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 ここでは けんかを 口論にしぼってください。
 つまり 自己批判をふくめて 批判をすることです。
 存在を愛し 思想や行動を憎むことです。

 なぜ いけないのでしょう?
 理由が分かりません。おしえてください。

A 回答 (128件中31~40件)

ぽこぺろぽです。

ご了解いただきありがとうございます。今回は疑問にお答えすると同時にそれを解決するための質問をさせていただきます。

 往年の大洋を挙げられました。非常にわかりやすい例なので沿って説明します。「打線は強力だがそれ以上の弱体投手陣のため万年下位に甘んじた」この実績と分析こそが経験事実となります。しかしこのていたらくを放置するわけにはいけません。

 そこで3人の後任監督候補と別の専門家に意見陳述を求めました(創話)。A「これといって策はない、満遍なく投打を鍛える」B「やはり弱点を克服せねば未来はない、一から投手力を鍛え直す」C「長所を伸ばさなければ本末転倒、看板打線に磨きをかける」専「違う観点から強化策を練った、トレーニングの増強が望まれる」完全に意見が別れました。

 会議が難航したため決断はどんどん先送りされました。明日に予定される記者会見にてチームの基本方針と後任監督を発表せねばなりません。最終的にブラジュローヌ球団代表の鶴の一声に委ねられました。「代表!どうぞご英断を」

 時も変わって21XX年のアメリカ・・。MLBコミッショナーは有識者を交えたオーナー会議を緊急召集します。議題は「打ち崩せない投手の出現によるファン離れ防止のためのルールの抜本的改正について」。しかし有識者とされるPの発言に「異議なし」の声が飛び交い満場に響き渡る拍手とともに会議は決着します。さてPは何を提案とは何でしょうか?

 ブラジュローヌ球団代表の基本方針と人選、またPの提案の内容を推理してください。二つともはっきりとした正解はありません。論旨が正しければ正解とします。お答えをどうぞ。

この回答への補足

 pokoperopoさん ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 まづ初めに こちらから質問を投げかけるなら ひとこと 簡単な問いがあります。
 投手と打者の重要性が 互いに視点をどちらに取るかで 同じものの別の見方になっているだけであるという理論のほかに この理論のほかに 実際に現われている事実がある。この理論とはちがった内容の事実を どう捉え どう扱うのか。これを 決めたほうが 話は早いというように思うのです。

 さて 設問に沿ってです。
 ブラジュロンヌ球団代表としましては まづ ホンネでお答えしますと プロ野球は どうも 八百長臭い と思われ 球団代表を辞任します。
 それをしないという仮定の上では おそらく よりよい内容を実現したとされるドラフト制度じたいに制約されると考えるでしょうね。
 ★ A「これといって策はない、満遍なく投打を鍛える」
 ☆ を後任監督とします。《満遍なく》ということは その答えの中に すでに 実際としては 投手力の重要性のほうが重要だということが含まれていると捉えるからです。

 ★ Pの提案
 ☆ にかんしては 分かりません。その理由は 改正する必要がないと思うからです。
 ★ 打ち崩せない投手の出現
 ☆ これは 一人ないし少数の出現だと思うからです。一部分で そういう投手が現われても むしろ おもしろいということになると思うからです。ファン離れは 起きないという見立てです。ただ
 ★ 21xx年
 ☆ とあります。でも しょうじき 無理でしょう 推理は。《打ち崩せない投手》に対しては 打者のまぐれによるヒットを期待します。

 こんなところでしょうか。

 ところで WBCあるいは ほかの国際試合で 日本は韓国に 負け越していますが これは ほんとうの実力なのでしょうか。後発国を盛り立てるために 負けてやっているということは ないですか? 
 中国に対しては まだ無理ですが 台湾は負けましたね。

 先の八百長臭いという発言と言い こちらの発言と言い すべては 鼻の曲がったわたしの邪推です。でも 八百長は ほんとうに ないですか? たとえば 今年は どこのチームを優勝させるといった取り決めが きちんと 成されるというようなことは ないのでしょうか?
 昔むかし 徹子の部屋で ホームランを打てというサインは どんなのですかという徹子の問いに 野村監督は こう答えました。あるんですよ。観客席からの応援の声が それなんですよ。
 字面の問題ではなく そのとき これは どうも やはり プロ野球だなぁとわたしは感じました。捕手は 監督以上に 試合を演出しているのかも知れないと考えました。むろん ガチンコもあるでしょうが。
 でも こんな推測については 誰にも 聞けないし 訊いても 知らない〔と言う〕でしょうね。――取り止めもなく・・・。

補足日時:2009/04/03 04:59
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ぽこぺろぽです。

まず最初にお断りしなければならないのは、《ヨリイリヨセコギト》と野球問題とは直接の関係はないということです。あなたと私が共通認識を持つための橋頭堡に過ぎません。野球問題を語ることは一種の「迂回生産」となります。私に論理的および数学的素養が欠けているために、なかなかうまく説明できないのは申し訳なく思います。とりあえず野球問題を続けましょう。

 少し説明が杜撰でした。A軍がオモテの攻撃、B軍がウラとします。これは《対》ですね。

オモテ(A打+A走)≒(B投+B守)
      ∥       ∥
ウラ (B打+B走)≒(A投+A守)

 攻守の相関関係はこれがすべてです。しかしそれが勝敗に直結しないことが理解の壁になっているだけなのです。

 A好投手とBへぼ投手のマッチングですと、両者の攻撃力を無視すればワンサイドになりやすい。しかしA貧打線とB強力打線とすれば接戦となりやすい。それは必ずそうなるわけではありません。そこは後に説明しますから分けて考えてください。

 投打の《対》の別要素は「投手に野手」「打者に走者」の補完関係により説明ができます。野手の好捕でライナーをアウトとした場合、走塁の機会を奪うことにより手柄はそのまま投手に献上されます。攻撃側も走塁の機会を失うことによりすべての責を打者に負わせます。打者がヒットを放つも塁を欲張って好返球でアウトとなった場合は、野手は投手のミスを帳消しにしたことに加え、走者の判断ミスに乗じた結果によりアウトまでプレゼントするわけです。打者はせっかくの打者としての手柄を走者としての致命的なミスによりミスミス台なしにするわけです。

 なぜ投打の割合が五分五分でなくても重要度が同じといえるかというと、必要とされる用件と行為が異なるからです。野球は同じ器具をつけて対戦するボクシングと違って、一発のヒットに一発のヒットを返すことを前提として作られてはいません。仮に打率7割打たれても味方が7割以上打てば問題がないのです。

 投手だけの質が上がって打率2割でバランスするなら、そのぶん打者は投手を打ち崩す難易度が上がり、ヒット一本の価値が上がるだけなのです。逆に8割でバランスするとそのぶんヒット一本の価値は下がります。

 わからない点があれば何度も説明しますから遠慮なくおっしゃってください。次はなぜ3アウトチェンジとしたかを説明する予定でいます。
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この回答へのお礼

 pokoperopoさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 野球問題を語ることは一種の「迂回生産」となります。
 ☆ 分かりました。

 今回は 一点のみを 取り上げて さらに ご説明を要請するかたちと致します。
 それは 投手と打者との対比ではなくて――つまり その場合の打率五割といった五分五分の事例ではなくて―― チームどうしの対比をします。
 すなわち リーグ戦で けっきょく――終盤において 優勝チームが絞られてくる段階の以前において―― すべてのチームの勝敗率が それぞれ 五割に近いのであれば 投・打の重要性は 等しいという理論どおりの結果がみちびけます。
 そうでない場合 つまり このそうでない場合というのは 実際にあると思われますが そのときには いちばんの要因は やはり 投手力にある。こう考えられるのではないでしょうか?
 具体的に言って 昔から 横浜大洋というチームは 打撃力はあるが 投手力が弱くて 負けが込むという結果を招いていましたね。これは 経験事実であると認めなければならないのではないでしょうか?

 その事情を見ないとすれば 理論どおりに 投手と打者の重要性は 互いに 《対》であると見てよいでしょう。
 繰り返せば 事実問題として 投手は ずば抜けて能力がある場合には 打者は 歯が立たないという独特で特別な領域がある。したがって この領域を加味すれば どうしても 投手のほうが 重要性が 上だとなる。これです。どうでしょう?

お礼日時:2009/04/02 22:21

今日は調べたいことがあって久しぶりに来たんですけどね、よく以前のいつだろ?私の回答を覚えていましたね~というよりきっと引用してくるとは思っていましたけどw



用事が済んだので次はいつ来るか分かりませんけど、maimaisusさんも書いているように少し人の話に耳を傾けるようにしたほうが良いですね。聞いているとは言うでしょうが、あなたみたいな人はたまにいます。

100件目指して永遠のトップでも目指しているんでしょうけど、話をすればなんでも有意義だと思うのは勝手都合です。
なんでもかんでも自分の都合の良いように考える人は同じ様な事を言いますよ。

私はこういう人とは議論もしないし、喧嘩もしない。
あなたみたいな人とは喧嘩してもな~んの価値もない。
これで答えです。
反論してください。してもここにひとりはそう思っている人がいることは事実です^^

この投稿も通報してね 消えたら一件減るけどw
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この回答へのお礼

 わたしのお礼に対する心あふれるお礼であると受けとめましょう。

 ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/02 17:25

maimaisusです。



私の回答を理解する気が、無いのは分かりますが・・・。

私の回答を、そのまま引用するのは、ちょっと無理、適切でないと思います。

bragelonneさん、もっとしなやかで、美しく、強い心を以て行きましょうよ。
そう言う豊かな心が、真理の道には必要な物の一つだと思います。
理論的なだけでは、人間として、成り立たないとも思いますよ。
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この質問の答えはここにあります。


同じことばかり繰り返して、まったく無駄な時間(そう思わないところが気の毒)を使ってまで喧嘩もする気になれないということですね。
生きてる時間というものは短いもの永遠だと思っていたらあっとい間に過ぎてしまう。

こんなことで93件も話してることが馬鹿らしくて喧嘩にもならいこともあることを知ってください
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この回答へのお礼

 NoRukuさん ご回答をありがとうございます。

 ★ 同じことばかり繰り返して、まったく無駄な時間(そう思わないところが気の毒)を使ってまで
 ☆ というのは どういうところであって どういう理由からでしょうか。きちんと明示していただくとありがたいです。
 次のことの繰り返しではないですよね?
 ★★ (No.28) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 喧嘩が良くないといことはないですよ
 良くないときもあると考えれば良いのではないですか?

 私もbird48さんと同意見です
 いけない理由ではなくていけない場合の理由を考えれば質問がひとつの方向にしか向いていないことが分かるのではないでしょうか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ こんなことで93(* 二)件も話してることが馬鹿らしくて 〔* とは言っても〕喧嘩に〔* で〕も〔* する〕なら〔* まだしも そうでないときには あまり有益ではな〕いこともあることを知ってください。ね。
 くわしくご見解をお示しになってください。

 ★ 生きてる時間というものは短いもの永遠だと思っていたらあっとい間に過ぎてしまう。
 ☆ まさか 《永遠だと思》う人間は いないでしょうが このご投稿に費やした短い時間によっても 有益な対話が出来たのではないでしょうか? そういうふうに 時を 互いに 有効に 使いましょう。おっしゃるとおりですね。

お礼日時:2009/04/02 15:19

maimaisusです。



はい、bragelonneさんのそう言った、考え方は承知しています。

ですが、本来、自分の考え方を、伝えるために出すはずの実例が、正しく伝わらず、間違った形や、本来伝えたかった事、その時に問題にしている点ではなく、他の部分に話が逸れてしまったり、することが多いと、実例を出す事の方が害になってしまうとも思いますし。
書かないことで、今までの内容を読み返し、考えなおしたり、考えを深める。事も大切だと思います。
なので、実例にこだわる、必要性もないのかと、思っています。
もちろん、相手に自分の考え方を、伝える方法として大切だとは思いますが。
正直、私にとって、この場所で大切なのは、相手の考えを知る事と、自分の考えを伝える事なので、ある意味、それ以外は、本来不純物だと思っています。
しかし、それは自分勝手な、考えだとも思っています。
なので、自分の悪いと思った事に関して、謝罪させて頂きました。
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この回答へのお礼

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 いや、本当にそう言う態度やめた方がいいですってば。

 いくら、良い事いっていても、行動が反対であったら、それは、あなたの良い部分を、無駄にしてしまうかもしれないからです。
 言うだけ言って、無責任な人間の話をだれが、聞いてくれるのでしょうか。

   >存在を愛し 思想や行動を憎むことです。
 今の状態は、ご自分の主張と逆ですよ、本当にそれでよいのでしょうか。
 正直、心配です。・・・・・・心が壊れているのではないかと。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2009/04/02 15:05

maimaisusです。



・・・そーですかー。

結果的に、bragelonneさんの気持ちを、追い詰めていたことに、関して謝罪します、すいませんでした。

しかし、他の回答者の方たちに何らかの形で貢献したと言う事でお許しください。
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この回答へのお礼

 回答というものは

 ○ これこれである。なぜなら これそれだから。

 ☆ と書くものです。理由や根拠にかんして どうしても 考えが及ばないときには 
 
 ○ 直観です。とか 
 ○ 直感にしか過ぎません。とか あるいは 
 ○ 根拠の説明がなくても 一般に妥当であると認められているところの《公理》だと思うからです。とか
 ○ 結論を先に提出しますが 一両日中にその理由説明を考えて 用意します。お待ちください。それでも もし 用意が出来なければ 撤回しますので よろしくお願いします。とか
 ○ ・・・

 書くものです。それ以外は みな 愛想だと心得るべきです。


 なお このように 話をしたのは 前回の文章に対して 人道上の措置として わたしが行動したということです。それのみです。

お礼日時:2009/04/02 10:51

maiamisusです。



いや、本当にそう言う態度やめた方がいいですってば。

いくら、良い事いっていても、行動が反対であったら、それは、あなたの良い部分を、無駄にしてしまうかもしれないからです。
言うだけ言って、無責任な人間の話をだれが、聞いてくれるのでしょうか。

>存在を愛し 思想や行動を憎むことです。
今の状態は、ご自分の主張と逆ですよ、本当にそれでよいのでしょうか。
正直、心配です。・・・・・・心が壊れているのではないかと。
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この回答へのお礼

 ★ いくら、良い事いっていても、行動が反対であったら、それは、あなたの良い部分を、無駄にしてしまうかもしれないからです。
 ☆ かまわんよ。これ以上は 死なないという地点にいたのだから。

お礼日時:2009/04/02 07:00

ぽこぺろぽです。

お礼をありがとうございます。いよいよ核心に迫ってまいりましたね。

 私が今まで話したのが野球のゲームとしての構造です。これが納得できなければまた説明します。(投手+守備)≒(打者+走者)つまり「防御」≒「攻撃」です。それ以外はありえません!「≒」としたのは別の要素がどちらかだけに影響する不均衡は起こりうるからで、プレーにかぎれば『=』です。

 五分に渡りあうといえども5割を打つ必要が野球にはないのです。ゲームがバランスするポイント、つまり概ね平均打率を『五分五分』と捕らえる必要があります。それ以上が打者「有利」、それ以下だと投手「有利」となります。野球は3アウトまでは攻撃が続きますから平均で5割も打ったらとんでもない大量点が入ります。バランスのためにストライクゾーンを広くしたり、金属バットが誕生したわけです。投打の重要度が違うわけではありません。

 しかしそれではいい投手といい打者を揃え、まずまずの守備と走塁さえあれば勝てることになりますね。確率は格段に高くなるものの勝利の決定的要因とはなりません。

 すべてが表裏一体だと単に量的で退屈なゲームとなるのでさすがはアメリカ人、抜かりなく仕掛けを作りました。単にアウトになったら打者交代というのではなく、3アウトまでを交互に攻めて1イニングとしました。それだけでなく「ダイヤモンド」を作り、4つの塁を安全に進んで1点としました。しかも3アウトまでは何人も出塁しホームを踏むことができます。

 よく考えてください。これからが重要です。無死で一塁に走者が出ました。手堅いP監督は必ずアウト一つと引き換えに塁を一つをもらいます。さて得点は入るでしょうか?はたしてこの作戦はよい作戦でしょうか?お答えください。

この回答への補足

 pokoperopoさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 残念ながら 
 ★ いよいよ核心に迫ってまいりましたね。
 ☆ の意味が 飲み込めていません。どうやら 《ヨリイリヨセコギト》の問題とつながっていると見とおされているようですが それも 見えて来ません。
 とりあえずは 野球問題です。
 次の問題点については どうなのでしょう? 投手の打者に対する比較優位の問題です。
 ☆ (No.89補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 つまり 何を言おうとするかと言えば 点差が開いて 打率・得点率が高くても その程度に比例して 勝敗に 影響するのではないという意味です。その意味で 打者の貢献度は 投手のそれと比べて ふたたび より少なく重要である。のではないでしょうか?
 そして 僅少差で勝つ場合は 投手と打者とで 同じ程度の貢献度になるということでしょうから 投手の占める位置というのは 理論をはみ出た特別の部分があるのではないでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ★ (投手+守備)≒(打者+走者)つまり「防御」≒「攻撃」です。
 ☆ この要素を加味するのは 最初の質問趣旨の違反ですが たぶん そんなに違いはないでしょう。

 ★ 野球は3アウトまでは攻撃が続きますから平均で5割も打ったらとんでもない大量点が入ります。バランスのためにストライクゾーンを広くしたり、金属バットが誕生したわけです。投打の重要度が違うわけではありません。
 ☆ ぎゃくではないでしょうか? もともと 投手のいい球を打てず 打率五割の打者がいない傾向が強いので スリーアウトにまでしたのではないですか?

 もっと単純な事情としては 要するに ピッチャーが ノ‐コントロールであったり 球が遅かったり 切れがなかったりすれば 大量点が入ります。この事態は 投・打のあいだに 比較差異が 事実として あることを物語っているのではないですか?
 投手の水準が 試合を決めてしまう。つまり 好投手であれば ほぼつねに 優位に立ち へぼ投手であれば 劣位に立つと言いますか 試合にならないほどである。つまり その中間の水準において初めて 好試合つまり 投・打の実際の重要度が 五分五分であるということになります。

 ★ 無死で一塁に走者が出ました。手堅いP監督は必ずアウト一つと引き換えに塁を一つをもらいます。さて得点は入るでしょうか?はたしてこの作戦はよい作戦でしょうか?お答えください。
 ☆ これに答えると どういう意味があるのかが分からず しかも 答えが 定まっているとも思えず どうしたものでしょうか。
 ふつうに答えれば ヒットであっても長打が出る確率は少ないので 単打でも帰って来られる二塁に まづは 走者を進めるという作戦もある。ということだと思いますが?
 ★ よく考えてください。これからが重要です。
 ☆ の意味がつかめていないのです。でも ついてまいりましょう。

補足日時:2009/04/02 06:39
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ぽこぺろぽです。



 推論は間違っていませんよ。疑問に思われるのもわかりますが、例えば打率は投手の被打率と《対》になります。防御率は相手打線の得点率とは《対》になるでしょうか?

 なりません。しかし失点率と得点率は《対》になります。つまり最終的には守備者を含む「防御」と走者を含む「攻撃」が《対》になるのです。防御率はどうなのか?あれは投手の失点しにくさを評価するための便宜上の数字なのです。早い話が野手のミスの分を減免しているだけで実質的数字ではありません。

 1-0、10-0は実質ではイコールです。点を多く取ったほうが勝つだけではありません。裏返せば点を多く取られたほうが負けるのです。というわけでこれも《対》です。

 ブラジュローヌ投手が豪速球と鋭い変化球を制球よく投じるため、ぽこぺろぽ選手は三振ばかりしています。これは「ブ」と「ぽ」が《対》になっています。「ぽ」以外の打者も封じ込め、完全試合を達成しても投手が重要という結論にはなりません。ブラジュローヌ投手が打者より「優位」というだけです。

 野球というゲームは「表と裏」「守りと攻め」「投手と打者」「守備者と走者」と対偶対称性があります。それはルール成立以来の既成事実なのです。構造上大きくは変えようがありません。

 では経験事実としての野球とは?

 続きはまたの機会に・・。説明の語句に間違いはあるでしょうが推論に間違いはありません。なぜこんなお話になるかというとこれを確認しておかないと、野球の話はできないからです。ひとりは青だ、はたまた赤だではお話にならない。

 あなたがこうして回答者に説明するのも、話をするための共通認識を形成するためだと思います。というわけで《ヨリイリヨセコギト》は揺るぎませんね。ただし私が本当に理解しているかは別ですが。ご納得いただけたでしょうか。もし間違っていたらその都度に説明してください。さあ、進みましょう!

この回答への補足

 pokoperopoさん ご回答をありがとうございます。

 ★ 推論は間違っていませんよ。
 ☆ そうだとは思いますが 実際には どうも その理論どおりではないように思うのです。
 まづ 訂正としましては
 ○ 投手と打者の重要性を判定するとき 失点防御率と得点率とを それぞれ 比べるべきでしょうね。
 ☆ つまり それらは 表裏一体です。もう一点は
 ★★ (質問趣旨) 野球においては投手と打者とでは、敢えてあげるならどちらが重要でしょうか?
 ☆ を確認したいと思います。つまり
 ★ 野球においては
 ☆ なのです。打席ごとの両者の勝負ではなく おそらく《試合の勝敗にとって》という意味だと考えられます。また
 ★ (No.7お礼欄) 「投手と打者」ですから、守備者としての「野手」と攻撃者としての「走者」は加味しません。
 ☆ とも確認できます。つまりは 守備や走塁の面については 問わないという条件です。しかも 試合の勝ち負けの問題としてだと思います。

 こうして すでに結論に行きますが 投手と打者との成功失敗は 互いに 表裏一体であるとき そうなのですが 要するに 打者には打てない球があると思われるのです。それを加味するなら 打者は 投手に比べて より少なく重要だと考えられるのです。
 単純な理屈としては 打率が 全選手を平均して 五割であるとすれば 重要性は 五分五分になります。それなら 理論どおりに 現実がなっています。そうでない要素が あるのではないでしょうか?

 ★ 1-0、10-0は実質ではイコールです。点を多く取ったほうが勝つだけではありません。裏返せば点を多く取られたほうが負けるのです。というわけでこれも《対》です。
 ☆ これにも 感覚的に 納得が行きません。《点を多く取られた》というのは たとえば 6-5なり 11-10なりの点差の少ない場合 これは 1-0という例の場合に同じです。
 つまり 何を言おうとするかと言えば 点差が開いて 打率・得点率が高くても その程度に比例して 勝敗に 影響するのではないという意味です。その意味で 打者の貢献度は 投手のそれと比べて ふたたび より少なく重要である。のではないでしょうか?
 そして 僅少差で勝つ場合は 投手と打者とで 同じ程度の貢献度になるということでしょうから 投手の占める位置というのは 理論をはみ出た特別の部分があるのではないでしょうか。

 こんなこと 考えたことがないので 分かりませんが ここまでを 再度 お尋ねしたいと思います。どうでしょうか。

補足日時:2009/04/01 22:18
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