

いつもお世話になっております。
「与えられる」事と物と「勝ち取る(獲る)」事と物は「同等/同価値」でしょうか?
要求の有無、期待の有無等に関わらず、誰かから「与えられる」事と物。
与えられた、行為そのものに気付くか否か?、や
与えられた事と物の内容や質も問題になるかと思いますが。。。
勝ち取る(獲る)に関しては、自分の意志と意識の上での結果ですので「気付き」については問題無し。
「事と物の内容や質」が問題となる場合は責任感の問題?とも思います^^
さて、何かと「勝ち取る(獲る)」行為に関しては意識が高く、価値も高いと考えがちな気がします。
片や、「与えられる」行為については何となく軽視しがちに思います。
私はこのように感じているのですが、これについてどう思われますでしょうか?
やはり二つは同等/同価値ではないのでしょうか?
*「与える」と「勝ち取る(獲る)」ではありません。
今現在自分の手中に有るものを入手する過程についての話です。
前提となる「与えられる」「勝ち取る(獲る)」と言う行為についての問題点/設定の甘さのご指摘でも構いません。
よろしくお願いします!
No.5
- 回答日時:
#3です。
>で、その「運」と言う存在について、もっと頑張ろうと言う戒めの意味か分かりませんが、どうにも「勝ち取る(獲る)」と比較して軽視されているように感じます。
この点についてはどうお考えになりますでしょうか?
さあ、本当に軽視されているでしょうか。多分それは、勝ち取ったことも無く、与えられた物を手に入れることによって大成したこともない方には、そう見えるだけと言う可能性はないですか。もちろん大成した方は世間の少数派ですから、たまたまそう言う方の周りにいたと言う幸運に恵まれないと、そう見えると言う意見ばかり聞こえて来てしまうかもしれませんが。
私が見ると、世に目立とうが目立たなかろうが、大成した方で自分の幸運に心から感謝している方のほうがずっと多いように思えました。もっとはっきり言ってしまうと、大成をした方は、それを自分の実力の結果だと思っているよりも、圧倒的に幸運が原因だったことを認識している方達だと、私には見えました。そして、そう言う大成した方の意見を聞くには、必ずしもその方の側にいる幸運に巡り会える必要はないですよ。読書によって、そう言う方達の経験談を、幾らでも聞くことが出来ますから。
大成したことの無い方の意見ばかりでなく、大成した方の意見も聞いてみて下さい。
この回答への補足
再びの回答ありがとうございます。
頂いた文章を拝見して、単に「人生の段階に於いて重要視すべき事柄の違い」なのかしら?とも思いました。
様々な視点から頂くツッコミを読み進めるうちに「あれ?何が言いたかったんだっけ?聞きたかったんだっけ?」と戸惑ってしまうのは、あまり良い事ではありませんね。。。
質問者として未熟で脆弱です。。。
>大成したこともない方には、そう見えるだけと言う可能性はないですか。
んーーー。。。そうかも知れません。
まだ何せ30年も生きていないヒヨッコですから。^^
でも、何て言うか。。。
そのような「成功か否か?」とか「どちらが大切か?」とか、とにかく「受取手の条件/区別」と言うものを排して考えてみたら。。。と思ったのですが。
有る者には「有る」と言う事を、無い者には「無い」と言う事が、それぞれに与えられ、或は勝ち取っているのだ、
それは「単なる違い」でしかないのだ、と。
大成した者は「大成したと言う状態」を、イマイチな者は「イマイチな状態」を運(与えられた)にしろ、勝ち取った(勝負)にしろ「手に入れた」事に違いは無いのではないでしょうか?
うーーーん。。。やっぱり自分で自分の言わんとしている事が模糊としております。
申し訳ありません。
謙虚?傲慢?感謝?ありのままで見つめる?只ありのままを愛する?
。。。んーー。。。困っています。
上手く説明できる能力が欲しいです。。。涙
No.4
- 回答日時:
与えられたものは一時的に使うことができるもので自分の能力向上
にはつながらないかもしれません。
勝ち取ったものは色々と応用してさらに自分を向上させる道具(ツール)
になってくれると思います。
この回答への補足
>与えられたものは一時的に使うことができるもの
恒久的なものは与えられない、と言うことでしょうか?
例えば「親」「家庭環境」等は与えられるものですが、人の人生に初めから終わりまで大きな影響を与える要素だと思います。
いかがでしょうか。。。
それとも、
>自分の能力向上
と言う点において「使えない」と言う事でしょうか。。。
>勝ち取ったものは色々と応用して
>さらに自分を向上させる道具(ツール)になってくれる
こちらについても「勝ち取ってはみたけれど期待ハズレ。。。こんなつもりじゃなかったのに。。。」って事もありますが。。。汗
また外部からの影響で勝ち取った事物の価値が歪められてしまう事もあります。
全ての物事が常に移り変わって行く、と言う世界に於いて、
全ては流動的で変動し、形を変え、力を増減します。
。。。そんな視点に立って眺めた時、
「与えられる」と「勝ち取る(獲る)」はどう互いの立ち位置と言うか、価値の位置を定めているのでしょうか。。。?
No.3
- 回答日時:
「勝ち取る」の対偶は「取れなかったら負け」です。
勝負の世界ですね。一方「与えられる」は運の世界ですね。運と勝負は重なることもあるけど同じじゃ在りませんね。だらら同等と言うわけには行きませんね。皆さんそのことを知っているので、この言葉を二つとも残し、より適切な方を必要に応じて使い分けていますね。
言葉が多様なのは、我々の認識法の多様性の反映ですね。生物の世界を見ていると多様化へ進むのが進化です。それに対して、統一化は退化ですね。
近年になって、世界中の少数民族の言語がすごい勢いで消滅しています。その言語だけで表現できた、人類が折角手に入れて来た認識法がどんどん失われ、巨大文化に統一されて多様性が失われてしまうのは残念ですね。
あっそうか、テレビ等で方言も大分使われずになり、標準語で統一されるようになってしまいましたね。あっそれと、グローバリゼイションの名目で、派遣自由化だ郵政民営化だ何だと、アメリカ好きで、外国にまで言ってプレスリーの歌を披露した人気者の某宰相に率いられて、アメリカ式の企業経営法に統一化されてしまったお陰で、日本独特の経営法が消滅しつつありますね。こんな例は、統一化が退化であることを説得力ある形で、皆さんに教えてくれていますね。近代の統一化の歴史で、日本人はどれだけの貴重な概念や物の見方を失ってしまったのでしょうね。
この回答への補足
以前他の方への回答でこんな事を書きました。
補足として載せてみます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1)「貨幣経済の目くらまし」
2)「勝ち取る(獲る)」事に対する過度の価値の偏り
1)貨幣経済の目くらまし
常に何か(この場合は貨幣)を「媒介する」事に慣れ、「何かを媒介しないやり取り/行為』に「気付き難くなって」いる。
元々(古代/原始)は、モノも心も「直接のやり取り」だった筈なのに、貨幣経済が生まれ、根付き、身に沁みてしまった現代、「物事は必ず何かを媒介する」と「思い込んでしまっている」事による目くらましが起こっている。
或は、常に貨幣と言う「逆方向への流れ」を具体的に目にする事に慣れてしまった事による目くらまし。
物事(心を含む)のやり取りは常に「逆方向への流れを伴う」。
この「逆方向への流れ」とは、経済としては「貨幣」だが、元々は「感謝そのもの」であった筈。
目に見える貨幣と言うモノにくらまされて、目に見えない「感謝(心)」を見る力が弱まっている。
2)「勝ち取る(獲る)」事に対する過度の価値の偏り
競争社会となって久しく(本当かな?)、そのように「意識/理論化」されてしばらく経ち(アダム・スミス辺りから、でしょうか?)、「己の能力に依って勝ち取る」事が意識の主流となってしまった。
本来、同等に価値ある行為と思われる「与えられる」事が、競争社会に於いては無償の行為(そんな筈は無いのだけれど)/気まぐれ行為と過度に軽視される状況にある。
これには、1)の「貨幣経済の目くらまし」も一役買ってしまっていると思われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の質疑の中心は
(現在自分の手中にあるもの、その存在の認識有無を問わず)
*与えられる/勝ち取る(獲る)と言う「行為?入手方法?」の価値比較
*与えられた/勝ち取った(獲った)「事物」の価値比較
となるでしょうか。。。
回答頂いている皆様、閲覧して下さっている方々、
お気付きの点、お考え等お気軽にお教えください。^^
よろしくお願いします。
cyototu様、回答感謝します。
「勝ち取る(獲る)」→勝負
「与えられる」→運
。。。はい。同意します。
で、その「運」と言う存在について、もっと頑張ろうと言う戒めの意味か分かりませんが、どうにも「勝ち取る(獲る)」と比較して軽視されているように感じます。
この点についてはどうお考えになりますでしょうか?
>人類が折角手に入れて来た認識法がどんどん失われ、
>巨大文化に統一されて多様性が失われてしまうのは残念ですね。
そうですね。。。
あ、「世界がこんなに美しいのは複雑で多様だからだ」と言った科学者が居たような。。。
「地球交響曲」でそんな言葉を聞きました、
ご存知でしょうか、この映画。。。
以前他の方への回答でこんな事を書きました、
よろしければ補足欄をご覧頂けますか。。。?
No.2
- 回答日時:
バケツがなければ水は汲めないのでバケツをくれた人には感謝すべきでしょう。
汲むという行為は自分の意志ですが、汲んだ水は与えられたものなので、
2対1で与えるの勝ちじゃないでしょうか。
自分とな何かにもかかってくるだろうと思います。
この体も命も与えられたものですから
shift-2007様、ありがとうございます^^
>2対1で与えるの勝ちじゃないでしょうか。
うーーーん。。。その「勝ち」とか「負け」と言う言葉に引っかかりを持ちました。ごめんなさい。
この質問の奥にはその言葉も無意識にあるのかも知れません。。。
質疑をしつつ気付く事の多い質問者で毎度申し訳なく思っております。汗
与えられると勝ち取る(獲る)。
勝つと負ける。
それを越えて「価値」と言うものは存在しているのではないだろうか?と言うのが質問の中心にあります。
それこそそのような「対義語」で語られるのではなく、それを越えて「存在」は存在しているのではないだろうか?というような。。。
なんだか上手く言えませんが。。。
No.1
- 回答日時:
多くの場合、与えられた時は味方を作り、勝ち取ったときは敵を作ると思います。
それにより、同等かそうでないか、価値があるか無いかも、判ってくるのではないでしょうか。
この回答への補足
>与えられた時は味方を作り、
>勝ち取ったときは敵を作る
ああ。。。言葉足らずでした。汗
何て言うか、
「今自分に備わっているもの」ってその入手方法は二つに限られるのではないか?と考えたのです。
それが
1)与えられたもの
2)勝ち取った(獲った)もの
ではないか?と。
1)は本人の能力/素質/意思等関係無く「外部から与えられた」もの。
2)は本人の意思(意志)と能力に依って引き寄せられたり、他者から引き出されたり、或はそれこそ強引に取り込んだもの。
そんな前提です。
いかがでしょうか?
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