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運動している物体も静止している物体も同じ時間点を規定すれば同じ空間を占める。つまり運動体と静止体の瞬間における区別は無い。しかしその瞬間の積み重ねが一方は運動に、一方は静止になるのか?

A 回答 (15件中11~15件)

質問者さんが、「空間」、「時間」、「運動」という言葉を使っているので、この言葉の意味は分っているものとして話を進めます。

物体は空間のある「位置」を占めています。単位時間当たりの位置の変化を「速度」、そして単位当たりの速度の変化を「加速度」と呼びます。その単位時間の長さの選び方は任意ですが、物理ではその単位時間の長さを有限の値に取った時には、それぞれ、「平均の速度」、「平均の加速度」と呼び、その単位時間の長さを無限小にとった時だけ、それぞれ、その位置での「瞬間の速度」、その位置での「瞬間の加速度」と定義します。そして、特別に断らない限り「速度」とは「瞬間の速度」、「加速度」とは「瞬間の加速度」を指すします。

以下に説明しますように、この宇宙では、運動の状態を完全に決めるのには、瞬間の位置だけでは駄目で、それと同時にその瞬間の速度も分かっていなくてはならない事が確認されています。したがって、

>同じ時間点を規定すれば同じ空間を占める。つまり運動体と静止体の瞬間における区別は無い。

という主張は、少なくともこの宇宙では成り立たない事が分かっております。同じ空間点を占めていても速度が違うとその後の運動の状態が変わってしまいますから、速度の違いによってく区別が着くのです。

さて、運動の状態を決めるのに、どれだけの情報が必要でしょうか。頭だけで考えるなら、即ち、論理だけで考えるだけなら、その可能性は無限にあり得ます。最も簡単な可能性は、(1)運動の状態とは位置が決まれば決まってしまう、です。これが、質問さんの仮説です。もっと複雑な可能性は、(2)運動の状態とは位置と速度が決きまれば決まる、です。もっと複雑な可能性は、(3)運動の状態は、位置と速度と加速度が決まれば決まる、です。もっともっと複雑な可能性は(4)運動の状態は、位置と速度と加速度と、さらに、単位時間当たりの加速度の変化が決まれば決まる、です。これを繰り返して行くと、運動の状態を決める可能性は論理的には無限にあり得ます。この可能性は、もちろん我々の頭の中で考えた可能性なのですが、実際の自然界では、そのような無限に多くある可能性の中の、実はたった1つだけを実現しています。

ところが、上の可能性の(1)か(2)か(3)等々のうちの何れが実現しているかは決して自明ではなく、どんな理屈や論理をこねくり回しても分かりません。それを決めるのは論理ではなく、実際に実験をしてみる以外にはないのです。このように、論理だけでは解決できず、必ず自然界の中で実験や観察をしてみなくてはその是非の決着がつかない現象を取り扱う学問のことを、自然科学と言います。この点が、自然科学が数学や論理学とは違う最も需要な点です。そして、実験や観測で上の可能性のどれがこの宇宙では実現しているかを確認できたときに自然科学者は、現に我々が埋め込まれているこの宇宙の個性が理解できたとして、満足するわけです。

そこで物理学者達は、上の可能性に関して色々な仮説を立てて、実験や観測を繰り返して来ました。その結果、加速度は、必ず、位置と速度の二つ量だけの関数になっている事を突き止めました。従って、この宇宙の個性は、上の可能性の中の(2)を満たしている、即ち、位置と速度の二つが定まると、自動的に加速度も定まってしまうので、その後の運動が完全に記述できることが経験で分かるようになったのです。すなわち、運動の状態は位置だけが分かってもその後の状態が決まらず、また、速度だけが分かってもその後の運動の状態は決まらないが、その二つが決まると、その後の運動の全てが決まってしまうようにこの宇宙が出来ていることを突き止めたのです。

実は、そのように宇宙が出来ていることと、この宇宙に「慣性の法則」が在る、即ち「力の働いていない物体は等速直線運動をする」という法則が在るとは同じ事なのですが、そのことに関する詳しい議論は

ポアンカレ著『科学と仮説』(岩波文庫)

の中の「古典力学」のところで成されておりますので、それも参考にして下さい。
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「運動している物体も静止している物体も同じ時間点を規定すれば、同じ空間を占める。


この仮説が正しいかどうかですね。
まず同じ時間点についてですが、光を断続的に出すストロボを考えましょう。ストロボが一瞬光ることを同じ時間点と例えましょう。
ストロボの前に2個の物体があるとしましょう。1個は止まっています。もう一個は運動しています。確かに1個にはストロボの光が当たりますので存在はわかりますね。さて別の運動している1個ですが常識的にいって捉えられるかどうかは確定できませんね。
つまりストロボの一瞬の光の空間に運動物体が存在しているかどうかは不明だからですね。だから「物体も静止している物体も同じ時間点を規定すれば、同じ空間を占める。」の仮説は成立しないですね。
この仮説を成立させるためには連続の概念を持ち込まない限り無理なんですね。連続の一部であるのでそのように考えるのが妥当であろうというだけですね。物理数学的空想の概念ですね。
静止物体と運動物体は同じように捉えられる物ではないですから同じものとは言えないのですね。
これは、仏教的な「蝋燭の火」の問答と同じですね。最初の蝋燭の火を次の蝋燭に移したときこの火は最初のものと同じか違うかという問答ですね。
結論から言えば、静止物体と運動物体は同じではないが原因結果の連鎖で説明できるということでしょう。
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違う見方も可能だと思います。

それは、すべての物体は常に動いている、というものです。すべての物体は常に前後に振動しながら動いており、前に動く割合が多ければ前に動き、後ろに動く割合が多ければ後ろに動く。静止しているものは、前にも後ろにも同じ割合で動いている。その動きが小さいので、人間には止まっているように見える。
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運動とは、位置の移動。

静止は、位置の移動がないだけです。即ち、瞬間における位置が違うものを寄せ集めたものが運動体と見え、同じものを寄せ集めたものが静止体と見えるだけです。
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静止している物体は、速度0で運動している、と言えるので、


静止体は運動体の集合に含まれる、というので如何でしょうか?
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