つい集めてしまうものはなんですか?

 ここでは けんかを 口論にしぼってください。
 つまり 自己批判をふくめて 批判をすることです。
 存在を愛し 思想や行動を憎むことです。

 なぜ いけないのでしょう?
 理由が分かりません。おしえてください。

A 回答 (128件中61~70件)

傍観者が何を上から目線で何をほざいているんだ、と


言われちゃうかも知れませんが。

思想をひとつの方向に収斂させようとすると
ファシズムだと感じる人たちがいるんだ・・・

でも、それはそれで分かるような気がします。

喧嘩は、それが口によるものでも手によるものでも
喧嘩には得手不得手があることに、あらためて気づきました。
論理で分かり合おうとすることは
殴って分かり合おうとするよりずっと平和的ですが
論理表現が不得手な人にとってはやはり脅威です。
ただでさえ、bragelonneさんの表現は個性的です。
回答者はその個性の咀嚼から始めないと土俵に上がれません。
(私には素敵に思える個性ですが、たまに個性がハードルだと文句が入りますね。)

少し話が脱線しました。
論理的表現が不得手な人にとっては論理の喧嘩もやはり脅威です。
自分が上手く論理化できないところまで相手が拾ってくれるとは思えない。
だから、これ上手く論理化できなくなると「境界線」を引きたがる。

多分、境界線を引いても問題を先送りするだけです。
bragelonneさんはそこを問題視されている筈。
でも、それは境界線を引きたがる本人が一番分かっているように思います。

喧嘩は、その手法を吟味しないと、不公平なのだと思いました。
> ここでは けんかを 口論にしぼってください。
そこには、殴り合いはダメだけど、口論ならフェアだ、という先入観があり
そこに一種の「奢り」を感じる人が「ファシズム」のような気分を感じるのではないでしょうか?
(言うまでもないと思いますが、特定の回答者様を弱者扱いする意図はありません。)

ここに、例えば、料理の味に非常にこだわる男がいたとします。
その妻や子供たちは、味よりも「みんなで楽しく食べること」を大事に考えているとします。
あるレストランで、男がその味が良いとは思えず
「言いたいことがある、料理長を呼べ」と主張したとします。
でも、男の妻は「私はこれで十分だから、楽しく食べましょう」と言います。
男は「不味いモノを不味いと言って、何がいけないのか?」と反論します。

ここでのQ&Aに、このような例えを持ち出すのは失礼でしょうか。。。
ここは哲学カテなのだから(ここ味を語りあう場だ)という主張もあるかとは思いますが
喧嘩を少しでもフェアにするために、ルールというものがある筈です。
(ルールの完成度の話はまた別の問題です。)
ルールを重んじない「けんか」はやはりダメだと、少し意見を変えます。
ルールがあると、自分の得意技が繰り出せない、ではダメです。

この回答への補足

 CUE009さん ようこそ。ご回答をありがとうございます。

 グッド・タイミングです。いちばん気心が知れたひとに SOSを発したところでもあります。締めるのも 一案かと思いましたが まだ それは ないのでしょうね。

 わたしの立ち場からは つぎのご指摘が いちばんの問題点ですね。

 ★ (言うまでもないと思いますが、特定の回答者様を弱者扱いする意図はありません。)

 ☆ CUE009さんから見ると おそらく 今回のご投稿内容が 最善の処方箋であり分析であると考えられるのだと思います。
 ちょっと ほんのちょっと 難を言いますと 質疑応答の《約束事》で 違反もしくは勘違いがあるという事実については 確認すべきだと考えます。
 (批判のためには 事例を挙げる。言った時点の あとのではなく むろん 以前の事例であることは決まっています。 / 対面での説得なら出来るという発言は 説明を放棄しますという意味のほかにはならないこと。これら二点であり それらは すでに事実となっている問題です)。

 ですから わたしの立ち場としては いまの時点で はっきり決まっています。
 ○ 《特定の回答者様を弱者扱いする意図》を持たないとすれば 何も もう 言葉はかけられない。
 ☆ これです。ぎゃくに言うと ここで 何か 言葉をかけるとすれば それは 特定の回答者を あたかも小学生か あるいは ひょっとすると 幼稚園児であると見なすことになるという意味です。
 上に括弧書きした二点の事実問題と そして あとは 質問趣旨としての一点 つまりは 《対話の席を蹴って去ることは 批判すべき欠陥であり この命題に 例外はない》 これを確認することができたなら お応えになると思います。

 ですから あとは 蛇足です。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 多分、境界線を引いても問題を先送りするだけです。
 bragelonneさんはそこを問題視されている筈。
 でも、それは境界線を引きたがる本人が一番分かっているように思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 思考停止という問題情況だと思いますが はっきり言えば 恥ぢさらしになりたくないなら 哲学は 無理だと言うべきでしょう。プライドが邪魔するひとは 哲学は 無理でしょう。知識は増えるでしょうが 人間性は小学生のまま 人生を終えるという意味になりますが。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 殴り合いはダメだけど、口論ならフェアだ、という先入観があり
そこに一種の「奢り」を感じる人が「ファシズム」のような気分を感じるのではないでしょうか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この気分を 気遣って考慮に入れるとすれば それが 小学生扱いもしくは幼稚園児扱いになると 質問者のわたしの立ち場からは 思える問題情況です。こんなことくらいで つまりは フェアな口論ということにおごりを感じるほど 変なかたちで おのれの面子を重んじるというのなら そういう人びとこそが 《ファシズム》を作るか それとも 歓迎するのではないでしょうか?

 ★ 料理にこだわる話
 ☆ 《味》は 趣味・嗜好の問題ですから たとえが わるいでしょう。このたとえの 文字どおりだと それこそ ファシズムになってしまいます。

 ★ 個性がハードルだという場合
 ☆ けっきょく bragelonne の質問と応答は 自分には 合わないと言って 去っていけば いいのではないでしょうか。これも 趣味の問題ですから。

 要するに 問題は こうです。レストランの席に坐って 注文をも出したそのあと 黙って 外へ出て行ってしまう。これが 例外なく 批判すべき欠陥であるのではないか と問うています。これを批判しては 何故 いけないのか。これです。

補足日時:2009/03/30 13:29
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この回答へのお礼

 蛇足の蛇足です。

 もしその答えが 《いけない》となれば それこそ ファシズムではないでしょうか。
 もし レストランから黙って外へ出て行ったという行動に対して 批判してはいけないとすれば こういうことになりませんか? たとえば 食い逃げをしたとしても それはそれで 人それぞれの考えだから これを上から思想統制するかのように 批判するようなことがあってはならないと言うことに等しいでのは? 
 つまり そういう《のっぺらぼう史観》という一色に 人びとの頭を 染めようという思想になるのではないですか? 顔がないのです。顔無しです。意志も思想も 何もないのです。ただ 理科系の学問だけは しっかりやりなさいということなのでしょう。

 いまのように思考停止のままがんばっている人びとこそが
 ★ 思想をひとつの方向に収斂させようとする
 ☆ 動きに むしろ 加担していることになると言うべきでしょう。この動きは 邪推するならば 果ては 大政翼賛会・国民精神総動員としての《のっぺらぼう史観》という陰謀になります。それが 《自由》だという哲学なのでしょう。

 これが  日本の現状なのでしょうか? アマテラス予備軍シンドロームに罹った奴隷の自由という一大思想ですね。つまり アマクダリについては 口論として 批判し けんかをしても 構わないが そのガス抜きまでの自由にとどめておけ という奴隷の自由の謳歌のようです。
 批判の中で 社会保険庁は 犠牲になるかも知れないということ。つまり あとは たとえ批判を出すにしても それらは あくまで アマテラス天国を保守し死守するためにこそ するのであって ほんとうの《批判》は そのようにすでに犠牲にすると決めておいた矛先だけに  するのだよという 与えられて初めて発揮する奴隷の自由 これの謳歌のようですね。

 このお礼欄の部分は 関連質問のようなものになるでしょうか。すなわち けんかをしては いけないというのは 上に述べたような社会的な量子力学がはたらいているから なのでしょうか? という問いです。

お礼日時:2009/03/30 13:55

maimaisusです。



規約違反になるかも知れませんが。

私そう言う表現好きです。

かわいいね。
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maimaisusです。



>☆ 名誉毀損を 自分で 確認したようですね。

私の回答を見て、どう考えればそう言う答えが出るのか一寸不思議ですね。



自分が、「批判して下さい」と謡っておいて、自分のルールに合わない批判の仕方をすると、名誉棄損になると言う事でしょうか。
それは、あまりにも、自己中心的な考えだと思います。それに、私が実例をあげない理由も、説明している訳ですから、それすら無視をして、騒ぐのは、北●鮮と言われても仕方無いように思えますが。

しかし、私もがんばって実例出してみます。

本来こう言った場所で、そう言った特定の国とか人を持ち出すことは、ルール違反だと思います。
そう言う意味では、bragelonneさんの常識は問題ありですね。

こんな感じでしょうか。
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この回答へのお礼

 ・

お礼日時:2009/03/29 21:32

どうも、あらゆる全ての人々と向き合う愛がおありなようで、それはご立派なことだと思います。



しかし、それを人間全員に押し付けることは、傲慢と言えないでしょうか?
確固たる持論を自負するのは結構ですが、
人は、それぞれ、それぞれの成長過程にあります。この多様性を受け入れて、静観することも、見守るという愛です。いつでも、やり合うだけが愛ではありません。
また無視と見守るは違います。
何度かは批判し、理解してもらえないなら、見守る他ありません。もちろん、無視ということで、自己の幸せを守ることも、有意義なことです。それは、自己を幸せにできないものは、他人を幸せにできないからです。
そして、幸せに満たされたら、また立ち向かっていけばいい。
また見守っていていた人で、危険を察知したなら、また立ち向かっていけばいいことです。
※立ち向かうとは、あなたの言う批判としましょう。
しかし、それでも相手の言い分に理解を示すことは、相手を認める愛ですよね?

ですから、様々な形(多様性)を受け入れはできないのでしょうか?と皆でご質問者様に問うてるわけです。
どうも一方だけを大事だと思い込んでいるようです。


ちなみに私は、北朝鮮になったつもりはありません。
私には、ご質問者様が
ご自身の欠点を受け入れない強固さに、北朝鮮を感じます。

もはや、交渉決裂でしょう。

分かり合えない人もいるものだと、お互いの成長するまで保留としましょう。

この回答への補足

 shikaruniさん ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ちなみに私は、北朝鮮になったつもりはありません。
 私には、ご質問者様が
 ご自身の欠点を受け入れない強固さに、北朝鮮を感じます。

 もはや、交渉決裂でしょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 最後の一文によって わたしは あなたの思想の中に
 ★ 北朝鮮を感じます。
 
 ★ 様々な形(多様性)を受け入れはできないのでしょうか?
 ☆ 交渉を 無断で 一方的に 蹴って去るのは 例外なしの欠陥であると申し上げているのです。《多様性》以前の問題です。
 直前の応答を――それは 見れば すぐ読めますが―― 関連するところを拾って 掲げておきましょう。

 ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (6) ここからは いまの質疑応答での具体的な問題点についてです。
 ★ 〔* 自分の投稿した回答が 妥当性に欠けていたと気づいたとき それについて持つ〕痛みゆえに、しばしば人々はそこから逃れようとします。無意識のうちに降りてしまうのです。
 ☆ 問題は 人間であるのならば そのあとのことです。ひとこと 《降りました》とか 事前であれば 《降ります》と言えばいいのです。
 ★ 降りる人たちを、追い裁こうというのですか。
 ☆ 去ったひとを追ったためしは ありません。問題は ふたたび 何もなかったという顔をして 訪問して来るときにあります。
 ★ 裁かずとも、伝えれば良いのではないですか。
 ☆ 過去のとんづらに関して いっさい 何も触れないのですね? と ひとこと 言って迎えるのみです。つまり 伝えれば良いのですよ。 
 ★ ひとたびで足りるとは思えません。ならば、二度伝えれば良いと思います。
 ☆ 《足りる》かどうかは こちらの問題ではなく その当人のそれです。
 ★ そしてひとりの人に留めるのではなく、できるだけたくさんの人にそれを伝えるべきです。それが愛ではないでしょうか。パウロが仰っているのは、こういう事だと思います。
 ☆ ですから こういう質問を立てて おしえを 広く日本語人口のすべての人びとに対して 乞うています。
 (7) 北朝鮮政府に関しては たとえ拉致事件を別としても 対話の席を 一方的に 無断で 蹴って去るというのは 批判すべき欠陥であるはづです。
 (8) これは 規約やネチケットの規則内容を守るかどうか以前の問題です。人間であれば 誰にも 例外なく 当てはまる考え方および振る舞い方の問題です。人によって まちまちだということは あり得ません。
 (9) 去るのは 勝手です。ところが 二度目に 同じ質問者の質問に投稿するとき 勝手に訪問するのは 自由ですが そこで 迷惑をかけるのは 自由ではありません。あり得ません。とんづらを繰り返されるのは 迷惑です。手間暇の無駄になります。
 (10) 人間放棄・自己放棄は 自由ですが それによって ひとに迷惑をかけるのは 自由ではありません。

 (11) 《あとの者が先になり 先の者があとになる》とおりに 先の者は しっかりと 明確に この問題は 述べ伝えることが ごくふつうのことだと考えます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

補足日時:2009/03/29 11:44
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 こちらへの回答が途中でした。


 ふと見ると、再出発をしたのにもうけんかをしたようですね。


 確か、ローマ書の続きでした。補足を見ると、ちゃんと該当個所を引用なさっているのに、どうしてけんかをしちゃうんでしょうか。実践するのは難しくとも、パウロは難解な事を仰ってはいないと思います。神の痛み、それは裁く者の痛みだと思います。
 パウロは痛みを与える者たちを戒めます。それは、自己批判であっても同じ事だと仰っているのではないでしょうか。たとえその痛みが、憎しみではなく慈愛によってもたらされるとしても、裁きはやはり痛みでしかありません。
 痛みゆえに、しばしば人々はそこから逃れようとします。無意識のうちに降りてしまうのです。降りる人たちを、追い裁こうというのですか。裁かずとも、伝えれば良いのではないですか。ひとたびで足りるとは思えません。ならば、二度伝えれば良いと思います。そしてひとりの人に留めるのではなく、できるだけたくさんの人にそれを伝えるべきです。それが愛ではないでしょうか。パウロが仰っているのは、こういう事だと思います。

 しかし、実践するにはとても難しい事です。しばしば人間は、愛しい者に固執します。固執するゆえに目が見えなくなり、耳が聞こえなくなる。それくらい、夢中になっているからです。でも僕はパウロに倣って、そんな自分を裁こうとは思わない。叶わぬ愛に悲しみを感じたら、思う存分、泣けばよろしい。
 泣くだけ泣いて落ち着いたら、そうしたら、最初からもう一度伝え始めるのです。僕のこういう生活態度は、指摘されるまでもなく極めて愚かであり、そして救い難く、度々他人を傷つけ、不幸にします。難しい事を上手に割り切れる賢い人たちとは違い、僕は自分の愚かさをいつも反省して暮らしています。でも、反省は批判とは異なります。批判は何時でもできますが、反省だけは僅かではあっても生きているうちにしかできないように思うからです。反省こそが、自分に対する直感にも似た第一批判であり、その後に生じる批判と呼ばれるものは、須らくその二番煎じでしかないように思います。

この回答への補足

 passcardさん ご回答をありがとうございます。

 おもしろいでしょう? またまたまたまた けんかです。
 けんかの弁明は よします。まだ しません。(説明すべき方々には説明しようと思うところがあります)。

 おっしゃっていることは 特に 異論は ありません。
 問題は もしあるとするなら 応用問題つまり具体的な実践過程にあります。
 その点を 挙げていきましょう。
 (1) 《神》を持ち出すときには よほど 前提を明らかにしておかないと 空回りになりがちです。
 ★ 神の痛み、それは裁く者の痛みだと思います。
 ☆ これは 想像裡における文学的な表現での問いかけです。《神》なりその《痛み》について 人間が 分かるわけがありません。言いかえると 人間の経験的な痛みをもって 神のそれだと決めつけても 分かる場合もありますが 一般には 無理です。(分かる場合があるので 《異論はありません》と受け応えました)。
 (2) 言いかえると 神についての表現は おのれの主観の内に あくまで とどまるということ。
 伝わるときも ありますが これを 一般化して 議論に組み込むことは しないほうが 基本です。
 (3) パウロも その表現に際しては 苦労しています。
 ▲ (ローマ書3:5) 人間的な論法に従って言いますが 怒りを発する神は正しくないのでしょうか。
 ☆ つまり(1)に示しましたように 《神の怒り》などと 人間の言葉で表現しても その内実など 分かるわけがないのです。だから 条件ないし前提をもうけて 表現しています。
 (4) あるいは
 ▲ (ローマ書2:21) それなのにあなたは 他人には教えながら 自分には教えないのですか。
 ☆ と言ってしまえば それを言っているパウロ自身にも この言葉がはねかえって来ます。そういう問題がありますし それは つねに あるはづなのです。
 (5) したがって 一般論として言うのですが 《神の痛み》を 主要な根拠として 議論を組み立てるべきではない。こう考えます。

 (6) ここからは いまの質疑応答での具体的な問題点についてです。
 ★ 痛みゆえに、しばしば人々はそこから逃れようとします。無意識のうちに降りてしまうのです。
 ☆ 問題は 人間であるのならば そのあとのことです。ひとこと 《降りました》とか 事前であれば 《降ります》と言えばいいのです。
 ★ 降りる人たちを、追い裁こうというのですか。
 ☆ 去ったひとを追ったためしは ありません。問題は ふたたび 何もなかったという顔をして 訪問して来るときにあります。
 ★ 裁かずとも、伝えれば良いのではないですか。
 ☆ 過去のとんづらに関して いっさい 何も触れないのですね? と ひとこと 言うのみです。つまり 伝えれば良いのですよ。 
 ★ ひとたびで足りるとは思えません。ならば、二度伝えれば良いと思います。
 ☆ 《足りる》かどうかは こちらの問題ではなく その当人のそれです。
 ★ そしてひとりの人に留めるのではなく、できるだけたくさんの人にそれを伝えるべきです。それが愛ではないでしょうか。パウロが仰っているのは、こういう事だと思います。
 ☆ ですから こういう質問を立てて おしえを 広く日本語人口のすべての人びとに対して 乞うています。
 (7) 北朝鮮政府に関しては たとえ拉致事件を別としても 対話の席を 一方的に 無断で 蹴って去るというのは 批判すべき欠陥であるはづです。
 (8) これは 規約やネチケットの規則内容を守るかどうか以前の問題です。人間であれば 誰にも 例外なく 当てはまる考え方および振る舞い方の問題です。人によって まちまちだということは あり得ません。
 (9) 去るのは 勝手です。ところが 二度目に 同じ質問者の質問に投稿するとき 勝手に訪問するのは 自由ですが そこで 迷惑をかけるのは 自由ではありません。あり得ません。とんづらを繰り返されるのは 迷惑です。手間暇の無駄になります。
 (10) 人間放棄・自己放棄は 自由ですが それによって ひとに迷惑をかけるのは 自由ではありません。

 (11) 《あとの者が先になり 先の者があとになる》とおりに 先の者は しっかりと 明確に この問題は 述べ伝えることが ごくふつうのことだと考えます。

 (12) 《反省》は 主観内面の問題です。為すべき《批判》は つねに 為すべきです。おのれの内面において その欠陥を憎み 内面に棄てるということ また そのことを 相手には 言葉で伝えるということです。

どうでしょう?

補足日時:2009/03/29 11:18
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2011/12/22 14:07

maimaisusです。



bragelonneさん、具体例を、挙げるなら、回答No.61のbragelonneさんの状態がまさにそれです。
相手に指摘されたことを、理解しようとしないで、名誉棄損だとか中傷だとか騒いでいる処です。
他の回答者の方が気が付くことを、何故、bragelonneさんは気付かないのでしょうか。
周りが言ってくれているのにも関わらず、そう言う人たちにも毒を吐いているように、見えますよ。
私から見て、そう言う言い方はないんじゃないの。って思いましたけどね。
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この回答へのお礼

 ● ( ≫No. 5 4 ≪ 回答および補足欄) ~~~~~~~~~~~~
 ★ (δ) 私から見て、bragelonneさん自身、そう言った部分(=《気づかない何かとしてのわるいこと》)があった事はよくありましたが、そう言うときは大概、感情的な話になっていたと思います。
 ☆ (1) まづ 手続きの問題を挙げます。(δ)のように批判するとき 同時に 存在を愛するというのは その具体的な事例を挙げることだと わたしは 考えますが いかがでしょう?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この応答がなされた時点では まだ 互いの信頼関係があるという振りをすることが 最善の策だったわけですが いまとなっては この(δ)の発言は それだけでは 犯罪になるかと考えます。名誉毀損や中傷のたぐいです。
 まづ 撤回を要求します。

 ☆ 名誉毀損を 自分で 確認したようですね。

お礼日時:2009/03/29 08:05

どうしても、ご自身の主張を理解してほしいだけのようです。



最初から疑問に思ってないようでしたから、それはそれで、そういう人がいても良いでしょうと私はお答えしました。

僭越ながら、
maimaisusさん、よく頑張りました。

maimaisusさんに祝福あれ
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この回答へのお礼

 shikaruniさん ご回答をありがとうございます。

 shikaruniさんも 北朝鮮政府の側に立ったということですね。
 キムジョなんとかという人の 存在を愛することと その思想や行動を 欠陥があれば その欠陥をみづからの内において認識し これを憎むすなわち棄てる みづからの内に棄てる そしてそのことを 相手に伝える という意味で 批判すること――存在を愛し 思想や行動の欠陥を憎む―― これを しないということですね。
 してもよいし しないでもよい。する人がいても よいが しない人がいても よい。そういうものだ。――こういうご趣旨として受け取って よろしいでしょうか?

 わたしの見方では それを言うことが適切であるとすれば言おうと思いますが そういう見解は 人間以前の状態にある人間の思いだというものです。原始心性とでも言うべきものです。人間の関係(かかわり) 互いの交通(まじわり) これを知らないという意味です。
 これは 話し合いは いつでも 勝手に 入ってくることが出来るし 出て行くことも出来るという思想です。
 なぜなら 無関心という死の状態に いつでも 自由に なってよいと言っているからです。また すでに なっている状態です。自死じたいは 自由ですが ひとに迷惑をかけることは 自由ではありません。
 これに対する批判を期待していましたし しております。

お礼日時:2009/03/29 07:10

maimaisusです。



 >☆ この応答がなされた時点では まだ 互いの信頼関係があるという振りをすることが 最善の策だったわけですが いまとなっては この(δ)の発言は それだけでは 犯罪になるかと考えます。名誉毀損や中傷のたぐいです。
 まづ撤回を要求します。

一応、過去の質問「究極の悪とは―存在について―」「あなたはすくわれていますか?」「悪は存在しない」など、読み返してみましたが、別に(δ)の発言は、撤回しなくてはいけないような事柄は書いていない様ですが。
何処が、名誉毀損や中傷のたぐいなのか、解らないです。
そのあとの回答で、そうしない理由も挙げていますしね。
それに、そう言う風(名誉毀損や中傷のたぐい)に考えるところが、人の意見を聞かないと言うところに、繋がるのかも知れませんが。
まあ、それも個性なんで社会的には、どうとも言えませんが、こう言う議論をするためには、あまり向かない傾向かもしれませんね。

個人的には、あることをある様に伝えようとしているだけなのですが、なかなか、難しいですねホント。
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この回答へのお礼

  maimaisusさん 次のように 抗議を致します。つぎの(δ)の発言の撤回を要求します。

 ● (No.54回答および補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ★ (δ) 私から見て、bragelonneさん自身、そう言った部分(=《気づかない何かとしてのわるいこと》)があった事はよくありましたが、そう言うときは大概、感情的な話になっていたと思います。
 ☆ (1) まづ 手続きの問題を挙げます。(δ)のように批判するとき 同時に 存在を愛するというのは その具体的な事例を挙げることだと わたしは 考えますが いかがでしょう?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この応答がなされた時点では まだ 互いの信頼関係があるという振りをすることが 最善の策だったわけですが いまとなっては この(δ)の発言は それだけでは 犯罪になるかと考えます。名誉毀損や中傷のたぐいです。
 まづ 撤回を要求します。

 ☆ とぼけた答えを受けて すでに 運営スタッフには連絡しました。

お礼日時:2009/03/28 16:06

こんにちは、bragelonneさん。





まいっちゃいましたよ。
PCトラぶっちゃって、修復のメドたたず…Y(>_<)Y。
ハードいっちゃったかも???
マジ、洒落にならん状況です。
しばらくは携帯からのアクセスです。



なんで、菊をここにあげたかと?

うん、菊といえば「けんか祭り」を思い浮かべたの。で、菊繋がりで菊人形。菊人形、関西では「ひらかたパーク」の菊人形をはじめあっちでもこっちでもみる機会もおおく、馴染み深かったんだけども、ここ数年の間に菊人形パッタリと姿を消したの。なんで?と、疑問に思うまでに未曾有の不況の波。誰疑うことなく、不況のせいでどこともに経営難だからだろうぐらいに疑問も意識から消し去られる。で、菊で「けんか祭り」はどこかといえば霞ヶ城。「霞ヶ」という名が菊人形消失となんらかの因果関係が仮にあったとしたら…とばっちりもいいとこだ。たまたまよく似た名ということで当てこすりの如く菊人形が場から排除されていくのは忍びない。


『問題のある遺言が引き起こす』
http://yoshida-office.hp.infoseek.co.jp/m-2.htm

この回答への補足

 UFO !!!

 お忙しいと思いますが。

補足日時:2009/03/30 10:48
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この回答へのお礼

 littlekissさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ PC
 ☆ なんか そのようですね。何にも知らんよ。

 ★ 菊
 ☆ 《灘のけんか祭り・岸和田だんじり祭》が 検索の結果 出たので 読んでみたけれど 《菊》は 出て来ません。どうなってるの?
 ★ 霞ヶ城
 ☆ これも 調べたら 福島・二本松あるいは 福井・丸岡城と出てくる。いったい どこのこと?

 そうですか。菊人形が消えて行っているのですか。人形には いささか 関係しているので あぁ そうなんですかと――言う割りには ひとごとのようになりますが―― 思ったりはします。日本人形が 中国でつくられるようになったと聞いて もう二・三十年たつでしょうか。

 ★ 『問題のある遺言が引き起こす相続の影の一面』
 ☆ これも 《けんか》つながりなのですね。法定相続は けっこう 公平のように思いますが どうですかねぇ。

 再出発も うまく行っていると思っていたら またまた・・・ ってな具合いです。
 bouquet de roses

お礼日時:2009/03/28 15:56

僕の感じ方では、bragelonneさんの主張には、一色に染め上げようとするファシズム(全体主義)の匂いがするのです。

多様性を容認しない、唯一絶対信仰のような論調を感じます。皆さんも、そのことを言いたいのだと思うのですが。
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この回答へのお礼

 規約以前 ネチケット以前の 人間にとって とうぜん守るべきことだから 《一色に染め上げ》ても かまわないことなのです。

 ごくふつうの人間にそなわっていて とうぜん 自分自身で開発しているはづのことがら これだから 《多様性》の問題の以前なのです。

 ということも 分からないということは・・・と言いかけて あとは ご自身で省みていただきましょう。

お礼日時:2009/03/28 14:34
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