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ややこしい事情がたくさんあって書くと長いので割愛しますが
自宅→(新幹線で4時間)実家仏壇有→(新幹線で4時間)→お墓

と言う位置関係です。
その為に今まで一度もお墓に行っていませんでした。
今後も中々行けないと思います。
だけどお墓をこちらに持ってくるのも 他の親族の気持ちもあるので
無理です。

先祖供養の気持ちはあるけど、お仏壇にも滅多に行けない。

だけど、先祖供養をしたい。
この場合は日々何か簡単に出来る事はありますか?

今は最近亡くなった実母と義父の(もちろんご先祖様にもあげてるつもりで)為に毎日お茶とお線香をあげていますが
それも間取りの関係でお墓の向きとは正反対です。

義姉は「先祖を粗末にしてるから 不幸が二件も続くのよ」と怒ってます。
だけどやっぱり実際問題、義姉の家のように村の中にお墓があるわけではないし
難しいのが実情です。

もちろんこの先には納骨もありますので、行きますが
その後は子供も大きくなるので 日程や時間的にも忙しいと思います。
いずれお仏壇は我が家に来ますが、それまではまだ何年もあると思いますし
それまで日々 我が家でもご先祖様を供養したいと思うのですが
やはりお墓やお仏壇に行かないと供養になりませんか?

出来ればお寺さんからこうアドバイスされました、とか
神仏に仕える方からの回答をお願いしたいと思います。

A 回答 (4件)

「仏教の正しい先祖供養」をオススメします。



形に拘る必要が無いのだと理解できると思います。

善いことをして、その功徳を回向し随喜してくださいますようにと言うのが仏教的な供養だと思います。

むしろ「善行為」が抜けていれば文化的な供養の形だけ実践しても…

ということもあると思います。

文化的な形はあくまで形であって、自分の心が善に向かうポテンシャルを生み出さなければ供養は出来ないことになりそうです。

コンビニで小銭を募金箱に寄付したりして、その布施・喜捨の功徳(執着を離すという徳)を一緒に喜んでください(回向・随喜)。

日常でもいくらでも供養できますよ。

仏教もいろいろありますが、日本語訳→漢文→サンスクリット語→パーリ語までさかのぼった初期の仏典にはこのようなことがのっているとおもいます。

ちょっと心・身体・言葉でしたいいことをするたびに功徳を回向すれば先祖供養になると思います。

では功徳・回向・随喜を理解し、幸福に満たされる方法を見つけることを心よりお祈り申し上げます。

生きとし生けるものが幸せであれノシ
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僕自身は、勝手な浄土真宗の信者ですが(檀那寺をもたない、親鸞信者ということです)、母が亡くなってお墓や宗教関係の本をいろいろ読んで教えられたことがあります。



まず仏壇は、その宗派のミニ寺院で、簡易式<先祖の詣り墓>ではないということです。つまり、仏壇に祀っているのはその宗派の御本尊で、御先祖様ではないということです。それは仏壇の奥の掛け軸があなたの御先祖様の名前ではないということでご理解いただけると思います。

また先祖供養と言いますが、御先祖様はもう成仏されたと思いますがどうでしょうか?なにか言われがあって何十年かけても成仏されない事情があるんですか?
浄土真宗ではお亡くなりになったその瞬間から仏様になると教えています。他の仏教宗派でも、49日を過ぎれば成仏される手はずになっているんじゃないでしょうかね。

つまり、仏様に成仏された御先祖を供養するというのは、お釈迦様の弟子に向かって、どうかご立派な修行をして下さい、そのために私たち煩悩に身もだえしているものが力を貸します。と言っているようなもので、これはどう考えてもおかしいでしょう。

あと根本的なことは、仏教はもともと葬式をしません。
「大般涅槃経」という教本んは、お釈迦様が亡くなられる前後のことが書かれていて、お釈迦様に「亡くなられたらお葬式はどうすればよいか」と尋ねたら、
私の葬儀は在野の信者がしてくれるだろう。お前たち修行者は、正しい目的のために努力せよ。
と言われたと書かれています。

葬儀のことをとやかく書いている仏教の経典はありません。インド・中国・韓国・日本と渡っているうちに仏教というものも、その地方の習俗・習慣を利用して生き延びようとしているのが、あたかも仏教の姿のように言われているのが現状です。

江戸時代にキリシタン弾圧をきっかけとして、各村々の人々が仏教各宗派の檀家とさせられ、宗門人別帳に記載されないものは、キリシタンか木枯らし紋次郎のような渡世人、駆け落ち人(宗門人別帳から記載が欠けたということでつけられました)となったために、仏教がいかにも御先祖様とツーカーの関係のように思われるようになっただけです。
このころから、仏教各宗派は葬式と結びつくのです。

あなたの心に御先祖を思う気持ちがあればいいんです。亡くなった実母・義父を思うのに、仏壇やお墓は必要ではありません。ましてや仏様になった者に、どうか成仏してくださいは失礼ですよ。

むしろ、あなたのことを見守ってくれていますよ。
今を生きているものは、先祖供養をすれば災いから逃れて、いいこともきっとあるという不純な気持ちでお祈りをしますが、仏様になったあなたの実母も義父もなんの報酬も願わず、むしろ喜んであなたを守っているでしょうから、あまりくよくよ考えこまないでください。

これをしたらとかこれをしなかったらとか言うのは、煩悩にまみれている我々の浅知恵です。
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まあ、そういうのは、宗派のマナーや、個人の気持ちの問題なので、心の中で拝んでれば、それで十分です。

もっと物理的にした方がいいと思うなら、分骨して、自宅や、近所のお墓、納骨堂などでお納めすればいいかと思います。そうすれば、頻繁にいけますよね。自宅にするなら、仮祭壇でいいので、たとえば箪笥の上なんかに遺影とお骨を置いて、毎日お水などを備えればそれでいいかと。(一般的な仏式の場合ですが)
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お墓に行くことだけが先祖供養ではありません。



私は宗教に入っていますが、宗教もいろいろですので純粋な先祖供養である宗教でないとお勧めしません。

宗教に入らなくてもお経すら挙げることはないとは思いますが、
お線香とお水をお供えされているだけでも十分です。
毎日手を合わせ、成仏していただきますように、今日も一日頑張ります見ていて下さい、夕方には今日は一日ありがとうございましたと感謝の気持ちを。

先祖供養にはいろいろありますが、成仏していない先祖にはお経上げたりしますが、
一般の方がそこまでは出来ないと思います。
何よりもご自身が前向きに感謝しながら頑張って生きていくこと
ご先祖に心配をかけないこと(親に心配をかけないのと同じことです)
後は毎日先祖を想い敬い手を合わせていれば良いです。
お墓には骨しかありません。
魂は霊会にあるわけですから、気持ちは伝わります。
次元が違うだけ遠いとか近いとか関係なく見えないカーテンの向こうにいるだけです。

行ける時に行かせていただく、出来るだけ年に一度行ける努力をする。
先祖は亡くなった近くの親戚だけではなくずーーーーーっと続いてるものですからね。
気持ちが一番大事です。
いくらお墓参りにいっても 先祖に心配をかけるような毎日を送っていればなんの意味もなく先祖不幸となります。
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