いつもお世話になっております
伝聞の「そうだ」と「らしい」についてですが。
本とかいろいろ読んだりしてみたのですが。ニュアンスの違いがつかめなくて困っています
例:「明日雨が降るそうだ」と「明日雨が降るらしいだ」
「彼女結婚したそうだ」と「彼女結婚したらしいだ」
意味は同じなのでしょうか「らしい」の方が会話でよく使われているのですか?どうか教えてくださいお願いします

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A 回答 (6件)

 「らしい」は「伝聞」を表すわけではありません。



 たとえば『大辞泉』の「らしい」の項の「2」にあるように、

「2 伝聞や推量に基づく婉曲(えんきょく)な断定の意を表す。」
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …

といった用法で使われます。「伝聞」でなく「婉曲な断定」(1.3の用法もありますが)なのです。

 たまたま根拠になる事柄が人から聞いたことである場合もありますが、自分で判断したことに基づいて言う場合もあります。
 「明日雨が降るらしい」は、雲の動きから自分で判断した場合もいえます。
 「彼女結婚したらしい」も、今までしていなかった指輪をしているのに自分で気づいてそういうこともできます。

 これに対して「(伝聞のほうの)そうだ」は、人から聞いたことにしか使いません。
 「(様態のほうの)そうだ」なら、「らしい」同様に、自分で判断した場合にも、「雨が降りそうだ」と言えます。

この回答への補足

回答ありがとうございます
「らしい」自分で判断したことに基づいて言う場合なら
「明日雨が降るらしい」と「明日雨が降るようだ」と「明日雨が降りそうだ」と「明日雨が降るみたいだ」の違いは自分の判断の確信によって違うのでしょうか?「明日雨が降るみたいだ」のような文章は見たことはないのですが。「ようだ」と「みたいだ」が同じ意味だと書いてありましたので。

補足日時:2009/05/29 12:34
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この回答へのお礼

辞書の内容を徹底的に勉強したいと思いました、意味はなんとなくわかるけど、作文などで困るときが凄く多くて回答ありがとうございます。^^

お礼日時:2009/05/31 10:35

「明日雨が降るそうだ」


  =「明日雨が降る」と私は聞いた。 
「天気予報によると明日は雨だそうだ」
  =ラジオの天気予報で「明日は雨だ」と私は聞いた。
  =ケータイの天気予報で「明日は雨だ」と私は知った。
「彼女結婚したそうだ」
  =「彼女結婚した」と私は聞いた。
「今日田中さんは風邪で来られないそうです」
  =電話で田中さんから「今日風邪で来られない」と私は聞きました。

「明日雨が降るらしい」
  =おそらく「明日雨が降る」と私は思う。
「天気予報によると明日は雨らしい」
  =天気予報は「明日は雨だ」といっている。だから、おそらく「明日は雨だ」と私は思う。
「彼女結婚したらしい」
  =おそらく「彼女結婚した」と私は思う。
「今日田中さんは風邪で来られないらしいです」
  =今日来ていない田中さんは「風邪で来られない」のだと私は思います。

「明日雨が降るらしい」
「明日雨が降るようだ」
「明日雨が降るみたいだ」
  この表現の違いは年代差によると見たほうがいいと思います。
  形容詞および形容詞型活用の助動詞の終止形で終わる文は、
  会話にふさわしくありません。「何も無いだよ」「雨が降るらし
  いだよ」は時代劇で「田舎者」に割り当てられる言い回しですし、
  「何も無いです」「雨が降るらしいです」もヘンだと思う方が
  おられます。
  年配の方の中には「みたいだ」を子供の言い草と感じている方が
  おられると思います。書き言葉としては使うのに躊躇します。
   

この回答への補足

年代差によってどう違うのですか?おそらく「明日雨が降るみたいだ」は若者が使うと思いますが、回答いただけますでしょうか?

補足日時:2009/05/31 19:43
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この回答へのお礼

「みたいだ」を子供の言い草と感じている方がおられるのですか?
「みたいだ」についてもっと勉強したいと思います。
回答ありがとうございます。^^

お礼日時:2009/05/31 10:42

そうだは伝聞であり


らしいは推定です。
推定の根拠が伝聞情報の場合が多いのですが、
「そうだ」は情報そのものは断定的です。
「らしい」は「元情報そのものは断定的だが伝聞ゆえに
不確定」な場合と「元情報が推定的」な
場合があります。

また、
「そうだ」は「他者の発言を別の他者に伝えているのであって、
自分の判断を含まない」ものですが、
「らしい」は最終的に自分の判断としてそう推定するという
意味です。

このようにニュアンスではなくはっきりした違いが
あります。
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この回答へのお礼

はっきりした違いがわかりました。「そうだ」と「ようだ」が同じ意味だと思っていましたので。文章が成立していなかったのです、
回答ありがとうございます。^^

お礼日時:2009/05/31 10:39

文法を学習されておられる上での疑問という前提でお答えします。


「そうだ」には伝聞と様態の2種類があります。
見分け方は、「~終止形+そうだ」=伝聞 「~非終止形+そうだ」=様態 です。

たとえば、「雨が 降る(終止形) そうだ」…伝聞
     「雨が 降り(連用形) そうだ」…様態

「らしい」に伝聞はありません。文法上「らしい」は推量になります。
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この回答へのお礼

今まで「らしい」は伝聞だと思ってました。日本語は本だけではだめですね^^;;回答ありがとうございます。^^

お礼日時:2009/05/31 10:37

ニュアンスとして。


そうだ
伝聞をそのまま伝えている
間違っていても、責任はない

らしい
伝聞をもとにした自分の憶測を伝えている
間違っていたら、ある程度は責任がある

この回答への補足

例文を作ってみました。鈴木さんは田中さんから電話をもらいました
田中さんは今日風邪で仕事を休みますということです 鈴木さんが他人に伝えるときは
「今日田中さんは風邪で来れないそうです」しか使えないでしょうか
らしいを使って「今日風邪で来れないらしいです」だったら間違った表現になるのでしょうか。「今日風邪で来れないらしいです」だったら
どんな意味を感じられますか?

補足日時:2009/05/29 12:41
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この回答へのお礼

なるほど、「そうだ」は責任がないというニュアンスを持ってますね
勉強になりました、回答ありがとうございます^^

お礼日時:2009/05/31 10:33

日本語勉強中なのかな?



「明日雨が降るらしいだ」

こういう言い方は「絶対にしない」ということはお分かりですか?
単なるミスタイプで「お分かり」だと言うことにして、ですね。

「そうだ」とは「伝聞」の中でも「発信源」が「人」である場合です。
「洋子に聞いたら"そうだ"と言っていた」という場合、「洋子」は
ニュースソースを知っているか、問題を「断言した」というニュアンス
があります。

「らしい」とは「伝聞」の中でも「発信源が不明」の場合です。
「洋子に聞いたら"そうらしい"と言っていた」と言う場合、「洋子」は
ニュースソースを伝聞で聞いていて確信が持てない、というニュアンス
があります。

ですので、「洋子に聞いたら雨が・・・降るそうだ」だし
「天気予報では雨が・・・降るらしい」が、どっちかと言うと正解な
言い回しになります。

ただ、日本語はかなり「あいまいさ」を許す言語でもあります。これら
を逆に使っても「用法上」は問題にはならないですし、余り意識せずに
使っている人も日本人には多いはずです。

この回答への補足

「天気予報では雨が降るらしい」の「らしい」は天気予報で見たけど
たぶん雨が降ると言っていたってことですか?
「天気予報によると明日は雨だそうだ」と「天気予報によると明日は雨らしい」によるとを加えて考えたら「そうだ」しか使えない気がするのですが。どうか教えてくださいお願いします

補足日時:2009/05/29 12:53
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この回答へのお礼

外国人にとって日本語の「あいまいさ」は凄く難しいです。もっともっと勉強がんばります^^ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/31 10:31

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 日本語を勉強中の中国人です。日本語で文章を書く力をつけたいので、作文の練習をしています。次の文を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。

   「羅宋湯」

 今日の夕飯は「羅宋湯」とクロワッサンを食べた。

 「羅宋湯」は私の一番好きなスープだ。甘酸っぱくておいしい。子供の頃に祖母がよく作ってれたものだ。その後、祖母がいなくなったら、母がよくそれを料理にしたものだ。私の成長を温かく見守ってくれるスープだと言える。

 「羅宋湯」の「羅宋」はロシアの当て字だ。「湯」は中国語でスープという意味だ。「羅宋湯」は最初ロシアから伝わってきたようだ。インターネットで調べると、日本語で「ボルシチ」ということがわかった。

 我が家の「羅宋湯」はとてもシンプルだ。材料はキャベツ、ジャガイモ、トマト、ニンジン、カルパサ、トマトソースだ。本当の「羅宋湯」は牛肉とたまねぎも入れるが、好きではないので、小さい時からそれなしで飲んでいた。

 これから私が母親になったら、私も子供に引き続き「羅宋湯」を作ってあげたい。

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 日本語を勉強中の中国人です。日本語で文章を書く力をつけたいので、作文の練習をしています。次の文を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。

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 「羅宋湯」は私の一番好きなスープだ。甘酸っぱくておいしい。子供の頃に祖母がよく作ってれたものだ。その後、祖母がいなくなったら、母がよくそれを料理にしたものだ。私の成長を温かく見守ってくれるスープだと言える。

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→私は、今日の夕飯に「羅宋湯」とクロワッサンを食べた。

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  こうした方が印象が柔らかいと思いました。
  
    _________________    
   

《その後、祖母がいなくなったら、母がよくそれを料理にしたものだ。私の成長を温かく見守ってくれるスープだと言える。》

 *大変失礼ですが、お祖母さんは、お亡くなりになったのでしょうか。
  もし、そうであれば、次のように文章を直すと良いと思います。

→後に祖母が他界し、受け継ぐように、母も良くこの料理を作ってくれた。
 スープもまた、私の成長を温かく見守り続けてくれたのだ。
        
    _________________  


《「羅宋湯」は最初ロシアから伝わってきたようだ。》

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  *“最初”の断りは入れなくとも、意味は充分伝わるので省略しました。
   
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    【そうだ】:活用語の終止形に付く。伝聞の意を表す。
        (~ということだ、~という話だ、という意味で使われます。)    
    _________________ 


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→インターネットで調べると、日本語で「ボルシチ」ということも分かった。

 *“わかった”は「分かった」と漢字表記に直しました。
   なお、ここで〈日本語で「ボルシチ」ということ“も”〉と直したのは、
   原文には「羅宋湯」についての情報が、
   発祥の地や和名など、複数 述べられているからです。   

    _________________  
  

《我が家の「羅宋湯」はとてもシンプルだ。材料はキャベツ、ジャガイモ、トマト、ニンジン、カルパサ、トマトソースだ。本当の「羅宋湯」は牛肉とたまねぎも入れるが、好きではないので、小さい時からそれなしで飲んでいた。》

→我が家の「羅宋湯」は、ごくシンプルなものだ。材料はキャベツ、ジャガイモ、トマト、ニンジン、カルパサ、トマトソースである。本式の「羅宋湯」は牛肉とたまねぎも入れるが、私は好きではないので、小さい時からそれ抜きで飲んでいる。

 *(ごく:程度がはなはだしいこと。)
  原文では、“とてもシンプル”とありましたが、この方が文面としては、
  大人の印象があります。
  また、“本当の「羅宋湯」は”と原文にありましたが、
  “本式”には、正式・本格的という意味があるので、
  〈本式の「羅宋湯」は〉としました。
   
  なお、原文では、“~だ”が多用されていたので、文末を〈~である〉など、
  一部表現を変えました。
  “飲んでいた”という表現も、そのままで良いのですが、
  “飲んでいる”とした方が、依然継続中である印象を
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    _________________

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簡単な文章では
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今、正式な文章で
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取引量が膨大なものとなってきています。
両者の選択に困っています。

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います: 丁寧語
おります: 謙譲語、丁寧語
謙譲の「おる」は、あるところに存在している状態をさす「居る」のときに使うものです。「鈴木は社内におります」のような場合ですね。
(ちなみに、敬語は用法であって文法ではありません)

第三の人・モノに使えば、「います」より「おります」のほうがやや丁寧、それだけです。
「あちらにビルが建っています」
「あちらにビルが建っております」
「この水族館にはクマノミがいます」
「この水族館にはクマノミがおります」
あとは、相手にあわせてどれくらい丁寧に言いたいのか、という気持ちの問題になるでしょう。ただし、文章全体として統一する必要はありますね。

ちなみに、相手に関連するものが存在しているかどうかで使う場合は、「おる」に謙譲表現の語感が残っていることから使わないほうが無難でしょう。
「お宅に犬はおりますか」△→「犬はいますか」○

したがって、
「膨大となっている取引量」が自社のものでも、相手会社のものでも、自社と相手会社のものでも、第三の組織のものでも、「います」でも「おります」でもいいことになると思います。やはり相手と自分の気持ちの問題でしょう。

います: 丁寧語
おります: 謙譲語、丁寧語
謙譲の「おる」は、あるところに存在している状態をさす「居る」のときに使うものです。「鈴木は社内におります」のような場合ですね。
(ちなみに、敬語は用法であって文法ではありません)

第三の人・モノに使えば、「います」より「おります」のほうがやや丁寧、それだけです。
「あちらにビルが建っています」
「あちらにビルが建っております」
「この水族館にはクマノミがいます」
「この水族館にはクマノミがおります」
あとは、相手にあわせてどれ...続きを読む

Q日宋貿易の貿易品について

司馬遼太郎の「義経」という本に奥州藤原氏、清盛、日宋貿易について次のような記述があります。
「清盛は吉次が都へ持ってくる黄金がなくては対宋貿易が出来ない」
「清盛が宋帝国に輸出する日本の特産品といえば黄金なのである」

しかし日宋貿易(ウィキペディア)には黄金についての記述がありません。
日本へは宋銭、陶磁器や絹織物、書籍や文具、香料や薬品、絵画などの美術品などが輸入された
日本からは銅や硫黄などの鉱物や周防など西国で産した木材、日本刀などの工芸品が輸出された

奥州藤原氏が清盛に黄金を贈っていたのは事実かと思いますが、日宋貿易に金は関わっていたのでしょうか?

Aベストアンサー

この資料では、日本の東北で産出される金を輸出したとあります。
特に、宋は中国南部の王朝で、金の産地の多くを北方の金国に
押さえられていたため、日本からの輸入に頼っていたことが考えられます。
http://www6.plala.or.jp/HEIKE-RAISAN/raisan/raisan3-1.html

Q「雨ぞ降らぬ」は雨は降らなかったという意味でしょうか

「雨ぞ降らぬ」は雨は降らなかったという意味なのでしょうか。
どう理解すれば、いいのでしょうか。
困っています。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 「雨ぞ降らぬ。」は「雨降らず(雨が降らない)。」に強意の係助詞「ぞ」がついて、「係り結びの法則」で結びの語の「ず」(打ち消しの助動詞)が連体形「ぬ」となったものだと思われます。
 したがって、「雨は(全く)降らない」といったような意味になります。係助詞「ぞ」は意味を強める働きをします。過去とか完了の意味はありませんので、「雨は降らなかった。」とはなりません。「雨は降らない」ならありです。口語訳するときには、係助詞「ぞ」に当たるような現代語はないので、強調したような言葉(「全く」とか「確かに」など)を補うとよいでしょう。

Q宋詞とは?

「宋詞」とは、日本で言うところの「唐宋八大家文」の中の蘇軾の書いた文章のような作品のことを指すのでしょうか。
まず、そのことをお教えいただきたく思います。
また、「宋詞」は、あまり日本では知られていない言葉、あるいはジャンルのように思うのですが、その経緯についてご存じの方がいらっっしゃれば、教えていただきたく思います。

Aベストアンサー

 大学でで中国文学を専攻していた者です。
 中国文学の世界では「詩」はそのまま”シ”といいますが、「詞」のほうは、中国語にあわせて”ツ”と言っています(紛らわしいので)。

 さて、元来詩から派生したものではありますが、詞は音楽に合わせて歌われたもので、古代の楽府にも比せられたり、あるいはそのまま「楽府」と呼ぶこともあります。
 ここで大事なのは、音楽に合わせるために、韻や平仄などの規格の厳しさです。その厳しさは唐詩以降のいわゆる「近体詩」の比ではありません。それこそ韻律の教科書と首っ引きになります。もちろん曲調も沢山あり、「曲調は念奴嬌か西江月か臨江仙か」によって規格はまったく違うものになります。
 「詞を作るのによいのは三上(馬上・床上・厠上)」などと言われ、じっくり考えないと中国の文学者でも面倒なものです。それでも水滸伝や三国志演義などにこの詞が沢山挿入されていますから、中国ではそれなりに人気のある文学形式ではあります。
 日本人も「詩」の規格までは何とか覚え、菅原道真から夏目漱石に至るまで、多くの人が詩を作りましたが、ついに「詞」の規格を使いこなせる人まではほとんど生まれませんでした(全くと言ってもいいかもしれません)。
人気の問題もそうですが、それ以上に「中国語を知らないと、作るのが恐ろしく面倒」だというのも理由ですね。

 大学でで中国文学を専攻していた者です。
 中国文学の世界では「詩」はそのまま”シ”といいますが、「詞」のほうは、中国語にあわせて”ツ”と言っています(紛らわしいので)。

 さて、元来詩から派生したものではありますが、詞は音楽に合わせて歌われたもので、古代の楽府にも比せられたり、あるいはそのまま「楽府」と呼ぶこともあります。
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Q「そうだ」と「らしい」

いつもお世話になっております前回皆様の回答で「らしい」と「そうだ」を勉強させていただきました。でもはっきりしない部分がありまして調べてみたところ。{「~らしい」と「~そうだ(伝聞)」を比べると、「~らしい」のほうがやや距離を置いて(客観的に)相手に伝えているという意味合いが感じられます。}と書かれています。
皆様の回答で得た違いは「らしい」は誰かから聞いた情報に基づいて自分の判断を加えることでした。自分の判断を含んでいれば「らしい」は客観的じゃなくて主観的だと思うのですが。私の考えが間違っているのでしょうか?どうか教えてくださいお願いいたします

Aベストアンサー

no1eun さんが、テレビの天気予報を見た後で友人に話かけているとします。

「明日雨が降るそうだ」は、
テレビの天気予報を全面的に信用して、そのままを友人に伝えています。
全面的な伝聞です。

「明日雨が降るらしい」
は、テレビの天気予報を【信用するかどうか】という要素が加わっています。
つまり、
「私がテレビの天気予報を見て、それを正しいと判断した結果なのだが、明日は雨が降るらしい」
というニュアンスになると思います。

一度自分の中で(その伝聞が正しいか否かを)判断してから相手に伝えるようなニュアンスがあるので、
>距離を置いて(客観的に)相手に伝えているという意味合いが感じられます。
:と解説されているのでしょう。
 

Q鎌倉幕府と日宋貿易

鎌倉時代に、和賀江島という鎌倉にある島で宋との貿易で賑わっていたそうですが、ということは、鎌倉幕府も平清盛と同じように、宋との貿易による利益で経済力を高めていたということですか。ご回答を宜しくお願いします。

Aベストアンサー

鎌倉幕府も利益があるので日宗貿易を続けるのですが、その頃には宗は北宗と南宗に分裂しているのです。しかも北宗は金に滅ぼされ、南宗も金を滅ばした元に滅ぼされるのです。その元に日本は攻められたのです。
アメリカ合衆国が滅んだら米ドルの価値がなくなるように、宗銭も価値を失い単なる金属になってしまうのです。その宗銭で作られたのが鎌倉大仏です。
鎌倉時代が華やかな時代でなかったのは貿易による経済基盤がなくなったことと、元寇の戦で買っても武士に恩賞をやれず不満が鬱積していったのです。

Q「雨に降られた」が可なのは、非能格動詞だからで、

「雨に降られた」が可なのは、非能格動詞だからで、
「地震に起こられた」が不可なのは、非対格動詞だから。

といった説明がウィキにあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%A9%9E

この場合、「降る」と「起こる」がどのように違うのか上手に解説してくださる方はいらっしゃらないでしょうか。
文法ど素人ですので、そのへんをご考慮いただけると助かります。
    
  

Aベストアンサー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%97%E8%BA%AB_%28%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6%29

によると、日本語には、英語などには見られない間接受身と言うものがあるそうです。更に、間接受身には「迷惑(被害)の受身」、および「持主(所有)受身」と分けられるそうです。そして、「雨に降られる」はこの、迷惑の受身の例だそうです。さらに、文法用語では、元の主語が意志をもって行うことができる(またはそのように考えられる)動詞が非能格動詞、元の主語が意志をもつとは考えられない動詞が非対格動詞に当たるとのこと。

そして、意志を持つと考えられる場合には、迷惑の受身が可能になり、そうでない場合には、迷惑の受身になることが出来ないと書いてありました。

そこで、次の文を考えてみましょう。

雨なんかに降られちまったら大変なことになる。

日本人はこのように表現して、何の不自然さも感じません。従って、上の説明によるの、日本人は雨に意思があり、降るか降らないか決めることができると考えていると言うことになります。まあ、日本人は雨も一種の神様だと考えていると言うことでしょう。

だったら、地震だって神様だ。そんな神様の地震なんて大変な迷惑だ。だから、

地震なんかに起こられちまったら大変なことになる。

と言う表現は誰にも違和感がないと思います。だから、上の文法の説明では、「降る」ばかりでなく、「起こる」も明らかに非能格動詞に当たると言うことになります。ですから、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%A9%9E

で言っていることは、単なる誤植の間違いでしょう。もし誤植ではないと言うなら、日本語や論理を全く理解していない人が、専門用語を弄んで支離滅裂なことを言っていると理解する他ないでしょう。ソーカルさんが批判したポストモダニストみたいなもんですね。

ただ、上の説明で「非対格動詞に当たる」と、妙な「当たる」という言葉を使っていることが私には気になります。私は文法学の専門家ではありませんので、本当の所は分かりませんが、もしかしたら、この非能格動詞とか非対格動詞と言う言葉は、日本語でないどこか国の言葉を分析するために考案された言葉ではないでしょうか。私が専門家で、そう言う認識がもし私にあったとしたら、「非対格動詞である」とは言えずに、私もこのような妙に歯に衣を着せたような表現を使ってしまいそうです。

良くあることですが、自分でものを見付け出したり作り上げたりしたことがなく、外国人のやったことをただ翻訳して、それで物が判った気になっている「学者もどき」とか「学問翻訳業者」と言われる方達は、自分たちの感覚を信じることが出来ずに、外国人の考え方に自分を合わせようとします。たぶん、その文法の先生は、外国じゃあそう言わないから、日本人もそれに倣えってでも言うんでしょうか。

私が、似たような例で思い出すのは、例えば、日本語では主語を最後に言う習慣があると言う事実を知らない、外国かぶれの文法学者が、日本語でも外国のように主語は始めに言うと思い込んでいて、失敗している例です。私はこれを柳田國男の本から教わりました。

確か、広島かどこかの中国地方の言葉だったと思いますが、たしか

(1)行くだなまい。



(2)行くだなんた。

のような表現があるそうです。(1)は親しい間柄で使う言葉で「行くね、お前」すなわち「お前行くね」と言う意味。(2)はその丁寧語で「行きますね、あなた」と言う意味だそうです。その言葉を分析してから、柳田は、「学校に行くわ」などの、東京の「わ言葉」という女性言葉は、元は、「学校に行く、わたし」という言葉の省略形ではないかと言っておりました。ところが、主語は常に始めに来ると言う外国の文法を勉強した日本の文法学者が、日本語にはこのような表現があることを知らずに、無理矢理「わ」を理解しようとして、接尾語とか何とか訳の分からないとこを言い出してしまった可能性はないのか、と言っておりました。当然のことですが、日本語の文法は外国の文法を幾ら勉強しても判る筈がないので、外国の文法は参考程度にしておくべきですよね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%97%E8%BA%AB_%28%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6%29

によると、日本語には、英語などには見られない間接受身と言うものがあるそうです。更に、間接受身には「迷惑(被害)の受身」、および「持主(所有)受身」と分けられるそうです。そして、「雨に降られる」はこの、迷惑の受身の例だそうです。さらに、文法用語では、元の主語が意志をもって行うことができる(またはそのように考えられる)動詞が非能格動詞、元の主語が意志をもつとは考えられない動詞が非対格動詞に当たる...続きを読む

Q山上宋ニとは、どんな人物?

桃山期の堺の茶人、山上宋ニとは、どのような人物ですか?「山上宋ニ記」についての資料も探しています。どこか、ホームページなり、書籍などがあったら、教えて下さい。

Aベストアンサー

「山上宋ニ」でなく「山上宗二」です。
googleで”山上宗二”と検索すれば270件ヒットします。

「山上宗二記」に関連した書物を国会図書館で検索したら下記7件ヒットします。

 1.茶道古典全集/第6巻/千宗室/淡交新社/1958 
 2.山上宗二記を読む/筒井紘一/淡交社/1987.5
  アマゾンでの検索結果:在庫切れ ¥3,500

 3.山上宗二記研究/3/茶の湯懇話会/三徳庵/1997.3
 4.山上宗二記研究/2/茶の湯懇話会/三徳庵/1994.3 
 5.山上宗二記研究/1/茶の湯懇話会/三徳庵/1993.3 
 6.山上宗二記の研究/桑田忠親/河原書店/1957 
  アマゾンでの検索結果:お取り寄せ

 7.山上宗二記/五島美術館/1995.11 

参考にして下さい。

参考URL:http://www.google.co.jp,http://webopac2.ndl.go.jp/,http://www.amazon.co.jp

Q伝聞の「そうだ」の過去

伝聞を表す「そうだ」という言葉がありますよね。
例「Aさんは毎朝納豆を食べるそうだ。」(1)

伝聞というのだから,別人(Bさんとします。)が居て,
そのBさんが「Aさんは毎朝納豆を食べるよ。」と言う場合に,
上記(1)の表現を使います。

Bさんが「Aさんは毎朝納豆を食べたよ。」と言う場合は,
「Aさんは毎朝納豆を食べたそうだ。」(2)
という表現になります。

それでは,過去に,
Bさんが「Aさんは毎朝納豆を食べるよ。」と言った場合は,
「Aさんは毎朝納豆を食べるそうだった。」
という表現になるのでしょうか。
それとも,この場合でもやはり(2)の表現になるのでしょうか。

Bさんが1年前という過去に「Aさんは毎朝納豆を食べるよ。」と言って,
Bさんが現在「Aさんは納豆を食べないよ。」と言う場合は,
「Aさんは毎朝納豆を食べるそうだったが,今は食べないそうだ。」
という表現になるのでしょうか。
それとも,
「Aさんは毎朝納豆を食べたそうだが,今は食べないそうだ。」
「Aさんは毎朝納豆を食べたが,今は食べないそうだ。」
「Aさんは毎朝納豆を食べたそうだったが,今は食べないそうだ。」
になるのでしょうか。

伝聞を表す「そうだ」という言葉がありますよね。
例「Aさんは毎朝納豆を食べるそうだ。」(1)

伝聞というのだから,別人(Bさんとします。)が居て,
そのBさんが「Aさんは毎朝納豆を食べるよ。」と言う場合に,
上記(1)の表現を使います。

Bさんが「Aさんは毎朝納豆を食べたよ。」と言う場合は,
「Aさんは毎朝納豆を食べたそうだ。」(2)
という表現になります。

それでは,過去に,
Bさんが「Aさんは毎朝納豆を食べるよ。」と言った場合は,
「Aさんは毎朝納豆を食べるそう...続きを読む

Aベストアンサー

伝聞なので、もう一人 Cさんの存在が必要です。さらにはDさんも居るかも。

>例「Aさんは毎朝納豆を食べるそうだ。」(1)
伝聞というのだから,別人(Bさんとします。)が居て,
そのBさんが「Aさんは毎朝納豆を食べるよ。」と言う場合に,
上記(1)の表現を使います。

・・・使いません。

「Aさんは毎朝納豆を食べるよ。」と言う場合は、
このことをBさんが直接知ってて、その事実をCさんに伝える時です。
「Aさんは毎朝納豆を食べるそうだ。」は、
このこと(食べるということ)を誰か(Dさん?)から聞いたBさんが、Cさんに伝える場合です。

過去の場合でも、BさんがAさんのできごとを直接知っているかどうかで
言い回しがかわってきます。

「Aさんは毎朝納豆を食べたそうだが,今は食べないそうだ。」
・・・Bさんが、Aさんのデキゴト(納豆をたべた)をを誰か(Dさん)から聞いていて、その後のAさんの状況をCさんに話すのならば、これがいちばん普通です。

「Aさんは毎朝納豆を食べたが,今は食べないそうだ。」
・・・過去にBさんは、Aさんが納豆を食べてたことを直接知ってたが、その後のこと(今は食べない)は誰か(Dさん)から聞き、それをCさんに伝える場合。

「Aさんは毎朝納豆を食べたそうだったが,今は食べないそうだ。」
・・・「食べたそうだった」と、二重に過去形を使う必要はないでしょう。 単に「食べたそうだ」でコト足ります。

ですので、「食べるそうだった」というのは明らかにヘンです。
「食べたそうだ」でかまいません。

・・・書いてるうちに私もヘンになりそうです。

伝聞なので、もう一人 Cさんの存在が必要です。さらにはDさんも居るかも。

>例「Aさんは毎朝納豆を食べるそうだ。」(1)
伝聞というのだから,別人(Bさんとします。)が居て,
そのBさんが「Aさんは毎朝納豆を食べるよ。」と言う場合に,
上記(1)の表現を使います。

・・・使いません。

「Aさんは毎朝納豆を食べるよ。」と言う場合は、
このことをBさんが直接知ってて、その事実をCさんに伝える時です。
「Aさんは毎朝納豆を食べるそうだ。」は、
このこと(食べるということ)...続きを読む


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