四式戦闘機(疾風)、五式戦闘機、紫電改どれが最強だと思いますか?私は急降下速度と20ミリ機銃胴体装備の点で五式だと思うのですが・・・

A 回答 (5件)

私の持っている本に、No.3の答えの記載とおなじで、「戦後の米軍の調査で日本の陸海軍戦闘機中で四式戦(疾風)が最優秀と評価された」と書かれています。


五式戦、紫電改の生産機数がそれぞれ約400機に対し、四式戦は約3300機と多く、実戦を経て改良が良くなされている為と思われます。
性能的にはたいした差はないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/05/26 16:00

戦争終盤になると、米軍パイロットは格闘戦を禁止されてますから、実戦的な比較は難しいです。

日本側の零戦二一型の編隊が、あまりに飛び方がシロウトなので、F6Fで格闘戦を挑んだら、中に混じってたベテランに相当数食われた、という空戦もあったようではありますが。
運用的には、秋月型に守られた信濃に紫電改乗っけて、機動的な防空態勢を構築するって構想が、一番マシに思えますが、潜水艦ウヨウヨで実現不可能なのが難点・・・。

この回答への補足

紫電改の艦上型について信濃が沈められて既に空母が無かったってあるけど、飛龍の改良型の雲龍が昭和20年にありましたよね。
何で使わなかったんだろ

補足日時:2009/05/26 12:51
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/05/26 12:55

うろ覚えですが、戦後に米軍が捕獲した日本軍の全ての戦闘機を品質の高い燃料を使ってテストした結果、四式戦闘機(疾風)が日本軍の最高の戦闘機だと書いた本がありました。


格闘戦(ドックファイト)では、P51に勝ると書いてたかな???
本の名前は忘れてしまいました。
ですので日本軍最強の戦闘機は、四式戦闘機(疾風)でしょう。
ご参考まで

この回答への補足

四式戦の高空性能はどうですか?
高度1万で確実に空戦できたのは、3式戦、5式戦、海軍では雷電程度であったそうですが・・・

補足日時:2009/05/26 12:43
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2009/05/26 12:41

>四式戦闘機(疾風)、五式戦闘機、紫電改どれが最強だと思いますか?



 スペック上の比較でしょうか? 実戦での評価でしょうか? いずれにしても三機種とも設計上の性能を発揮できたかどうか、という点では残念ながら不本意なものに終わったのが実相のようです。

 四式戦については、こういう記述があります。

>新鋭機と取っておきの精鋭というので、、われわれとしても大いに期待したものです。ところが、この期待の四式戦に重大な欠陥があったのです。エンジンが悪いんですね。エンジンを全開にすると、こわれてしまうと言うんです。四枚プロペラで、星型の一千六百馬力のエンジン、正面から見ると小さくて、空気抵抗が小さいからほんとうは非常にいい戦闘機なんですが ~ エンジンの質が落ちているから一千四百馬力ぐらいしか出しちゃいかんという使用制限が内地から来ました。この二百馬力は大変な差ですよ。それなら最初から千四百馬力の飛行機の方がよほど使いやすいんです。まあ、そんな上品な飛行機ですからね、ちょっと間違うと故障するんです。それに ~ 車輪がすぐパンクするといったことも手伝って結局稼働率は四、五十パーセントぐらいではなかったかと思います。 (当時フィリピン 第4航空軍参謀佐藤勝雄中佐の回想。『昭和史の天皇』読売新聞社 所収

 次に紫電二一型(紫電改)について

>部隊に配属された機体は最初のころは非常に調子がよく、西日本方面の防衛戦では大いに敵機を悩まし、本機に対する期待が大いに高まった。 ~ しかし量産が進むと「誉」発動機の不調から故障が続発し、機によって性能に相当なむらが出るなど活動はいきおい制限されていった。 (『航空ファン別冊 日本海軍機写真集』文林堂

 さらにフィリピンにおける紫電の稼働率は20%以下であったそうです。

 五式戦(キ100)はどうかというと、

>実戦を経験した操縦者が「キ100」の扱いやすさ、運動性能を認めながらも速度面では著しく劣るとの声を残しているように「キ100」は陸軍の期待を集めながらもその実態は限定された状況でのみ活躍可能な戦闘機でしかなかった。高く評価された信頼性もあくまで不調の「三式戦」と比較したうえでのことで、実際には水メタノール噴射装置付きの「ハ112II」の整備には微妙な部分が多くあったし、新発動機につきまとう部品不足、技術情報不足などもあって抜群の信頼性を誇ったわけではなかった。 (古峰文三~文章 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ 61 三式戦飛燕・五式戦』 学習研究社 所収

 旧軍の飛行機は機体、武装、通信機、燃料のすべてに脆弱さがあり、とくにエンジンに致命的な欠陥がありました。至る所から油が漏れるのです。原因は鋳型加工とパッキンそれからハンダという極基礎的なもので、整備員が締めても締めても漏れました。整備員を撮った写真を観れば判りますが、いちように服は油で真っ黒です。(たとえば『丸メカニック 三式戦飛燕&五式戦』41ページ)。従って飛行中のエンジントラブルで不時着殉職する犠牲が多かったのでした。中国で四式戦に搭乗していた元飛行戦隊中隊長は、とにかく上昇力を得るために不要な計器、防弾板、落下傘、無線機を外し、ようやく米機と対戦できたと語っておられましたから三機種のうちどれが『最強』であったにせよ、第二次大戦中の最強戦闘機P-51には遠く及ばないといわざるを得ません。

 

この回答への補足

P51が最強というのはわかってます。
あくまでも四式、五式、紫電改の比較でお願いします。

補足日時:2009/05/26 12:41
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2009/05/26 12:33

最強は四式戦闘機です。


戦争末期東南アジアでイギリス軍の爆撃機や戦闘機をバタバタと撃墜していました。

五式戦闘機は出てくるのが遅かったですね。
早く空冷エンジンに交換していればもっと活躍したと思います。

紫電改は撃墜されすぎです。
帝国海軍が初めて搭乗員の命を守る(海軍は搭乗員は消耗品と言っていました)と言う考えの下に製造されました。
でも防弾がいまいちのようで、松山の343航空隊も終戦を待たずに幹部クラスが戦死して名前だけのようでしたから。

この回答への補足

四式戦の故障率はどうですか?
まんが「太平洋日米航空戦記」の小林たけし 「2千馬力の野郎ども」で西安飛行場攻撃に行く3機のうち、1機が故障で途中で帰還してますが。
評判の高い初期でこんなに故障するなんて・・・

補足日時:2009/05/25 21:39
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/25 21:38

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なんでしょうか。P51と互角に戦えるやつ!

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補足で質問がありましたので再登場

雷電では、P51の相手は無理です
対B29がおもな仕事ですので、
敵戦闘機が来ると、
空中退避(要は飛んで逃げる)していました

もちろん、油断しているP51が居れば
上空からの一撃離脱は有効でしょうが、
単機でP51がうろうろしている状況は
考えにくいので、よほどの幸運がなければないでしょう。

震電等の試作戦闘機は、カタログスペックだけですので
(実機もありましたが)
本当の所はわかりませんが、互角に戦えたかもしれませんが
やはり、対重爆用の機体ですので、その辺りは考慮しなければならないと思います。

試作で比較するなら、
烈風やキ80シリーズと比較するべきでしょう。
これらはあたりまえですが、当然互角に戦える事を
前提に設計されています。

Qゼロ戦とムスタング51が空中戦したら性能的にムスタングの圧勝になります

ゼロ戦とムスタング51が空中戦したら性能的にムスタングの圧勝になりますか?それともパイロットの技量や飛行機の位置取りにより違ってきますか?何かデザインを見るとムスタングはプロペラ機の集大成みたいに思えるのですが、どうでしょう??

Aベストアンサー

このように、現代ではありえない空中戦を推測するというのは楽しいですね。
私は元戦闘機設計技師の弟子で、ただの戦闘機マニア、格闘技マニアです。

まず、当時の記録では、機体の性能以前に、ゼロ戦のパイロットの技量、ガソリンの質、敵機の情報、戦闘機の数量というすべての面で日本軍側が圧倒的に劣っていたので、結果的にムスタングの圧勝だったので、その印象が強いようですが、
さて、それらが完全に同条件になった場合はどうでしょう?

空中戦の場合必要な要素というのはたくさんありますが主に「戦闘機の性能」「パイロットの技量」で考えると、
性能面では、設計がより新しいムスタングが、速度、上昇力、武装、防御力で多くの面で勝っていますが、
ゼロ戦の場合は、「旋回性」という非常に重要な要素が勝っています。

では、意外と検証が難しいのは「パイロットの技量」です。
単純に「双方同程度の熟練者」と言ってしまえば簡単なのですが、
熟練したパイロットというのは、
●自機の性能を限界まで使いこなせる、
●敵戦闘機のことを熟知している、
●敵パイロットの癖を熟知している、または最初のわずかな戦闘で、敵パイロットの癖を見極める能力が高い。
●戦闘の長時間の緊張に耐えられる精神力
●周辺の情報を察知する認知能力
などかなり多くの要素が必要となります。

同じ戦闘機とはいえ、そもそも機体の設計思想が全然違うので、格闘技でいえば剣道とフェンシングのような異種格闘技みたいなものですから
重視すべきは、敵戦闘機の性能の熟知度と敵パイロットの癖の熟知度が意外と大きく影響すると思います。

例えば、人間の格闘技では以下のようなことがよくあります。
AさんはBさんより強い、BさんはCさんより強い、CさんはAさんより強い。
じゃあ誰が一番強いの?ってなりますよね。
これは相手との愛称の良し悪しと「特定の敵をどれくらい知っているか」によるからなのです。

以上のことから総合的に推測しますと、「理想的熟練パイロット同士の1対1の戦闘」の場合、
主に有利な攻撃ポジションを得やすいムスタングが攻撃するのをゼロ戦はその旋回性を生かして守勢にまわりつつ反撃するチャンスを伺って攻撃するというパターンになりそうです。
結果、なかなか勝負は決まらないまま長時間の戦闘になり、最終的にはより強い緊張感を強いられるゼロ戦パイロットの集中力低下から敵に攻撃チャンスを与えてしまうという結果になりやすいのではないしょうか?

おそらく10回勝負すれば、6:4かせいぜい7:3位でやはりムスタングの勝率が高いかなという気がしますが、
ムスタングの圧勝ってことは絶対にないと思います。

ちなみに、趣味のコンバットフライトシュミレーターではゼロ戦のほうがムスタングに圧勝しました。
一応実機の性能を設定したプログラムをされているはずなので、あまりでたらめではないとは思いますが、
私の技量を考慮してもレシプロ機の格闘戦において旋回性がいかに重要であるかを実感させられました。

添付画像は1995年にムスタングとゼロ戦が同時離陸したときのものです。
ゼロ戦の軽さを感じました。
あ、私はゼロ戦はあまり好きではないので決してゼロ膳贔屓な意見ではありません。

このように、現代ではありえない空中戦を推測するというのは楽しいですね。
私は元戦闘機設計技師の弟子で、ただの戦闘機マニア、格闘技マニアです。

まず、当時の記録では、機体の性能以前に、ゼロ戦のパイロットの技量、ガソリンの質、敵機の情報、戦闘機の数量というすべての面で日本軍側が圧倒的に劣っていたので、結果的にムスタングの圧勝だったので、その印象が強いようですが、
さて、それらが完全に同条件になった場合はどうでしょう?

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QB29の迎撃に活躍した戦闘機

B29の迎撃に活躍して
最も多くのB29を撃墜破した戦闘機は何でしょうか?
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またどのような性能がB29の迎撃に適していたかも
教えて下さい

Aベストアンサー

普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するようになります。小林照彦戦隊長率いる244戦隊は部品の補給、整備も行き届いていたため他隊に比べ稼働率も高く、また攻撃精神旺盛なためB29の迎撃に活躍しました。震天制空隊による体当たりをはじめ、通常の攻撃でもB29を撃墜しています。小林戦隊長自らB29に体当たりで撃墜し、生還するなど244戦隊は敗戦までに撃墜84機(うちB29 73機)撃破94機(同92機)と言う戦果を上げました。
 
 水冷エンジンについては工業力が追いついていないのを無理して使ったというのが一般的ですが、ただ単に今までの日本機のほとんどが空冷エンジンであったため整備員が不慣れであったと言う話も聞きます。同じく水冷エンジンの彗星を装備した芙蓉部隊は整備員の努力により高い稼働率を維持していました。
 
 B29の迎撃に必要な性能は高高度での飛行性能、速度、高い上昇力、加速性、火力など格闘戦性能より一撃離脱に適した機体が良かったと思います。

普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するよう...続きを読む

Q局地戦闘機 雷電について

雷電はなぜあんなにズングリしているのでしょうか?
(まああのズングリした機体を見ると親しみを感じてしまいますが・・・)
エンジンの関係でしょうか?

あの機体ですから、F6FやP51といった戦闘機相手ではなく、
B24、B29といった爆撃機の迎撃に活躍したのでしょうか?

同じ局地戦闘機 紫電改と比べると地味な感じを受けますね。
紫電改は対戦闘機用で、雷電は対爆撃機で用途が違ったからでしょうか?

Aベストアンサー

漫談です。

実は昭和14年ごろから、中国で爆撃機が戦闘機の迎撃でひどい目に遭った海軍は、迎撃機をデザインしたらいいんじゃないか、と、三菱ご指名で十四試局地戦闘機の要求書を交付しています。そして、零戦を終えた堀越氏が主査となってデザインがスタートしたわけですが、エンジンの選定と振動問題で手こずったのは、みなさんご指摘のとおりです。この振動問題、殉職者はでるわ、一年以上つぶれるわ。中島がおなじような元は爆撃機向けエンジンつけたキ44(鍾馗)が上手くいっているのと対照的です。なら、陸海軍とも同じ飛行機装備したらいい、というのがスジですが、そうはいかないのが恐ろしい現実でした。

あげく海軍はJ2(雷電)に過剰な期待をして「零戦をやめてJ2を主力にする。空母にものせる」と言い出すわ、しかしJ2の主査である堀越氏に零戦の改造もさせるわ、「零戦後継機」デザインしてと言って技術者として使いつぶしてしまい、いいことなしでした。さらに、「胴体太いからターボ・チャージャーつくんじゃないか?」と研究始める始末です。

しかもそのあいだに、海軍はN1水上戦闘機を川西に発注するというムダをしました。できたときには使う予定だった南方の島嶼地帯が危険になりすぎ、琵琶湖などを基地にして使っていたという。
結果として雷電が昭和十八年になってもパッとしない。で、この水上戦闘機を陸上戦闘気にしよう、と海軍はいいだし、結果、紫電、紫電改となります。結局、生産現場は零戦、雷電、紫電、紫電改つくるというわからんことになり、あげく昭和19年に三菱の主力工場がある名古屋を東南海地震が直撃して大惨事になります。
海軍だけでこれだけのサワギしていますが、貧乏な日本はこのうえ、陸軍の飛行機も作っていました。雷電が作られた背景が、いかにムチャクチャだったかを理解してください。

それで、乗員からは評判がよくありませんでした。これは操縦のしやすかった零戦あがりのパイロットが、操縦特性がまったくちがう雷電を嫌がったからです。また、実際離着陸が難しい飛行機で、特に着陸時に前が見えないという欠陥がありました。現場では、横の窓を見ながら着陸するという工夫をしています。また、操縦席がムダに広い、というヘンな悪評もありました(ガラスから顔が離れるので、見張りがしにくい。かつ、装備していた防弾ガラスの質も悪く透明度が低い。J2の操縦席は宴会ができる、と言われました)。

ただ、南方で油田地帯を防空した部隊は、油田地帯からえられる高品質な油脂を使っていたので、期待値に近い性能を発揮させることができてB17/24/29をよく撃墜しています。

戦後、アメリカがテストしたのですが、この時は好評でした。コクピット広いのはF4/F6/P40/P51も同じですし、振動もアメリカ人の感覚なら、許容範囲だったのです。多少のことは気にしないで、必要なときに戦場にいた飛行機のほうが、勝利に貢献したわけです。

日本の戦闘機は、基本的に繊細なデザインをされており、調子がいい機体に上手が乗って、タイマンだったら、同じ腕のパイロットが乗ったアメリカの戦闘機などこわくはないのです。ただアメリカ側はそれを知っていたので「みんなで殴ればこわくない」を実践し、万が一おとされてもすぐにレスキューがくる、という手際のよさでした。
また、高速の実験ができる風洞が日本には少なく、厳しく見ると、高速域性能を引き出すデザインは、全て失敗しています。

漫談です。

実は昭和14年ごろから、中国で爆撃機が戦闘機の迎撃でひどい目に遭った海軍は、迎撃機をデザインしたらいいんじゃないか、と、三菱ご指名で十四試局地戦闘機の要求書を交付しています。そして、零戦を終えた堀越氏が主査となってデザインがスタートしたわけですが、エンジンの選定と振動問題で手こずったのは、みなさんご指摘のとおりです。この振動問題、殉職者はでるわ、一年以上つぶれるわ。中島がおなじような元は爆撃機向けエンジンつけたキ44(鍾馗)が上手くいっているのと対照的です。...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Q第二次世界大戦時で最も優秀な戦車は?

ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、
ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。
さらにタイガー戦車より最新のパンター戦車というのもあるらしいです。
総合的に見て最優秀の戦車(一対一で勝てる)は何だったのでしょうか?

又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、
それはどうしてでしょうか?
中国戦線では大活躍すると思うのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。
一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。
しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。その勝因は、戦車を集中して運用したからです。

プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。チームとしての全体のバランスが重要です。サッカーもそう。軍隊(戦争)もそうなんです。
第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。だから、それ用のための性能を重視しました。そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。これぞアメリカ人の超合理主義。「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。

戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。
これが基本的に理解できなかったのが日本軍。理解できなかったというか、受け入れられなかったというべきでしょうかね。基本的に貧乏な日本軍では、お金のかかる戦車を大量に用意して消費しながら戦うなんて贅沢な戦い方はやりたくてもできなかったのです。

日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。
しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。これは日本工業力の限界。
そしてなによりエンジンの性能が低かった。3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。

日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。
しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。
戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。自動車運転は「特殊技能」扱いです。ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。だから運用にも限界があるのです。国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があ...続きを読む

Q戦闘機や航空基地 : どうして陸軍と海軍でバラバラだった?

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理由があったのでしょうか? 陸軍がまとめて防空の構えをすれば事足りるように感じたのですが ・・・

それと、海軍と陸軍でどうして戦闘機の機種を統一しなかったのでしょうか? 

もちろん、戦闘内容が違うので両軍が求める性能を統一するのは難しいのは理解できるのですが、すごく不経済だし合理的ではないように思いました。

たとえばゼロ戦を陸軍も使用するとか、逆に隼を海軍も使用するとか出来なかったのでしょうか?

歴史書を読んでいて、ふと感じたので質問させて頂きました。

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理...続きを読む

Aベストアンサー

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では「イエス・サー」といいますが、海軍では「アイ・アイ・サー」といいます。かように「はい」という答えひとつでも違う言い方をしたがるほど陸軍と海軍はときに対抗します。いわんや航空機の仕様については他の方も回答されているように陸軍と海軍では要求するスペックが違いますから自ずと機種が違ってきます。
それは現在でもそうで、例えばアメリカ空軍が使うF-16と海軍/海兵隊が使うF-18は大きさといい性能といいよく似ています。大きな違いは、F-16が単発エンジン、F-18が双発エンジンという点です。一時期、海軍でもF-16を採用してはどうか、という声も上がったのですが、海上で活動することが多い海軍機はエンジンがひとつ故障(あるいは損害)を受けてももうひとつのエンジンで基地や空母までたどり着ける可能性がある双発機のほうがふさわしいとのことで海軍/海兵隊はF-18を採用しました。しかし実際は長年米海軍とお付き合いのあるノースロップ社の「ロビー活動」のたまものです。

合理的精神の塊であるアメリカ人でさえ空軍(陸軍)機と海軍機の統一ができません。ロバート・マクナマラが機種を統一しようとしてF-111という戦闘爆撃機を作りましたが、これは海軍と空軍の猛反対を押し切って強引に進められたものでした。海軍はよっぽど気に食わなかったのか、何かと理由をつけてちゃっちゃとF-111を退役させました。

今でも、ゼロ戦と隼とどっちが優れているか議論させたら答えは出ませんよ。カタログスペックではゼロ戦が優れていますが、ゼロ戦はかなりクセの強い戦闘機だったようです。じゃじゃ馬だったんですね。それに比べると隼のほうがはるかにマイルドで乗りこなしやすかったそうです。ゼロ戦はホンダ車、隼はトヨタ車みたいなもんだったのかもしれません。

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では...続きを読む

Q零戦と隼

ベタな質問で申し訳ありませんが、
迎撃などの局地戦闘機として運用する場合、
零戦と一式戦隼はどちらが優れた戦闘機といえるでしょうか。

Aベストアンサー

対爆撃機戦闘では、一般的に20mm機関砲を装備した零戦の方が有利です。
しかし、大戦後期の零戦52型乙、丙といった火力と防弾を強化したものは重量の増加で飛行性能が低下、それに反して改良された隼III型は性能で零戦に逆転、事実パイロットに好まれていました。翼面積が大きく軽量ゆえ、同時代の日本戦闘機としては高高度性能も良い方でした。
また隼は零戦と異なり、I型当時から防濡タンクを装備、II型の途中からパイロット背面の防弾板を装備しており、末期まで防弾装備の無い零戦より防御力に勝っていました。

現代の我々が手軽に比較する方法として、リアルなデータに基づくフライトシム・ゲームを試してみるというのもあります。最近、PacificFightersというゲームの日本語マニュアル付きが発売されましたので、お勧めです。

Q第二次世界大戦頃までの戦闘機乗りの生還率は?(撃墜王の事が知りたいです)

撃墜王なる言葉がありますが
調べて見ると5機墜とすと与えられた称号らしいです、もちろん諸説ありますが
5機墜とす位は熟練パイロットなら出来るのでは?なんて思いましたが
たぶんこれはTVゲームしてる感覚で捉えての結果だと思います
全然ピンときません
生涯戦闘で5機でエースなんて呼ばれるって事は
ものすごく生還率が悪かったと予想出来るのですが・・・

撃墜王って呼ばれるにはかなり大変だったのでしょうか?
また太平洋戦争までの生還率など
素人に解りやすく教えて頂ければ幸いです
よろしくお願い致します

Aベストアンサー

直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
・エースは総パイロットの1%に満たない
・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
・トップ・エースは生存率も高い(米軍の場合、20傑中戦死者は3人だけ)
という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

 つまり、パイロットになると、大体は戦果を上げることなく敵に喰われる。その時点で運が良いか、技量がいいものは生きのこり、やがてエースになるか、運が良いだけでなんとか生きのこる「その他大勢」になるか、という事になるわけです。

 ただし、生存率に関して言えば、国によって条件が異なり、落とされても歩いて自陣に返ってもう一回出撃、なんて恐ろしいことが平気で起こるWW2のドイツ(3桁級がゴロゴロ。肋骨負っても再出撃した奴もいた)、ローテーション態勢がしっかりしていて、それほどスコアを伸ばせないアメリカ、洋上を長距離侵攻が多く必然的に死にやすい日本など、「その国の事情」があるので、一概には言えません。

 なお、現在ではそもそも空戦自体がほとんど発生しないので、撃墜経験のあるパイロットの方が希少です。最後のエースは1986年のイラン空軍人でした。もう20年以上前の話です。

直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
・エースは総パイロットの1%に満たない
・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
・トップ・エースは生存率も高い(米軍の場合、20傑中戦死者は3人だけ)
という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

 つまり、パイロットになると、大体は戦果を上げることなく敵に喰われる。その時点で運が良いか、技量がいいものは生きのこり、やがてエースになるか、運が良いだけでなんと...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む


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