No.3
- 回答日時:
専門的には、存じ上げない事をご了承下さい。
当方の識ってる範囲での事ですが、「木の根」というのは、実は「ごぼう」の事です。
戦時中、敵兵の捕虜に、食事を与える…というのは、敗戦間際の日本にとって、食糧難の折り、厳しい事でもありました。
しかし、「鬼畜米英」とはいえ、そこにいるのは「人」なのです。
それに対して、出来る限りの事をしようとした日本兵はいる。
しかし、その善意も、敗戦の際、相手側に利用された。
「ごぼう」などを食べさせたことすら、「木の根を食べさせた」とし、日本兵を「戦犯」に仕立て上げたのです。
戦犯者そのものは、罰せられるべき人もいたことでしょう。
なかには、そうした「戦犯者」を、作り出す事で、スケープゴードとし、日本全てを断罪するのではなく、「戦犯者」を裁く事で、日本を植民地にする事は免れた…
のではなかったかな…?
正しい知識では有りません。色んな本に出てくるこれらの詳細をつなぎ合わせた小生の推測も混じっております。
No.4
- 回答日時:
都市伝説ではなく、食文化の差異を知らずに、捕虜たちが食さない食材を無知ゆえに供したが故に生じた悲劇だった訳です。
と、いうか捕虜の扱いが後々の外交問題になるという認識も軍にはなかったんです。加えて、捕虜と収容所施設を管理する人々にそうした文化的差異を教え伝える必要を軍上層部が認識していない(国際法として政府は認識していた)というか、近代の戦争そのものを理解していなかったというお粗末さもありますが。
また、ごぼうを食するのは世界中でも日本だけで、もともと日本に伝わったときは漢方の薬としてだったんです。
No.5
- 回答日時:
都市伝説の『東京裁判の木の根』の話は半分事実で半分デマです。
これは、もともとは東京裁判の弁護団副団長の清瀬一郎さんが書いた『秘録 東京裁判』にある話です。
直江津収容所の村山という人物が捕虜にゴボウを食べさせたが、
その際に捕虜から「この食材は何か」と聞かれ、ゴボウの英訳が分からなかったため、
牛蒡(ゴボウ)の漢字の単語を一語ずつ直訳し、オックス・テイル(牛の尾)と答えた。
するとその捕虜が怒り(おそらく、「木の根をオックス・テイルとこじつけて食べさせられた」と誤解したため)
終戦後に「捕虜収容所で虐待を受けた」と訴えた。 という事です。
又、この本の中では別の収容所ではNo.1さんもふれている、
豆腐をロツン・ビーンズ(腐った豆)と訳して捕虜に食べさせていた為に訴えられたという話ものっています。
ただ上記は裁判で、「誤訳から生じた勘違いだ」と説明すればすむ訳ですから、無罪になったと推察されています。
本の中では上記の2件が無罪になったという説明がありませんが、有罪になったという記述もありません。
この都市伝説は「ゴボウを捕虜に食べさせて、戦犯として訴えられた」という事実が、
誤った解釈を付けられて広まったものです。
>あれが事実だったとして得をするのってどんな人ですか
村山さんは厳しい食料事情の中、苦心して捕虜に食事を出していた事になります。
捕虜としては「虐待を受けていた」と誤解していたのですから、東京裁判で訴えるのは当然です。
No.6
- 回答日時:
直江津収容所の片山謙五伍長の件です。
片山謙五は妻の協力の得て牛蒡を入手し、捕虜に配布しました。この行為は、規定以上の食事を与えてはならないという国際条約の規定に反していましたが、インフルエンザと栄養失調で苦しむ捕虜の事を思いやって行なった行為です。
戦後、直江津収容所は捕虜虐待を行なったとされて、看守6名と責任者の准尉は絞首刑となりました。更に衛生担当の曹長(仏の看護師と捕虜から讃えられていた)も捕虜を火あぶり(実際は脚気治療のために用いたお灸)したとされて絞首刑になっています。
片山謙五は、捕虜に木の根っこを食わせたとして20年の重労働刑(再審で17年に減刑)に処されました。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
この件について興味深い考察をしているHPがあります。
熟読されるとよろしいですが、要点は「『ゴボウを食べさせたこと』だけが有罪の理由ではない」、「劣悪な環境や殴打暴行などの捕虜虐待などのが主たる要因」とのことです。
「引用」
「絞首刑という量刑が妥当であったかについては大いに議論の余地はあるものの、虐待の事実そのものは確かにあったし、他方で「ごぼうを食べさせた」はせいぜい虐待の一例としてあげられたにすぎ(ない)」
「ドラマの『私は貝になりたい』では主人公である二等兵が死刑判決を受けることになっているが、現実には死刑を執行された二等兵は存在しない(中略)判決そのものだけでなく、拘留中の容疑者への虐待など諸々の問題をはらむB級戦犯裁判ではあるが、他方で実態以上に不当であったかのような日本側のプロパガンダも存在したことがうかがえる」
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060828/p1
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060901/p2
No.8
- 回答日時:
No.6です。
片山謙五伍長ですが、彼の仕事は調理師であって捕虜の管理は行なっておりません。
直江津収容所は60名の捕虜が亡くなりました。ただし死因は大寒波と同時に発生したインフルエンザで体力を奪われた捕虜が亡くなったのです。昭和18年以降は死者0人です。
絞首刑になった6人は何れも傷痍軍人であり、歩行困難者、片目失明者、片腕不遇者です。暴行したり追い掛け回すことがほとんど出来ない人物です。
直江津収容所が注目されたのは、東京裁判でチズルム大尉が「過酷な捕虜生活で60名が死んだ」と発言したため、人身御供が必要となったからです。
直江津では、拷問のような捕虜虐待は行なわれておらず、衛生担当も食事担当も捕虜に気を配っていた。捕虜はクリスマスに彼らを呼び、和気藹々と食事をした(写真が残っています)。だが、8人は帰らぬ人となった。オーストラリアに帰国した300人の捕虜は戦後40年、彼らが死刑になっていた事を知らなかった。特に衛生曹長が死刑になっていたとは夢にも思わなかったそうです。
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