大切にする、bragelonneさんにとっては大問題でしょ。
そう言う意味です。



>○ つまりは あちらにも あちらの見解があって それも 妥当である。もしくは 一概に 悪いとも 欠陥であるとも 言えない。こういうご意見でしょうか?

妥当(私たちから見て)かどうかは、分かりませんが、向こうには向こうの理屈がある事は確か?です。
まあ、もしかしたら理屈ではなく意見かもしれませんが。




 >☆ ぜひ 上の質問に答えるかたちで その《根本的なこと》をおしえてください。どうでしょうか?

は、正直、直接話さないと、いまの私では無理があろうかと思います。



>* つまり わたしの質問は あらゆる場合に当てはまる問題を 問うているつもりです。どうでしょう。

それは、この場所で、議論しているからそう思うだけです。
そう言った事を、中心又は重視している場合なら、それはそれで、良いと言う、見解もありますが、そうでない場合や、そうでない人達の場合は当てはまらないと思いますよ。

そう言うと、また、実例を挙げろと言われそうですがあえて挙げません、多角的に考えてください。
お願いします。
訳は、前回の回答で述べた通りです。
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この回答へのお礼

 maimaisus さん ご投稿をいただいて来ましたが やはり だめでしたか。その労に 感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。が もう 行き止まりのようですね。

 ● (No.54お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 ○ 自己の専守防衛のために 欠陥を自己の内面において憎み 棄てたことを 相手に伝える行為 これを選択する場合が ある。選択しなければならない場合が ある。

 ☆ こう考えます。いかがでしょう?

 * これは 具体的にどのようであるかというよりも 精神的に身の危険が迫っているという情況なのではないか。こう考えます。
 * もう一点添えるなら つまりは 《逃げるなら そして 何も言わないなら その相手との人間としての関係を 断つことになる。つまり無関心という死の関係になる》 こう考えられることが 相手にことばで伝達する行為をえらぶ理由です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この考えと理由にもとづいて 最後の《ありがとうございました》をお伝えします。
 なお これは
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 >☆ ぜひ 上の質問に答えるかたちで その《根本的なこと》をおしえてください。どうでしょうか?

 は、正直、直接話さないと、いまの私では無理があろうかと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ に応答したものです。
 今後とも この考えをもって 接していくつもりです。つまりは このお礼欄の文章を そっくりそのまま 応答として掲げるつもりです。

 つまりは このようにする場合も あれば しない場合もある。ともに 自由である。ということのようですから。(わたし自身は これまで述べた来たように そうは考えませんが そう述べるひとの思想に対して――むろん その欠陥を指摘して来てもいますが ここに到れば―― 自由にさせるほかないと考えた結果です)。

お礼日時:2009/03/28 09:01

maimaisusです。




>○ 自己の専守防衛のために 欠陥を自己の内面において憎み 棄てたことを 相手に伝える行為 これを選択する場合が ある。選択しなければならない場合が ある。

んー、確かに中には、そう言った様な人もいるかもしれませんね。

ですけどね、私が言いたい事は、自分の中で答えが正しいからと言って、他の人間、全般にそうであるべきだ的な事を言うのは、ここで話すべきではないと思うのですがー。



私から見るとですね、bragelonneさんが、自己の専守防衛の為、ご自分の間違っている部分を認めず、人の間違いを指摘している様な感じがするときがあります。
そう言う事があると、結果的に、お互いのつぶし合いで、上記理由が、あてはまる人がいてもおかしくはないですよね。
その時、bragelonneさんは、意識しないで、そう言った人達を自分で造り排除し、礼儀がなっていないと怒っている訳です。
そう言った部分で、bragelonneさん自身にも少なからず、欠陥の要因はあるとおもいますがね。
様は、自分を守る為に、他を排除してしまっている、大切な意見を言ってくれる人を自ら、失っている訳です。
そうすると、新しい回答者か、bragelonneさんに賛同する人しか集まりにくくなり、その中で、口論があっても、楽しいだけの話合いで終わってしまい、本当の意味での、質疑応答の意味を損なってしまっていると言う事です。
もちろん、そう言う側面だけではないこを、付け足しておきます。
私の場合は、上記理由に、当てはまらないので何とも言えませんが。
そう言う意味おいて、精神的に弱い人とは違うと言う事です、その代り頭は弱い処は、多々ありますが。(-_-;)

この回答への補足

  maimaisusさん 次のように 抗議を致します。つぎの(δ)の発言の撤回を要求します。

 ● (No.54回答および補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ★ (δ) 私から見て、bragelonneさん自身、そう言った部分(=《気づかない何かとしてのわるいこと》)があった事はよくありましたが、そう言うときは大概、感情的な話になっていたと思います。
 ☆ (1) まづ 手続きの問題を挙げます。(δ)のように批判するとき 同時に 存在を愛するというのは その具体的な事例を挙げることだと わたしは 考えますが いかがでしょう?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この応答がなされた時点では まだ 互いの信頼関係があるという振りをすることが 最善の策だったわけですが いまとなっては この(δ)の発言は それだけでは 犯罪になるかと考えます。名誉毀損や中傷のたぐいです。
 まづ撤回を要求します。

 あとは 前回の答えの繰り返しです。
  maimaisus さん ご投稿をいただいて来ましたが やはり だめでしたか。その労に 感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。が もう 行き止まりのようですね。

 ● (No.54お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 ○ 自己の専守防衛のために 欠陥を自己の内面において憎み 棄てたことを 相手に伝える行為 これを選択する場合が ある。選択しなければならない場合が ある。

 ☆ こう考えます。いかがでしょう?

 * これは 具体的にどのようであるかというよりも 精神的に身の危険が迫っているという情況なのではないか。こう考えます。
 * もう一点添えるなら つまりは 《逃げるなら そして 何も言わないなら その相手との人間としての関係を 断つことになる。つまり無関心という死の関係になる》 こう考えられることが 相手にことばで伝達する行為をえらぶ理由です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この考えと理由にもとづいて 最後の《ありがとうございました》をお伝えします。
 なお これは
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 >☆ ぜひ 上の質問に答えるかたちで その《根本的なこと》をおしえてください。どうでしょうか?

 は、正直、直接話さないと、いまの私では無理があろうかと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ に応答したものです。
 今後とも この考えをもって 接していくつもりです。つまりは このお礼欄の文章を そっくりそのまま 応答として掲げるつもりです。

 つまりは このようにする場合も あれば しない場合もある。ともに 自由である。ということのようですから。(わたし自身は これまで述べた来たように そうは考えませんが そう述べるひとの思想に対して――むろん その欠陥を指摘して来てもいますが ここに到れば―― 自由にさせるほかないと考えた結果です)。

補足日時:2009/03/28 14:27
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僕の感じ方では、bragelonneさんの主張には、一色に染め上げようとするファシズム(全体主義)の匂いがするのです。

多様性を容認しない、唯一絶対信仰のような論調を感じます。皆さんも、そのことを言いたいのだと思うのですが。
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この回答へのお礼

 規約以前 ネチケット以前の 人間にとって とうぜん守るべきことだから 《一色に染め上げ》ても かまわないことなのです。

 ごくふつうの人間にそなわっていて とうぜん 自分自身で開発しているはづのことがら これだから 《多様性》の問題の以前なのです。

 ということも 分からないということは・・・と言いかけて あとは ご自身で省みていただきましょう。

お礼日時:2009/03/28 14:34

こんにちは、bragelonneさん。





まいっちゃいましたよ。
PCトラぶっちゃって、修復のメドたたず…Y(>_<)Y。
ハードいっちゃったかも???
マジ、洒落にならん状況です。
しばらくは携帯からのアクセスです。



なんで、菊をここにあげたかと?

うん、菊といえば「けんか祭り」を思い浮かべたの。で、菊繋がりで菊人形。菊人形、関西では「ひらかたパーク」の菊人形をはじめあっちでもこっちでもみる機会もおおく、馴染み深かったんだけども、ここ数年の間に菊人形パッタリと姿を消したの。なんで?と、疑問に思うまでに未曾有の不況の波。誰疑うことなく、不況のせいでどこともに経営難だからだろうぐらいに疑問も意識から消し去られる。で、菊で「けんか祭り」はどこかといえば霞ヶ城。「霞ヶ」という名が菊人形消失となんらかの因果関係が仮にあったとしたら…とばっちりもいいとこだ。たまたまよく似た名ということで当てこすりの如く菊人形が場から排除されていくのは忍びない。


『問題のある遺言が引き起こす』
http://yoshida-office.hp.infoseek.co.jp/m-2.htm

この回答への補足

 UFO !!!

 お忙しいと思いますが。

補足日時:2009/03/30 10:48
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この回答へのお礼

 littlekissさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ PC
 ☆ なんか そのようですね。何にも知らんよ。

 ★ 菊
 ☆ 《灘のけんか祭り・岸和田だんじり祭》が 検索の結果 出たので 読んでみたけれど 《菊》は 出て来ません。どうなってるの?
 ★ 霞ヶ城
 ☆ これも 調べたら 福島・二本松あるいは 福井・丸岡城と出てくる。いったい どこのこと?

 そうですか。菊人形が消えて行っているのですか。人形には いささか 関係しているので あぁ そうなんですかと――言う割りには ひとごとのようになりますが―― 思ったりはします。日本人形が 中国でつくられるようになったと聞いて もう二・三十年たつでしょうか。

 ★ 『問題のある遺言が引き起こす相続の影の一面』
 ☆ これも 《けんか》つながりなのですね。法定相続は けっこう 公平のように思いますが どうですかねぇ。

 再出発も うまく行っていると思っていたら またまた・・・ ってな具合いです。
 bouquet de roses

お礼日時:2009/03/28 15:56
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