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来て見れば夕の桜実となりぬ.与謝蕪村 
日本文化が大好きな外国人婚約者がこの句は私たちの出会いにぴったりなので結婚式の日に来賓者に贈り物に添えて配りたいと言っています。私としては 夕べの桜が見たくて戻ったら実になっててもう桜が見れなかった。時は戻らない、無常と解釈してしまうのですが、彼は桜の花が実になった、成長前進と考えるようです。どなたか詳しい方お教えください。結婚式にふさわしい彼のような解釈で正しいのでしょうか。よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

難解な俳句に対して、原点復帰を目指した蕪村です。

「わびさび」が重視されると思われている芭蕉ですら、実は俳諧は「軽み(かろみ)」と言ってます。

この場合の「実」は、小さな小さな、花が散った後の直後の実です。

「夕べの桜」は「昨夜、あそこの桜はきれいだという話を聞いて」今朝見に来てみたら「もう散って小さな実が付いていた」

単なる笑い話ですよ。
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桜がきれいだという話を聞いて、遠くまで行った頃にはもう夕方になってしまった。


きれいな桜の花も、もうただの影の塊のようでしかなかった・・・
日差しがなければ、桜も桜らしからぬ・・・
逆に、日差しが満ちていてこそ、桜は桜らしいとも・・・
逆の連想を喚起させているのかもしれませんね。
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 他の方は下記のように質問者さんと似た解釈が多いですね。


 http://mizumakura.exblog.jp/6049044/

 どの解釈が正しい、と決めるよりは外国人と結婚すれば、彼の解釈も50%正しいという考えに慣れる必要がありますね、蕪村が「世界の」グローバルな見方では、解釈が変る、それが受け入れられなければ活断層の多い結婚生活になりそうです。
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俳句なんて、言い方は悪いけど書き捨てですよね。


作者は内容を詳しく説明しないで、自分の世界観で書き、詠む者はそれぞれの解釈で理解しようとする。
だから、蕪村さんに聞かないと本音は解らないと思うけど、私はこう解釈しました。

朝に見た時は花だったのに、陽が沈む頃には花は散り、実を付けている。

=綺麗、美しいと褒められている者も、見えない部分で見えない努力をしている。
未来の為に、未練がましく咲き続けるのではなく、1日で見事に散る散り際の美しさが大事だ。
ではないでしょうか。
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