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ジェンダー教育について

男女平等だからといって何でもかも一緒にすればいいというわけでは無いと思うのです。

なぜなら男女平等の教育をしても男女のそれぞれの弱い部分、欠けている点は残るわけですから。

ですから、

男女の弱点、欠点を埋める教育というのはどうかと思うのですが?

例えば、男性には多くのことを一度にする訓練をするとか。

A 回答 (5件)

弱点や短所を補い合うことは重要でしょうが、


それは個性の範疇ではないでしょうか。
決定的な差は生体機能に依存しますので
そこは男女に差があって当然です。

平等という名のもとに個性が奪われているように思えます。
男女にはそれぞれ役割がありますし
強制する必要はありません。

ジェンダー教育について言えば、
これは日教組の性教育ということはご存知でしょうか。
人形を使って小学生に性交を教えているそうです。
性交の仕方だけを教え、その他のことを教えず
子供たちの蛮行を助長しています。

いずれにしても、生体的に男女の差あって然るべきですし
それを無理に埋める必要もないでしょう。
お互いを支えあう思いやりを持つ、道徳教育こそが重要ではないでしょうか。
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まず、日本では間違った概念で「ジェンダー」という言葉を使う人がいます。


その究極形が「ジェンダー・フリー」という和製英語です。
で、その間違った概念を使って「男女平等」の名の下に「ジェンダー・フリー教育」が行われています。
例えば、運動会の徒競走で一緒に手をつないでゴールしたり、体操服に着替えるのを男女同じ教室で行う高校があったり、、、。
つまり、「男女を同じにする」ように指導することが「ジェンダー・フリー教育」だという認識が急激に広まったわけです。
これは、まさに日本人的発想(横並び社会)で「ジェンダー論」を書き換えた妄想でしかありません。
で、この妄想に猛烈に反発したのが小泉・安倍内閣の「教育再生政策」でした。
こちらは、「ジェンダー・フリーという用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと」は「男女共同参画社会における教育」ではなく、新たな差別的教育であるとして猛烈に批判し、教育現場において「ジェンダー・フリー」という用語を禁句として全国に通達をだしました。(ジェンダーバッシング)
その結果、日本の教育現場での「ジェンダー論」は混乱してしまっています。

もともと、「ジェンダー論」というのは、米国で起こったウーマン・リブ運動に端を発します。
ウーマン・リブ運動というのは、「女性の社会進出と地位向上」を求めたフェミニズム運動の一つです。(そのため、第二フェミニズム運動ともいう。第一次はフランス革命後~女性の参政権が認められるまで)
1960~70年代、米国では朝鮮戦争やベトナム戦争で男手が戦争の兵士に持って行かれました。
その穴を埋めるために、女性が工場などにかり出されました。
結果、女性も男性と同じように社会で働けるという意識が芽生えていきました。(その象徴が「キャリアウーマン」)
そして、社会での地位の向上を目指す運動が開始されました。
これが、ウーマンリブ運動でその後世界に広まっていきます。
日本も、この運動の余波(?)で『男女雇用機会均等法』が制定されました。

こうした一連の運動の結果、社会学分野で「女性の社会進出」についての研究が盛んに行われるようになっていきました。
その中で使われたのが「ジェンダー(gender)」という言葉です。
この言葉には、色々と意味があるのですが、その一つが生物学的性を示すSexと言う語に対して、遠回りに性別を示す「gender」で、「社会的・文化的な性(特に女性)」を示す為にしばしば社会学(女性学・フェミニズム論)で使われるようになっていきました。
※元々、「gender」は文法用語で、男性名詞・女性名詞・中性名詞などのような文法上の性の事でした。

ところが、日本では「社会的文化的性差」という誤訳が使われ、それが広がっていきました。
その結果、「男女の性差」を否定する思想が生まれ、その究極の形が「ジェンダー・フリー教育」でした。
この中では、社会の伝統なんかも否定する過激な思想も生まれてきました。(ひな祭り・鯉のぼりの否定など)
で、この「ジェンダー・フリー」なる用語はほぼ和製英語であり、欧米でのフェミニズム学では無い概念のようです。
むしろ英語圏では、「ジェンダーからの自由(=差別がない)」という肯定的な意味ではなく、「ジェンダーが見えていない(=差別がある)」という否定的な意味になるようです。

では、なんで全く逆の概念で使われるようになったかですが、1970ー80年代に隆盛を極めたものの、後に「医学的・科学的根拠のない」論理であったことが判明した「第三次フェミニズム運動」を輸入したからなんです。
この時のジェンダー論は、まさに「社会的・文化的に構築された男女差が差別の根源」であるとし、「教育」によって「男女差を撤廃できる」とししていました。
これを、日本が遅れて輸入し政府が「男女共同参画社会」の推進のために採用たのが始まりなようです。

とまぁ、つまりは「ジェンダー・フリー教育」というのは「間違っていた」と80年代後半には分かっていた論理を、日本の教育現場に持ち込んだ為に起こった教育現場の混乱ですね。

>男女の弱点、欠点を埋める教育というのはどうかと思うのですが?

これは、単に昔に戻るだけですね。
「男は外で働いて、女は家で家事育児にいそしむべし」とか、「男は大学でて社会に出るのが当たり前、女は(どうせ家庭に入って専業主婦になるのだらか)高学歴でも短大程度が当たり前」という考え方ですね。
今現在は、そうした考え方よりも個性を伸ばすことに主眼が置かれ始めていますね。
「性別」の前に「個性」が来るという論理です。
つまり、「ステレオタイプなジェンダー(上記のような決めつけ)」で相手を見ずに、個々の持っている長所を伸ばす教育です。
当然、そこには性別学的な性差もあれば、個々人の能力の差も現れます。
しかし、それらを否定的に捉えるのではなく、むしろ積極的に捉えることで有機的に社会を構成していこうという考えですね。


未だに蔓延している「ジェンダー」や「ジェンダー・フリー」という言葉にとらわれず、多様な価値観を認めつつ個性を伸ばす教育が求められていると思いますよ。
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ジェンダー教育などは子供にする必要はないですね。

というよりおかしな固定概念を植え付けるだけでいいことないですね。

大人が議論で社会的問題として対応を進めればいいだけです。
男と女は違った存在なので、それ以上でもなくそれ以下でもないという事ですね。
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”ジェンダーフリー教育”のことでしょうか?


それとも単に”性教育”の意味で言っているのでしょうか?

男女平等は基本ですが、
性差を無くすことには意味がありません。


>男女の弱点、欠点を埋める教育というのはどうかと思うのですが?
>例えば、男性には多くのことを一度にする訓練をするとか。

おそらく”男性脳・女性脳”のことを言っているのだと思いますが・・
この研究(というかトンデモ理論)は「傾向」でしかありません.

女性でも多くのことを一度にすることが出来ない人もいます。
男性でも多くのことを一度にすることができる人がいます。

そもそも、ジェンダーフリー教育とは関係のない概念です。
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この回答へのお礼

>性差を無くすことには意味がありません。
性差を無くすのではなく
一般的に男性にかけている力、女性にかけている力を
教育の場で補うということです。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/17 22:38

人権は平等です、性の違いで差別してはいけません。


男女の違いを学び知って尊重しあい、補い合う事を教えるのが
本当のジェンダー教育
闇雲な男女区別まで否定は行き過ぎ。

>男性には多くのことを一度にする訓練をするとか。

こでは意味不明です。それは女性も訓練して良いのでは?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>こでは意味不明です。それは女性も訓練して良いのでは
女性の方が多くのことを一度にする能力が男性よりも
高いとされています。女性には女性かけている部分を
補う教育をすべきだと思います。

お礼日時:2009/05/17 22:36

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