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 何でクローン人間って作っちゃいけないんですか?
 私も反対なんですけど、漠然と何となく気持ち悪いとかそんな風にしか説明できません。
 自己のアイデンティティとか、移植用とかそう言うナンセンスなことでなく本当は何でいけないんですか。
 わかる人答えてください。

A 回答 (34件中11~20件)

第2回


◆人権問題・補遺
 これもこの場のこれまでの流れで出ていたものですが、クローン問題への考え方・感じ方の背景には、文化の違いがあります。
 「人間が生命を作るのは僭越なことである」という考え方。これは特にキリスト教圏で強固です。たとえ心から「神による創造」を信じていなかったとしても、多くの人が「人が命を作りもてあそぶのは正しくない」との漠然とした思いを感じているのでしょう。これに対して日本人(特に信仰を持たない、平均的な)は、似たような思いを感じていても、「神」のような明確な根拠を持っていません。そして実は、私はその方がよいと思っているのです。
 というのは、「神だけが生命をなしうる」という考え方は、「神が創った人間と、人間が創った人間とを区別する論理」の土台となりうるからです。前回述べた「クローンは言うに及ばず、(もし、いれば)アンドロイドだって人権を認められるべき」との私の考え方からすれば、これは危険です。アンドロイドをも、ある条件を満たせば人間であると「推定」すべきなのですから、「人間」の中に「人間」と「亜人間」の境界線を引くような発想は、どんなものであれ、私に言わせれば危険です。
 少々古いのですが、時代劇に『長七郎江戸日記』というのがあります。四代将軍家綱の治世、将軍のいとこにあたる一人の男が自由闊達に世を生きておりまして、その名は松平長七郎長頼、三代将軍家光と将軍の座を争って破れた駿河大納言忠長卿の忘れ形見だったりするのですが、その彼の知らぬところで進行していた悪い旗本と悪徳商人らの姦計・陰謀が、やがて彼の知るところとなり、対抗手段を講じているうちにぽつぽつ善意の犠牲者が出てくると、われらが松平長七郎長頼ぎみはやおら敵陣のただ中へと乗り込んでまいりまして、両胸に縫いつけた三つ葉葵の紋所をパァーン、パァーンと見せつけた後、悪党どもの悪行の数々を列挙、しかる後、「てめえら人間じゃねえ!」と「規定」し、「たたっ斬ってやる!」と「宣言」、そしてその宣言通りの大量殺戮を実行します(…って長い文だなぁ~、おい)。
 これが「亜人間の論理」です。まあその、時代劇ですし、里見浩太郎さんカッコいいですから私は許しますが、これ、この現代に実際に起こったら困るわけです。困るのですが、しかし遺憾なことに、似たような「亜人間の論理」に支えられた大量殺戮は、現に起こってしまっています。ホロコーストとか。日本人だって「不逞なる鮮人」とか言って、ずいぶん殺したのですよ。
 人間が人間を人間と見なさなくなったときに起こること。それはかくも危険で恐ろしいことなのです。ですから、クローン人間でも、アンドロイドでも、もし仮にそれが存在し始めたなら、その時は彼らの「人権」が十全に保障されねばならないと考えるのです。
 ただ、私がここで述べている「クローン人間人権宣言(?)」は、多くの人の間でコンセンサスを得ているもの、また、得ることのできそうなものとは言えないと思います(今まで反論がなかったのが不思議なくらいです)。このコンセンサスが得られない限りは、やはりクローン人間は単に実験動物なみに扱われたり、好奇の視線にさらされたりと、差別的待遇を受ける可能性が非常に高い。これを考えると、この論点は「やはりクローン人間の創造は現時点では抑止すべき」との考え方の論拠にもなりえます。

 なお、この補遺については、キリスト教など特定宗教の考え方に基づかず、「とにかく生命は崇高なものだから、人間の手でもてあそぶのは許されない」という考え方もあるのだ、という指摘ないし反論がありうると予想します。これに関しては、それがあった時点で重ねて補足します。

 さてしかし、先に予告した「結論」は「クローン人間の制作は禁止を含めて制限されるべき」でした。そちらへシフトするために、次の論点に移ります。

◆遺伝子の多様性について
 まず何よりも、「進化・退化」という言葉を、単純に「優れている・劣っている」という価値判断と同じものと考えることに警戒の念を持っていただきたいと思います。これ、けっこう大事なことです。現実に、ダーウィン進化論が安易に社会科学に持ち込まれ、「進化」や「適者生存」などといった名目が強者による弱者の支配・迫害を肯定するイデオロギーに転化したことがあるのです。ダーウィンは、そんなことは言ってません。
 彼が言ったのは、「環境に適応した者が生き残る」ということであり、また、「環境に適応した者は、環境が変わったときに滅びる」ということです(これもかなり乱暴な要約ですが)。
 ここで言う「環境」とは、たいへん多様に変化するものです。緯度・地形など巨視的なスケールの条件にも影響されれば、他の生物種との関係にも影響されますし、年ごとの変化、極端に言えば日々の微妙な変化すら、「環境」を左右します。
 こうして変化する環境に適応する遺伝子が生き残り、また、環境の変化に追随しえた遺伝子が生き残ります。
 ここであらためて「優劣」を考えてください。環境について「優劣」を論じられるでしょうか。砂漠は熱帯より劣っていますか。凍土気候は温帯気候より劣っていますか。…まるっきりナンセンスです。そのどこにでも、生命は息づいています。深海の熱水鉱床にすら。環境に優劣は論じられません。
 ということはつまり、「進化」も優劣とは関係ないことになります。

 「万物の霊長」とか呼ばれる人間(ホモ・サピエンス)も、そんなに大した生き物ではないということ、これにもいくらでも証拠を挙げることができます。
 痔になる。これは直立したために肛門の括約筋を絶えず緊張させねばならず、しかも出すべきときには弛緩させねばならないという二律背反を強いられたからです。この二律背反に引き裂かれた結果起こるのが「切れ痔」です。
 ぎっくり腰になる。これは、1mくらいの鉄の棒を、一番下のところを持って空中に支える作業を思い浮かべればわかると思います。バランスをとるのが大変です。人体は、ちょうどこれと同じことをしている。四足動物の、前一対、後ろ一対の四本柱の間に梁を渡すように脊椎がある安定した形ではなく、なかば無理やり二本の足で上半身を支えているのです。腰に負担がかかる…ぎっくり腰になる、というわけです。
 さらに一番象徴的なのは「手」です。今私がキーボードをタカタカやってる、この「手」。人類の文明は、まさにこの「手」なくしては形成されえなかったわけです。
 この「手」、実は「未熟」なんです。進化してないんです。でも、未熟で、進化してないからこそ、さまざまな用途に適応できるのです。
 「進化し、環境に適応した手」というと、例えば鳥の翼です。空を飛ぶ用途に特化しています。あるいはペンギンの翼。空は飛べませんが、水中を「飛ぶ」のに強力な威力を発揮します(これで叩かれても痛いそうです。ほとんど骨ですから。そういう意味でも威力大)。これに対し、人間の手は、空とか水中とか何か一つの環境に適応し、特化した形状を持ちません。何をするにも中途半端なのです。この意味で、人間の手は「未熟」で「進化していない」のです。が、そのかわり、いろんなことに使える。
 「万物の霊長」なんて、ただの思い込みです。少なくとも、生物種として見れば。

 では話をクローンに。
 仮に何の禁止も制限もなかったとして、どんな人のクローンを作りましょう? ヒトラー? …ある種の人たちは作りたいかもしれませんが(未来世紀ブラジル)、いまいち気が進みませんね。じゃ、アインシュタイン、フォン・ノイマン、ゲーデル? 頭脳系でなければ、カール・ルイス、鳥人ブブカ?
 頭のいい人、足の速い人、やたら高く飛ぶ人、芸術的センスがある人、料理が上手な人、園芸に特異な才能を持つ人、口の中で糸を蝶結びできる人…いろいろと「創りたい人」はいますが、でも…それぞれの評価基準で「優れた人」、言い換えれば、それぞれの「環境」で優れた人ということでしかないです。「だから、それが何?」という環境に置かれれば、それらの人とて何ほどのことはない。実際、アルキメデスという人は、嬉しそうに地面に幾何学の図形を書いているときに、兵士に殺されたそうです。
 要するに、何かに優れているということそれ自体は何ら「正義」ではない。環境が、また環境に由来する評価基準に左右されることです。

 が、それでも「正義」と言っていえなくもない事柄があります。それは「多様性」です。多様性が重要であることは、生態系全体というトータルなスケールでは「生物種の多様性」、また一つの生物種の中では「遺伝子の多様性」という面から説明できます。(bio-diversityって、大学入試の英語でも時々出ますから、覚えておいて損はないですよ。)
 まず、生態系レベルで言うと、生物種が多様な方が変化に対して強靭になります。仮に一つの系に3種類しか生物が生息せず、互いに食ったり食われたりしていたとすると、何らかの原因で一つが滅びてしまうと、他も滅びてしまいます。ゼロになってしまう。が、何十種、何百種、何千種、何万種といれば、生態系全体は多少形を変えつつ、新たな秩序を回復できます。
 遺伝子の多様性で言うと、やはり環境の変化が起こっても抵抗できる能力(遺伝子)をたまたま持った個体が生き残り、子孫を確保できる可能性が高くなります。1994年の冷害を覚えていますか? 日本が米の輸入に踏み切らざるをえなかった、あの年です。昔から東北地方は冷害に悩まされていました。だから冷害に強い品種開発は、とっくの昔に充分な水準に達しています。これを植えていれば、1994年の冷夏など無事に乗り越えられたはず。なのに…植えてなかったんですね、結局。コシヒカリやササニシキなど、「おいしい米、高く売れる米」ばかりを植えていて。
 農家の方々の事情もわかりますが、やはりこれは「多様性を放棄した」ことに起因する人間の敗北です。
 院内感染などで問題になるMRSA(多剤耐性黄色ブドウ球菌)の発生メカニズムも「多様性の勝利」です。ある抗生物質が効かないブドウ球菌がたまたま生き残る。増殖する。次の抗生物質…でも効かない個体が生き残る。増殖する。で、次の抗生物質…。この繰り返しで、複数の抗生物質に対して耐性をもつ菌が現れてくるわけです。

 というと、だいたいハナシのオチは読めたと思います。「クローン」は、要するに「同じ遺伝子を持つ個体の複製」です。ある一時点の社会において「優れている」とされた人を無制限に複製し、遺伝子の多様性を大幅に損なうことになったなら、環境に大きな変化が起こったときに人類の受けるダメージは甚大なものになるでしょう。いや、環境の変化どころか、せいぜい社会の趨勢の変化くらいでも大きな影響があると考えられます。
 例えば、クローンやら遺伝子操作やらで美男美女しか生まれない世の中になったとしましょう。女はみんな松嶋奈々子モドキで、男はみんな里見浩太郎モドキです。似たよ~な顔ばっか。…すると、今のわれわれの感覚で言うところの「ブス」「ブ男」こそが美女・美男とされるようになるであろうこと、容易に想像がつきます。
 こういう理由から、「クローン人間は無制限に増大させるべきではなく、もし仮にやるんだったら、かなり抑制的にせねばならない」ということが言えると考えます。

    *

 とは言っても、ゴルゴ13はすでに何世代目かのクローンだって説がありますね。
 台湾政府にも、テレサ・テンを複製して「テレサ・イレブン」としてデビューさせようという計画があるそうです。(…なワケないって)

 と、最後に読者サービス。(^^;
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 「なぜ人を殺してはいけないのか」にも回答した serpent-owlです。

お返事がないので、おぢちゃん、ちょっと悲しいです。deadpoolさん、忙しいのかな…。(あ、いや、もちろん、お言葉を強制するつもりはないです。)

 「なぜクローン人間を作ってはいけないか」。ずーっと読んでみると、だいたいの論点は出尽くしている感じです。残された問題が何なのか、手探りするような気持ちで考えてみますね。

◆クローン人間の人権問題
 もし将来、クローン人間が生み出されたら、その人には普通の人間と変わらない人権が認められなければならないと考えます。臓器移植のスペア用などもってのほか。これはクローンのみならず、アンドロイドだろうがレプリカントだろうがサイボーグだろうが、スーパーバイオロボットだろうが同じです。
 …と言うと、逆に極論のように見えるかもしれません。「人権を認める範囲をどのように線引きするのか」というお尋ねもありそうです。これについて少々。
 環境倫理の考え方の一つに「アニマルライト」というのがあります。「動物にも権利を」という思想・運動です。肉食および商業畜産の廃止、動物実験の廃止、動物園の廃止などを主張しています。あ、もちろん毛皮・皮革製品の廃止も。それで、環境保全団体や論者の間でも少々馬鹿にされがちな立場です。
 がしかし、理論的骨組みはなかなかどうして、しっかりしています。「サイエンスアイ」に出演してる佐倉統さんなんか「非現実的」の一言で済ませちゃってますが、それじゃアンタ、現実の問題何も解決できませんぜって、ツッコミたくなります。じぇんじぇん有効な反論になってまへん。
 おっと…。これについて詳述する場ではありませんので、とりあえず「動物に権利を」という理論の根っ子のところを紹介します。要は、
  「快と不快を感じる能力があり、それゆえに固有の利害を持つならば、
   その利害は調停されねばならない」
という主張が根幹にあるのです。つまり、ある程度以上発達した神経系をそなえた動物ならば、権利を認められるべき範囲に入るってことです。アニマルライトでは、たしか、すべての脊椎動物と甲殻類まで範囲を広げていたはずです。
 と言っても、私自身は肉食いますし、世界中の多くの人は、やはり肉食いたいでしょう。私は、アニマルライトについては論駁し難いと感じつつ横目で眺めながら肉食ってます。己の欲望に勝てず、妥協してしまう卑怯者です、私は。
 と、開き直っておいて、では何とか「人間」と動物の間に線を引きましょう。実はこの「線引き」こそアニマルライトが攻撃する当のもので、細かいことを言い出すと中々大変なのですが、とりあえず大雑把に。
  「快と不快を感じる能力があり、かつ、現実的あるいは可能的に人間と
同等の知性を持ちうる者は人間と推定する」
 とりあえず、こんな感じで。こうするとアンドロイドやサイボーグは、人間並みの神経系を持たされていれば人間と同等になります。
 でも、「クローン人間だけでいいのに、なぜアンドロイドまで?」という疑問もあるかもしれません。実はもう一つ、問題点があるのです。
 「他我問題」というのが。これ、哲学・倫理学の根本問題の一つです。「自と他が真の意味で通じ合うことができるか」という問題ですが、先鋭な形をとった問いの立て方では「他者を人間だと証明できるか」というのがあります。
 驚かれるかも知れませんが、現時点での結論は「証明不可能」です。古来、多くの人々がこれの証明に情熱を注いできましたが、ユークリッド幾何学第五公理と同様に、すべての人が証明できずに散っています。
 言い換えれば、このことは、今現に日々交際している自分以外の他者は、きわめて精巧なアンドロイドであると見ても差し支えない、ということを意味します。試しに隣人に「あんた、ホントに人間?」と尋ねてみる。おそらく「人間だよ!」と答える。が、そうムキになるところを見るとますますアヤシイということになります。「だって扉に手はさんだら痛いんだよ、ほら、いてててて…」と言われても、「私」はその痛みを感じることはできません。高熱に苦しむ我が子を見て、母は「代わってあげたい」とまで心に痛みを感じます。…そういう記憶が、私にも小さい頃にあります…が、やはり母は子と同じ意味と程度においては、苦しんでいないのです。
 「痛み」程度なら、将来脳と脳を直接つなぐ装置が開発されたりすれば、あるいは共感しあえるかもしれません。が、それでも根本的な問題解決にはならないのです。…話が広がりすぎますので、これには言及しませんが。
 つまるところ、基礎的な有機化学反応からチクチクと組み立てたアンドロイドであっても、男女の間に生まれた人間と区別する合理的根拠はない、ということです。まして、人間の卵子と精子を経て形成されたという事実関係が明確なクローン人間であれば、より一層「ふつうの人間と同じ」と言えます。
 したがって、クローン人間にも、普通の人間に対してと同様に人権が認められねばなりません。当然、「差別」も「偏見」も許されません。私生児や貧民や出身者に対する差別・偏見が許されないのと同じことです。

 さてしかし、この人権問題はクリアできる形のクローン技術は研究されているようです。ヤモリの再生能力に注目したところが出発点だったはずです。未分化細胞を培養して、任意の臓器・器官をつくる、という。
 これ、もちろん「自分の」細胞から培養するわけです。移植しても拒絶反応が起こらないというメリットがあります。それに、なにもクローン人間を腑分けして必要な臓器をふんだくるという話でもない。例えば事故で右腕を失ったとします。未分化細胞を素に、何ヶ月かかけて右腕を培養します。その間はしょうがないですから、鼻クソほじるのは左手でやることにします。で、右腕が完成したら、おもむろにつなぐ、と。
 今はまだSFの世界ですが、そう遠くない将来に実現されることでしょう。

◆今後の予定
 kumfさん、kaleenさんが言及されている「遺伝子の多様性」という観点から。
 「不死」の問題について。
 …というあたりを考えています。結論は先に言っておきましょう。「クローン人間の作成には、禁止を含む制限が加えられなければならない」という方向になります。
 では、また。
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遺伝子の話で、kumfさんの回答に似ていますが・・。



わたしが思いつくのは、「必要ないからダメ」というより、
ヒトが生殖で遺伝子のバリエーションをつくり続けて来たのにはそれなりの
メリット(種として強くなるため)があったからだ、と考えられているわけです。
バリエーションをつくり続けるのをやめると、種として弱くなるという危惧はあると思います。

ですから、「双子と同じ」だと言う論理なら、通常の家庭内の出産を超えない範囲であれば(数的に?目的的に?)、排卵誘発剤とどこが違う?というわけで、社会的に、反対する理由はなくなると思います。

 わたしが心配するとすれば、先の回答者の方々が例を出された「優性」の
クローンではなく、例えば、明らかな遺伝疾患により死亡した成人・小児の
クローンを望む場合。それをいいと、悪いと、決めることがまだこの社会では
できません。
 また、子供であれば、「双子と同じ」論理では「2人目のこどもをもつのと
同じこと」として理解されるでしょうが、自分のこどもではなく、亡くなる父や
母、祖父母と同じ遺伝子のよみがえりを望む人も(今でもきっと)います。
 じゃあ、その子についての結婚はどこから何親等と数えるの?などなど、
ひとつひとつの場合について、ここで遺伝に関する素人が少し思いをはせただけで
続々出てきます。

 それらの疑問を賛成派に全て提出し、ひとつでも、万人が納得できる回答が
得られない限りは、「反対」、とわたしなら言ってみます。
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人間を価値あるものとした場合、クロ―ン人間ができることによって原作とも言えるクロ―ンの起源となる人間の欲望からその価値に順列をつけてしまう懸念がある。

人間が価値あるものということに矛盾が生じる。クロ-ン人間が生れることによって、ひごろなりを潜ませている人間の中の残虐性や冷酷な面が露骨に表に現れる。そんな面が、人間の中にあることを認めたくない、倫理で人は人を傷つけてはいけないと囲っていた秩序が揺らぐことを人間は知っているから。それは、同時に人間の中に認めたくない残虐性や冷酷な面があることを実はだれしも気づいている。倫理ともいえる道徳社会の秩序が根底から覆されることへの不安がクロ-ン人間をつくっちゃいけないってことになるのかな?
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>死んだ乳児のクローンには身代わりの意味があり、それが社会秩序を乱す(どーせ死んでもクローンがという思想)につながることがあり得るから特別に禁止というわけです。



生きている者のクローンも、(自然の摂理において)本来ならば生まれないものの身代わりに当たりますよね。(ちょっとややこしいですが)
それと、命を作り出すと言うことにおいて「これは許されるがこの場合はダメ」と、理由をつけて簡単に線引きすること自体が命を軽視しているように思えてなりません。

>悲しみの治療手段としては許されても良いと思います。例えば乳児を亡くされた方もこれに当たると思いますが、乳児はダメで他の人なら良いというのは、本人は納得しないと思いますよ。不公平感が募るだけです。

>これを許可したからといって人命軽視にはならないはずです。
つまり、悲しんでいる人をなぐさめるために新しい命(クローン)を作って利用するということですか?これって私から見るとやはり(クローン人間の)人命を軽視していると思います。例えそのクローンが幸せな人生を送ったとしても・・・。

クローン人間は「作っちゃいけない」というより「作るべきではない」というのが私の意見です。
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#10 で回答したrosepinkです。



>化膿したときに自然の摂理に逆らい、抗生物質を飲む権限と何が違う~
抗生物質とクローン人間を同レベルで考えるというのも無理があると思うんですが・・・まあ、それはおいといて。

>なら死んだ乳児のクローンは禁止するとかすればよいだけで。
それでは、例えば単純に子どもを欲しがる人のクローンも許されないと思いませんか?
死んだ者のクローンを作るのは許されなくて、生まれるはずのない命(クローン)を作り上げるのは許されるというのはおかしいですよね?
そこのところの説明を聞きたいです。

>それに、単に遺伝子が同じ(容姿がそっくり)ってだけで、その子の代わりと見なせますかね。時々、小説とかで他人の空似で死んだ息子にそっくりな子がいて思わず誘拐してしまったなんて話がありますが、やはり違うって思いませんかね。

今そう思うのは、そういう境遇にあったことがないから冷静に判断できる為ではないですか?実際そういう立場におかれたらどんな感情を持つかはその時にならなければ判り得ません。

>仮に、遺伝子が同じ(容姿がそっくり)なだけで代わりと見なせる人が多数を占める世の中になってしまったら、それはクローン技術が問題なのですかね。世のあり方の問題では?
これはちょっと意味がわからないのですが・・・。
クローン技術自体は問題ではないが、それを乱用する人間が蔓延ることが問題だってことでしょうか。

この回答への補足

抗生物質の件では、それはレベルが違うって反論できたんですが、それは、人工授精や中絶とではレベルがそれほど違わないのに、全面禁止になるのはおかしいという再反論が目に見えていたので。そこでおかしくないと言っても平行線ですし。
>死んだ者のクローンを作るのは許されなくて、生まれるはずのない命(クローン)を作り上げるのは許されるというのはおかしいですよね?
結果だけを見ると言えるのですが、死んだ乳児のクローンには身代わりの意味があり、それが社会秩序を乱す(どーせ死んでもクローンがという思想)につながることがあり得るから特別に禁止というわけです。この死んだ乳児禁止は、クローン人間が、「どうせ死んでも」と言う風潮のひろがりをもたらす可能性があるという指摘の元に導かれれているですが。そもそも生まれてくるはずもないってどういう意味です?通常なら(2の23乗)分の1の可能性でしか生まれない遺伝子が必ず生まれることに対してですか?そのことも全面禁止の理由としては進化の逆行と同じくらい弱いように感じます。それも別に良いという意見の人を納得させるだけの説得力はないでしょう。
>実際そういう立場におかれたら
確かに私はそういう立場にはおかれてませんね。この場合に関しては全く逆にクローン人間賛成に回りました。クローンが遺伝子的に同じだけで全くの別人格であるということが広く認識されていないからこのような危惧が出ると思います。クローンも極端に言えば、その子の双子なだけですから。認識が広まりさえすれば、分別のある親は、クローンがいるから、この子は、なんて通常は考えませんよね。今、また子供(弟・妹)を作ればいいかなんて考えないのと同じように。深い悲しみの中ではその子(クローン)に元の子の影を求めることもあるでしょうが、悲しみの治療手段としては許されても良いと思います。これを許可したからといって人命軽視にはならないはずです。

補足日時:2001/03/08 15:02
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#15への捕捉:


人間を束ねて、集団としての「見解」を形成する立場にいて、もっともたくさんの人間を束ねるのが為政者と宗教家あたりだと思いますが、まともな指導者なら「気持ち悪い」とかいうことを理由に行動しないと思いますよ。「扱いづらい」ってのが根本的な理由でしょう。人間ってのは、男と女がセックスしないと生まれないってのが経験的に知られていて、法体系や教義、神話などは、その経験則にどっぷり則って作られている。しかも、人間ってのは、政治や宗教が統制しようとする「単位」です。この単位の定義を変更しつつ、ぶよぶよと肥大した政治や宗教のシステムの整合性を保つには、ものすごいコストがかかるはずです。だったら、そんなものは世の中に生まれてこないようにすればよい。そういうことでしょう。体外受精くらいまでは、まだぎりぎり許容範囲だったということですかね(既存の法体系、宗教の体系の中に、こじつけて位置づけることができた)。

※エクスキューズは、「言い訳」程度の意味です。excuse meのエクスキューズです。
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この回答へのお礼

>まともな指導者なら「気持ち悪い」とかいうことを理由に行動しないと思いますよ
確かに。この命題は、集団のリーダー側の意見ではなく、多数の構成員側の意見ですね。この命題は、クローン人間禁止の法律ができる理由ではなく、多くの人がクローンに対して反対だと考えている理由ですね。具体的に法律ができ、禁止されているのは、為政者にとって難しいからですか。今までの最新科学は不自然であったけど、ぎりぎり許容範囲だったが、クローン人間はその一線を越えてたと。素人判断ですが、この許容ってことには、既存の倫理でその是非を判断できるってことも含まれてませんか。
 さすが、専門家ですな。でも、医療関係の専門家ではなく、哲学関係の専門家ですか?経験則なんて言葉は医療じゃ使いません。じゃ、この質問は医療ではなく哲学とか思想とかですべきだったかも知れませんね。

 言い訳ですか。excuse meは「許して」と考えていたので、「許し」かと思いました。そしたら意味が取れなくて。言い訳ですか。

お礼日時:2001/03/08 15:02

>弊害論は間違い


えーっと、僕が言いたいのは個々の実例の問題ではないんです。
まず、何の為に必要なのか?
ってことです。

きっちり、必要があって発明されたはずの、農薬なんかでも
環境破壊の一因となっていることは言うまでもない。
しかし、いまさら、農薬を全面禁止にするのは難しい。
んで、有機農法で作られた野菜は高い。

やんなきゃよかったのに、といいつつも今さら遅い。
でも、環境は壊れてく。
この現状を止めるには、社会が退行していくしかない。
しかし、そいつも無理。
ならば、必要以上に、科学を進化させる必要があるのか?
そもそも、人間をクローンしてなんになる?
という方向から否定したらどうですか?
という話なのですが。
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いけない理由は人それぞれ少しずつ違うでしょう。

だだそれぞれが自分の良心、倫理に照らして「いけない」と思っているのは共通してのではないでしょうか。

いけなくないという人もいると思いますよ。論破するのは不可能じゃないですか。共通する宗教とか倫理観があれば別ですが。

将来、肯定派が社会的に力をつければ行われるかもしれません。心臓移植のように。
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この回答へのお礼

 なるほど、個人の良心ですか。極論すれば、今は偶然皆が反対とまとまっているだけとなりますね。
 将来、(身体全ての)クローンが必要とされるような自体になったときは、移植医療のように容認されるかも知れませんね。
 論破は不可能ですか。確かに移植用に作れとか言う推進派は間違い(移植用という理由が不適切)だとしても、消極的賛成派(別に禁止しなくても派)は、自己の倫理・良心ではクローンが禁止されないと思っているわけですね。倫理・良心なんてものは絶対説明不可能ですし。
 なるほどよく分かりました。

お礼日時:2001/03/07 13:59

為政者にとっても、宗教者にとっても、扱いが難しいからです。


扱いの難しいものは、世の中に出てこないようにコントロールすれば、扱わなくてよい。それだけのことです。
個人の尊厳だの、宗教倫理だのは、クローン登場でややこしい思いをする人たちそれぞれの立場、エクスキューズに過ぎません。
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この回答へのお礼

エクスキューズ?なんですかそれは。

とにかく、「何となく気持ち悪いから」と「扱いにくいから」の二言に尽きるってことですね。扱いにくいってのは、全く思いつかなかったし、議論の時も出ませんでした。
でもそんな曖昧な理由では、体裁が悪いから、いろいろと理由付けをしている。
議論の時、相手が言っていたことですが、正しそうですね。

お礼日時:2001/03/07 13:54

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