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私の祖父が独立山砲兵20大隊(陸軍)で昭和16年12月に中華民国で戦死しています。少しでも祖父のことが知りたくて県庁に問い合わせしてみましたが終戦時に書類を軍が焼却している為詳しいことが分かりません。独立山砲兵20大隊のことや昭和16年当時の中華民国の日本軍の状況などご存知の方ご教示ください。

A 回答 (2件)

 まず、独立山砲兵第20大隊は、太平洋戦争末期に解散したため、復員資料がありません。

したがって部隊に関する纏った行動記録がありません。

 ただ、回答No.1の方がいわれる九龍半島で戦死された‥が適切であると思います。

 重複しますが、同部隊はバイアス湾上陸後、軍令陸甲第2号下令により第21軍司令官を編成管理官として、現地中国南部において独立臼砲大隊を改編して編成されました。編制は、大隊長梶 松次郎中佐(陸士28期)以下422名、大隊本部、戦砲3個中隊、大隊段列からなり、兵器は中国軍から押収したボフォーズ野砲9門を装備しました。その後1941年(昭16)12月、香港攻略作戦に際して第38師団指揮下に編入され、左翼部隊として広東省寶安県、現在の深せん(土偏に川)方面から南下途中、第2中隊が同月19日午後大潭貯水池南側付近にて英軍の機銃掃射を受け十数名が戦死し、また第3中隊も約三百名の敵軍の反撃を受け損害を生じました。

 南頭というのは深せん南部の地名ですから、御祖父さまはおそらく大潭における戦闘において戦死されたのではないでしょうか?

 その後同大隊は、南太平洋方面に派遣され、第17軍戦闘序列に編入されてガダルカナル島に上陸し、ジャングルの中で飢餓のため大半が戦病死し同島から脱出できたのは約五十名ほどでした。

 
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この回答へのお礼

yatiyochan様
詳細なご回答誠にありがとうございます。お詳しいですね!
祖父が昭和16年12月22日午前5時35分戦死と戸籍謄本には記載されています。私もNo.1の方の回答後調べましたところ香港・英軍は12月25日に降伏していましたが、yatiyochan様の記述を拝見したらガダルカナル島で大半が戦病死とのことですから心苦しいですが、香港での戦死が良かったのかもしれません。私も49才になりますが祖父も含めて、この方々のお陰で今の私たちがあることを忘れてはならないとつくずく思ったしだいです。また香港攻略に関して長沙作戦という著書があるもようですので勉強してみます。

お礼日時:2009/04/02 00:08

太平洋戦争開戦時、独立山砲兵第20大隊は第38師団に配属されて香港攻略作戦に参加しています(12月8日進攻開始、12月25日英軍降伏)。


したがって、お祖父様は九龍半島または香港で戦死されたのではないでしょうか。

(参考)
昭和13年9月に独立臼砲第1大隊として小倉(留守第12師団)で動員。
同年10月バイアス湾に上陸し広東攻略戦に参加。
昭和14年2月に独立山砲兵第20大隊に改編。
以降、海南島討伐作戦、仏印進駐等の諸作戦に従事。
--戦史叢書「香港・長沙作戦」防衛庁防衛研修所戦史部著(朝雲新聞社)--
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この回答へのお礼

Tortanus様
ご教示ありがとうございます。
少しでも分かり誠にありがとうございます。
補足ですが、祖父は宮崎県出身なのですが福岡県久留米で警察官をしていてそこで召集されたと聞いています。戸籍謄本を見てみましたところ中華民国、?安縣南頭において戦傷死と書かれています。(?は慈の心の部分が目か月の文字です)中華民国は現在、台湾ですが香港とは?
記載間違いの可能性でしょうか?
少しでも祖父のことが紐解けたら嬉しく思います。ご迷惑でなければまたご教示くだされば幸いに存じます。

お礼日時:2009/03/31 08:39

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