14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

俳句は575
短歌は57577 ですが

57575の句を作った場合は
あまり綺麗な句とみなされないのでしょうか?
こういう句は悪い句でしょうか?

A 回答 (5件)

#4です。


書き足しておいた方が参考になると思うことがありました。
日本の歌や俳句は、世界の文学の中でも類を見ない異様な特徴が在ります。他の国の詩歌では、少数の作者がいて、多数の読者がいるものです。ところが、日本のこの文学はその反対なのですね。日本の詩歌は、その本質が、他の方の作品を読むことにあるのではなく、自ら造って詠むことにあるのです。ですから、読者人口よりも作者人口の方が圧倒的に多い。こんな文学なんて、私の知る限り、日本だけのように思えるのですが、もしかしたら、中国等にもその習慣が在るかもしれません。どなたか、そのことに関して教えて下ださると有り難いです。私にとっても参考になりますから。

いずれにしましても、これは、日本人が世界に誇るべき超教養文化を作り上げて来た証拠だと思います。ですから、他の方が何と言おうと、自分で気に入った句や歌をご自分で作れば良いのではないでしょうか。
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大分前になりますが、こんな歌が流行りました。



赤とんぼ 羽を取ったら 柿の種 柿の種 羽を付けたら 赤とんぼ

575 575ですね。

こんな詩はどうでしょう。

校長が木に登った

55ですね。

これはどうですか、

新幹線は感心せん

「ん」の字は数に入れても入れなくても良いことになっておりますので、自分の都合がようように数えれば良いので、この歌は、55とも75とも数えられますね。

こんな辞世の句もあります、

見えぬ山路を越行くときにゃ 鳴かぬカラスの声がする

77 75 ですね。

こんな色っぽいのも在りますよ、

枕出せとはつれない言葉 そばにある膝知りながら

二十五までは親兄弟に 後はあなたにやる命 

ひとり笑うて暮らそうよりも 二人涙で暮したい

言葉のはずみで別れた人に 今夜は逢えそな朝の蜘蛛


どれもこれも、秀作だとは思いませんか。日本では基本的には5と7が要素となって居りますが、型にはまらなくても、それを上手に組み合わせると、皆に口ずさんでもらえる歌になると思います。貴方も、チャレンジしてみませんか。
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 試論 ~ 七五調は七拍子 ~
 
 ♪ 久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
               ── 紀 友則《古今集・春下 33番》
 
A ひさかたの--ひかりのどけきはるのひに--しずこころなくはなのちるらむ
B 12345671234567123456712345671234567
C ひさかたの--ひかりのどけきはるのひに--しずこころなくはなのちる--
 
 Aを正調(57577)、Bは拍子、Cは57575で詠んだ例です。
(西洋楽譜では、息継ぎの休止符(ブレス)のような役割にあたります)
 Aの「らむ」が余韻をもって終るのに、Cはいささかプッツンですね。
 
 ♪ 古池や 蛙飛び込む 水の音 ── 松尾 芭蕉
 この名句(575)に、2字くわえて、577で詠んでみましょう。
 
Z ふるいけや--かわずとびこむみずのおと--
Y 123456712345671234567
X ふるいけや--かわずとびこむみずのおとかな
 
 Zがこれ以上は短くできないのに、Xの「かな」は云わずもがなです。
 短文芸で、もっとも長いのが短歌で、もっとも短いのが俳句でしょう。
 左右対称の57575757…だと、無限連続のように感じられます。
 
 中国の漢詩《長恨歌》は七言古詩(120句)の“八拍子”とみられます。
 西洋音楽には、切分音(シンコペーション)のような技法もあります。
 単調なリズムを、わざと乱調子にすることで、緊迫感をもたらします。
 
 おもむき ~ それがどうした ~
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3018966.html (No.6-7)
 なまえ ~ もっとも短い文学 ~
 
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私もNo.1の回答者の方と、ほぼ同じように考えます。


「綺麗な句」とか「悪い句」とか、それは主観の問題でしょう。
自分がそれでよければそういう句を詠めばいいだけのことです。
ただし、それを「俳句」と認める人は少ないでしょう。

57575 だと、57577 に近いですね。
破格の短歌みたい。

スポーツでもそうですが、同じルールに則ってやるから面白いわけで、ボールを蹴らずに持って走るようにすると、サッカーでなくてラグビーになってしまう。土俵が違ってくるわけです。

詩歌という、詩の方を見ると、西洋の詩は、形式にうるさい。
バリエーションは多いが、形式主義みたいな感じさえする。
漢詩もそんな感じ。
その束縛の中で歌う。
だから、音階をつければ歌になるわけです。

山頭火の場合は、俳句に似せた短詩と取れるかもしれません。
ただ、精神が俳諧のそれを受け継いでいるように見えるので、変り種の俳句とみなされることもある、ということでしょう。
「綺麗」でもないし、良し悪しなぞ、どうでもいいという自由さがあります。
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他人からキレイな句と思われたいなら、


やはり形式を守ったほうがいいに越したことはありません。
五七五や五七五七七は、
そのリズムがキレイだと一般的に感じられやすいから
その形式になったわけでしょうから。

しかし、種田山頭火のような自由律による句もありますので、
一概に五七五七五が悪いとも言い切れません。
あなたがキレイな句だと思えれば、
形式など関係なく、五七五七五であってもいいのではないでしょうか。
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