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第二次世界大戦のスターリングラードの戦いにおいて、ドイツ軍はどうしてあんなにもスターリングラードの市街戦で苦闘し、攻略に手間取ったのでしょう?
本によっては、ドイツ軍は市街戦が苦手だからとありましたが、ドイツ軍はそれまでにも多くの大都市を攻略しています。
例えばスターリングラードに攻撃を開始する2ヶ月前にもドン河口の重要都市ロストフを数日で攻略しています。
ソ連軍はロストフに三重の市外防衛線を敷き、市内にも障害物や地雷を仕掛け、建物一つ一つを火点にして要塞化していました。
しかしドイツ軍はソ連軍と激戦を繰り広げながらも見事に制圧しています。
なぜスターリングラードでは苦戦したのでしょう?

A 回答 (2件)

簡単にいうと、ヒトラーが余計な指示をだしていったからです。


パウスルもヒトラーの指示をいちいち仰いだりすべきじゃなかったのですが
もともとヒトラーの肝いりで始まったスターリンの町の破壊作戦ですから
一回口出しはじめるときりがない。
ヒトラーの指示は南方軍集団だけでなく、結局は東部戦線全体を
崩壊させる直接の原因になるわけですから、なにをかいわんです。
ロストフも結局奪還されるわけで、
ヒトラーの指示で兵力を分割したがために、
南方軍集団の戦力は足らなくなって、進撃のペースが遅れた上に、
ヒトラーの指示で市街戦を強要されるなど、無駄な時間と労力を費やして
冬の到来で、アウト。

スターリングラードでは町の壊滅が命令されていたので、
大規模な爆撃がおこなわれましたが、このときの瓦礫が突入の段になると
逆に障害物となって戦車等の機動力が奪われ、
ジェーコフの抱擁作戦による近接戦闘で消耗戦になるわけです。

http://ja.wikipedia.org/wiki%E3%82%B9%E3%82%BF%E …
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この回答へのお礼

市街戦ですから近接戦闘と消耗戦になるのは当然だと思いますし、ロストフの市街戦ではドイツ軍は突撃部隊を編成して、その部隊を主力にして市内を制圧しています。戦車部隊を主力にしていません。
スターリングラードでは投入した部隊と戦術に問題があったという事でしょうか。

回答有り難うございました。

お礼日時:2009/06/20 02:08

スターリングラード戦の詳細な経過については、適当な本が出ていますからそれを読んでご自分で研究して頂きたいのですが、



スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943 (朝日文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4022614773/

下記のような要素があり「力攻め」しかなく、それをしているうちに時が経過してしまったということのように思います。

1) スターリングラードはボルガ河畔の街であり、対岸はソ連の支配地域である。いかにドイツ軍が妨害しても、ボルガ川の対岸からの補給が可能なので、
「スターリングラードを包囲して飢餓に陥らせ、砲撃と空襲で痛めつけて降伏を待つ」
ことが不可能である。これは、ラドガ湖という補給路を最後まで絶てなかったレニングラード攻囲戦と同じです。

2) スターリングラードの地形は、ボルガ川に面した地域が崖になっており、ドイツ軍の砲弾や爆弾が届かない「安全地域」があった。ドイツ軍の制空権・ボルガ川上の「制海権」も不十分で、スターリングラードをボルガ川から切り離して完全に包囲することが最後まで出来なかった。

3) スターリングラードはドイツ本国から最も遠距離の「攻勢終末点」といえる場所であり、現実に行われたような攻撃を行うのが精一杯であった。しかも、ドイツ軍はカフカス方面に大兵力を派兵しており、そちらにも戦力と物資の補給が必要であり、第六軍に対する戦力補給は更に滞った。

スターリングラードを攻略するには、

「別な場所でボルガを渡河し、スターリングラードの対岸部分を占領してボルガ川を含めてスターリングラードを大きく包囲する」
「ボルガ川上の『制海権』を取り、ボルガ川の水運を完全に遮断する」

といったことが必要だったと思います。
当然、現実のドイツ軍のスターリングラード正面の兵力では全く足りません。

ドイツ海軍の河上部隊がボルガ川に進出した事実もないと思いますし、ボルガ川を渡ること自体が「大戦闘」であり、川を渡ったドイツ軍がソ連の反攻に遭ってボルガ河畔に追い詰められ、第六軍以上の悲劇を生む可能性もあります。
ボルガ川の「制海権」をソ連に奪われ、ボルガ川を渡ったドイツ軍が兵糧攻めでそっくり殲滅される可能性もあります。
ドイツ軍によほどの兵力があっても、現実には不可能な作戦でしょう。
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この回答へのお礼

スターリングラードを攻略するのに包囲する必要はないと思いますが・・
質問で例えにあげたロストフもドン河に面しており、スターリングラードと同様に対岸はソ連軍が確保していました。ドイツ軍はロストフを包囲したわけではなく、正面からロストフを攻め市街を制圧した後で対岸に部隊を渡しています。
都市は必ずしも包囲して攻略するというものではないと思います。
スターリングラードも実際、市街の9割をドイツ軍は制圧していたわけですし、兵力を消耗しすぎて後一押しができなかっただけと思います。
もう少し増援と時間があれば攻略は可能だったと思います。
南方でのドイツ軍の兵力不足も人為的な部分があると思います。本来ならクリミヤ半島を攻略した第11軍がそのまま南方で使われる筈だったのに、ヒトラーが考えを変えたせいで予定を変更して北方に送られています。それがなかったらカフカスまたはスターリングラードに第11軍が投入された可能性というものもあった筈です。

せっかくご紹介いただいた本ですが、既に以前から持っており読んでいますが内容については不満です。
特にドイツ軍の記述については物足りません。ドイツ軍各部隊の行動や保有戦力、損害についての記述は非常に不満が残ります。
他の文献なら10月半ばまでで第6軍は4万人もの損害を出し、歩兵戦力だけなら5万6千人にまで減少していたとか、部隊を一つ例にあげれば、この頃の第24装甲師団は30両の戦車と千人の歩兵を保有するだけだっとか、市街戦のために急遽空輸された5個工兵大隊の部隊名や戦闘経過が載っているものもありますが、こうした事は残念ながら「スターリングラード運命の攻囲戦」には載っておらず、残念ながら自分には今一つの本です。
そもそもスターリングラードについては今まで満足した文献に出会えていません。ジェフレー・ジュークス著「スターリングラード」もハインツ・シュレーダー著「スターリングラードの戦い」も、軍事雑誌で時折見かける特集でも不満が残っています。

回答有り難うございました。

お礼日時:2009/06/20 03:18

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