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 ここでは けんかを 口論にしぼってください。
 つまり 自己批判をふくめて 批判をすることです。
 存在を愛し 思想や行動を憎むことです。

 なぜ いけないのでしょう?
 理由が分かりません。おしえてください。

A 回答 (128件中101~110件)

喧嘩が良くないといことはないですよ


良くないときもあると考えれば良いのではないですか?

私もbird48さんと同意見です
いけない理由ではなくていけない場合の理由を考えれば質問がひとつの方向にしか向いていないことが分かるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

 NoRukuさん ご回答をありがとうございます。ご返事が遅くなりました。

 ★ 私もbird48さんと同意見です
 ☆ とお書きのように 具体的には なかなか むつかしい場面になるようでもあります。つまり そのNo.27=bird48さんへのわたしのお応えをも読んでいただければありがたいのですが けっきょく 一対一でのやり取りにおいて どうすべきか。こういう点に集中するように考えます。(あとは 管理者の存在が あるのみです)。
 
 ★ 質問がひとつの方向にしか向いていないことが分かるのではないでしょうか?
 ☆ そして このご指摘は
 ★ 喧嘩が良くないときもある〔というその〕いけない場合の理由を考えれば
 ☆ という意味で おっしゃっていると知り得るわけですが どうなんですかねぇ。bird48さんへの応答では その個々の特殊な場合というときにも ぎゃくに 原則を重要視するという見方が 有効になるのではないか こうも 考えたのですが。

 という意味は
 ★ 質問がひとつの方向にしか向いていない
 ☆ という事態については むしろ 相手から それではいけない理由を おしえてもらえばよいと考えたりします。ほかの方向へも向くべきだという視点と理由を おしえてもらえばよいのだと思うわけです。
 相手が それを言わない場合には むつかしくなるのかも分かりません。どうですかねぇ。

お礼日時:2009/03/25 17:32

批判をされない人なんて一人もいません


批判をされるたびに人は進歩します
批判をされなくなったら人は終わりです
世の中には批判される事を楽しみにしている人も沢山いますよ。

年をとって誰からも批判されなくなったら淋しいものです。
若いうちは批判を受け入れずらいものですが
年をとるとありがたく思えてくるものです。

批判も二通りあります
物事の本質をついた確かなものと
ただ感情的な的はずれなものとあります
確かな批判ならいけない事はないのです。

ただし
面と向かって、という言葉もありますので
人のお付き合いのエチケットやルールを守ってということは大切だと思いますが・・・
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この回答へのお礼

 bird48さん ご回答をありがとうございます。ご返事が遅くなりました。

 そうですね。ひととおりの心得は われらが日本人は じゅうぶんにあると思われますので いちばんの問題点は やはり 《但し書き》のほうになりましょうか。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ただし
 面と向かって、という言葉もありますので
 人のお付き合いのエチケットやルールを守ってということは大切だと思いますが・・・
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 ☆ これは もう その場その場での その人その人に応じての 対処の仕方になるというべきでしょうか。
 ちなみに その前に書いておられる原則のなかで
 ★ 感情的な的はずれなもの(=批判)と〔が〕あります
 ☆ とおっしゃるのは こういうふうに 《感情的》で《的はづれ》にまでなっているなら それは あまり《批判》と言わないという見方をしてもよいと思っているのですが どうでしょう? 
 そういう意味で 上の《面と向かっての》と言いますか いわゆる一対一のやり取りにおいて 具体的な《エチケットやルール》は ぎゃくに 原則のほうを重くみれば よいかも知れないとは考えます。どうでしょうか。むつかしいですね。

お礼日時:2009/03/25 17:19

 bragelonneさん 


 回答番号:No.23のお礼の内容って、他の方との混同がないでしょうか?
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この回答へのお礼

 ご返事が遅くなりました。krya1998さん ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 ★ 混同
 ☆ は ないと思っていますが どうでしょう。

お礼日時:2009/03/25 17:09

> ここでは けんかを 口論にしぼってください。


> つまり 自己批判をふくめて 批判をすることです。
> 存在を愛し 思想や行動を憎むことです。

何もイケナイことはないと思います。

もしイケナイことがあるのだとしたら
これ以外の所にあると思います。
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この回答へのお礼

 CUE009さん ご回答をありがとうございます。ご返事が遅くなりました。

 たぶん わたしも そうだと思っています。その
 ★ これ以外の所
 ☆ が さらに 明らかになれば いいと思います。どうでしょうかねぇ。

お礼日時:2009/03/25 17:07

「口論を避けることなく 口論をその中から突き破って 立派な議論へと向かって進みましょう。



全く同感ですね。ただ、口論はおっしゃる通り「突き破らなければ」いけないわけですから、口論等せずに、初めから議論すれば良いとは思いませんか? 
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この回答へのお礼

 oilllioさん ご回答をありがとうございます。

 まったく同感です。ただし 段階があるとも考えます。
 すでに書いたことですが
 ○ 九十九匹よりも 一匹のほうを どちらかと言えば わたしは 大事にします。
 ☆ そういう段階を踏む要がありませんか? 

 割りと ええこと言うでしょう?

お礼日時:2009/03/18 11:48

 回答番号:No.12


 ━━ ★ 憎むというのは自己の墓穴ですね。
    ☆ ぢゃあ 欠点を愛するのですか? ━━

 欠点は愛するも憎むもできないですよ。
 欠点は欠点であるだけですよね。
 相手の、人の、あるいは自分の欠点に関し、あるいはそれを見、かかわり、して憎んだり、愛したりするのは、こちら側のご都合や偏見、ないしはエゴのなすことですね。
 愛する必要も憎む必要も、無関心である必要もないと存じます。
 欠点は欠点であるだけではないですか?
 そういう意味での(こちら側のご都合や偏見、ないしはエゴでの)愛憎は、底なしの(幻の)泥沼に入っていくだけですよね。

 
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この回答へのお礼

 ▲ (No.19お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ★ もしこの話の中で、憎む=批判であるなら、その表現方法が間違っていると思います。
 ☆ 憎むというのは その思想ないし思惟の形式を 批判しつつ 遠ざけるという意味です。批判が 主要な作業です。
 しかも 実際の作業としては やはり 思想の欠陥を憎むのです。愛さないだけではなく 憎むのです。徹底的に 憎むのです。感情です もちろん。
 この感情が 生きるのです。のちのちまで。そういうたたかいです 言うとすれば。すべて 自分の内面において 処理されていますから 何も問題はありません。

 意識の排泄をおこなう人間が 現代では まま あるいは よく 見られます。そういうふうな感情の発散のようなかたちを連想するゆえに 憎むという言葉に 反応してしまうのではないかと考えます。ですが すべて 内面処理です。
 繰り返しますが 憎むという感情の経験が のちのちまで 生きるのです。
 むろん 相手に伝えることは 批判の内容のみです。その文章です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そして それに対する maimaisus さんのお応えは 次のようです。
 ▲ (No.21) なるほど、bragelonneさん個人の中の処理と言う事ですね。

 ★ 相手の、人の、あるいは自分の欠点に関し、あるいはそれを見、かかわり、して憎んだり、愛したりするのは、こちら側のご都合や偏見、ないしはエゴのなすことですね。
 ☆ わたしたちの為すことで エゴのなすこと以外のものは ありません。エゴー=イッヒ=アイ つまり 《わたし》のことです。
 ★ 偏見
 ☆ の中から どうか 人びとに共通の共同の考えとしての主観に到るように 練り上げて行ってください。

お礼日時:2009/03/18 11:45

こんばんは、bragelonneさん。




「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
  多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」


xoxoxox


「知覚と認識の違い」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa212886.html


きいてくれる?

久々にぶちぎれちゃったよ

何に怒ってるのかって?

テニスの練習をみに行って来たんよ

コートは二面

一面は上級生(二年生)が使用

もう一面を下級生(一年生)が使用

顧問の先生は二年生につきっきり

一年生はその間どうしているかと言えば

1人五球トスしたボールをコートの隅に打ち込む練習

どのこも打つばっかりで、打った球のことはほったらかし

ほんとうだったら、カゴの中は空っぽになっているところ

二、三人の同じ子たちだけがボールを拾い集めカゴへ戻してる

あとの子たちは知らん振り、ケタケタくっちゃべってる

ボールを拾い集めて来た子に「ありがとう」いうこともなく

おかしい、どうみたって変

ボールを拾い集めて来た子たちも言えばいいのに

何で黙ったままなんや?

打つだけ打ってケタケタくっちゃべってる子たちに

「ボール拾いに行って」と、何故言わない?

なんで言わないのか?それとも言えないのか?言いたくないのか?

何か見ていてムカムカしてくる

ぶっちん

「あんたらなー、打つばっかりで何でボールを拾いにいかんのんやー!
ボール拾とう子いうたら二、三人だけやろ?おかしないか?
なんかあるんかー?」


言わなあかん「とき」ってあるとおもうねん。
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この回答へのお礼

 littlekissさん ご回答をありがとうございます。

 ええこと言うなぁ。案外!! こうでも言っとかんと また 漫才になるからね。

 ★ くっちゃべってる
 ☆ って 何かを喰っているってこと? テニスの練習中に? へぇーっ。ちょっと 考えられんけどなぁ。
 ★ ボール拾い
 ☆ も 哲学だからね。むしろ その中核かも知れんねぇ。
 テニス おやりになるの? 野球ぢゃなかった?

 ★ 「知覚と認識の違い」
 ☆ 受けたまわりました。まだまだ 分からないところがあるようですね。
 それと 右脳左脳の問題は ほんとうに ほんとうなのですか? ヰキぺでは 必ずしも 判然として 分かれているのでもないという記事もありますよ。両方を 同時に はたらかせているという見方のほうが 素人から見れば 妥当なようにも感じます。

 ものは 肯定的に表現するのが よいようです。文句です。
 ★ 「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
  多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」
 ☆  だけれども ひとは ふと 耳が開き ほかの言語が――勉強の度合いに応じて―― 聞き分けられるようになるときが あります。一瞬の出来事です。こころの耳も目も ふと どういうわけか 開いて来るときがくるでしょう。・・・
 というふうに 肯定的な表現を おっ被せて 述べるとよいでしょう。
 あぁ またまたまた 漫才になって どないすんねん? 

お礼日時:2009/03/18 11:37

maimai.susです。



なるほど、bragelonneさん個人の中の処理と言う事ですね。
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この回答へのお礼

 maimaisusさん ご回答をありがとうございます。

 分かってくださって ありがとう。
 ☆☆ (No.19お礼欄) むろん 相手に伝えることは 批判の内容のみです。その文章です。
 ☆ と書いていますが つまり すべて《内面処理》であることに間違いないのですが そうは言うものの やはり 憎むという感情を交えています。
 批判としての論理的な処理と 欠陥を憎むという感情的な処理 両方を おこないます。ですから 後者は 意図せずして 多少は 口吻であるとかとして 外に出ているのではないしょうか? それは 気づかれるに到るのではないでしょうか? maimaisusさんは 気づきませんでしたか?
 と嫌味を言って 締めるのも おかしいことになりました。
 打てば響く つまり 打たれれば響いているだけなのですが どうでしょうかね。
 ということは maimaisusさんのことを言うのではありませんが 言わば相手の狂気に その幅いっぱいにおつきあいするのですから こちらも 変な鐘なのですかね? 
 変な鐘が もう一個(鐘を数える単位は 何?) あると おもしろいのでしょうが。(警察=ここの管理部も やすらかに見守っていられることでしょう)。

お礼日時:2009/03/18 11:05

> ★ 戦争 だの 目には目を 歯には歯を だの


> ☆ は わたしの参加していないほうの質問です。わたしは そんな方針ではありません。

漢字も間違えてましたし、失礼しました。
前回のお話で、私の思っている"削除された質問"とは違うようだとは思っていましたが、あえて、スルーしたこと、お詫び申し上げます。


>shikaruniさんは 分かっていただいているようですが まだ 戦いの側面へと 話を持っていこうとされているきらいがあります。

確かに。抑えているつもりではありますが、にじみ出ているかもしれません。
私は、削除されてワーワー騒いでいる感じに、納得できないところがありましたので、それがにじみ出てしまっているのでしょう。気をつけます。
それにしても、対面せずに文章だけで、意見交換をするのは、なかなか難しいところがあります。会社にいても、メールで喧嘩になるのはよく聞く話です。


>マナー違反は 放っておけば 際限なく つづくと見る立ち場です。

なるほど。ようやくお立場がわかりました。勇敢ですね。
そういうことでしたら、私は良いと思います。
ただ、やっぱりやり方にもよると思いますが・・・。

事前に、そのような主旨で口論することをお伝えした上でなさると、周りも理解できるところがあるかもしれませんね。
私は、質問者は戦争が起きないように、うまくコントロールする責任があると思います。
マナー違反の回答者をテロリストとすると、それにどう関わっていくかが質問者には問われると思います。
助長させないよう、気遣いが大変かと思いますが、がんばってください。

>しかも そのトラブルに対して 管理の側から ふたをすれば 問題は 解決していないと言うべきでしょう。

確かに、マナー違反は解決していませんが、喧嘩を放っておくわけにもいきませんから、捕まえて、牢屋に入れてしまうのでしょう。
この国の警察と同じように、OKWaveは正しく機能していると思います。
警察が、静観するか、逮捕するかの判断をするのと同じように、機能していると思います。但し、ケンカの仲裁は、このサイトでは機能していませんね。
警察に逮捕されないよう、うまくケンカなさってくださいまし。

と現時点では思いました。

この回答への補足

 shikaruniさん ご回答をありがとうございます。

 みなさんともども 議論が――この課題の解決への追究が―― 煮詰まって来たのではないでしょうか。

 さらに 課題の中身を 挙げてみておきます。
 いちばんは 長期の視点が必要だというところだと考えます。 すなわち
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この国の警察と同じように、OKWaveは正しく機能していると思います。
 警察が、静観するか、逮捕するかの判断をするのと同じように、機能していると思います。但し、ケンカの仲裁は、このサイトでは機能していませんね。
 警察に逮捕されないよう、うまくケンカなさってくださいまし。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ と指摘されているところです。
 つまり もしトラブル回答に 正面から対処するとするなら それは 長期の取り組みとなります。つまりは 途中で こちらも 《警官に逮捕され》てしまいます。――という問題点です。民事不介入の方針を持つならば 会員どうしでの解決を あたたかく見守る姿勢も 欲しいものです。

 さらに そういうトラブル回答とは どういうものか。回答として 部分的にでも 成り立っている しかも それを批判した場合 そのような質問者からの批判には いっさい応じないという場合です。それが 最大の問題でしょう。
 すなわち この問題点というのは 質問者が その回答者に対して 声を荒げて 批判は正しい あなたの回答内容は 間違っていますと言ってしまうと もう規約違反になると 回答者は知っているということから来ています。
 質問者は 強く出られないだろうと タカをくくっている。ようです。

 さらには――こちらのほうが 悪質になるかも知れないのですが―― やはりご指摘のように 次です。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 事前に、そのような主旨で口論することをお伝えした上でなさると、周りも理解できるところがあるかもしれませんね。
 私は、質問者は戦争が起きないように、うまくコントロールする責任があると思います。
 マナー違反の回答者をテロリストとすると、それにどう関わっていくかが質問者には問われると思います。
 助長させないよう、気遣いが大変かと思いますが、がんばってください。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ よほど悪質な場合 どうするかです。《テロリスト》だったら どうするかです。このヱブ上の場を超えてまで 問題が拡大しはせぬか そこらへんまで 警戒せねばならないことにでもなれば ことは重大です。
 いまのところ このように 多少でも 文章を書くというかたちを採っているなら 話し合いの余地はあると わたしは 見ています。テロリストまでは行かないだろうと見ています。

 どういうわけか 過去の(最近の)質疑応答で そういう回答者の回答のうち どう見ても ひどい内容の投稿であるのに 削除されたものと削除されずに残っているものとが あります。実際に 残っています。
 ですから そういうふうな基準のあいまいさにも 納得が行かないのですが これは 言っても詮無いことです。《警察は強し》です。(でも その過去質問は 或る種の仕方で 戦果ですよ。そのときには 質問じたいは 削除されなかったので これは 画期的なことだと思ったものでした)。

 まっ お互いに 将来へ向けて さらに 一歩づつ すすんでまいりましょう。ありがとうございました。

補足日時:2009/03/18 10:49
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maimai.susです。



あまり、多くを突っ込んでも、しかたがないので、一点だけ。

>☆ 自分の中に起こり得るその欠陥の潜在性をまで 憎むのです。
 徹底的に 憎みます。批判しておくという意味です。
 批判によって どう悪いかを認識しておけば そのあと 気をつけることが出来ます。

やっぱり憎むのは間違いだと思いますね。
この場合、欠陥についてよく考えてから批判し、相手に認識してもらう事が、大切なのであり、憎むことは、余分な感情ですよね。
口論しているならなおさらです。
もしこの話の中で、憎む=批判であるなら、その表現方法が間違っていると思います。
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この回答へのお礼

 maimaisusさん ご回答をありがとうございます。

 ★ もしこの話の中で、憎む=批判であるなら、その表現方法が間違っていると思います。
 ☆ 憎むというのは その思想ないし思惟の形式を 批判しつつ 遠ざけるという意味です。批判が 主要な作業です。
 しかも 実際の作業としては やはり 思想の欠陥を憎むのです。愛さないだけではなく 憎むのです。徹底的に 憎むのです。感情です もちろん。
 この感情が 生きるのです。のちのちまで。そういうたたかいです 言うとすれば。すべて 自分の内面において 処理されていますから 何も問題はありません。

 意識の排泄をおこなう人間が 現代では まま あるいは よく 見られます。そういうふうな感情の発散のようなかたちを連想するゆえに 憎むという言葉に 反応してしまうのではないかと考えます。ですが すべて 内面処理です。
 繰り返しますが 憎むという感情の経験が のちのちまで 生きるのです。
 むろん 相手に伝えることは 批判の内容のみです。その文章です。

お礼日時:2009/03/17 23:38

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